秘書の小部屋 2002.5

2002年5月31日(金)晴れ

編集長は今日は午前中検査。麻痺がないか、なんたらかんたら、の検査です。では、と出かけていったきり、また、戻ってきません。今度は何を、と思っていたら、電話あり。割と真剣な声で、頭がきりきりするので、再診察を受ける、との、ことでありました。ぎえ、昨日クジラ食った報い?、と心配になったのですが、やがてけろっとした顔で戻ってきました。緊張性頭痛、神経質になっているからでしょう、との見立てでありました。

神経の太さは、まだ発症前のレベルには戻っていないらしいです。

今回犠牲のサイレント・ゾーンとやら、なんの影響もないのかな、と思っていましたが、空間認識に少々難があるらしい。洗面器が三日月にみえる、とか、なんともシュールなことを口走っていいます。

2002年5月30日(木)晴れ

さて、我が社は通常業務に復帰しました。一時は社員離散会社倒産かと思われましたが、どうやらこうやら営業再開であります。めでたいことではありますが、また辞令乱発で秘書の仕事が増えました。給料は・・・ いいたくもない。新たな仕事というのは、即ち、編集長の給餌係りです。そもそも永年の間違った食生活が今回の騒動の大きな要因であります。再発されては我が社は大きな迷惑をこうむるのです。

小学校の頃、いろいろな当番がありました。保健係りになってみんなの爪が伸びてないか検査したり、とそれなりに児童労働していたものです。動物が好き、あるいは家で動物飼っている、という理由だけで、“生き物係り”になんぞされたりしました。

この、生き物係り、実は、土日も祝祭日も関係なく、動物のお世話をするために、他の連中がつるんで遊んでいる日にも登校しなくてはならぬという、いわば貧乏くじの大当たりみたいな係りでありました。ナントカちゃんは動物が好きだからよかったわねー、と他人事みたいに、いや他人事だからおべんちゃら言う手合いが結構いて、そおなの動物って可愛いわあ、とニコニコしながら内心では“うるせえわね”と言い返しています。秘書はコンジョ曲がりであります。

いろいろ野暮用あって出歩いていて、なんかいいものないかな、と寄った駅ビル地下の魚屋さんで、とんだものを発見してしまいました。貧乏根性が染み付いている秘書は、お買い物にで出かけるとまず、魚のアラを探します。アラを馬鹿にしてはいけません。カマなど身よりよっぽど美味しくてはるかに安いのであります。

で、見つけたのは、昨今話題のクジラのアラ。と言ってもクジラのカマがどーんとトレイに乗っかってるのではありません。ステーキ用の切り身をとったあとの切れっ端がどーんとトレイに山盛りです。ほいほいと秘書は買い込んできました。これぞ究極の安くてうまい編集長用食材。モノの本には、肉はなるべく控える、とあったが、魚屋で売ってたんだもん、大丈夫大丈夫。

果たせるかな、編集長、お昼御飯用にじゅうじゅうとフライパンで焼いていると、舌舐めずりしながら目をぎらつかせ辺りをうろついていました。往年の欠食児童であります。

食った食ったと満足そうな表情で、編集長、午後は脳波検査に出かけていきました。秘書は不安です。もともと変な波が現れそうな脳みその持ち主です。測定器を壊したりして、損害賠償など請求されたくありません。入院して初めて生命保険に入っていないことが発覚したばかりです。損害保険などもちろん入っていないありましょう・・・ そんなに掛かる検査ではない筈なのに、終業時間過ぎても帰ってきません。ああ、どうしたものか、病院へ電話したろうか、と気を揉んでいたら、ひょこっと戻って、「ついでだから、あちこち回って挨拶してきた」という。連絡くらいせんかい。脳波の結果は、と聞くと、判読に時間がかかるので後日、ということでありました。

2002年5月29日(水)晴れ

一騒動治まって日が暮れて夜が明けて、さて、編集長の新たな人生の幕開けであります。張り切って退院のご挨拶をあちこち送っています。いわく、脳梗塞患者としては非常に幸運なことに、脳細胞で失われたのはサイレント・ゾーンと呼ばれる機能不明の部分のみで、他の部分はすべて保持され、ますます口達者、気力充実、仕事に支障なし・・・

早速返事が来ました。いわく、サイレント・ゾーンとやらが破壊されて、減らず口に歯止めがきかなくなるのではないか、不安です・・・ もっともであります。話し相手に飢えていたのか、まあ喋りまくる。

飢えていたのは言語に関する口だけではありません。胃につながる口も飢えていたらしく、昨日は病院食の続きで、脂気のない精進料理みたいな夕食を諦念交じりにぼそぼそと食していましたが、本日お使いで出かけた秘書が書店で、“脳梗塞・心筋梗塞を防ぐ食事”という本を見つけてきて編集長に見せたら喜ぶまいこと。魚の油は多いにとれ、とある。こてこて美味しそうな鰻の蒲焼の写真まで載っています。赤ワインもコーヒーもポリフェノールが多いのでよろしいそうです。

となれば、本日のメニューは、うな丼にワイン・・・ 発行が少し古い本では酒コーヒーは控えましょう、と書いてありました。古い知識を後生大事にしてはいけないのであります。すっかり脂気の抜けていた編集長、グラス少々のワインですっかり出来上がって、早々こてっとひっくり返ってしまいました。早寝早起きはよいことです。秘書はこれから夜の巷で久々遊んできます・・・

2002年5月28日(火)晴れ

さて、編集長の13日間の病院お泊り代は約20万円です。1泊およそ1万5000円、温泉地だったら、そこそこのお部屋ですが、病院の相部屋であります。贅沢には程遠い。実は早く家に帰りたくなった理由は、風呂に入りたい、の他に、腹が減ってかなわない、というのもあるらしいです。今日もいろいろ忙しい秘書が大金抱えてあたふた支払いに駆けつけると、点滴台につながれた編集長が、一言、飯がまだ来ない・・・ 他の患者さんはもう食べ終わっているのに、点滴が終わるまでお預けくっているのだという。入院患者にとって食事は大事な楽しみの一つらしい。

さらに聞けば、本日夕方退院の筈が予定繰り上げて昼になったといいます。ぐっ。秘書忙しい、と言うと、一人で帰るからいい、というが、今日日(きょうび、と読む)、三下ヤクザだって出所にはお迎えに来てもらいますぞ。まして憎まれ愚痴社代表のシャバ復帰の日にお出迎えが無くてどうする。

かくして秘書あたふた往復して準備万端整えて、貰い下げ、じゃない、身柄引き取りでもない、とにかく病院から連れ戻りました。病院の玄関を出た途端、編集長、のびのびと深呼吸をして、鼻をくんくんして、やっぱり外の空気はいいなあ、と感慨深げに言います。ふん、昨日も吸ったくせに。

吸った、で思い出しました。早く退院したい理由がもう一つありました。病院内でタバコを吸うのが多くてかなわない、のであった。病室でタバコ吸って看護婦さんに注意されていた強者もいたらしい。その見舞客も病室でタバコ吸おうとしていたとか。新たな患者まで、枕元の机にタバコとライターをスタンバイさせて吸う積もりらしいので、編集長は冗談じゃない、と注意したそうです。トイレに行けば、トイレでタバコ吸わないで下さい、の貼り紙。も一つおまけに、病院内で携帯かけるドアホも生息しておったそうな。

2002年5月27日(月)晴れ

いよいよ明日は退院です。ホッとするような、新たな頭痛の種が増やされるような、複雑な気分です。ともあれ毎日の御用聞きから解放されます。なんどもしつこいが、秘書は本当にくたびれました。

こんなテレビコマーシャルをご存知でしょうか。タバコ型の悪魔が禁断症状に苦しむニコ中の耳元でささやく。禁煙してても吸いたいよう吸いたいよう・・・。秘書は毎日、爆睡してても眠たいよう眠たいよう、と口走っては、同居人に、うるさい、だの、ああわかったわかった、だの言われ続けていました。

今日など誘惑にとうとう耐えかねてソファに毛布を集めて昼寝をしてしまいました。ちょっと5分の積りで、あらら1時間が過ぎ去りました。極楽タイムの秒針は全力疾走するらしいです。

こんな苦労も今日までであります。今日は運んでいくものもない。編集長の減らず愚痴に付き合うのもこれでおしまいです。ため息つきつつ、ビデオかついで収録に向かいました。そんな秘書の心も知らず、へらへらと編集長は元気です。満面の笑みを浮かべてカメラ相手にありがたいご講話をえんえんと垂れます。3分だよ3分、という秘書の内面の叫びなど勿論届きません・・・

帰り際、編集長がひそひそと打ち明けました。なにしろ運動不足なもので、今日はちょっと散歩に行ってきた、と。

ぎえっ、と思いつつ、どこに行ったのだと聞けば、こっそり病院抜け出して、ご近所の市役所まで、昨日差し入れたスニーカーはいて陳情の用紙を貰いに行った、と。こういう時普通どんな反応をすればいいのでしょうか。秘書は言う言葉もなく、ニヘレニヘレと曖昧なジャパニーズアルカイックスマイルを浮かべていました。もう面倒みきれん。

2002年5月27日(日)晴れのち雷雨

秘書は今日も日曜学校でしごかれてきました。イラストレーターを3日計9時間で修得してしまおう(させよう)というのは結構ハードであります。初めて知る概念が1回切りの説明で、はいやって見ましょう、です。初日の笑顔は消えてひきつれた顔してマウスをクリックしています。ぼけーっとして説明聞き逃したら、それっきりです。回を重ねるごとに人が減っていきます。10人の筈が6人になっていました。最後までがんばらなくっちゃ。編集長は少しくらいほっといても大丈夫そうだし、お勉強を優先しましょう。と帰り道、遣り繰り算段をしながら駐輪場の自転車を引っ張り出して、ふと留守電メッセージに気付いてチェックすると、ああ、またしても、暇を持てあました病人からでありました。

運動するからスニーカー持ってきてね、だって。

何故おとなしくしておれん、この病人は。この先を思いやると、秘書は頭が痛い。雷も鳴り出しました。

2002年5月25日(土)晴れ

秘書はつかれたぞよ。編集長の頭の迷路にもぐりこむのはもう御免です。世界が平穏無事だったあの頃に戻りたい。毎日平々凡々と庶民らしく暮らしてつつがなく1日を終わりたい。それが出来ないならせめて土曜日くらいゆっくりのんびりくつろぎたい。明日はまた日曜学校でイラストレーターの迷路にはまるのだ。本当は予習復習をしたいのだが。それがそれが・・・

いったい何時だと思っているんですか。土曜の朝の6時45分です。いつもなら自分だって高いびきで熟睡している時間でありましょう。暇で暇で夜が早いものだから朝早く目が覚めちゃって・・・ 秘書は暇じゃない夜も遅い。なのになのに。

たたき起こされてどんな急用かとおもいきや、あ、今夜の世界不思議発見、録画しといてね、ですって。入院した時看護婦さんになんといったか覚えていないのか。テレビはどうしますか(つまり貸してくれる)と聞かれて、僕はああいう低俗なものは見ない、とおつに澄まして言ってたではありませんか。どの舌が言うのだ。閻魔さんの出前を頼んでやるぞ。

2002年5月24日(金)晴れ

同居人が風邪を引いて熱が下がりません。ずいぶん前から直ってはぶり返しを繰り返しているので、医者へ行け、と保険証を持たせて追い出しました。一番近い医者は、編集長の入院している病院であります。

ぼーっとしてロビーで診察の順番を待っていると、あたりに響く大音声。ロビーの近くで電話を掛けている御仁が騒音源でありました。あ、と同居人。声が大きすぎます、と注意しようと思ったが、アルカイダがどうした、とか叫ぶ迫力に負けて知らない人のふりしたそうです。どこに電話していたのでしょう、編集長は。また、ぶっちぎれるような話をしていなければいいのですが。

病院関係者からも、あまり興奮しないように、とニコニコだかニヤニヤだか言われているらしいです。

夕刻ご用聞きに行ったら、いろいろと退屈してきた様子で、何日か前には、活字は見たくもない、と言っていたのが、明日から日経新聞持って来てくれ、ですと。

2002年5月23日(木)晴れ

編集長もホームシックになるのでしょうか。お家へ帰りたい、と柄にもないことを口走っていました。ここでゆっくり静養する、みたいなことを言ってたのに何故、と問うたら、もう1週間も風呂入ってないのがつらいらしい。24時間点滴の身では無理というものであります。

その点滴が昨日で外れました。では、風呂をと思ったらまだ無理で、頭を洗っていいと許可が出た、と昼のご用聞きに行ったとき、嬉しそうに言っていました。子供みたいなものであります。その時秘書は、(頭の中身も洗ってもらえ)、と言いそうになって困りました。

で、夕刻またご用聞きに行くと、頭を洗っていない。24時間心電図、というのをやることになったそうです。編集長の心臓は鋼鉄製、という神話は崩れるらしい。ぼりぼりと頭を掻くのは、かゆい、というサインでしょうか。

しかし、どう医者を言いくるめたのか、28日退院にしてもらったという。素行不良で追い出されるんでなければいいけど。

2002年5月22日(水)晴れ

さあて、今まで手つかずだった禁断の奥の院の開かずの間のをちと整理してやりましょう。鬼のいぬ間の大掃除。なにしろ、ここから社内汚染がはじまるのです。黒いふわふわが風に吹かれて漂ってきたり、黒い昆虫がつつつーっと走り出てきたり・・・ ペットとかお抜かしにならないでほしい。

では窓を開けて・・・ ここで秘書挫折。窓も開かずの窓だったらしく、向こうは埃の巣窟。花粉症ゆえ窓は開けずに数ヶ月を過ごしたツケは大きい。

いきなり埃被り姫になった秘書は人生を諦めかけました。人間埃じゃ死なない・・・

2002年5月21日(火)晴れ

いい加減くたびれてきました。秘書は1人しかおらんのじゃ。皆してこき使いおって。家出してやる。後のことは知らん。いっぺん秘書の有り難みを思い知れ・・・ と言ってみたい、やってみたいが出来ません。小心者はつらい。

しかし、昼のご用聞きは、さぼってやりました。今日は、入院中の身なのに、関係者集めて病院内で編集会議をやるという。秘書がお相手しなくても、十分喋りでがあるはずです。勿論、病室内でやるな、談話室(みたいなところ)へ行け、と釘をさしておきました。その間秘書は久しぶりのんびりとお茶してくつろごう・・・ 

なのに、つい取り散らかったままの社内が気になってお片づけお掃除を始めてしまいます。我ながら貧乏性は嫌です。それにしても片づけ甲斐のあること。いっそ編集長が溜め込んだガラクタすべて捨ててしまいたい。フランスの話だったでしょうか、美術品泥棒が捕まって、その母親が証拠隠滅を謀って名画のことごとくを切り刻んでゴミに出し、工芸品は河に投げ捨てたそうです。河を浚って回収できたものもあるが、膨大な芸術品がこの世から失われてしまったといいます。価値を知らない無知は恐ろしい。秘書もそしられるのでしょうか。

夕方、書類や郵便物をもって様子を見にいったら、編集長の顔が少し伸びています。む、良からぬ後遺症かと思ったら、本日うら若き乙女が見舞いに来てしばらく話し込んでいったらしいです。よくよく見れば鼻と上唇の間が長くなっていた。ふん。


秘書のお詫び:巡回点検作業中に、2001年3月分が消失しているのに気が付きました。改めて掲載いたしました。日頃のどじをお詫びいたします。

2002年5月20日(月)雨、晴れたり曇ったり

我が社の業務は著しく混乱しています。なにしろ秘書は技術担当ゆえ、編集長の業務とは無関係に、ほわわんと存在していました。

突然編集長から、メールをチェックしてインターネットにアクセスしてダウンロードして・・・云々言われても(断っておきますが、カタカナ部分は秘書が勝手に言い換えています。亡国植民地語反対主義者編集長流に、電子手紙を点検して電網に・・・なんて言ってると舌を噛み切りそうで恐い)、パソコン開けて見たら編集長の頭の中と同じぐらいぐちゃぐちゃ(発症したからではありません、以前からとり散らかったままです)で、さっぱりわかりません。

で、毎日毎日、これは何ですか、と病院に聞きに行きます。結構大変です。

今日も病室を覗いてみると、患者さんが増えて4人になっていました。1日か2日余分に入院しているだけのことですが、編集長が一番の古株なもので、刑務所で言えば牢名主然としています。この名主様、それまで個室でやりたい放題やっていたので、ついついでかい地声のまま話します。秘書は気が気でありません。病院の中で騒音を巡って傷害沙汰、というのは御免です。

で、廊下に連れ出しました。印刷物みながら、これは通信に、これは英語組に、これは流したらあと最新記事に入れといて、と気安く言って下さいます。秘書、愛松君を病室に運んで来たい気分です。ほれ、とベッドの脇に据え付けて、後は好きにやって下され・・・ しかし、一応安静患者であります。ぐっとこらえて(退院したら、埋め合わせてもらおう)、御指示に従います。

帰り際、これ拡大コピーしてきて、と差し出したのは、差し入れしたシャンソンのCDの歌詞。入院中にマスターするのだそうです。それは結構であります。願わくば、鼻歌気分で歌い出して、同室の方々の眠りを妨げないように。それにしても、とことん元気な患者です。

2002年5月19日(日)晴れたり降ったり

秘書、お疲れであります。朝っぱらから野暮の極限みたいな雑事で駆け回り、1週間分の家事を済ませ、午後から日曜学校なので、ちょいとお勉強を、と教材のCDに入っているイラストレーターの体験版を松子さんにインストールしました・・・ しゅううううーと入って行くので安心していたら、突然どかんと出た。メモリが足りません、インストールできません、48MB必要です、と。松子さんは昔懐かし32MBなのである。わーん、悲しいよう。

と、言うわけで、予習も復習もして行かなかった秘書、本日のお題のペンツール、ベジェ曲線に見事にひっかかり、あせりまくりました。イラストレーターで挫折する人のほとんどが、ここでつまづくらしいです。けど、最後までやらなくちゃ、大枚36万も払った貴重なお金が無駄になります。メモリ買い足そう。

と、思って電気店に赴けば、取り寄せになるといいます。たしか去年の暮れもメモリ増設しようとして、近所のパーツ屋に行って同じことを言われて、めんどくさくて止めたんでした。わーん、ぐすっぐすっ。

夕刻、また編集長の減らず愚痴の採録に病院に赴きます。日曜というのによく働くなあ、と自分でも感心します。で、そこで、松子さんの悲しいストーリーを話して聞かせたら、何をおもったか編集長、では新松を使えばよいではないか、とのたまいます。それって秘書に新松をくれるってことですか。まさか・・・

好きなだけ貸してやる、その代わり、iMovie2の使い方をマスターするように、だって。下心無い分けないよなあ。

ところで、大部屋は隔離病棟ではなかったらしいです。1人増えていました。

ところで編集長お願いです、減らず愚痴を6分もしゃべらないで下さい。見る人の迷惑も考えて下さい。

2002年5月18日(土)雨のち曇り

独房は嫌じゃ、と看護婦さんに担当のお医者さんにその上婦長さんに直訴して、編集長念願の雑居房へ移りました。大部屋とか相部屋言葉が思い浮かばなかったらしいです。大丈夫かいな。

さて、今度は5人部屋であります。この何かとやかましい御仁に耐えられるでしょうか、と覗きに行くと、なんとぽつんと一人でありました。もしや、回りに悪影響を及ぼす要注意人物と思われたのでしょうか。秘書が見舞いに行くと、ほんとに脳梗塞の患者?と疑いたくなるほど、べらべら今昔取り混ぜてしゃべりまくるが、看護婦さんやお医者さんにもいちいち講釈垂れてるらしい。暇なのはあんただけなんだけど・・・

今日は、居合わせた見舞客相手に色々注文をつけていました。秘書は英語は自慢じゃないが、身振りが入れば何とか最低限の意志疎通ができる、と言う程度です。数多押し寄せる英文メールに、とてもじゃないが返事なんか書けません。入院したことを知らせてくれったって、そりゃ豚にスキューバダイビングさせるようなもんです。で、その客に、自分のホームページ見ろ、その英文の案内作れ、入院を知らせる英文メール書け、って。編集長とその人どういうご関係? 身内とも思えないし・・・ 態度のデカさ復活です。

さて、ビデオに減らず愚痴を収録するのに、調べたいから資料もって来て、と言われて秘書は重たい本を抱えて持っていきました。なのに、この本じゃなかった、とか。ま、そんなことは許してつかわします。許せないのは、3分、と秘書がしつこく言っているのに、4分もしゃべることです。これ以上増やしたら、途中でちょん切って放送してやる。

病室を引っ越しして狭くなって荷物が片づいていません。引き出しには書類を適当につっこんであったので、あけようとしたら詰まってくしゃくしゃになりました。あーあ、と溜め息つきつつつ揃えてみれば、中に1枚なんじゃこれは! 

あ、それ請求書、払っておいて、と気軽に言うが、ちゃんと見たのか、おいっ。15日締めとは聞いていたが、15日外来で8,700円、15日入院で27,850円、15日の1日だけで計36,550円・・・ 

2002年5月17日(金)雨混じり寒い

お疲れさんで、なんとなくぽよよんとしていた秘書、ふっと気づくと留守電マークがチカチカしています。誰じゃい、と思って再生すると、情けない声がぼそぼそ言っている。

風邪引いた。生姜と蜂蜜持って来て。梅干しも・・・

おい、であります。そこは病院だろ。先生にみてもらえ。大体がだよ、生姜をどうやって擂るの、どうやってお湯沸かして混ぜて飲むの。梅干し欲しいったって、今減塩食だろ。

しかし肺炎にでもなられたら一大事であります。秘書忙しいにも関わらず、小さい毛布、ジャージの上下、ネルのシャツ等のあったかグッズを持ってふっ飛んでゆき、ついでにこんこんと編集長を諭してきました。

大体がだよ、日頃秘書の忠告を無視するからだよ。コーヒーにてんこ盛りに砂糖入れるんじゃない、トーストに2cmもマーガリン塗るんじゃない、味噌汁を味噌煮と間違えるな・・・ ことごとく屁理屈つけて無視してくれたな。おまけに生命保険入ってないってぇ。

ところで、どこでこういう話になったのでしょう、少々回復した途端に、病室からインターネットキャスターまがいの中継をすることになって、秘書はビデオカメラ担いで夕刻出直しであります。題して、憎まれ愚痴特別企画・編集長の病床減らず愚痴。あああ・・・

2002年5月16日(木)寒い

さて、昨日、天敵が襲ってきて、じゃない、点滴が外れて(しおれた顔して暴れたのだろうか)着衣が血まみれになったゆえ、ひっぺがして(看護婦さんにはいでもらって)秘書が持ち帰えりました。上着も14日に具合が悪くなって以来の着たきりなのでついでに持って帰ってしまいました。パジャマは病院でかしてくれるといいます。代わりにお出かけセットの上着とシャツを持ってきておきました。

午後、治療方針の説明があるというので、出向いてきたら、編集長は情けない顔して布団の中で縮こまっていました。寒いのだ、といいます。昨夜看護婦さんに毛布を頼んだが、伝わらなかったのかもらえなかった、と。寒がりの編集長、つらい一夜を過ごしたらしいです。やれやれ。

ふと部屋をみまわすと、あれ、服がない。どうしたんですか、と問うと、布団を持ち上げた。なんと、寒さに耐えかねて、バスタオルはいうに及ばずありったけの服を体に巻き付けていました。そして、毛布を持って来てくれ、という。それも、ふとん代わりに使っている分厚いのを2枚・・・ あんなばかでかい荷物をこのチビ秘書に担いでこい、というのですか。ここはどこですかい、野戦病院か。

とにかく看護婦さんに頼んでみたら、あっさり布団を追加してくれました。寒かったらちゃんと頼めよ、おい、と言いたいのですが、脳硬塞の影響か、あの押しの強さが完全に消失しているので、あまり嫌みもいえません。

治療方針の説明は、頭部CTスキャンの写真を見ながらであります。編集長の頭の輪切りが一杯並んでいます。平常時なら見たくもありませんが、なにしろ我が社の一大事であります。しげしげ見つめると、楕円の頭蓋骨が少しずつ形を変えて上のほうに丸がふたつ並んで現れはじめます。なんじゃこれは、と思ったら目玉でありました。漫画のダメオヤジの顔みたいなフォルムです。

もやもやっとした所が脳硬塞でやられた部分だといいます。ふーん、こんだけか、と思いましたが、先生の説明を聞いてびっくりした。かなり広い、といいます。幸いなことに、肝心の部分を外れていたので、意識は正常、麻痺がないようです。人間の脳の9割は使われていない、と聞いたことがあります。今回編集長の頭蓋骨の中の循環系事故で犠牲になったのは眠れる辺縁系の脳味噌だったわけです。

人によっては、この事態を、悪運が強い、と評したくなるかもしれません。人さまざまであります。秘書は素直に不幸の中の幸いに感謝します。God bless you、God bless Amer・・・おっとっと。

で、しおれ編集長、初めはしおらしかったが、先生の説明の途中から自説を展開し始め、次の予定が詰まっているらしい先生がそわそわするのもかまわず喋り続けます。秘書、思わずさえぎってしまいました。

昨日も秘書は注意しました。看護婦さんに、お熱はかりましょうね、とか子供扱いされても逆らうな、可愛くない患者になるな。まだ正体は知られていない。減らず口は叩くな・・・

2002年5月15日(水)曇り

朝、事態は一向によくなっていません。タクシーを呼んで病院に出向きました。この時点で、編集長自身は脳梗塞であると自分で判断を下し、紙を出して、入院後の指示を書くのでありました(元々汚い字がよけい汚い)。秘書は、こういう事態はあまり好きくないが、言うこときくしかありません。とにかく病院について行って、それから秘書は用があって戻っていたのですが、お昼頃病院から電話があり、脳梗塞です、入院しました、手続にきてください、と地獄に落とされるような宣告。

それからそれから、秘書はあたふたと駆け回り、荷物を運び、あちこちに電話をし・・・もともと隙間だらけの頭の中がからっぽになった。えーん、どうしたらいいの。こんな時バーチャル会社はちっとも当てにならないし・・・ 編集長は病院のうら寂しい(病院てなんでみんなこう地味なんだ)差額ベッド代1万3000円もする個室で点滴チューブにつながれてすっかり出来上がって古漬けなすびみたいになってるし・・・ 入院保証金10万円もするんだよお。

2002年5月14日(火)曇り

怒りが収まったのか収めたのか、秘書の忠告を受け入れたのか、とにかく執筆予定の本を仕上げることを最優先する、と編集長、仕事がしやすいように部屋の配置替えを始めました。じゃまな特製コタツは分解し、机の上も片付けて、伸び伸びとお仕事が出来るように、資料も分類して・・・ふんふんふんと午前中は楽しそうにやっていました。

午後、突然暗い顔して気分が悪いから、寝る、といい、しばらく引っ込んでいました。秘書がお使いに行って急いで帰って来たときには、うなだれていました。しばらく休んでいたが、好転せず、救急病院に時間外診察を頼みました。疲れているけれど、特にどうということはない、点滴します、というのがその時の見立て。以前受けた健康診断で不整脈の再検査を指示されたのがほったらかしになっているので、必ず明日来てください、と言われました。(秘書、編集長の心臓は毛皮製だと思っていました・・・)

点滴済んで、気分もよくなった、というので歩いて帰りました(後で思うに無茶というものであります)。途中2度ほど道端のものにぶつかっていました(この時、気が付くべきでした)。とにかくその日は、翌朝にはよくなっていることを期待して、早めに休んだのであります。

2002年5月13日(月)曇り寒い

本日は編集長の名舞台であります。なにしろ準備にインターネット・図書館その他あらゆる資料を当たって原稿を用意したのです。民主主義とはなにか、そもそもデモスとは、クラトスとは、と古代ギリシャを引き合いにして、なんたらかんたら(秘書不勉強)、と名演説をぶち上げ、市政の姿勢を問うのであります。

食後のコーヒーに、いつもの様に砂糖を山盛り入れて、ズッズッとうまそうに啜り意気揚々と出かけて行きました。飛び込み仕事の納期に追われていた秘書は生返事で、行ってらっしゃい(はよ行け)と送り出しました。いつもの陳情出陣風景でした。

それから何があったのか。後から思えば、我が社のその後の混乱は全てこの市議会の総務委員会から始まります。人づてに聞いた話だと、議場は紛糾し、編集長は激昂しながら理路整然とあのデカい地声で自説を展開していたそうです(普通は怒ると乱れるものです)。羽交い絞めだか海老固めなんだか捕り物帖まがいの事態があったとか。

ともあれ、帰って来た編集長に、いつものように「どうでしたか」と一応聞いてみました。大喧嘩になった、との返事だった(ように思う)。いつものこと、と秘書は聞き流しました。いつもなら、おのれの名演説を再現して聞かせてくれるのですが、この日はそれがありませんでした(後で思えば、そうとう変です)。ぶちくさぶちくさ、「何が『公党に対する侮辱だ』」とか言っていました。どっかに電話して、仕舞いには電話ぶっちぎっていたっけ。そうとう怒っていたのでしょうか。

ノー天気な秘書はちっとも気がつきませんでした。代わりに、サルにラッキョ投げるようなまねしたんでしょ、とかおちょくっていました。このままでは気分が悪い、と日課のプールに出かけて行くのも、行け行けと送り出しました。深く反省します。


急告:

あの憎まれ愚痴世にはばかる筈の編集長が5月15日入院いたしました。
我が社の緊急事態にて、運営に支障を来たしております。
この後の事態はおって秘書が日記に書いてばらす予定です。

2002年5月12日(日)晴れ寒い

秘書は日曜学校です。MacでIllustratorでお絵かきです。結構難しくてストレスを溜めます。つい、憂さ晴らしにお買い物をしてしまいました。お金もないのになんでしょう、困った人です。カード破産に気をつけましょう。

2002年5月11日(土)曇り寒い

秘書愛用のWindowsパソコンがおかしくなりました。このパソコンには愛松君たちのような名前がありません(つけてません)。名門FUJITSUの無愛想なタイプなので、パソコン、と呼ぶのが一番みたいです。でも、時々話がややこしくなるので(パソコンが。どのパソコンだ。だからパソコンが・・・間抜けな会話です)、名前つけなくちゃ。

Wordをいじっていたら、突然ルーラーが消えうせました。いえ実は先ほどから、頼んだ覚えのないmacromediaflashをインストールしますか、と何度も聞かれ、いらねえよ、と何度もキャンセルしました。いや実はその前にウィルス定義の更新をし、ついでにスキャンもしました。つい出来心でスキャン中にWordを立ち上げたりしました。きっといけないことをしたのだと思います。どうしましょう。

思い悩んで、自動修復を試みたりしましたが、何も変わりません。何度かセーフモードで立ち上げ、やっとシステムの復元、と言うのを思いつきました。無知、と言わないでください。前使っていたWindows 98にはなかった機能です。早速試みると、きれいに元に戻っているではありませんか。めでたしめでたし・・・

では、ありませんでした。その後、再起動すると、安置憂い留守が、いえアンチウィルスがどうのこうの、Windowsの保護エラーだことの、一向に立ち上がってくれません。絶望、とはどんな観念かを秘書は思い知りました。それから格闘すること1時間。やっと、システムの復元をした時点でアンチウィルスを抜けばよい、と気づき、きれいさっぱり削除して(秘書の得意技です)、再起動しました。今度こそ、おめでとうございます、です。

それから、抜いたウィルスソフトをインストールし直し、アップデートもし、無事終了。土曜半ドンの予定が1日仕事となりました。

2002年5月10日(金)曇り寒い

今日も寒いのに、編集長は張り切って、行きつけの市役所の前で、声も高らかに演説をしてきました。ビデオもセットしてあって、日記書くのが面倒なんで動画日誌で流しちゃう積りらしいです。どうも、最近手抜きばかり考えておるようです。人間地道な努力が肝心だで。

さて、自分でもほれぼれする名演説を終えてニコニコ撤収していると、庁舎から、ぞろぞろと某TBSのテレビ撮影隊がでてきたそうな。おや、インタビューかね、うれしいね、と思ったら、市役所を撮るのに予定外のパフォーマンス付では具合が悪くて、演説が終わるのを待っていたんだそうな。撮影クルーの内心、秘書にはわかるような気がします。

2002年5月9日(木)寒い

新緑の季節が何故こうも寒い。おかげで編集長室のコタツのスイッチが切れないではないか。電力の無駄だ。自然破壊だ。異常気象は地球を滅ぼすではないか。あああーっ。
(あまりの寒さに取り乱しました。失礼)

2002年5月8日(水)寒い

新松が、と編集長が口走ります。新しいiMacのことらしい。なんちゅう安易なネーミング、と思っていたら、古松が、と言い始めました。愛松君のことらしいです。なんちゅう酷い仕打ちだ、と思っていたら、古々松が、と呼びます。止めてくれ、松子さんは現役だあ。

2002年5月7日(火)雨寒い

ニコニコそわそわの編集長、さっきからあっちのモノをこっちへ、こっちのモノをあっちへ、と落ち着きがありません。つられて秘書もせかせかそわそわ。狭い社内を皆してかき回してどうする・・・

こうする、と編集長、愛松君の横のテレビをどけて、愛松君もちょいとずらしました。そうこうするうちに、ピンポーンとチャイムが鳴り、待望のお届け物がきました。過日、日帰り社内旅行の日に分不相応な大金握り締めていた編集長は新型iMacをお買い上げになったのでありました。

馬鹿だ馬鹿だとこき下ろされる愛松君が不憫で、秘書が随分知恵をつけてあげたのに、口先だけ調子よくても脳味噌が足らんのではどうにもならん、とついに見放したのです。愛松君の記憶力64MB、頭蓋容量4GBでは、新型の512MB、40GBとは確かに雲と泥、霞と安山岩ぐらい違いますが、まだ愛松君は使えます。松子さんなんか32MBで頑張ってんだい。

と言う秘書の声など、まったく無視して編集長は新しいiMacの電源を入れました。そして、ソフトを立ち上げ快適パソコンライフに突入・・・する筈が、固まっています。新型パソコンではありません、編集長が、です。

そうか。わはは。OS XはOS 9とは別物くらい違うのだよ、君。ま、頑張りたまえ。

2002年5月6日(月・休日)晴れ

立夏。途端に寒い。どこまで今年の気象はひねくれとるのじゃ。

さて、今日も出社してしまいました。毎日が日曜日みたいなもの生活なものでつい・・・ ああ嫌だ嫌だあの仕事中毒の編集長に毒されてきました。ああ嫌だ嫌だ。遊びに行きたいよう、遊ぶ金が欲しいよう。

2002年5月5日(日・こどもの日)晴れ暑い

秘書の推定精神年齢は5歳、と抜かしおった御仁がいました。今を去る遠い昔々の話である。それから幾星霜が降りそそぎ、あまたの年波が押し寄せました。そして今秘書は心身ともに・・・

ゴチッ、イテッ。

お子様もどきの体型したオバン(差別用語だ、あんまりだ)が勿体ぶって何を講釈たれておるか、と同居人に小突かれました。児童虐待防止反対、じゃなかった、児童虐待反対! 秘書はただ柏餅が食べたい、どっか遊びに連れて行け、と言っただけです。

ひどいよう、とブウタレていたら、吉祥寺に行くことになりました。久々のお買い物デーです。例によってテクテク歩いていくと、近頃の吉祥寺は膨張しつつあるようで、以前のエリアの遥か手前の、昔は住宅街であった所から商店街が始まります。ついつい引っかかって、行軍が滞ります。新しいを見つけてはちょっかいをだし・・・

とある店で足が止まりました。雑貨店です。しかもカエルグッズが一杯。カエルのお皿カエルの人形カエルのポストカードカエルの長靴・・・ 中でも目を引いたのが、はいつくばった格好のリストパッド(カタカナだと正体不明になりますが、マウスを扱うときの手首乗せでちゅ。WRIST PAD)。柔らかな透明ビニールのカエルは品のいい雨蛙色の緑のジェルが充填してあります。ぷにぷにして気持ちいい。なんて可愛いんでしょう・・・カエル嫌いに言わせると、気色悪い緑色でブヨブヨした見るもおぞましい物体・・・となるらしい。まこと、人の好みは様々であります。秘書のように高尚なのは少数派らしいです。

2002年5月4日(土)晴れ

秘書が子供だった頃、5月4日は休日ではありませんでした。週休2日も欧米先進国の進んだ労働慣習として出羽の守の御託宣で聞き知る話でした。その頃、土曜日は半ドンと言って、役所も銀行も学校も半日営業なり授業なりしていました。この事情は秘書がめでたく学校を卒業して就職してからも変わりがなかったです。

だから当時は、3日(祝)が木曜で4日が金曜で5日(祝)が土曜だと、損をした気になりました。理想は、3日が日曜で翌4日は振替休日で5日の火曜が休み、でした。今思うに、朝三暮四であります。黄金週間が1日余計に休めたところで、その分正月休みが短くなったりしました。世間様は結構シビアなのであります。

で、という訳ではないが、秘書ついふらふらと社にきてしまいました。ぼーっとした頭の霧が晴れてようやく、今日は休んでいいんだ、と気がつきました。時すでに遅し、であります。こんな日に出ているのは、あの言わずとしれた仕事中毒ぐらいです。フンフンとシャンソンまがいの鼻歌うなってブンブン社内を飛び回って秘書のところにも飛んできました。

おっ、仕事熱心だね、と蜂にほめられても嬉しくありません。どころか、こき使おう、という気配が漂ってきて悪寒がします。忙しい振り仕事してる振りをしてるのに、かまわず喋りかけてきました。

ホームページの、ほれ、左に目次があって、右が別に動くやつ、あれいいね、わかりやすいね・・・
テレヴィジョンはロゴマークが動くのがいいね・・・ 

要するに、私言う人、あなた作る人。憎まれ愚痴社近代化の道は遠い。

2002年5月3日(金・文化の日)晴れ

香り高い文化の日。何故かわが社は日帰り社員旅行。昨日夕刻突然決定しました。

巷はどどっと海外に繰り出したりするらしいですが、我が社は新宿御苑へお出かけであります。緑豊かな庭園で、しっとりフィトンチッドに包まれて身も心もリフレッシュするはずでしたが、このメンバーでは・・・

守衛のおじさんは、業務が第一、と年に数度の家族サービスを放棄して来ておいて、じゃあ、と途中のパチンコ屋に消えました。お土産に何持って帰るつもりでしょう。
経理部長と営業部長は額を寄せて小声で話し合っていたかと思うと、じゃあ、と二人してガード下方向に離れて行く。

そうして一人消え二人消えそして誰もいなくなって・・・くれればよかった。

なぜ残るこのお○ぢ!

新宿の駅頭にぽつんと取り残されたのは、お弁当抱えた秘書と、何にも考えてない風のにわか成金の編集長(何故か大金を持っていました。経理部長を恐喝したのでしょうか。)

じゃあ、と秘書も消えようとしたら、またしてもむんずと襟首をつかまれ、パソコンショップへ拉致されました。テレビ局開設したから資機材を買い揃えるのだといいます。むう、一緒に行きたくはありませんが、変なものを購入されては一大事であります。昼飯おごってもらうのを条件にむすっと付いていくことにしました。お弁当は後でおやつ替りに食べよう。

御苑は・・・社長に報告書を出さないといけないので、新宿側の門から入り自販機のコーヒーを飲み千駄ヶ谷門から抜けてきました。風雅はこの次ゆっくり楽しみましょう。勿論一緒に来るのはウフフ・・・

2002年5月2日(木)晴れ

近眼と早とちりは比例関係にあるのでしょうか。沈着冷静、物事に動じない秘書ですが、よく文字を読み違えます。“おとこ教えます”でぎょっとしたら、“おこと教えます”だったというのはよく聞く話。パソコン普及しかけの頃は、シュミレーションかシミュレーションかゴッチャになった。原語をイメージせい、と言われてもねぇ。知性とはあまり関係なさそうだというのは、昔どこぞの区の小学校の先生が団体で欧州視察に行った時の報告集のワープロ清書をしたとき、同じ言葉がぐっちゃぐっちゃにバリエーションを展開してたのがあまりに見事だったもので、確信もって断言できます。公立学校の先生たら、気の遠くなるような倍率くぐって採用されたエリートでねえか。

で、そのグチャ語は、当時話題のマーストリヒト条約でありました。正確に書いていた先生がいたかもしれませんが、マートリヒトだのマーストリヒだのマースリヒトだの・・・全部原稿どおりにしておいたぞ。

最近の当たりは新聞記事の“ごまかし黒豚証明書シール”。近頃偽装肉の話題ばかりなので無理もない、と読みすすんだら、畜産家のコメントやら何かが違う。よくよく見直せば、“かごしま黒豚証明書シール”をお肉に貼るんだそうだ。お願いだ、漢字で書いてくだされ。

さて、ここで問題。かつてのアメリカの長官は、次のどちらでしょう。
1 マクナマラ
2 マクマナラ

2002年5月1日(水)晴れのち雨

メーデーって何日ですか、と聞いたら、冷ややかな目で編集長が睨みました。

May Dayの訳語が5月1日だってことぐらい秘書だって知っています。聞きたかったのは、編集長が鼻息荒く七つ道具を抱えて参加するメーデーが何日か、です。連合のメーデーは確か先月27日でした。

それは今日でありました。

事務所のドアをあけたら、ゾンビが営業部長の椅子に座ってた。んぎゃああ、と叫びながらドアにぶつかってこけて腰抜かして目もまわし、その生きてる死体が部長だと気づくまでに8秒かかりました。

熱いコーヒーにミルクは倍に砂糖はてんこ盛りに入れたのを感慨深げにすすりながら、部長が語ったのは涙の物語でありました。

部長がベッドで庶民の幸せの朝寝を楽しんでいたところを1本の電話がたたき起こしてくれたそうな。マイク忘れた、すぐ届けてくれ、と叫ぶのは編集長。時は午前7時でありました。

早朝から何をやってる、このお○ぢ、と秘書なら叫ぶところを部長は気の弱さゆえこらえてぐっと飲み込み、社へ駆けつけてマイクを探しだし営業車を繰りだして会場へと走りました。髪は寝癖ツンツンのまま、顔も洗わず焦って行ったのに、姿がない。あたりを一周しても見当たらない。

会場の人に、旗ざおやら抱えた変な人が来ませんでしたか、とは聞きづらく、ぐるぐる回って、もしや、と動物園の方に行ってみれば、人もまばらな山の中みたいなところにシーツ旗広げる人影あり。あれだっ、と寄ってみればまさに編集長。

会場はあっちです! と部長は叫んだ。

そうか、道理で人が少ない・・・と感心している場合ではない。ほんとにこのお○ぢッ。

さあ、それから何があったか。ニコニコと演説始めた編集長のそばに実行委員らしい人が近づき、許可がどうの参加者うんぬん・・・事の顛末は編集長の動画日記で一目瞭然。どこまでも口の達者な編集長でありました。部長は寿命を13年分くらい使い果たしたらしいです。

さて、それからメーデーの行進も終わって戻ってきた編集長、あっという間に着替えて懇親会のご案内握りしめて飛び出していった。そして、それきり就業時間過ぎても帰ってきません・・・