秘書の小部屋 2002.4

2002年4月30日(火)曇り少々雨

雲行きが怪しい。雰囲気も怪しい。そっと守衛室に避難しようと抜き足差し足していたら、むんずと襟首をつかまれました。ちょいとおいで、と言葉は優しいが、態度は優しくないです。社会勉強のため、たまには連れていってあげよう、といいます。そんな有り難すぎる話は、と秘書辞退しましたが、有無が言える事態ではありませんでした。強制連行みたいなものです。

しかして、どこへ?と訊けば、ニコッと笑ってみんなが大好きなNHK!と返ってきました。(嫌いになりそう・・・)

さて、それから渋谷方面で何があったか、秘書はほとんど覚えていません。荷物が重かったこと(もっとコンパクトにしてくれい)、風が強かったこと、監視カメラにつけまわされたこと・・・ パネル並べてヴィデオカメラセットしてドラム缶すえてマイク握って、思う存分やりたい放題をやった編集長は最後に監視カメラに向かって、ちゃんと伝えてよ、と満面の笑みを浮かべて話しかけていました。ああ、この神経、秘書には永遠に無縁です。

●秘書のバーチャル人生総括●

その1 秘書は社長秘書である。何度もいう通り編集長つきではない。
その2 秘書はアルバイト秘書である。本業は別にある・・った(2足はいていたワラジが片方2月末ですっぽ抜けた)。
その3 秘書は本業求職中である。贅沢はいわない。社会保険退職金有・週休2日・昇給年1回賞与年2回程度の会社を探している。

ああ、高給取りになって出世して大成して、憎まれ愚痴社を吸収合併して、社長の席に座り威張りくさって編集長を顎で使ってみたいものである。

2002年4月29日(月・緑の日・憎まれ愚痴社は営業中)晴れ

愛松君の眼前にドカンとドラム缶が置いてあります。それだけでも愛松君、むっと迷惑そうなのに、次は鼻先にマイクを突きつけます。くしゃみしたら鼻水漬けになる距離です。

さてと、と先日取り込んだBBC映像を愛松君に表示させ、それからドラム缶の録音ボタンを押し込みました。以上編集長の行動です。

何やってるんですか、と秘書は大声で訊いた。

かえってきたのは、しっ、うるさい、余計な音が入るではないか、という叱責。

秘書、ぽかんと口があいてしまいました。

うるさいって、まさか・・・ 愛松君からテープに録音してるんじゃないでしょうね・・・

えっマジぃ信じらんない、の事態でありましたが、事実であります。ああ、やはり急激な文明開化は落ちこぼれを生んだのでした。

あのねっ、と秘書は説明を始めました。こういうのは出力から入力へつなげばいいんです。愛松君にはヘッドフォン用に穴が二つもあるでしょ。ドラム缶には補助の入力端子があるでしょ。ファンクションをAUXにして・・・ 

おお、音が出た、と未知との遭遇を果たした旧石器人、編集長。思えばこれまで数々の濡れ衣を着せられ続けた愛松君が不憫です。

2002年4月28日(日)晴れ少し寒い

天気は上々、秘書はにんまりして大きな袋を抱えてゴミ焼却場へと急ぎます。数々の悪事の書類を燃やして証拠隠滅を計ろう、というのである訳がない。秘書は底なしの善人で、道に10円落ちて入れば即座に交番に届けるタチであります。受け取ったお巡りさんの迷惑を考えなさい、と同居人に言われましたが、何を言うか。

今日は、クリーンセンターでフリーマーケットが行われています。憎まれ愚痴社風に言うと、ゴミ焼き場で蚤の市。年に数度、秘書が生活必需品を調達する日なのです。春先の明るい色のジャケットが欲しい夏向けの白い靴が欲しい上品なサマーセーターが欲しい、と欲望が際限なくふくれ上がります。

うきうきして店を巡って歩きますが、だんだんと希望がしぼんできました。モノはいっぱいあれど、欲しいものがありません。おばさんブラウスやキンキラ成金セーター、過激なTシャツ・・・ もっとこう普通のヤツはないのですか。秘書は在りし日のジーン・セバーグみたいなカッコがしたいんだいっ。

結局、色は明るいが少々厚いという今の時期には微妙なジャケットを買いました。1500円でした。値切りたかったのですが、新品だからと売り手に怒られました。

吉祥寺のパルコでもフリマやってるよ、と同居人が教えてくれましたが、行くべきか行かざるべきかデンマーク王子風に逡巡しているうちに昼寝モードに入っていました。風のたよりに、吉祥寺駅前でどっかの編集長らしき風体のお方がノボリ旗立ててえんえんと演説していたといいます。

2002年4月27日(土)晴れやや寒い

秘書は風邪を召しました。おのどがヒリヒリいがいが、おつむがチクチクてんてん。いえ、仮病ではございませぬ。昨日寒かったのに伊達の薄着でしゃれた積もりになってシッペをいただきました。不覚。

で、秘書稼業はお休み。朝寝をして休養して、さて、実は我が家も本日ADSLに移行致します。

あれはいつのことだったでしょう。NTTからお手紙が参りまして、ADSLはこんなによろしい、とのお勧めでございました。さっそく秘書は、116番へ電話しました。

ADSL申し込みたいんですけど・・・ 

さあ、それからが大変でございました。係りの人に聞いても、ちっともさっぱり訳が分かりません。あの、にふちいとそうねっとと二つ使っててどっちのアドレスも使いたいんですけど、と聞けば、さあ、と絶句なさる。ようやく申し込む決心をして、再び電話して、プロバイダーはそうねっとで、と言えば、対応してますか、とお聞きになる。そちらでは分かりませんか、と問えば、分かりません、とお答えになる。

何が116へ聞けじゃい、と秘書は切れかかりましたが、そこは大人の常識人、にこやかに礼を述べて電話を切りました。

で、それからインターネット雑誌を買ってどこへ申し込むのが一番お得で早いか、など猛勉強し、ふと雑誌の裏表紙を見れば、So-netの広告とホームページアドレスがございました。さっそく同居人のパソコンから申し込んであれよあれよと事態が進行しモデムが届き本日取り付けの運びとなりました。

わくわくどきどき1時間もかけて設定いたしましたが、うんともすんともつながりません。首をかしげて悩んだすえ、モジュラーケーブルが長すぎるとの結論に達しました。7メートルありました。

同居人は、半端に設置したまま、友達と遊びに行くと罰当たりを申しますので、しかたなし秘書が隣駅の吉祥寺までテクテク歩いて7メートルのLANコードと30センチのモジュラーケーブルを買って参りました。そして、孤独な作業をしこしこ致しますこと1時間。つながらなかったのは、同居人がパスワードを間違えていたから、と判明いたしました。秘書思わず同居人の携帯の留守電に思いっきりメッセージを入れさせていただきました。内容は、まあ、見当がおつきになる通りでございます。

疲れた1日でございました。

2002年4月26日(金)晴れ寒い

棚からボタ山、二階から鼻薬、藪からテレビ局、濡れ手に感電・・・

とりあえず一つ事業が成し遂げられてしまったので、もともとが無欲な秘書、それ以上の野望など思いつくはずもなく、ポケーッとしています。

技術部長を命ず、とか、放送本部長を命ず、とか、昨日から乱発辞令が社内を舞っています。発行元が社長なら真実味もありますが、“自称”会長に昇格した編集長が発しています。役職手当は?と聞いたら、長がついて名誉と思え、との返答。つまり短でも丁でも半でもどうでもいいが、実利はないらしい。紙だけは分厚い上等なのを使いおって、まこと資源の無駄というものであります。

しかし、開局した、と各方面にうやうやしく通知を出したのに、まだ一番組しかありません。しかも一作品のみです。亜空間テレヴィジョンの“亜”は“空間”にでなく“テレヴィジョン”に係っているようであります。

しかし、ともかく開局したってんで、夕方早々と業務を切り上げて祝杯モードに突入し、ネロの宴会もかくやのどんちゃん騒ぎをしたのでありました。社内の乱れた様子をひそかにライヴ中継しようかと画策しましたが、まだ技術が追いついていませんでした。この次の機会を乞うご期待。

2002年4月25日(木)雨

さて、ストリーミング用のファイルは出来ちゃったので、どうやって流すか、であります。参考書をひもとくと、メタファイルを作る、とあります。メタって蛇メタのメタか? 蛇じゃなくてHEAVYだったっけ?

とにかくマニュアル本はひらがなとカタカナと漢字と多少のアルファベットで書いてあっても、日本語とは思えないものが多い。さっぱり訳のわからないままメタと称するテキストファイルを作って、なんやかや一緒くたにサーバーに送り込みました。サイズが大きいので待つことしばし、焼き鳥屋の前で自分の串を見つめている気分です。そしてフェッチの犬が走り終わり・・・

ほとんど嘘みたいな事態でありました。リンクをつついたら、あらま、Real Playerが立上がってバッファリングが始まりしゅるしゅると映像が流れます。こんな簡単に出来ちゃっていいの、と展開が信じられない。

かくして本日、インターネットテレビ「亜空間テレヴィジョン放送局」開設。
こんなんでいいんでしょうか。

注:フェッチの犬とは、アップロードの画面に出てくる表示です。オタク犬のことではありません。

2002年4月24日(水)晴れ

すったもんだのサンドガサ~、ではない、すったもんだのReal Producer、であります。(Sand傘とはどんな傘?)

何故に音声が取り込めない? じっと考えて秘書はアップルメニューを開いて、おもむろに電話を掛けりんごのタルトの 出前を頼む…というのは駆け出しMacユーザーの単なる冗句、本当のMacユーザーは電話を掛けてビッグマックを注文する…いい加減にせい。Windowsユーザーが呆れるではないか。Windowsでいうところのマイコンを開いたのであります。

サウンドの入力設定をあれこれ変えて、またReal Producerを立ち上げるのですが、やっぱり黙ったままであります。かくなる上は、とドラム缶用に編集長が買ってきたミニプラグ音声コードまで持ち出してつないでみました。以前、秘書私用の持ち歩くと音飛びのするCDウォークマンを仕方ないので室内用にラジカセにつないだとき、マイク端子に差し込んで確か音が出た筈です。…と、これも不首尾に終わりました。

フンだフンだ、と言いつつまたReal Producerを立ち上げます。エンコーディング開始直前までは嫌になるほどやったので、フンフン鼻歌気分で駆け抜けて辿り着く。この取込前と取込後の画面の真ん中に鎮座するオーディオメーターがピクリともしないのです。オーディオ表示と思しき部分を見ればまたしても“内蔵(無し)”。何故だっ。

もう諦めようと思いつつ、も一度しつこく上のバーに並んだ英語メニューをつついてみました。すると、あら不思議、沈んでいたAudio Capture Settingsが開くではないですか。しかも日本語だ。なになにDV AUDIOだって。これに決まりじゃんか。いざ、スタート。おおっ、音が入った。おっと、マウスを落とした…が何の影響もなくエンコードはリアルタイムで進んでいく。やったーやったー。

と、一人で騒いでしまいました。この我が社の運命を左右するであろう歴史的な瞬間、編集長はのほほんと演説にお出かけでありました。外務省に一発かましてくる、とお出かけになったのですが、かの伏魔殿は現在改築中で移転していることをすっかり失念しておいででありました。

2002年4月23日(火)晴れ

おっほん、と朝からうれしそうな顔してるのは編集長。うかない顔してるのは経理部長。

花粉が減るにつれて編集長が元気になるのは例年通りでありますが、加えてここ数日、趣味の工作に励む材料がいっぱいなのでありました。先日のデモの映像をプリントして並べて貼って骨董ルポで説明文作って立てられるようにパネルに支えを付けて雨が降っても濡れないようビニールで覆って持ち運びに便利な特製大型バッグも作って更にお気に入りのシンシアの特大パネルも作って・・・この世の幸せを代表したような顔してます。パネルの材料は御近所のスーパーでもらってきた段ボールです。なんと安上がりな幸福でありましょう。

さて、経理部長の憂鬱、です。

編集長が本を作ると言って予約金を集め始めたのはいつの話であったでしょうか。とにかく日が過ぎました。その間編集長は何をしたか。編集会議はしました。構想もぶち上げました。それから・・・ とにかく書けよ、と秘書も言いたい。予約金の管理を編集長がしているというのも経理部長の頭痛のタネであります。

そんな社内の沈鬱をよそに、今日も編集長、鼻歌混じりに新しい女の名前を口走る。キャサリン、キャサリーン、キャサーリーン。そんなにアメリカ女が好きならアメリカ大使館へ演説に行っちまえ。

秘書は、また取り込んだリアルプロデューサーの英語のメニューと格闘中であります。英語しか話さないアメリカなんか嫌いだ。日本語版早く出してくれー。えーん、音声が取り込めないよう、設定が変更できないよう。

2002年4月22日(月)晴れ

ど近眼の秘書、編集長に花粉症をお裾分けされたのか、近頃目が痒い。コンタクトレンズを何度洗ってもすぐ曇ります。目玉を取り出して丸洗いしたい気分ですが、自分で言っておきながらスプラッタは嫌いであります。

昔、分厚い牛乳瓶の底を加工したようなメガネを作りましたが、かけると目玉が渦巻いて見えるのと重いのとでほとんど使ったことがありません。パソコンする範囲だけ見えればいいや、と途中で度の弱いのを作って、お目目が硬直したときなど使っていたのですが、なんとしたことか、プチンと二つに折れてしまいました。強力接着剤でつけようと試みましたが、メガネのフレームはダメです、と書いてある注意書き通りの結果に終わりました。6万円もしたメガネでした。

貧乏秘書にもその昔、瞬時だが独身貴族まがいの時代がありました。その時メガネ界の老舗でコンタクトレンズを作って以来、分不相応な目玉ライフを送ることとなりました。ここに来てそのツケがまわりました。どうもその老舗で作り直すと10万円はいきそうであります。ぐっ。今なら秘書の2カ月分の生活費です。で、流行りの5000円メガネをインスタントに作ったのですが、安物は安物でありました。乱視の度があってなかったです。

で、中どころのお店に行って作り直しました。2万円メガネでしたが、牛乳瓶メガネにしたくなかったら高級レンズを、ということで、足すことの1万5千円。懐が痛い・・・

鮮明になった視界でるんるんと(ついでにあれこれやけっぱちのお買い物も楽しんで)戻ってきましたら、編集長が出たきりになっているといいます。駅前演説に行ってくる、とドラム缶だの展示パネルだの山のようにカート(市ヶ谷の演説のあとでもっと大きな新品を買った)に積んで、力んで出ていってそれっきり。どっかで捕まって拘留されてるならまだしも、大荷物の重さでひっくり返って行き倒れになってないか・・・ちょっと見て来なさい、というのです。なんで秘書が、と思ったが、両手に大きな紙袋下げておサボりバレバレでは、愛想よくしておかないと今後の出世に響きます。

はーい、と素直に返事してすっとんで行ってきょろきょろ見回すと、交番の近くでマイクを握って演説する人あり。むううううっ。女の人だよ。女装の趣味あったのかしらん、と近寄ってみれば、天敵いや違う悪友でもない、ともかく編集長とはなじみの市民の党の媛議員であった。どどっとと疲れがでてそのまま帰ってきてしまった。捕まったならその筋から連絡が入るでありましょう。1晩位どこぞにお泊まりするのもいい経験となるはずです。秘書の責任ではありません。

2002年4月21日(日)雨のち曇り

起きたら雨降りでした。中庭の掃除当番だったので、どうしたものかと廊下に出て庭を見下ろしていたら、御近所さんもでてきて、「するのかねぇ」。たいして降ってない、たいして汚れていない、ならちょこっとやって済ませたことにしよう、と相談がまとまりかけたところへ委員さんが戻ってきて、「ゴミ拾ってきたからもうお終い」。なんといい加減な、しかしなんと有り難い言葉でしょう。

部屋に戻ってまたお布団にもぐり込みました。午後から学校にいくのに、寝不足は大敵であります。楽しみにしていたフリーマーケットだって、きっと延期だ。むにゃむにゃ、お休みなさい、今日はきっといい日だ。

2002年4月20日(土)晴れ

さて、失業秘書はこれから毎週日曜学校に通うことになりました。賛美歌歌いお菓子もらってありがたいお話を聞いて時には悔い改める・・・違います、教会の日曜学校に行くほど信心深くありません。日曜に学校に行くのであります。正しいキリスト教徒的に言えば、安息日に休まない罰当たり組です。

再就職のためスキルアップを目指して、学校に通うことにしたのです。その名もくりえぃてぃぶでいていぴー、失礼、クリエィティブDTPクラス、イラストレーターやフォトショップやクォークエクスプレスを教えてもらうのです。期間、約6カ月間。費用、36万なにがし足すことの教材費1万数千円。我が家の家計を直撃した。貯金通帳の残高眺めて出てくるのはしゃっくりまじりの溜め息ばかり。あーあ、ひぃっ、あー。

体調を整えるため本日のアルバイトは止めにしました。ぐっすり朝寝して頭をすっきりさせてベストを尽くしてきましょう。投下資本は有効に回収しなくっちゃ。

なのに邪魔をするやつがいます・・・朝っぱらから電話で叩き起こすんじゃないっ。(と言っても10時過ぎてた)。愛松が言うこと聞かない? それがどうした、いつものことだろ、またなんか無理難題をふっかけたのだろ。秘書がしるか・・・

え、QuikiTimeのプラグインが無い? どきっ。昨日秘書が盛大に捨てたやつです、御丁寧にシャーロック君まで動員して一つ残らず。一瞬、iMovieってQuikiTime形式で出力するんだっけ、と思ったんだけど・・・

2002年4月19日(金)晴れ

我が社を近代化の嵐が駆け抜けます。

昔、旧制高校だか中学だかで生徒が部屋に押し掛けて騒ぐことを嵐に例えてストームとか言ったそうです(関係ないっ)。すっぽんぽんになって公衆の面前を疾風のごとく駆け抜けるのはストリーキング(それも関係ないっ)。思いつめたらたとえ火の中嵐の中付けまわすのはストーキング(もっと関係ないっ)。

ヴィデオ映像をインターネットでしゅるしゅる流すのがストリーミング(やっと出た)。

先日の在日アラブ人のデモをどこも報じていないのなら、我が社がやったる、と意気込んで、編集したヴィデオをリアルプレーヤーで見られるようにする、と高すぎる理想を(編集長が)掲げたもので、リアルプロデューサーをダウンロードすることになりました。アメリカのサイトなので、英語のジャングルをかき分け四苦八苦やっとこさでした。(秘書がやったんだよん)。

なのに使い方が分らない。参考書を買ってくることにして今日はおしまい。ひとまずほっとして伝票整理に励んでいたら、「何をした」の声とともに編集長からお呼びだし。インターネットから取り出した女性の写真を自分のホームページに入れようとしたら、いつも通りやってるのに出来ない、といいます。

ぎえ。何かをした覚えはないが、リアルプロデューサー入れて、ついでにQuickTimeProも入れちゃったけど、まずかったのでしょうか。ああだこうだとしばらくいじりまわして、結論「入れたものを削って見よう」。で、じゃかじゃか捨てまくったが、ページミルは言うことを聞いてくれません。はあ、と溜め息ついて、ふと思い付いたのが、「編集長、この画像ファイルどうやって作りました?」

ドローに貼り付けてPICTに変換して名前を別のファイルからコピーして、と当たり前の事を聞くなと言わんばかりの説明だが、むううう、と途中で秘書はふくれあがりました。

ズボラするな、って前に言いましたでしょ。ファイルの名前をコピーするとそのファイルの情報までコピーされちゃうんです。この間のデモの写真のとき散々やったでしょっ。同じことを何度も言わすんじゃないっ。だいたい、シンシアだかチンチラだか知らんが、女にうつつを抜かしおるから・・・

2002年4月18日(木)晴れ

社屋の奥から玄関に向かって黒い物体がつつつつぅーっと滑るように移動していきます。

ん?
ぎゃあっ。
ゴ、ゴ、ゴッ、ゴの字だっ。

秘書は、蛇も蛙も蟷螂も芋虫も恐くありませんが、ゴの字だけはお近づきになりたくない。なのに、「こおろぎとどこが違う」ですって?。ゴの字は可愛い声で鳴かないぞぉ。(そういえばゴの字の鳴き声は聞いたことがない。)秋の夜長、台所の隅でこおろぎが調べを奏でるのは風流ですが、ゴの字が残飯の陰でガサゴソするのは風物詩でもなんでもない。

だいたいが、去年引越しする時ちゃんと縁を切ってくるように、秘書はしつこくいった筈です。ひそかに飼育していただなんて、金輪際許さない。秘書を甘くみるんじゃない。今度昼寝してる時にバルサンたいてやるぞ。

ああ、それにしても、豚に小判、猫に碁盤、馬の耳にピアス、編集長に忠告・・・

2002年4月17日(水)晴れ暑し風強し

外に出たら、大きな植木鉢がごろごろ転がっていました。はて、恐竜でも通ったのかしらん。訝しがりながら歩いていくと、あちこち物が倒れたり飛んだりしています。何があったのでしょう。セーターの下にババシャツ着てたら、蒸しパン気分で暑い(ズボンの下にタイツもはいていた。秘書は冷え性です)。八王子では気温が30度を越えたとか。お天気なのに雨が降ってたり、今日はおかしな日です。

ぶつくさ奥の部屋から、念仏が聞こえます。無事デモのヴィデオを仕上げて販売用の複製も作った編集長、今度は別のおもちゃをみつけたらしい。ストリーミングとかいう、英国はBBCの動画が見られるサイトをどなたかにご教示頂いたので、早速ADSLを駆使して鑑賞しようというのであります。

ところがどっこい、すっとこどっこい、そう簡単にストリーミングに馴染めるわけがありません。取り込んだが空箱だの何も出てこないだの、ぶつぶつぼやいています。で、秘書の出番であります。

リアルプレーヤーをインストールしましょう。ほれここに、と勿体つけてCDを差し出しました。種をあかせば、ヨドバシカメラで配っていたプロバイダーの入会申し込み用の、おまけソフトがいろいろ入っている無料CDであります。手順の説明が全て英語なのがつらいが、とにかくともかくインストールして、つないでみると、おお、イギリス人(多分)が、英語(多分)で喋っておるぞ。我が社も進歩したものです。次はインターネット放送です。発声練習しとかなくっちゃ。

(夜、家に帰ったら、ベランダの植木鉢が横倒しになっていた。恐竜の訪問を受けたわけではありません。記録的な突風が吹いたらしいです。)

2002年4月16日(火)晴れ

かな入力からローマ字入力へ切り替え中の秘書、毎日毎日キーボード叩いて乱れ打ちの練習をしています。少しスピードは上がりましたが、画面に並ぶ文字が乱れっぱなしになっています。まだ正確に打鍵できてないのと、時々ボケッとしてかな入力のキーを押したりしているからです。

練習用テキストを選ぶに当たりいろいろ物色して、面倒くさくなって、どれにしようかな、と運を天任せ方式にしたら、編集長が昔書いた本が大当たりになりました。ぐっ。

さて、その昔、人件費高騰に悩む印刷会社は、活字組版を台湾でやる、ということを思いつきましたた。といっても、飛行機代出すような余裕は勿論ない。旅行者に託して届け、また旅行者に頼んで回収してもらうのでありました。今、すたれているのは、うまく機能しなかったからでありましょう。

この本はその台湾版です。同じ漢字民族だからといっても、日本語と中国語は全然別物です。無理な話だよ、と秘書は思います。「しようとした」が、「しょうとした」になっていたりします。誤植は、著者が悪いのか組版が悪いのか校正が悪いのか(秘書は結構うるさいのであります)、ついつい気をとられて手が止まります。テキスト選択は適切であったでしょうか。悩みつつも秘書は今日もキーボードをひっぱたき続けます。

2002年4月15日(月)晴れ

我が社の禁断の奥の院、別名魔の巣窟、突き当たりの(どん詰まりの)、いつ覗いても表層雪崩を起こした物置のように取り散らかった編集長室から、繰り返し絶叫が聞こえます。

平和なパレスチナを願って、パレスチナの独立を願って、アラブ人を中心とする中心とする中心とする・・・・・イスラエル大使館にデモをデモをデモを・・・参加参加参加してください・・・

じゃかましい。

いえ、演説の内容ではありませぬ。趣旨には秘書も賛成です。しかし、1日中同じセリフを嫌がらせのように聞かされる身にもなって欲しい。愛松君にヴィデオをつないで、ああでもないこうでもないと名シーンを求めて巻き戻し再生巻き戻し再生、を飽きもせず(飽きてるかもしれない)繰り返して大音量を撒き散らしつづける、この執念はなんなのでしょう。しかも、部屋の入り口には「編集中につき無断立ち入り禁止」の張り紙をしておきながら、誰かれかまわず呼びつけては、どうかね、と嬉しそうにみせびらかします。

さぞかし名作ができるのでありましょうな。駄作なんぞ作りおったら、不燃ごみに出すぞ。酩酊作も願い下げです。(最近酒ビンが床に転がっているのをよく見ます。)

2002年4月14日(日)晴れ

毎日が日曜日の身であっても、本物の日曜日はやはり格別であります。ご近所を気にせず堂々と朝寝ができるし昼寝もできる。宮仕えをご存知の方ならお分かりでありましょうが、理由にかかわらず平日家にいると、ご近所のスズメやカラスやトンビや奥さんやご隠居やなにやかや、いろいろと騒がしいのです。へたに挨拶しようものなら、噂話の田んぼに盛大に種蒔きされかねない。勤め人とは、仕事以外でも気を使うものなのであります。

さて、秘書は言い訳するのが面倒なので、失業したことを公にしていません。浮世の義理とかいうもので、暇?じゃ役員やって 暇?じゃ○○の会入らない? 暇?じゃナントカカントカの運動一緒にやりましょう署名集めましょう次の選挙に立候補しましょう、とか実にたくさんのお誘いがくるのです。

貧乏秘書が収入の道閉ざしてまで仕事辞めた理由はいっぱいあるけれど、一番の理由は、お休みが欲しかった、からです。2日くらいの夏休みなんて、夏休みじゃない。しかも埋め合わせのように休日出勤を命ぜられるので、実質休みはないのである。休日出勤の代休というのは労働者の権利であるが、休暇の代勤なんて、なんのこっちゃ。そういえば時間外手当も一切なかったぞ。うあああーっ(記憶が蘇ってあらためてキレてしまいました。お粗末。)

2002年4月13日(土)晴れ

その昔、舶来、といえば高級品の代名詞であった(らしいです)。

人間様でさえ、一生涯船にも勿論飛行機にも乗らず生まれ育った近辺で過ごすのが普通であった時代に、ペンだのネクタイだの香水だのカップだの、モノの分際で船に乗って渡ってきた、庶民にしてみれば羨ましくも不埒なヤツら、であります。乗船来日組の中でも、西ヨーロッパモノは超高級品だったらしい。

しかし、今やアメリカから日本へブロッコリー様が飛行機でおいでになる時代です。舶来モノのありがたみは消えうせて久しいのですが、それでも仏蘭西産などは、おフランスの、とまで言われて、特別扱いだった余韻がまだ残っているようであります。

と、秘書がなけなしの薀蓄を傾けていたら、フランス製ならここに持ってるぞ、と編集長。プール用のバッグをがさごそする。プールで、フランス製の水泳パンツはいてるんだそうで、と聞かれたのでお披露目にいくのだとか。ぐえっ。

急がないと時間ありませんよ、とバッグに手を突っ込んだままの編集長をせかして部屋から追い出しました。

人間、目にやさしいものを見たいものであります。

2002年4月12日(金)雨のちくもり

ひさびさ編集長が愛用の巨大ラジカセ「ドラム缶」を引っ張り出してお手入れしています。嫌な予感。営業部長と無言で顔を見合わせました。今回はわざわざ板を切って下に敷いてカートにくくりつけています。どっかに引っ張っていこうという算段です。

先日、地元の園芸店に行って買ってきた竿2本は、編集長謹製の中東石油資源アメリカ謀略侵略地図(シーツ製)の支柱に変身しています。他に、尻尾が犬を振る、と英語で書かれた首から下げる垂れ看板。

そして愛用の背嚢に膨大なコピー資料を詰め、上の隙間にアンパンを詰め込んでいる。ということは・・・

それっ、と秘書は逃亡した。後も振り返らずに一目散、守衛室に駆け込んで、おじさんに、しーっ、といいつつトイレの鍵をかけました。外ではがやがやどやどやと騒がしく、そして静寂。しばらくして、出てきていいよ、とおじさんがノックしてくれました。命拾いでした。

引っ立てられた営業部長が後で恨みがましく言うことには、市谷駅前であの調子で昼時1時間も演説したそうな。しかしなぜに市谷、と問えば、在日アラブ人がイスラエル大使館近くでデモをする、との情報があり、参加するついでに一発かまそう、との魂胆であったらしい。

荷物持ちと撮影係を命ぜられた部長、くたくたになって帰ってきました。不慣れなヴィデオ撮りなもので、ピントが手動になっていたのに気がつかず、ずーっとピンボケで撮影しちゃった、とかしょげてます。写ってないよかマシ、と慰めてあげました。秘書はいつぞや撮影と一時停止を押し間違えたまま最後まで気づかなかったことがあります。

件の映像、編集長は自分とこがADSLになったもので、大容量かまわずインターネットで流すつもりらしいです。張り切って鼻歌まじりでヴィデオカメラを愛松君につないでいました。

2002年4月11日(木)曇り

編集長が、かのADSLを申し込んだのは、今を去ること4週間前の3月半ばのことであります。電話番号もちゃんと間違えずに書いてきたのに、一向に連絡がありません。

申込みに当たって新規に獲得したメールアドレスを知らせる書類が届いていたので、よく読みなおすと、連絡はこのメールアドレスに送る、とある。あわててブラウザとメーラーの設定をしました。(勿論、秘書がした)。

しかしまあ、書類の不親切なこと。アカウント名とアカウントパスワードとアドレスとメールパスワードとアクセスポイントの電話番号とIPアドレスが書いてあるだけで、設定方法が書いてない。しかたないので、ニフティやソネットのやり方を思い出しつつ慎重に設定。しかし、テストメールを送るとサーバーが間違っとるだの拒否されただの、まともにつながりません。編集長が日課のお出かけをしている間、秘書は悪戦苦闘していました。

やっとつながったところへ、のほほんと編集長帰社。いかに秘書が苦労したかを訴えていると(なんかおごってくれ、との下心あり)、あっ、そ、と、昔どなたかがよく口にされていたセリフをお抜かしになって、これかな、と持ってきたのは、まさに同封されていた筈の「セットアップガイド」。

おのれ~

受信したメールにそれらしき通知はない。思い余って申し込んだ店に電話してみれば、
「モデムが届いているなら開通してますよ。」
(モデムは1週間くらいで届いていた。)
そんなこと、受け取った書類に書いてないぞ、と言ってもしょうがない。早速モデムをつないで試してみれば、おお、驚きのADSLワールド。我が社の文明開化であります。

2002年4月10日(水)曇り

本日お釈迦様の誕生日。
(それがどうした。秘書とはなんの関係もない。秘書の人生おしゃかになった気はするが。)

ここのところ、秘書はグレっぱなしであります。朝起きて何を差し置いても息急きって駆けつけねばならぬ、勤め人の大権威にして大脅威の大義名分「会社」が、秘書の日常から欠落しました。ご法度の「遅刻」もする対象がない。飽きたらフラフラ出かけてコンビニでアイス買い食いしてても誰も咎めません。

自由というのはいいものです。
しかし、気が咎めるものです。

はよ、金の稼げる身分になりたい。あるいは稼がなくても暮らせる金持ちになりたい。玉でなくていいから円柱でもいいから輿が迎えに来ないかなあ。

(本日、秘書は職安に出頭し、失業者の一員であることを再確認し、しおれて帰って来ました。再就職なんかできないよう。)

2002年4月9日(火)曇り

八重桜が満開であります。
不祥事も満開であります。

秘書の給料がどうしてこうして(我が社の話ではない)議員は辞めるのか辞めないのか、外務省のお役人が不倫恋文メールを掲示板に送ってしまった、我が日本の誇る世界有数規模のみずほ銀行は新装開店早々チョンボ続きでペイオフ以前の段階で預金が危ない・・・(残高確認してこよっと。)

失業秘書はなけなしの脳味噌が満開であります。が、公私共に名案はありませぬ。

2002年4月8日(月)晴れ

犬も歩けば棒に当たる。秘書が歩けば犬に当たる。

朝、テコテコ歩いていたら、お米屋さんが店の前を掃いていました。中では奥さんが拭き掃除をしています。かいがいしく働く庶民生活の一風景であります。秘書もはやく実直な生活ができるようにしなくちゃ。

と、そこへ店の中からのそりと黒いラブラドールレトリバーが出てきました。まさか秘書を朝ごはん代わりにするつもりじゃないよね、と尋ねたくなるほどでかい。この手の犬の顔は普通にしてても怖いです。一瞬立ち止まりかけると、お犬様も足を止めました。チャララララン、とチャイムが響いた。お客が来たことを知らせるための音が出るマットをお犬様が踏んだのでした。するとこのお犬、店を出たり入ったりし始めました。顔は相変わらずの仏頂面に見えますが、踏むたび音がするのが面白いらしい。そのアンバランスが面白くて、しばし見とれてしまいましたが、店の奥から、こら駄目よ、と声がしてチョン。

お相撲さんがおはじきで遊んでるのを見たよな気分です。

2002年4月7日(日)晴れ

今日は恒例の葉っぱ祭りです。葉桜のトンネルを鳴り物入りで賑やかにパレード・・・したくもない。という訳でパレードは中止になりました。来年はどうなるのでしょう。地方選挙もあることですし。開票前に、サクラチル、んでしょうか。

2002年4月6日(土)晴れ

愛松君は、バカです。文章を入力して一発でまともに変換したことがありません。一応学習機能はあるのですが、教育してもすぐ元の木阿弥です。(木阿弥って誰だ?)。

よってしばしば編集長がキレます。特に、いきつけのお役所で職務怠慢を発見した後など、帰ってきてからも気が納まらないようで、そんな時愛松君が、「陳情の内容」を「陳情の無い様」などと変換しようものなら、おのれパソコンの分際でヒトを馬鹿にしおって、と猛り狂って張り倒しかねません。

しかし、愛松君だけが悪いのではありません。元凶は、名前だけは可愛らしい「古都エリ」ちゃんなのです。可愛い子ぶりっ子のバ○女(相当な差別表現だぞ、これ)、エリちゃんはおそろしく大雑把な性格と見受けます。口やかましい編集長とソリが合うわけがない。

で、秘書は御局様よろしくしゃしゃり出て仕切ってやりました。エリちゃんには休暇をやって、バリバリの凄腕を入れなさい。なんなら紹介して差し上げましょう、と。

かくして愛松君とコンビを組むことになったのが、第14世の英得君であります。なんでも由緒正しい家柄の出身だとかで、かの一太郎君とは因縁浅からぬ仲らしい。実はむっつりスケベの愛松君、相方が無骨で少々がっかりしたらしいですが、今のところちゃんと仕事しています。

編集長は無論異論がある筈がない。こちらは、仕事さえしてくれれば家柄だろうが豹柄だろうがなんだっていい、という性格です。一緒に仕事する人間の顔だってろくすっぽ見てない気がします。節分のとき秘書が鬼のお面かぶってうろうろしてても気が付きませんでした。社員に本物の悪魔が紛れ込んでても有無を言わせずこき使うんでしょうな。

2002年4月5日(金)晴れ

秘書んちのすぐそばを、つい先ごろからちっこいバスがちょろちょろ走り回っています。今はやりのコミュニティバスであります。地元の市では、ムーバス、といいます。MOVEとUSとBUSを引っ掛けたなかなか洒落た命名です。

一律100円と安いのですが、失業中の身には身に余る贅沢です。乗ったことはありません。

さて、この、編集長の大嫌いな亡国植民地語的ネーミングのムーバス(大嫌いは、ネーミングにかかる)について、編集長は自分が乗らないものだから(かは知らないが)、批判的であります。(詳細はめんどくさいから省きます。)

タウン誌に、やはり批判的な内容を含む記事が載った、と知って喜ぶまいことか。さっそくあっちこっち電話しまくっていました。こういう時の編集長は、まことに生き生きして、しばし、花粉症被害を忘れているように見受けられます。その間はお蔭でとばっちりがこなくて済みますが、地元で事件が起きることを、秘書は歓迎すべきなのでしょうか。

2002年4月4日(木)晴れ

受付から守衛のおじさんのバカ笑いが聞こえます。なにごとぞ、と覗けば、ビラを手に嬉しそうな編集長の姿。ドアを開けてちょこっと顔を突っ込んだら、今度は二人して大バカ笑い。むっ、無礼な。

何がそんなにおかしい、と問い質せば、とうとう葉っぱになっちまった、とヒイヒイと笑い転げます。

なにが。

桜祭りが葉っぱ祭りになった。

ほれ、とさしだしたビラには色鮮やかな「若葉」の文字。

秘書の顔からヒュルルルと血の気が引きました。
編集長って、本当に黒魔術師でした。

2002年4月3日(水)晴れ

ゴミ捨て場でなんともポップでキッチュな電気スタンドを拾って来ました。4段階スイッチの色が左から、クリーム、レモンイエロー、オレンジ、赤、と思いっきり弾んでいます。思うに70年代ものです。今時こんな脳が天気なデザインは売っていません。レフランプも付いててスイッチ入れればちゃんと点きます。しめしめ。

で、思い出しました。先日拾った額面13万円なりの通勤定期券。善人秘書は、払い戻しちゃお、なんて考えもせず、駅に届けました。

「これ拾ったんですけど」
「あ、どうも」

それだけである。客をなめとんのか、JR。どこでいつ誰がどういう状況で拾ったのか聞かないのか。これじゃ受け取った駅員が払い戻しちまっても分からんではないか。元国鉄よ、も1回民間に身売りしちまえ、と言いたくなるぞ。

2002年4月2日(火)晴れ

我が社に某重大事件発生。

編集長の帰りが遅いと思ったら、プールで揉めていました。ご承知の通り編集長はつい先日も、地元のお役所に趣味の一つである陳情をしたばかりであります。プールうんぬんコースの整理をしないからぶつかって危ないチャンとせい、と。

そして今日ご衝突遊ばしました。と言ってもプールの中で激突したわけではありません。上級者コースにふらふら紛れ込んできた25メートルやっと泳ぐ子供に進路を遮られて接触したらしい。早速係員にあの子供を何とかせい、と忠告して1件落着、かと思ったら、後から、うちの子にぶつかっておいて謝らないとは何事だ、と母親が出てきて、さあさお立会い、編集長が爆発しました。それからの事態は推して知るべし、プールの管理体制から今時の母親の素質からぶわーっとぶちまけてきたらしい。

痴漢の冤罪被害者(つまり身に覚えがないのに痴漢にされちゃった人)の記事が新聞を賑わせていましたが、同じような気分を味わったようです。帰ってきてもおさまらなくてあちこち電話を掛けまくっていました。

今度プールに行った時、その「母親」と遭遇しないことを秘書は陰ながら祈ります。

2002年4月1日(月)晴れ

はや4月。真っ盛りの春なれど、秘書の心は真冬の大シケ日本海。ザッポーンジャッポーンと世間の荒波は冷たくて、ため息しか出てきません。

やはりこの平成不況はたいしたものであります。どこを向いても楽して稼げるお仕事なんかない。バブルの時しっかり稼いで溜め込んでおけばよかった。あの時秘書みたいな下々は、金回りはちっとも恩恵をこうむりませんでしたが、金遣いだけはしっかりバブってました。よく八百屋に行っては、一番高いの、とか抜かしてペットのモルモットに食べさせるレタスとか買ってましたっけ。1個500円もしていました。あんなことにお金使うのではなかった。

(四月馬鹿、というのは、一年に一度おおっぴらに嘘をついていい日であって、馬鹿を告白する日ではなかった・・・)