秘書の小部屋 2001.11

2001年11月30日(金) 晴れ

編集長がまた発作を起こしたらしいです。

某役所の某課の某さんが慌てて電話してきました。この寒空にTシャツ一枚で頭から湯気だして押し掛けてきて一席ぶってます(がなってます)、何があったんですか、と。

こっちが聞きたいです。が、そうも言ってられぬので適当なこと言ってだまくらかしておきました。

秘書思うに、ここんところまたぞろ(股揃?)プールの水温が上がって湯治場化してきた、プールは泳ぐためにある、と何度言わせる気だ、とかやってるのでしょう。秘書思うに、いくら言って聞かせても担当者にやる気がないのではありませんか。そもそも、競泳やるつもりで泳ぐ人間と健康対策(例えば腰痛)で水にはいる人間をごちゃ混ぜにしとるのがいかんのです。秘書なら、ゴミ焼却場の排熱で温泉作って、そっちで市民健康教室を開きますぞ。秘書は毎日タオルと石鹸もって通います。

編集長、帰ってくるなりつかつかと寄ってきて秘書をにらみます。げっ、某さんに、ちゃらっぽこ言って大笑いしたのがばれたのですか。我が社も構造改革しました、編集長の頭には新型の瞬間湯沸し器取り付けたんですう~とか言っただけなのに。

2001年11月29日(木) 晴れ

また夜道を歩いていましたら、サンタが飛び出した公園のベンチにたたずむ若者二人。この寒いのによく公園で語ろうなんて気になるもんですね、と思って見つめたら、うち一人は膝にサンタさんの衣装を抱えていました。人生の意味を見つめ直すサンタさん、でありましょうか。

2001年11月28日(水) 晴れ

夜道をとことこ歩いていたら、公園からひょいと自転車が飛び出して目の前をすっとんでいきました。それだけならよくある、ぶつかったらどうすんだばかやろ気をつけろ、という話。目をむいたのは、痩せこけてはいたけれど乗ってたのがサンタさんだったからです。白い縁どりの赤い帽子に赤い服。TPOがあってないもので、どろぼーでもする気か、と一瞬思ってしまいました。

さて、用事がすんで、また夜道をとことこ歩いてお家へ向っていたら、後ろから自転車が近付いて来て追い越しざま、「メリークリスマス!」

秘書、あっけに取られて、ぽかんとしてしまいました。二人乗り自転車の後ろには痩せこけたサンタさんが乗っっかってました。ペダルをこいでるのは、ニタさんかヨンタさんか・・・

2001年11月27日(火) 晴れ

今はお偉いさんになってる方々も、当たり前だが昔は若者でした。若者はしばしば馬鹿者である、と言うのは真理。全世界的に学生運動の嵐が吹き荒れた1968年、一世を風靡した日大の全共闘のお偉いさんが当時を振り返って言うことには、「我々はインチキゲンチャーであった」

それが証拠には、毛沢東氏をけざわ・ひがしさんと言い、レーニンのお父さんはマルクスで、エンゲルスがお母さんだと思ってた・・・

資本論というややこしい本を書いたマルクス・エンゲルスのことを、秘書は長いこと、マルクスが名で、エンゲルスが姓だと思っていました。だからマルクス兄弟は5人と聞いた日には、あんなしちめんどくさいのが団体でいるのか、と絶望的な気分になったものです。(マルクス兄弟とは・・・ “我が輩はカモである”に出ていました。)

日大全共闘さんは、インターナショナルの歌も知らなかったもので、他大学に行って覚えてきてみんなに教えた。が後に他の大学の代表と一緒に歌ったとき、節が違うメロディが違う、と気づいて凍りついた。
皆からずいぶん文句言われたけれど「音痴なんだもん。しょうがねえだろう。」
結局修正ができないまま、彼らは酔っぱらうとその変調インターナショナルを歌うのだという。

という可笑しい話を長尾三郎さんという人が真面目な本の中で書いています。

2001年11月26日(月) 晴れ

出社したら机の上に、宇宙生物の乾物みたいな細長いしわしわの物体が詰まった袋がありました。秘書思わずのけぞって後ずさりします。遠目によくよく見れば袋が腰巻きしてます。さらによく見れば、土産、の文字。

湯葉、でありました。編集長が珍しく買ってきてくれたのだといいます。秘書の心中複雑。有り難いけど、季節外れの暴風雨は願い下げしたいです。

2001年11月24日(土) 晴れ

編集長がお出かけになられたので、本日の社内は静かであります。なんと心が安らぐのでありましょう。これぞ正しい勤人のあり方であります。

編集長は本日はお戻りになりません。泊まり掛けで行かれたので、今日は終日安泰なのであります。早速お茶パーティであります。この間お使いに行った時めざとく見つけて袋一杯拾って来た銀杏を煎ります。パンパンパパンと鍋の中で銃撃戦が始まれば食べごろです。煎りながら、うっかり袋から出し忘れた通帳に銀杏の匂いが染み付いて往生したのを思い出します。ふん、それがなにさ、そんな記憶一緒に煎っちまえ。

編集長は中学校の同窓会で温泉に行くらしいです。なんか年中同窓会してるみたいな気がします。ほんとはどこへ何しに行くんでしょ・・・

2001年11月23日(金・勤労感謝の日) 晴れ

こういう日に休日出勤の名目で働きとうない。
いくら忙しくたって、人間、まともに生きようという決意とけじめが肝心だ。

と秘書は思います。本日はお昼寝日和。

2001年11月22日(木) 晴れ

今月もぼちぼち終わりでんな。月日のたつのは早いもの。年ごとに人生の疲れが蓄積して、もう降りた、と言いたくなります。が、仙人ならぬ身、かすみだけで生計は立てられません。あ~あ、誠に金は人類永遠の悩みのタネです。

アフガニスタンに爆弾の豪雨が降り出してもう大分たります。攻撃の仕方まで物質文明そのものです。首都を明け渡したタリバンはカンダハルに籠ります。ここしばらくの情勢は、義経贔屓の日本人としては複雑です。なかでも神田さんちのハルさんはお尻がこそばゆい。なにしろ毎日テレビのニュースで名前を連呼されます。しかも呼び捨てです。お前なにをした、と身内は口にこそしないが、気のせいか見る目が白っぽくなってきました。誰でもいいから早く平和にしておくれ。

2001年11月21日(水) 晴れ

社長言うには、編集長がお習字を始めたらしいです。みんなも見習って、きれいな字を書くよう心掛けるように、とのこと。

確かに編集長の字はひどいです。解読してしまう自分が情けないほどです。輪転堂のおっちゃんには秘書が代理でこってり文句を言われたこともあります。やっと反省したのですか。そうかそうかそれなら秘書も下手なりに心を込めて書くようにしましょう。

早速編集長に予定表を貰いにいきました。これからは予定を取り違えて、後始末に膨大な手間をかけることもなくなります。ようやく楽ができます。余裕ができたらお茶でも習っておいしいお茶をお客さんにお入れしましょう。すると喜んで手みやげ持ってまた来て下さる・・・

これはなんですか。

ミミズののたくったような、とは編集長のためにあるような形容詞です。が、のたくってくれてるほうがまだましです。これは、ミミズが自爆したあとです。何なんですか、これは!

あ、すまんすまん、字の練習帳だ、と編集長。

これが字?

手本通りに書いたつもりだが、うまく書けないものだな。(感心してる場合か)

いったい何を手本に、と覗き見れば、ひっ、アラビア書道? さきおとといHMVのついでに紀伊国屋で物色して買って来たのだといいます。ひょっとして編集長アラブ行きはかなりマジなのでしょうか。この春のレバノンの怨念もあることだし。

しかし、どうでもいいが(よくないが)、秘書への指示は頼むから日本語に限定して欲しいです。

2001年11月20日(火) 晴れ

すっかり演説づいてる編集長。なんでも声を潰さないと名演説はできないのだそうです。で、潰すため毎日市役所に行っては、ああだこうだ、とぶちかましてます。気分が乗るとえんえんとやってるらしいです。まあ、よくタネがあるものです。そのうち上野のアメ横の魚屋のおじさんみたいな調子で喋りだすんでしょうか。

2001年11月19日(月) 晴れ

秘書がよく行くスーパーでは魚の売り出し日には、大漁節(だと思う)を流してます。

♪寝不足こ~ら~え~(なんとかかんとか)えんやこらさ~♪と故三波晴夫さん(だと思う)が熱唱しています。買い物から帰ってくると、両手が盆踊りみたいに動いているのに気づき慌てることがあります。

ちゃかちゃかちゃんちゃん、と奥の部屋から聞こえます。大漁節のようでもありますが、しかし歌詞が聞き取れません。どうも発音が巻舌です。じっと耳を澄ますが、ますます分らない。営業部長とひそひそ、編集長どうかしたんかね、と囁き合っていたら、ばん、とドアが開きました。

わっと、思わずお尻が浮かれて踊りだしそうな景気のよい歌が洩れて拡がりました。横文字の三波晴夫です。何ですかこれ、と営業部長とシンクロで聞いてしまいました。エジプトのなんとかいう流行歌手だといいます(聞いたけど覚えられません)。

なんでこれを?

勉強するのだ、と言います。

して何を? 

アラビア語を。生の情報を掴みたいのだ。アラブ諸国に留学もしてみたいし。

昨日新宿のHMVに行って買ってきたのだそうです。編集長HMVは初体験だったらしい。売り場をうろうろしてようやくワールド(ミュージック)のコーナーで見つけて感激したらしい。ところでHMVってなんの略だ、なんて聞いちゃいけません。(社内に知ってる人なんかいないんだから。)

2001年11月18日(日) 晴れ

カラバッジョ展に行きました。目黒のその昔は朝香宮邸のアール・ヌーボー屋敷であった庭園美術館で開催しています。

先週は横浜トリエンナーレに行きました。知らない方はいないと思いますが、念のため説明しますと、おほん、時代の最先端をいく現代美術展であります。

秘書はここのところ芸術づいています。やはり秘書には算盤勘定は似合いません。芸術家の道をまっすぐ進むべきでありました。生活に追われて志しを曲げてしまいました。貧困が憎い・・・ イテッ。(殴らんでもいいじゃないか。アホを言うなと口で言え。)

種を明かせば、招待券があったのです。詳しい話は省きますが、横浜は同居人の、目黒は新聞やさんの伝手であります。有効利用すべきであります。

で、秘書の芸術批評。横浜は、最終日に行ったため(この時点でかなり間抜けた観客であることが露呈)、ろくに見られなかったのですが、秘書は現代美術は好きくない。遊園地のからくりみたな面白いのぞき部屋もありましたが、昔ドリフがミキサーに生きたドジョウを入れて「ごめん」といいながらガーっとかき回して特製ドリンクを作って物議をかもしたTV番組を彷佛させる絵のところでは拒絶反応と空気が悪いのとの相乗効果で吐きそうになってしまいました。(帰りの電車ではすっかり出来上がってしまいました。)

カラバッジョなら昔の人だからドジョウミキサーはやりません、と安心して見に行きましたが、あまり秘書の好みではありませんでした。お屋敷の造作に気を取られてしまいました。一度何も展示されていないところを見たいです。

カラバッジョは本人の人生が一個の作品みたいな人でありました。人殺しまでやらかして破滅へまっしぐら、それでも絵を書き続けて後生に名を残し、今秘書みたいなのほほんとしたお客を集めて展示される・・・ 人生やりたいようにやったほうが勝ちってことですか(人殺しの奨励ではありませんぞ)。

2001年11月17日(土) 晴れ

眠くてぐだぐだしているところへ電話。出たくはないのですが、気分で仕事してては会社が潰れます。そんな気分に引きずられたもので、受話器を上げてから名乗るタイミングが外れました。

はい、と言ったところへ、妙齢の熟し淑女と思しき女性が一見(一聴)たおやかなしかし明白にセールスとわかる口調で語りはじめます。

「こちら東京都の・・・何たらかんたら・・・グリーンなんとか(ピースではなかったが似てた)が何たらかんたらで・・・つまりは霊園の御案内でございます」

ついては限定で選んだあんたにパンフレット送るでよ、住所と名前を言えや、ということでありました。いかにも実直そうに、御住所御名前に間違いがあってはいけませんので確認のため、と口にするが、ここまでの会話で、この霊園セールスレディが把握してるのは、電話番号だけ、それも適当にかけた番号(迷惑メールと同じ手口だよ)だと、アホな秘書でも見通してしまいました。

確認のため客に住所氏名を言えというのは変だ、あなたが手許のデータを読み上げて間違いがないか聞くべきではないか、と言ったら、プライバシーのため私は知らされていません、と言う。なら、ここで秘書が個人データをあなたに喋るのはプライバシーのためにならないのではないか。(プライバシーの保護とか侵害とか普通は言うんでねえの)。

頭に血がのぼってた秘書の口調が強くなると、このレディ、言葉が千鳥足になってきました。せめて名前の漢字の確認を、のところで、全部カタカナで結構です、と秘書やってしまいました。

またそれから何たらかんたらと続くのですが、ついには、送りたきゃ勝手に送ってください。ただし、秘書の個人データを漏らす気は一切ない、で電話が切れました。

世の中には乗せられてほいほい喋ってしまう鴨科の人もいるのでありましょう。おかげで秘書不機嫌。憂さ晴らしに誰か通りかかったら尻尾を逆立てて威嚇してやるっ、と爪を研いで待ち構えていたら、アカン、ドラエモンが通り過ぎてゆきます。

2001年11月16日(金) 晴れ

本日も編集長生き生きと出かけていきます。

行き先・市役所、目的・演説。何せ、来訪を心待ちにしている向きが多いのだそうです。たいていニコニコと出迎えてくれるそうですが、編集長の今の持論は、特別職体系・役職手当て・議員報酬の廃止です。軽く考えていたら実現した日には泣いたって追い付かないのに。

お陰で鬼がお留守の我が社内は平穏無事、ひねもすのたりのたりであります。

2001年11月15日(木) 晴れ

演説再開して生き生きしてきた編集長。顔の色つやもよろしいです。(その陰には数多の青白い顔が発生するのですが)

さて本日は市庁舎へお出ましであります。いつもは玄関前でやるのですが、隠れ演説ファンの某課には声が届かないとかねてより聞いていたので、適当な場所を物色していて見つけたのが、立て替えのため、市有地に間借りしている警察仮庁舎の前。しめしめとおっぱじめてちらちら彼方を眺めれば、何やらハトぽっぽみたに集まって相談している様子。暫くたってようやく、ここは駄目です、と言いに来ました。理由はなんだ、根拠を示せ、とマイク握ったまま攻防したが、数にものいわれて撤去されてしまった、といいます。

ぶりぶりして(建て前だと思います。ホントは楽しんでる筈です。)市役所の情報公開コーナーに行くと、マイクを通して聞こえていたのか、待ってましたといわんばかりにテキパキ、「ここは駄目です」の根拠らしき書類を公開してくれたそうです。あまつさえ、某所に居合わせた某氏(市民であるが職員ではない。)は、窓の外を指差して、あそこがいい、あそこなら警察も関係ない、と嬉しそうに御教示下さったとか。

2001年11月12日(月) 晴れ・・・?

伊藤博文さんと言えば千円札の代名詞だった。と答えたら、それ以外の情報を言うてみい、この無知蒙昧のやからめが、と言われてしまいました。

えーん。明治の立派な偉い人だった、とは学校で聞いて知ってるけど、それがどうした。死んでしまったら、みんないい人と言われるではないか。何をした人物か具体的に述べよ、だって。みんなして秘書を馬鹿にするんでない。

以上受け売りであります。出所は丸田塩男氏? 塩田丸男さんだったかな。酒飲みの諸事情を書いた本の中にあったお話。

2001年11月9日(金) 雨・・・

仲良く机並べてお茶すすってた営業部長、突然ひくっ、と跳ね上がり、食べかけのお饅頭を口に押し込んで目を白黒させつつ外回りしてきます、とあたふた出かけてしまいました。なんか重要な契約(そんなもの有ればだが)を忘れてたのでしょうか、と思いつつ秘書は1つ残ったお饅頭にかぶりつきます。むわん、と大口開けたところへ、ばたん、とドアが開き、編集長が顔を出します。そして一声。

営業部長はおらんか。

出かけました。

ぐふっぐふっとむせながら必死に秘書は答えました。なのに、編集長の返事は不愛想です。むっとして何の用でしたかと聞きますと、駅前で演説をする。運転手が必要だ、とのこと。

ひえぇー。(再開しちまったのか。)

秘書は悟りました。営業部長は気配を察知して逃げたのです。なにしろ一番の被害者です。そうとう過敏になってるらしい。代わりに来い、と言われそうで恐くて、何を喋るつもりなのか聞けなかませんでした。

後でひょっこりやって来た輪転堂のおっちゃんが言うことには、駅前で聴衆集めて大音量で長々と「テロ」やら市議会批判やら気持ち良さそうにぶちかましていたそうな。議員は無報酬とすべきだ、特別職体系・役職手当ては撤廃せよ、とかもやってたらしい。我が社の手当ても廃止かな。(平の秘書には関係ない。やれやれー)


!●お詫び●!

10月は最悪月間でございました。秘書の身辺も最悪でしたが、加えて実は秘書室も原因不明なのですが崩壊の憂き目に合いました。開かないよ、と編集長に言われて、あれこれやって判明したのは、「壊れてる」。
泣く泣く再作成して一件落着、と思ったら、展示会場がリンクしてないよ、と追い討ち。
そして本日、過去の日記へのリンクが全滅しているのを知りました。ああーっ。
とりあえず修理いたしました。ドジをお詫び申し上げます。
なお展示会場へ新作戯れ画を追加展示する予定でしたが、編集長に横取りされました。

2001年11月4日(日) ピカ晴れ

昨日の雨は嘘でした、というような上天気。しかし地面がぐちゃぐちゃで、雄弁に真実を物語っています。

さて、嘘だろうが真だろうが、本日は地元のお祭りであります。その名も青空市。雨天でも決行されますが、その場合でも、雨降市とは言いません。秘書は例によって地元の団体さんにかり出されて設営やら売り子やらのお手伝いです。別にこういうことが趣味ではありません。浮き世の義理ゆえの参加なのです。当然主体性ゼロ。早く帰りたいの一心でありました。

本日の収穫。1個10円也の3本足のついた可愛いカップ。青山なんとかの銘が入っていました。くたびれ果てて早々に寝ます。

2001年11月3日(土・文化の日) 晴の特異日なのに土砂降り

せっかくのお休みなのに、雨降りで寒くて眠いです。人生を有意義に過ごさねば、と思いつつ、日頃の過剰労働がたたって眠り姫となりました。明日はいい日でありますように。

2001年11月2日(金) 曇りであろう

鏡よ鏡、と編集長がうるさいです。この世で一番いい男はだーれ、と相談でもするつもりなのでしょうか。答えようがなくて思いあまった鏡がパリンと自割れしても秘書は後片付けしませんぞ。

そのうち、引っ越しで捨ててはいない、どこへやった、と騒ぎ始めましたので、探しておくから取りあえずあれで、と洗面所へ追いやりました。こういうその場凌ぎは後で祟ります。

ふむふむ、ふむふむ、と鏡を前にひとしきり首を捻っているらしい。自分の面は見て楽しいものなんでしょうか。秘書は見るたびいつも、これは自分ではない、という気分になります。

そしてあごヒゲをしごきつつやって来て、どうかね、と問います。どうかねって、何が。

ヒゲがだ。ほれ、もうちょっと長くして横も伸ばして、どうだそれらしくなるだろう。

差し出したのは、今話題のかのお方のお写真。秘書のお仲間ではちょいとした人気のお方です。×様って、かっこいいよね、お上品で頭良さそうだし。そうそう、あの成金類人猿みたいな人とじゃ月と泥亀だよね・・・と先日お使いに来たエツ子さんと喋っていたのが聞こえてたんでしょうか。

しかし、だから、どうかねって・・・ 編集長のは仙人ヒゲです。お手入れしてようやく市町村長候補になったところです。×様のフサフサヒゲに比べるだけ無駄ってもんじゃ・・・無様とは言いませんけど。

2001年11月1日(木) 曇りかな

先月の話であります(先月書けよっ)。

さる日曜日、秘書はあったか寝床でほかほかと朝寝を楽しんでおりました。うすら寒い世間様はひとまず忘れて暫しこの世の極楽であります。ああ、幸せ・・・

・・・は長く続きませんでした。けたたましく電話が鳴ります。休日の朝、いたいけな秘書を無情に叩き起こす非常識なやつはどこのどいつだ。むっ、と受話器を取ると、むうっ、編集長でありました。

取材を申し込まれた、といいます。オーストラリアから汽車がやってきて、お座敷列車で宴会旅行を・・・違う、記者がやってきてインタヴューだそうです。へ、結構なお話で、じゃ、と切ろうとすると、編集長あわてて、助手が居るんだ、といいます。

へえ、編集長に助手が居るんですか、出世しましたね、もう秘書はこき使われなくてすむんですね。よかったよかった。

よくない、と編集長。助手が「要る」んだ!

だからって秘書を呼びつけることないじゃないか。営業部長はどうしたっ。駅まで出迎えにいくんだろ、秘書は車の運転出来ないぞ。と擦った揉んだの挙げ句、とにかく後で寿司食わせてやるから、というので、朝御飯の後の渋茶もそこそこ秘書は出社しました。

休日の会社は嫌です。がらんとしてて物悲しくて、と言いかけて自言撤回します。なんじゃこの有り様は。これで客を迎えようって言うのか。悪い友達集めて宴会するのは編集長の勝手だけど、ちゃんと後片付けせえよ。ブツクサいいながら大車輪で物を片付け(手当たり次第物置きに放り込んでやった)床を掃き机と椅子を並べたところへ、編集長に引率された客人到着。雲を突くような大男でありました。

さて、この大男氏、名を日本風に言えば、木工さんであります。編集長は、自分はtree villageである、とか答えていたが、wood villageでもいいんでないか。ともあれ、傍目にはアホな会話であります。

そもそも大いなるアホは、実は仲買人、ではなかった、仲介人がボケをかましてくれて、オーストラリアの記者は記者ではなく記者の友達の元英語教師でありました。しかしともかく、記者がくる、ってんで編集長あちこちに電話して人を集めてしまったので、また狭い社内が人で溢れかえってしまいました。記者ではなかったが、その分掻き集められた人達が母国語ではない英語を駆使して喋りまくる才能を持ち合わせた方々でしたので、大いに盛り上がりました。日本人の他に南米の人、後からはアラブの人まで来てしまいました。

悲しいかな秘書は半分も理解できなませんでした。おかげでがっくり疲れました。宴が終わって、編集長が約束の寿司をおごってくれました。回らない寿司でした。プラスチックのパックに入っていました・・・