秘書の小部屋 2000.7

2000年7月31日(月) 本日も晴天。

昨日編集長は、またどこぞへお出かけしたそうです。新宿山とか言ってましたが、地下数(十?)メートルの所にあるそうです。海底火山かな? とにかく噴火、じゃない、怪気炎を上げて来たらしいです。昨日の夜、二度も大きな地震があったのはそのせいでしょう。

先日は本物の登山をしてきたということでした。本日は時間差でくる筋肉痛とかで、カニみたいに社内を横這いしてました。ちょっかい出してやろうか、と思いましたが、ひっくり返ってギックリ腰になられたら大変、と思い、じっと我慢の子になっていました。今回秘書の態度が冷たいのは、編集長が名物饅頭を買ってきてくれなかったからです。

2000年7月30日(日) 青天、雲がほとんどない。

折無頼徒(漢字変換シリーズ第4弾)さんも多忙です。ついこの間まで中東和平で骨を折ってたと思ったら、いつの間にやらバンコクにお出かけして、タイ外相とダンスなんぞしておられます。ディートリッヒそこのけの黒づくめのいでたちで痛烈な爆笑歌も披露したようです。ASEAN拡大外相会議はこの恒例隠し芸大会で有名とのことです。このためだけに出席する大臣もいる、と言う話もあります。それにしても元気なおばちゃんです。クリントンさんが頭が上がらないのも分かる気がします。

秘書は日曜日は休養に努めることをモットーにしています。が、今日は町内の会合に呼び出されてしまいました。歌って踊る会議ではありません。すっぽかしたい気持ちが95パーセントなのですが、日頃色々世話になっていますので、嫌といえません。人生はつらいことが多いです。

2000年7月29日(土) 薄晴れ。

冷房のない社内は、湿度の高い日にはサウナになります。

手紙を出しに行く、と表に出まし。外の方が少しましです。同じことを考えるようで、通りにはいろいろ出ています。

風通しのよい日陰に中学生だか高校生だかぺったり座り込んで会談しています。この暑いのにタバコなんか吸いおって。水ぶっかけてやろうか。(と、ぶつぶつ言いながら通り抜けます。秘書は小心者です。)

猫がコの字に頭と尻尾をつけて伸びています。毛並みがよろしいです。どこのシャンプー使っているのでしょう。

ゴキブリがよたよたと道の真ん中を歩いていきます。

日本は平和です。

2000年7月28日(金) 晴れ、少々雨。

編集長がいないと社内が平穏です。いれば喧しいが、いないと少々物足りない。

と、つぶやいてはっと我にかえりました。いけない、いけない。どうも編集長のペースに巻き込まれてきたみたいです。

だいぶ誤解があるようですが、秘書は社長秘書なのです。編集長の秘書ではありません。楽そうだと思ったからバイトを始めたのに、かのお方は職域なんぞ無視してこき使ってくださる。

どこへいったか知りませんが、ナントカ饅頭ぐらいは買ってきてくれるでしょうな。

2000年7月27日(木) 晴れ。

社内が伸びきっています。ははーんと思ったら、編集長が家出、じゃない遠出したそうです。それじゃま、というわけで、恒例のお茶け宴会の始まりです。あっと言う間にお菓子がならび、どこに隠してあったのかハーゲンダッツのアイスクリームまで出てきます。

ところで、編集長は何処へ。

「とんでもない山の中に行くってたな。」
「里帰りか。」
「あれ、養子だったか。」
「いいや、近頃は男にも実家ってものがあるからな。」

例によって、秘書には良く分からない会話が延々と続きます。

2000年7月26日(水) 晴れ。

結局、場楽さんと荒不後さんの交渉は、苦淋頓さんの努力の甲斐無く決裂しました。苦淋頓さん、いい加減嫌気がさした、というのもありそうです。

鼻先が故ド・ゴール大統領そっくりなコンコルドも落ちてしまいました。

いきなり寒くなったりするもので、秘書は風邪を引くしで、世の中荒れ模様です。

それにしても、夏はこれからなのに、秋風のようなものが部屋を通り抜けてゆきます。財布の中を貰ったばかりの給料が通り抜けてゆきます。お陰で冷房は用がありません。

最近、編集長の部屋にいろんな人が出入りします。大勢なので、名前が覚えられません。年輩の個性豊かそうな方ばかりで、イッカゲンというものをぶら下げてくるそうです。食べられないものらしくて、秘書にはお呼びがかかりません。

年輩の方は夏でも熱い飲み物を好むと聞きましたので、お湯をぐらぐらに湧かして番茶を濃いめに入れてドンブリみたいな湯のみになみなみとついでお出しします。ほとんどの方がお帰りの頃にはお風呂上がりみたいな顔をされます。

それにしても若い男に縁のない会社です。たまに来る宅配のお兄ちゃんもよく見るとおじさんぽかったりします。若ければいいって訳じゃありませんが。

2000年7月25日(火) 雨、風。急に涼しくなった。

クリントンさんはそそくさとお帰りになって別荘に行ってしまいました。例のお二人が居残りを続けているからです。一国の元首とは忙しいものです。秘書はつくづくと平民であることの幸せをかみしめています。(まてよ、大統領も平民です。秘書は平民かつ凡人です。)

場楽さんや荒不後さんも(つい変換してしまった)大変です。何が大変かというと、エルサレムをどうするかで話がつかないらしい。キリストとユダヤとイスラムの3宗教それぞれの聖地だからです。そんなら3つに分ければいい、というのは勿論問題外。3者で仲良く、というのも、できることならとっくにやってるわい、のレベル。要するに秘書の頭で解決のつく事柄ではないです。

2000年7月24日(月) 晴れ、風が強い。

暑い。けど結構風があるので、場所を選べば涼しい。我が家の天竺ネズミは昼間一人でお留守番をしてます。少しでも涼しい所を求めてあちこちうろつき回っているようです。夕方家に帰ると痕跡が方々にあります。警戒心ゼロなので死体のごとく伸びきってゴミ箱の横あたりに転がっていることもあります。アルビノ種だから、まるで使用済みのモップです。

いつぞやは、通風のため開けておいた窓から近所の猫が入り込んでいたことがありました。あの時は恐かったでしょうな、といいかけて思い出しました。あれは先代のネズミの話でした。幸い二人だったので、仲良く隅っこで固まっていました。あの猫めは贅沢な猫めで、食い物でつって外におっぽり出してやろうとしたのに、はなも引っ掛けず、あげく、お前が出てけと言わんばかりに威嚇をしてくれました。始末の悪い奴でした。

ところでサミットが無事終わりました。森さんは中々たいしたものだったらしい。時間通りに会議が終わった、素晴らしい、とシラクさんが誉めていました。800億円かけた甲斐があったというものです。他のところのサミットとは2桁位違ってたようです。(ふーん、やろうと思えば、8億円でも出来たのですか。)

おもてなしの中継をテレビで見ましたが、男ばっかりでした。いつもは来るはずのファーストレディ達が欠席でした。編集長のビデオではあるまいに、男ばっかではこちんこちんの話をしているみたいです。

2000年7月23日(日) 晴れ、とんでもなく暑い。

部屋の体温計、じゃなかった寒暖計を見たら、卒倒しそうになりました。36度もあって、秘書の平熱より高い。燗暖計です。こう暑くては頭も働きません。寝てしまえと思いましたが、暖気のかたまり布団にくるまってるみたいで、息苦しくなってきます。いかん、熱中症の手前です。

というので、近所のスーパーに避難しました。自動ドアの向こうはこの世の天国です。カラの買い物カゴを持ってしばらく店内をさまよいました。いつもは駆け抜けるように買い物してレジに向いますが、今日は涼むのが目的です。端から陳列棚を見て回ると、普段は気づかずにいた実にいろいろなものがあります。なになに有機栽培の紅茶ですって。ふむふむ。しかし130グラムで730円は高いですぞ。

ブルーベリージャムが特売で山積みになってます。大きめのビンで258円は安い。最近パソコンのし過ぎでおめめが痛い。買おうかな、と手にとって気づきました。今話題のあのブランドです。問題になったのは乳製品でしたが、つい、柳の下はドジョウだらけ、と支離滅裂なことを連想してしまいました。

信用は若さと同じです。あっと思った時には失っています。かな。

2000年7月22日(土) 晴れ。

梅雨はやっぱりきっぱりと開けたらしい。毎日毎日茹で上がるように暑い。

けれど新聞を開くと、クーラーもお蔵になりそうな出来事で一杯です。気の小さい秘書は出歩くのが恐くなります。家にいても背中がぞくぞくとします・・・

我が子に毒茶を飲ませた親の話は未遂に終わって少しは救いがありますが、我が子を刺し殺して飛び下り自殺した親の話は悲惨そのものです。中学生の子が荒れていたらしいのですが、その子一人残して父も母も姉も官舎を出て行ったそうです。この家族に何があったのか。あるいは何がなかったのか。脳が単細胞生物と散々言われている秘書にはどうしても理解できません。

ノストラダムスさんは幸いにして、フェードアウトして下さったようせすが、近頃の数々の暗澹とする話は、新たな終末を予感する人々の底に流れる意識が吹き出し始めた証左でしょうか。

と終末評論家の口まねをしてしまいました。今日は終末です。明日は休めるぞ。

2000年7月21日(金) 晴天。

沖縄万博、じゃないサミットが始まりました。

来るの来ないのと、気を揉ませたクリントンさんも来ました。留守はオルブライトさんが引き受けてくれたそうです。オルブライトさんは貫禄たっぷりです。バラクさんやアラファトさんと並ぶと、恐い先生と出来の悪い生徒みたいです。さっさと宿題すませて、早く家に帰りたいでしょうな。あんまりグズグズしてると、帰る家がなくなってしまいそうです。

森さんは、みんなでこっち来たらとか、各国首脳の寄せ書き作ってキャンプデービッドに届けようとか、ニコニコはしゃいでます。

2000年7月20日(木) 快晴、海の記念日。

お休みの日にポチポチと2本指でキーボードを叩いていると、今日がなんで休みなのか分からなくなってきます。早く10本指を使えるようになれと言われますが、勝手に覚えた秘書流をなおすのは結構むずかしい。

森さんは指1本だと言うから、今のところ秘書の勝ちです。森さんには家庭教師がついて特訓してるらしい。頑張れ、森さん、パソコンは中年の天敵ではないですぞ。メールも送れないで、ITうんぬんは恥ずかしいですぞ。

けど出井さんだったかに、そんなことより他にすることがあるだろうと、面と向って言われたらしい。中年の敵は中年です。

2000年7月19日(水) お天気。

二千円札が発行されました。引き換える人で銀行は賑わったようですが、秘書には縁がないです。だいたい円がない。両替えしたらその足で買い物に行って崩してしまいそうです。せめて一晩、額にいれて飾ってみたい。小渕さんの力作です。貧乏につける薬くらいの御利益がありそうです。

2000年7月18日(火) 焦げ天。

8日分の日記を書いてしまいました。新記録です。ワハハ。

実は秘書は本当にとても忙しかったです。仕事を掛け持ちしてはいかん、とつくづく思いました。どうせあがいても貧乏地獄から這い上がれそうにないです。(しかし、あがかなければ、地獄の底体験ツアーに引き込まれてしまいます。)

昨晩まんじりともしないで考えました。森さんが頑張っても景気は良くなりそうもない。そごうのお陰で金利も上がらない。代議士の秘書になれそうもない。

とすれば打つ手は一つ。サマージャンボを買おう!

3億円なんて高望みはしません。2等のいっせんまんえんでいい。けちけちちびちび使えばしばらく遊んで暮らせます。

仕事なんかしません。会社に遊びに来て応接室で社長相手に優雅にお茶を飲んでやります。きっと編集長が締め切りでひいひい言ってるますぞ。手伝ってやりませんぞ。人生早く引退したもんが勝ちよ、と言ってやりましょう。

2000年7月17日(月) ピカ天。

暑かったです。体温に近い気温はつらいです。満員電車の中で体格のよろしい蓄熱効果抜群のお方に密着されてるみたいです。ええい、鬱陶しい。

梅雨が明けたらしいです。らしい、のは、気象庁がはっきり言わないからです。ここ数年梅雨明け宣言はチグハグでした。いつ明けたかわからないまま秋に突入したり、明けたと言ったのに降り続いて撤回したり。

仕方ありません。天気予報は昔は大根と一緒でしたもの。

2000年7月16日(日) 晴れ、のち月食。

お月さまが欠けてしまいました。満月だったのに、気づくと齧りかけのおせんベみたいになってます。

家出したテンちゃんのことを思い出しました。おせんべが好きだったな。世間の荒波に押し流されてぐれてなきゃいいけど。

2000年7月15日(土) 晴れ。

会社でシコシコ仕事していたらグラグラッときました。本格的な地震だと思いましたが、ここら当たりは震度3でした。震源地は東京都の島付近でしょうか。そうなら島は大揺れだったに違いない。

秘書は昔、一晩中船に揺られてたっぷり船酔いして伊豆諸島に行ったことがあります。降りてもしばらくは足下が揺れていました。感覚の錯覚でしたが、今、島の人々は日々が揺れる大地です。乗り物酔いする人には地獄の大地でしょうな。

科学が発達して己の遺伝子の解読までするようになっても、人間にはまだ手におえないものがいっぱいです。地震も雷も火事も親父(秘書のオヤジ)も健在です。畏敬を忘れて浮かれていると思いがけないところでしっぺ返しされます。

ついこの間も、仕事サボって温泉に行ったことがばれて、親父殿に雷を落とされました。電話口で叱責の大声がゴロゴロ鳴り響いて、あまりの剣幕に受話器をしばらく放置してしまいました。

2000年7月14日(金) 晴れ。

そごうが潰れました。税金で救済するとか言っていましたが、この御時世にあんまりだ、と非難が集中して、沙汰止みになったそうです。そりゃそうです。バブルの時、秘書みたいな貧乏人は忙しいだけで何もいいことありませんでした。さんざんいいとこばかり食い散らした奴が、金がなくなったから税金で立て替えてくれ、ですと。そんなつもりで税金払ってんじゃねいやい。

しかし、潰した分税金丸儲けかというとそれも違うようです。銀行と政府のお約束とかで、事と次第によっては、債権帳消しよりも沢山の税金を使わねばならないらしい。

誰だそんな約束したのは、と今さら怒っても追い付きません。政治家を信用した私がバカだったのよ、と一気に政治不信に落ち込んで行く、と絵に書いたアホそのものの反応をして見せる秘書。やっぱり難しい話は苦手です。

ところで森さんはそごうについては面白い話をしてくれませんでした。亀井さんが良きに計らうから、総理は何も言わないでくれ、と頼まれたらしいです。実に残念です。

ついでに今日は森さんの63回目のお誕生日です。パリ祭と一緒です。革命の子です。

オフレコ騒ぎが祟ってか、恒例の記者からのプレゼントは貰えなかったようです。

替わりに小泉さんが景気づけのケーキをくれたとか。何味でしょう。秘書ならやっぱりブランデーづけがいいな。

2000年7月13日(木) 晴れ。

いつだったか、森さんが、ミーちゃんハーちゃん、と口にしました。何の話だったか覚えていませんが、脳味噌に衝撃が走りました。

人名だったのですか。いままでずっと英語だと思い込んでいました。meとher、私と彼女。つまり、秘書のお友達達(おともだちたち)みたいな、半可通でしゃしゃり出てくるのが大好きな愛すべきバカ女ども。(これってセクハラですか)

違うんだ、ミーさんとハーさんなんだ。そう言うと、少し高級そうに聞こえます。しかし、ヤーさんの変種みたいですな。漢字で書くと、三伊さん、波阿さん。どっかにいそうです。軽さが取り柄のアホではなさそうです。

2000年7月12日(水) 晴れ。

書くな、って話を書いてしまったからと森さんがむくれてます。

わかるな、その気持ち。ここだけの話だよ、って念を押したのに、次の日にはご近所に知れ渡っています。その度に秘書は決心します。私は貝になろう、と。しかしすぐ口がムズムズしてきます。そしてまた、今度は絶対言わないでよ、と口にしています。

森さん節がこれで聞けなくなるような淋しい事態にはならないでしょうね。

2000年7月11日(火) 晴れ。

駅前の一等地に幽霊ビルがあります。お住まいの幽霊は秘書の知るところで3体。住み分けなんぞという優雅なことはしておられず、ゴチャゴチャに同居されています。

屋上には城南電機のでっかい電飾看板つまりネオンのかたまりがデンと乗っかっています。正面に面した各階の窓には売り場案内。それに負けじと、屋上から2階まで届くジャンボ築地の派手な特大垂れ幕。1階正面上には同じく相撲取りが踊っているような文字デザインのジャンボの看板。そしてシャッターを降ろすと、この前の市長選で事務所につかった候補者のシンボルのカエルが飛び跳ねています。

城南電機の宮地社長は晩年よくこの店に来ていました。店の前のガードレールに腰掛けては店の方を見ていました。話題の人を身近に見ると錯覚を起こしたような気分になります。だいぶ目も慣れたある時、ふっとその姿がフィルターをかけたように見えました。訃報を聞いたのはそれから間もなくでした。

空きビルになっていたところへ市長選の候補の事務所が入りました。擦ったり揉んだりした挙げ句、5選目の現職市長に破れました。祝杯をあげる準備をしていたところへまさかの落選で相当ショックだったようです。この辺の事情は編集長が詳しいです。(ホームページに書いてありました。)

そして前宣伝が派手だったジャンボ築地。築地の場外市場みたいなのが来るのかと期待したのですが、店のコンセプトとかいうものを間違えたようであえなく撤退。

テナント募集中、と告げる張り紙が幽霊屋敷の立て看板のようにみえます。

このビルからそう遠くない所に、編集長のいう100億円の駐輪場があります。整然として実に立派な駐輪場です。1年間使って、学生なら3000円、一般なら4000円の筈です。さすがは日本一裕福と言われた金持ち市です。採算は度外視して住民のために使わせて下さる。住んでて良かった。

2000年7月10日(月) ただの晴れ。

社長に耳打ちされました。経理部長の名前はカモシダさんだそうです。鹿ではなく鴨でした。

一応謝っておきなさい、と言うので、一応で済むことなら二応でも三応でもと謝っておきました。

謝っているうちに昔話の花が咲いてしまいました。鴨ねぎ話です。ひまな会社です。

部長曰く、ねぎは嫌いではないが、自ら求めたりはしないとのこと。

子どもの頃畑仕事の手伝いをして収穫したねぎを山のように背負って家まで運んだものらしい。ある日余りの重さによたよたとしているところへ好きだった女の子が出くわし、目が合った瞬間女の子がプッと吹きだして駆け去った。以来、ねぎは向こうからやってくれば食すが、自ら出向きたくないという。

そうか。悟りきったような顔してても、まだ虎と馬を飼っているのですな。秘書もミニチュアだが虎と馬を飼っています。たいていの人が飼っているようです。

友だちのヨシコちゃんと、この話をした時はおかしかった。ヨシコちゃんは虎馬という馬だと思っていました。

「虎馬ってどんな馬なの!」

「だからさあ、虎みたいな縞模様のヤツで・・・」

「そりゃ縞馬でしょ!」

2000年7月9日(日) 晴れ、夕立ち。

激動の1週間が過ぎました。投票日でもないのに耐え難く眠いです。少し昼寝でも、の筈が1日が終わっていました。

2000年7月8日(土) 台風後、晴れ。

台風一家がお通りになられた後は爽やかな青空です。

今日も元気だ空気がうまい、と玄関脇の銀杏の木の下で深呼吸していたら、守衛のおじさんがニコニコやって来ました。

「台風凄かったねー。」

と言われても、寝てる間に通り過ぎてくれたので実感がありません。おじさんは昨日も会社に泊まったそうです。雨漏りが心配だったというが、ホントかな。(確かに安普請だけど)

夜見回りをしたら、編集長の部屋に灯りがついていたので、覗いたそうだ。恐い顔した編集長がキッと振り返って、「見たな~」と睨んだ。おじさんドキッとして「見てません!」と叫んだ。

すると編集長、「あっ、そっ。面白いもの見せてあげる。」と手招きしたそうな。

なんでも編集長はビデオムービーとやらの編集をしてたらしい。おじさんが第1号の観客。

面白かったの、と聞いたら、男ばっかり出て来るのはどうもねー、と笑っていました。昔おじさんは青い色した映画が好きだったらしい。

2000年7月7日(金) 曇り後、台風。

七夕。牽牛氏と織女嬢の年に一度のデートだというのに、台風がおいでになります。この二人、よほど行ないが悪かったに違いないです。秘書には晴れた七夕の記憶がありません。特異日です。

同居人がお出かけです。どこへ、と聞いたら、七夕に、と答えます。中止でしょ、と言えば、室内だから、と。一体どこの七夕だ。

つまりバーに行く、といいます。

あろうことか、お金貸して、ですと。そんな金ないわい、といったらあっさり引き下がりました。一呼吸おいて、ふと気がつきました。やられた。豚の貯金箱がまっ二つになって、小銭ばかりが散らばっています。前に割れたのをセメダインで着けておいたやつです。力いれるとぐらっとするので心配だったのですが。

お前なんか天の川に流されちまえ、と叫んでも後の七夕、もとい後の祭り。

腹が立つので玄関のチェーンを掛けて寝てしまいました。

2000年7月6日(木) 晴天。夕立ちだった・・・と思う。

うちの牛乳は雪印ではない。三宅島に別荘はない。新大臣に身内はいない。それがどうした。

と、くだを巻いていたら、真面目に仕事をやれ、と横やりを入れられました。

そんなこと言われたって、ずーっと宛名書きです。飽きてしまいました。こんなたくさんの封筒どうするんでしょ。昔読んだ本に、毎日手紙を書くのが仕事だという部長の話がありました。借金の申入書だそうです。無駄なこと、と一蹴されそうですが、中に引っ掛かる人もいたそうです。無論、返済しなかったでしょうな。確か、ヘラ鹿というあだ名の部長だした。貧乏物語という題名でしたかな。

うちの経理部長はカモ鹿さんという名前です。

2000年7月5日(水) 晴天。夕立ちだった・・・

今朝の新聞に、首相に指名されて一礼する森氏の写真が載っていました。両手をついて前方を見たまま腰をかがめていました。

似ています。幸福の蛙です。池の真ん中で踏ん張って背中に子蛙を乗せていました。ついこの間温泉でみたばかりです。児雷也のガマだ、と友だちが叫んでました。写真では背中のあたりに宮沢さんの顔が乗っていました。

副議長を誰にするかでも揉めたようです。民主党から出るのがスジというものらしいのですが、民主党推薦の石井さんを、自民党の野中さんは余り好きではなかったようで、御破算になってしまいました。昔言われたことを根に持ってるらしいです。結局誰がなったんでしょう。

2000年7月4日(火) ピカピカ晴れ。夕方ドカ降り。

森さんが自前の内閣を作りました。今までのは借り物だったんでサイズが合わなかったらしいです。これでもう口が滑ったり足をとられたりしないでしょう。秘書だって人の靴なんか借りるとけつまずいたり転んだり豆ができたりします。

大臣になられた先生方はあまり嬉しそうではありませんでした。運輸の森田さんは、やったぜい、みたいに全身でニコニコしてましたけど、後は仏様の頂上のお面みたい(?)。

トコロ天だの在庫一掃だの言われるので、軽く見られてはいかん、と勿体つけたんでしょうか。

扇さんにいたっては「貧乏くじ引いた」ことになってます。くじ引きという手もありましたな。当たりくじのない富くじだったりして。

夕方、記録的な大雨がふりました。雨にも意志があって旧弊を洗い流すつもりで降った、わけはありませんが、赤坂あたりは川になったらしいです。大蔵大臣の顔をみたら、不意に半魚どんのことが気になりました。アラファト議長のアップを見た時も、砂漠で半魚人が生きていけるだろうか不安に思いましたが、汚濁した赤坂川でも生きていけないだろう、と思いました。

2000年7月3日(月) ピカピカ晴れ。一時大雨。

幸いなことに伯母さんは持ち直しました。

せっかくなので、昨夜は付いて来てくれたお友達とのんびり温泉につかりました。

世間では、こういう友人を、悪い友と呼ぶらしいのですが、秘書にとっては、とってもいいお友達です。今後も仲良くしなくちゃ。

ところでこんがり日に焼けてしまいました。伯母さんのいる病院が分からなくてグルグル捜しまわったからです。たぶん。

2000年7月2日(日) ピカピカ晴れ。夜中に雷がなった。

長らく入院していた伯母さんが急に容態が悪くなりました。

直ぐ帰ってこいと昨夜実家から連絡が入ったので、秘書は取るものも取りあえず田舎に帰ります。

喪服は実家にあるので、着替えを鞄につめて・・そうそう時刻表と地図も忘れずに。日射しが強そうだからクリームを多めに持って行こう。傘とカメラも入れなくちゃ。

2000年7月1日(土) ピカピカ晴れ。

あちいでよ、と言ったら、編集長に怒られました。

我が社にはクーラーがありません。編集方針なのだそうです(?)。

編集長いわく、暑いと言ったことを怒ったのではない。その訳の分からん日本語をなんとかせいと言っているのだ。

そう言われたって脳味噌もとろける暑さだい。巷の人間はプールとかに避難しているぞ。何が楽しくてパソコンなんかいじってるんだい。

と言うわけで秘書は避暑に行くことにしました。うふふ。1泊です。同居人には一生行ってろといわれました。お土産を買うのは勿体ないので、会社のみんなには内緒です。伯母さんが一人危篤になる予定です。


お帰りはこちらです。

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