『読売新聞・日本テレビ グループ研究』(3-5)

第三章 ―「過去」 5

―読売新聞のルーツは文学の香りに満ちて―

電網木村書店 Web無料公開 2008.5.2

財閥による買収、全員解雇

 陸軍は去った。そして、そのあとに財閥が現われた。本野家は、これらの争議のあと、工業倶楽部の財界人による匿名組合に、読売新聞を売り渡すのである。新社長には、元東京朝日新聞編集局長の、松山忠二郎がきまっていた。

 青野の友人の記者は、この状況をくわしく報告してくれる。

 「手廻しがいいじゃないか。A新聞の前主筆のあのKという『名士』が主筆で乗込んで来ることに、ほぼ確定しているそうだよ。Kは札つきの財閥の御用記者で、社員の酷使と、専断と、買収で『名士』になっているんだからね。こんどこそ、僕等はヒドイ目を見るだろうって、今からみんな縮み上っているよ。何でもこれは進藤の奴の口から出たってことだが、Kがやって来たら早速、こないだのストライキの加盟者と、凱旋行列の油虫組をキレイさっぱり掃き出すことに定っているというんだ」(『一九一九年』一二七頁)

 この結果を、『八十年史』は、「この変転に際し、読売調が深く身にしみていた古い社員の多くは離散していった」(同書二三八頁)と表現する。これだと、いかにも牧歌的な別れのようにみえる。

 『百年史』では、若干くわしくなる。

 「三階の本野子爵の油絵のかかった広間に集まった社員は、石黒から『手をつくしたが一応社は解散する。軽少だが手当にできるだけのことをした』とのあいさつを受けて、給料一か月分と三か月分ほどの退職金を渡されて、本野家経営の読売との別れとなった」(同書二七二頁)

 要するに、いったんは「全員解雇」なのであった。労働契約自体が、まだあいまいな時代であるから、そのあとで、再雇用されるか否かは新社長のオボシメシ次第であった。

 上司小剣の筆は、ここにいたって、さらに突き放した平静さをたたえる。

 「U社が次ぎの持主へ、本野家の後室と若年の若主人とから売り渡された時、丁度妓楼の売買に際する遊女の地位に在るような社員たちが、だいぶ騒いだそうだが、作者はもう罷めたつもりで、出社しなかったので、何も知らぬ。騒ぎのあったという翌日、馴染の深い銀座一丁目の角屋敷の三階に、『前U社残務取扱室』の札を貼った扉(ドア)をノックし、旧理事石黒から退職手当を貰った」(『U新聞社年代記』二二四頁)

 小剣は、ついでに文芸部ものぞくが、「周囲には知った顔と知らぬ顔との交錯」(同前三五頁)という状況であった。

 青野や市川は、もちろん、再雇用のあてのない組に属していた。

 解雇された時の青野らには、わずかな退職金以外に何のたくわえもなかった。青野は、「その後私は、やはりサラリーマンとしての生活を送らざるを得なかった」(『サラリーマン恐怖時代』二一頁)と記しているが、事実、青野と市川は、また、国際通信社の記者となったのである。

 国際通信社は、一九一四(大正三)年に、明治財界の巨頭、渋沢栄一が中心となって創立したものである。当然、この会社としても、青野や市川に、将来のプロレタリア文学運動なり日本共産党なりの理論的指導者の資質を見越してやとったわけではない。読売新聞での陸軍乗りこみに対する、「不平分子」程度にしか見ていなかったに相違ない。そして事実、当時は二人とも、それ以上の意識なり理論を持ち合せていたわけではなかった。

 青野の追想によると、「進んで堺さんたちの中にはいって社会運動をする、ということも考えない。市川は市川で、これもボンヤリしてるんだ。……(略)……その時分にスタンダールの『赤と黒』を読んでいた。あれはフランス語もできるんだ」(『文芸』一九五五年二月号、一七〇頁)というのである。

 しかし、ひとたび資本の無慈悲なヤイバに傷つけられたものは、体内に発酵する新しい力を感じざるをえない。その意味では、読売新聞を買い取った財界の匿名組合の処遇の仕方が、青野や市川のその後の運命を決めたのである。

 市川正一は、日本共産党中央委員となり、コミンテルン第六回大会に代表派遣され、一九二九(昭和四)年の四・一六事件で一斉検挙にかかり、獄中一六年、敗戦直前に宮城刑務所で没した。その公判廷での陳述は、そのまま『日本共産党闘争小史』として残され、古典となっている。

 推理作家として著名な三好徹は、やはり元読売新聞記者であるが、異色作『日本の赤い星』の中で市川正一を描いている。

 紙もペンもあたえられない獄中で、ひとり脳裡にまとめた文章が、公判廷、それも中国大陸への侵略の歩をすすめつつある大日本帝国の、うす暗い刑事法廷で、たんたんと語られるさまは、いかばかりであったろうか。これぞ、真の“記者魂”ではなかったろうか。

 同じころ、正力社長の読売新聞従軍記者には、“読売魂”なるものが強制されていたのであった。


(第3章6)中興の夢やぶる関東大震災