『読売新聞・日本テレビ グループ研究』(0-2)

序章 ―「体質」「体質」 2

―江川問題で表面化したオール読売タカ派路線―

電網木村書店 Web無料公開 2008.4.25

元CIA工作員の証言

 「CIAめぐる戦後の疑惑、故正力社主は無関係、ニューヨーク・タイムズ再び訂正」

 読売新聞の、一九七六(昭和五一)年七月一日付朝刊、三面左上隅に三段ぬき大見出しの記事がのった。全体で、横一七行、縦九段もの長文の記事である。読売新聞の社主だった故正力松太郎については、第四章「暗雲」でくわしく紹介する。ここでは、CIAと関係する戦後までの略歴をみておこう。

 東京帝国大学独法科卒、高文合格、警視庁警部、警視、日本橋堀留署長、神楽坂署長、刑事課長、官房主事、警務部長、読売新聞社長、内閣情報局参与、貴族院勅選議員、内閣顧問、そして敗戦とともに、A級戦犯として一九四五(昭和二〇)年一二月一二日、巣鴨プリズンに収監さる。

 「マッカーサー元帥総司令部は、正力に関する記録を調査した結果、いまさらのように愕然とした。そして戦犯容疑者として彼を逮捕する命令を発した」(『ニッポン日記』二三頁)

 巣鴨からの釈放は一九四七(昭和一三)年九月一日だが、日本テレビの『25年』で「容疑が晴れて」(同書五頁)などと書くのはおかしい。戦犯そのものの認定は、いささかも変っておらず、その証拠に、四年後の八月六日まで正力は、公職追放の身であった。ちなみに、戦犯の釈放と追放の解除は、『百年史』でも、こう評価されている。

 「かれらは『戦犯・追放』という肩書を一つ増やし、胸を張って“社会復帰”したのであった。このことは軍国主義者、超国家主義者としての個人の復権ばかりでなく、その思想内容の復権も意味するもので、逆コースの風潮の芽生えとなった」(同書六九六頁)

 この評価は、当然、みずからの故社主に対しても、同じでなければならない。

 さて、話は戻って日本テレビでも、報道局長名いりの一文が『社報日本テレビ』一九七六年八月一〇日号に四ぺージにわたってかかげられた。題名は、「ニューヨーク・タイムズが謝罪、訂正消滅した故正力会長へのCIA工作資金誤報記事」となっている。これには、ニューヨーク・タイムズの写真版ものっており、「THE NEW YORKTIMES」の横一杯の題字の真下に、黒い太枠で囲まれて「CORRECTION」(訂正)の小見出しつき、ベタ二○行の記事が見える。

図3点 ニューヨーク・タイムズ写真版

ニューヨーク・タイムズ写真版

 ところが、この写真が技術的にはありえないほどにボケており、肝心の記事内容が読みとれないのである。そこでニューヨーク・タイムズの実物をさがし出してみたら、これはおどろいた。まず、題字の真下には、くだんの記事がなかったのである。あった場所は、なんと三九ページ目の、しかも一番下でカコミもついていなかった。つまり、問題の写真は記事を切り抜いてカコみをつけ、題字の下にはめこんで、いかにもトップ記事であるかのようにみせかけたシロモノだったのである。

 そこまでは、まだ弁解の余地がある。題字と記事を一緒に写したかったのだとか、注目させるためにカコミをつけたのだとか一応の理屈が立つ。問題はなぜか、ボケて読みとれなかった記事内容である。短いものなので、全文をできるだけ直訳の形で訳出してみよう。

訂正

 一九七六年四月二日付、ニューヨーク・タイムズの記事は、元CIA工作員(複数)の言によると、戦後の早い時期にCIAの恩恵(複数)を受けた人物として、日本のマスコミ経営者で閣僚だった故正力松太郎が挙げられると記した。この情報が元CIA工作員(複数)から出たことは確かだが、タイムズによるその後の調査の結果、それらの情報源のだれひとりとして、ニューヨーク・タイムズの編集者の考えからすると、先の記事がつくり出した印象を正当化するような、充分で精密な細部までを示すことができない、と結論するにいたった」(同紙一九七六年六月三〇日付、三九頁)

 つづいて、最初の記事の問題の部分をも訳出しておこう。

 「CIAは、一九五〇年代からロッキード汚職を知っていた、と語った(一面トップ、横二段大見出し―筆者)

 ……(略)……元CIA工作員(複数)の言によると、この他に、戦後の早い時期にCIAの恩恵(複数)を受けた人物として挙げられるのは、強力な読売新聞の社主であり、一時期は日本テレビ放送網社長、第二次岸内閣の原子力委員会議長、科学技術庁長官となったマッテロ・ショーリキである」 (同前一九七六年四月二日付、四四頁)

 この記事では、児玉、岸のあとに、正力の名が出てくるが、松太郎(MATUTARO)ではなくてマツテロ(MATUTERO)になっており、「故」に当る単語はない。つまり、あまり重視されておらず、調査も不充分なものであることはたしかであり、この部分の記事量は、ベタ二二行である。

 これだけの小さな記事ではあるが、これも朝読戦争の最中に出され、朝日のトップ記事に含まれたため、大騒ぎとなった。関係者の言によれば、ニューヨーク・タイムズの方では、全く軽く扱った記事とのこと。読売新聞と日本テレビが、ヤィノヤイノと抗議文を何度も送りつけるやら、弁護士を使うやらのさわぎ方だったので、何度もつっぱねた挙句、しぶしぶ訂正記事を出したもの、ということらしい。

 そして、肝心の問題だが、ニューヨーク・タイムズの「訂正」記事なるものは、「元CIA工作員(複数)の言」そのものは、まったく否定していないのである。むしろ、出所は「確か」(DID COME)と強調さえしており、「謝罪」に類する単語はひとつもないのである。しかるに、日本テレビ報道局長常盤恭一名による一文は、「こうして六月一〇日、同紙の謝罪文と訂正記事という結果をみたのでした」(『社報日本テレビ』一九七六年八月一〇日号、五頁)などと、麗々しく記しているのである。そして、仕事では最高度の写真技術を駆使しているところが、文字のよみとれない写真版を掲げているというのでは、その意図をうたがわれても仕方ないであろう。


(序章3)戦後読売争議とGHQ