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シエラレオネ―――忘れられた内戦―――

担当:佐藤陽介  2002年1月11日

1. シエラレオネという国
面積:7万7140km2
人口:494万9000人(1999年)
首都:フリータウン
民族:メンデ人、テムネ人、リンバ人とクレオール(白人と黒人の混血)
言語:公用語は英語。他にメンデ語、テムネ語、リンバ語など
宗教:伝統宗教45%、イスラム教30%、キリスト教25%
資源:ダイヤモンド、金、鉄鉱石、ボーキサイト、チタン、ヤシ油、カカオ豆、コーヒー
政治:共和制 大統領制首相なし 一院制 憲法を1978年6月に制定85、89、90、91年一部改正
一人あたり国民総生産:130ドル(1999年)
産業:最大の産業はダイヤモンドの生産
99年の輸出はダイヤモンドなど629万ドル、輸入は機械など8527万ドル

2.歴史
・1460年にポルトガル人が上陸
このとき海岸付近にはテムネ人が住んでいた。ポルトガル人はこの地域から象牙、木材などをヨロッパに輸出した。また奴隷貿易も行われた。
・16世紀中頃、 現在のリベリア付近からメンデ人が移住
この地域に4つのメンデ族国家を建設した
・17世紀頃までには英国商人の力が強くなった
・1792年、約1100人の解放奴隷がシエラレオネの現在の首都フリータウンに移住
・1808年以後
50年間で約5万人の解放奴隷が移住してくると、英国はシエラレオネの統治を強め、フランスの植民地拡大を意識して内陸部を保護領化した。
・1961年イギリスから独立
解放奴隷の子孫であるクレオロは、先住民によって政治活動から締め出される形となっていた。

3.平均寿命が最も短い国
平均寿命は、男:32.95歳、女:35.90歳(1995年)である。
ここでユニセフによるシエラレオネの統計をインドと比較しながら見てみよう。

指標 シエラレオネ インド
一人あたりGNP  130ドル(99) 450ドル(99)
年間の人口増加率 1.8%(90-99) 1.8%(90-99)
平均寿命 39年(99)  63年(99)
1歳未満児死亡率  1000人中182人(99) 1000人中70人(99)
5歳未満児死亡率 1000人中316人(99) 1000人中98人(99)
合計特殊出生率 5.9人(99) 3人(99)
改善された水源の利用率 28%(99) 88%(99)
成人識字率 男性45%女性18%(95-99)  男性71%女性44%(95-99)

4.内戦への過程
4−1 解放奴隷クレオールとシエラレオネ
16世紀後半にはイギリスの奴隷商人がシエラレオネに来る。しかし18世紀末にイギリスの奴隷解放論者が奴隷解放を開始し、1787年に解放奴隷をシエラレオネに入植させた。大西洋で開放された奴隷はクレオールと呼ばれた。
イギリスはこの地を西アフリカ植民地政策の拠点とした。1827年にイギリスは後に国立シエラレオネ大学となる学校を創立。ここでクレオールは学び、官吏や企業家などとしてアフリカ各地のリーダーとなった。またクレオールはキリスト教に改宗した。
第一次大戦後クレオールを主導者として民族独立運動が起こり、1961年に独立を勝ち取ったが、その後40年間、国内の民族間の紛争という悲劇が続くことになる。

4−2 三集団の対立構造
*クレオール
地域:首都フリータウン周辺
宗教:キリスト教
組織:シエラレオネ植民地国民会議(NCCSL)
特徴:少数派、エリート階層

*テムネ人
地域:北部
宗教:イスラム教
組織:全人民会議(APC)
特徴:メンデ人とともに国内を二分

* メンデ人
地域:南部
宗教:土着の宗教
組織:シエラレオネ人民党(SLPP)

4−3 内戦の流れ
第一次大戦後 クレオールが主導者となり民族独立運動が起き、シエラレオネ植民地国民会議(NCCSL)を結成。
1951年   総選挙でメンデ人のシエラレオネ人民党(SLPP)がNCCSLを破り勝利。
        57年でも大勝し、M.マルガイが首相に。
1961年   イギリスから独立。初代大統領はメンデ人のマルガイ。
1967年   総選挙でテムネ人とクレオールが組んだ野党APCが僅差で勝利。
                しかし軍のクーデターにより与野党の指導者は海外へ亡命。
1968年   軍内部のクーデターにより民政復帰。APCとSLPPの連立政権が成立したが分裂。
1971年   共和制に移行。APCのスティーブンズが大統領に就任。
1978年   新憲法でAPCの一党制国家となる。
                しかし82年の一党制になって最初の選挙では不正が多かったため暴動が多発した。
                85年には政府職員のストライキや学生の暴動まで起きる。
1985年   軍指揮者モモがAPCの後継者として選挙で大統領に就任。
1990年〜   民主化運動の高まり
1992年   軍事クーデター発生。モモ大統領はギニアに亡命。
                ストラッサー大尉が暫定政府議長に。
                このころ東部でサンコー率いる反政府勢力の革命統一戦線(RUF)が台頭。
1996年 1月 ビオ准将による無血クーデターが成功し、総選挙でSlPPが勝利。
           2月 カバーが大統領に就任。
         11月 カバーはRUFのサンコーと和平合意を結ぶ。
1997年 5月 RUFの支援を受けた国境警備隊らによるクーデターでカバ大統領失脚。
                 国軍のコロマ少佐が国家元首に就任。サンコーは暫定軍事政権の副議長に。
         10月 コロマ軍政とナイジェリア軍を中心とした西アフリカ諸国平和維持軍(ECOMOG)や
                  国連の介入及び武力攻撃によりサンコーは投獄される。
         11月 国連安保理事会は軍事政権を認めず制裁措置(兵器燃料の禁輸)を決定。
1998年 2月 ECOMOGがフリータウンを急襲、コロマ少将の軍事政権を追放。コロマ少将率いるAFRCは、野に潜伏した。
           3月 カバ大統領は国民に迎えられ大統領に復帰。
                  RUFはダイヤモンドの産地である東部を支配。反政府ゲリラ活動を開始。
1999年 1月 RUFはフリータウンに浸入、政府軍との戦闘で町は廃墟になる。死者5000人。
           5月 政府軍とRUFは停戦合意。サンコーは開放される。その後トーゴのロメで和平協定成立。
1999年11月 和平協定の履行状況を監視のため国連軍が進駐したが、RUFは歓迎せず。
                  ECOMOGがフリータウン郊外でRUFに襲撃される。
2000年 2月 RUFの市民に対する残虐行為が国連軍により報道され、人権侵害問題が国際世論を起こす。
                  国連安保理が国連軍を6000人から1万1100人に増強することを承認。
           5月 国連軍、東部にて襲撃され約500名がRUFの捕虜に。テーラー大統領の仲介で同月末までに全員解放。
                  英国は国連軍協力支援の一環として、シエラレオネの民主主義政権に軍事支援を表明。
                  1000名の落下傘部隊を派遣。国連軍の戦力は一挙に増強された。
                  インド軍等他の国連軍も、政府軍の活動を後方支援。
2000年 6月 英国軍は、軍事指導者等300名を残し、帰国。
           9月 国連安保理が国連軍を1万3000人から2万500人に増強することを合意。
                  しかし同年末インドが全兵力3000人を撤退させ、2万人への拡大は困難に。

5.対立勢力

・政府と平和維持軍
カバ政権―国民投票で選ばれた民主政権で、シエラレオネの国家政府として国連、アフリカ統一機構も承認。ナイジェリアやギニアが支援。支配地域はフリータウン周辺のみで地方に勢力が及ばない。支持層は首都のエリート階級。しかし地方の貧困層の支持を得られないため、内戦の終結と国の民主化は難しい。

軍隊―――2000年5月の各集団の状況(BBCによる)
政府軍―3000名
  装備訓練不足

AFRC・Kamajor―15000名
  共に親政府の私的軍事勢力
  AFRCはコロマ少将が率いる
  Kamajorは南東部の狩猟民の部族の私兵 1998年にはAFRCと戦うなど終始親政府

西アフリカ機構平和維持軍(ECOMOG)・国連軍(インド軍、ウガンダ軍など)―8900名
  ECOMOGはナイジェリアが主導 寄せ集めであり軍事訓練も乏しく装備は弱体

イギリス軍―1000名ただし内戦沈静により6月に700名が帰国
  イギリス軍なしには軍事力の強いRUFに太刀打ちできない

・革命統一戦線(RUF)
指導者はサンコー。彼は元政府軍の伍長であったが1991年に反政府勢力RUFを創設
隣国のリベリア内戦時に、テイラー氏(現リベリア大統領)率いるリベリア国民愛国戦線と同盟し、以後密接な関係にある
RUFはダイヤモンドをリベリアを経由してベルギーのダイヤモンド市場に流しているといわれる。その代わりリベリア国民愛国戦線からは武器提供を受ける。豊富なダイヤモンドの売却代金により、自動小銃、地対空ミサイルや対戦車ロケットなどを含む装備が進んでいる。
RUFを中心とした反政府軍は約20000名。そのうち半分は誘拐または強制徴募の少年兵とされる。

6.和平協定とその後
・ロメ協定――平和への代償――(99年5月)
反政府勢力は武器を捨てる代わりに、連立内閣の4閣僚ポストを獲得
政府は反政府勢力に全面的な特赦を与え、連立を受け入れる。RUFメンバーの訴追はしない。
「内戦の当事者双方が、手付金を払ったこのチャンスを見逃してはならない。(国連オケロ特別代表)」

・特別法廷設置の決議案採択――国連安保理 2000年8月――
ロメ協定で合意された原則は適用されない。サンコーが人道に対する罪で訴追されることは確実に。

・停戦合意――アブジャ 2000年11月
シエラレオネ政府とRUFの新たな合意。これにより平和維持軍の全面展開開始。

7.内戦の背景
シエラレオネはもともと鉱物資源が豊富で豊かになりうる国。しかし政府は国民の生活向上のために資源を利用する政策を取ってこなかった。今、シエラレオネ国民の生活水準は世界最低レヴェル。ダイヤモンドの利益はすべて戦争にまわされ、恩恵は国民に全くない。貧困にあえぐ国民、特に将来に希望をもてない若者は反政府勢力を支持し、内戦は泥沼化。しかし内戦の長引く原因はダイヤモンドの利益が戦争に使われていることにある。その意味でシエラレオネ内戦はダイヤモンドの大消費地先進国、そして日本と密接に関係しているといえる。

8.血塗られたダイヤ
シエラレオネのダイヤ産出量は世界第10位であるが、その品質は非常によくまた、採掘も容易である。そのため伝統的に非合法な採掘と密輸が横行し、現在ほぼ百%が密輸されている。

RUFは隣国リベリアでゲリラの特訓を受け、リベリアから武器の提供を受ける
               give and take
リベリアはシエラレオネのダイヤモンドを独占して買い上げ、
世界のマーケットに向けてそれを売却、大きな財源とする

*紛争ダイヤの追放への動き
2000年7月 国連安保理・・・RUFの支配地域から産出されるダイヤの取り引きを全面禁止
      シエラレオネ・・・全面輸出禁止処置 → 12月、産地証明書完成により輸出再開
2001年1月 国連安保理・・・リベリア産ダイヤの輸出禁止
紛争ダイヤを一掃するための国際会議 2001年4月ベルギー、7月モスクワ
世界38カ国・機関が参加
年内をめどにダイヤの国際認証制度を設立する方針
原産地証明のほか、輸出入国間の確認書や対象商品の写真の交換などにおいて国際基準を作る予定
認証制度に拘束力や罰則を設けるかどうかが対立要素 

9.難民
シエラレオネは世界の8大難民流出国のひとつ
1991年から何万人もの人々が戦乱を避け国外へ避難
計36万人が国外に避難 (ギニアに24万人、リベリアに12万人)
難民受け入れ リベリアから1万7000人

*困難な難民支援
シエラレオネ国内の治安状態がよくないため、UNHCRは首都フリータウン近くの難民キャンプ周辺で暮らす4700人だけしか援助できていない。それ以外の難民は、戦闘地帯で暮らしている。
* 世界で3番目の難民流出国リベリア
1985年から、国内の内戦のため約75万人が国外へ流出 (ギニアに41万人、コートジボワールに30万5000人)
シエラレオネからの難民は、国境付近か首都モロンビアで暮らす。しかしリベリア西部は治安が悪いため3万人は外部から隔絶している。

<UNHCR資料>
2000年のシエラレオネ難民<UNHCR>
・難民の数  40万1800人  主な難民受入国・・・ギニア、リベリア
・難民の帰還数  4万900人
・国内避難民の数  30万人
 2000年中に元の居住地に戻った人の数  20万人

10.内戦の恐怖
反政府勢力の兵士は、人々を恐怖に陥れ政府を脅すために、何千人もの罪のない一般市民の手足を無差別に切り落とした・・・

アブドル・サンコー(28歳)
  1991年1月に反政府勢力が首都フリータウンを攻撃し、市街地がほぼ制圧されると彼は森へ逃げ込んだが、数日後にマンゴーを探している時に捕らえられた。食料運搬係をすると申し出たが、見覚えのあるゲリラ兵に、教師で裏切り者だと糾弾された。ゲリラは村を焼き払い、彼を告発したゲリラ兵がサンコーの家から斧を持ち出して彼を地面にねじ伏せ、右手を切り落とした。次に左手を切断し、意識を失って倒れておる間に口の周辺を切り、耳の一部を切り取った。そして他の多くの犠牲者に言い捨てたように「(カバー)大統領のところへ行け。大統領がおまえの手を取り返してくれるぞ。」と嘲り笑った。
  出欠がひどかったが、サンコーは安全な場所を求めて歩きつづけた。シエラレオネ文民政府と周辺諸国のために反政府勢力と戦っている西アフリカ平和維持軍(ECOMOG)の兵士に撃たれて殺されそうになったりもしたが、最後には妻と子ども二人とともにフリータウンにたどり着き、キャンプにいる何百人のも子どもたちのための学校設立に力を貸した。

 

 

アリー・K
 1998年5月、セレコリア村が反政府勢力ゲリラに襲撃され、ゲリラは村中の家を焼き払った。アリーは隣村の少年と一緒に鎖でつながれて、森の中へ連れて行かれた。ほどなくゲリラはアリーの左手を切り落とす。「三人がかりだった。一人が銃を突きつけ、後の婦たちが切った。」切り株の上にすえつけられたアリーの左手に四回もなたが振り下ろされ、手はわずかしな肉片と皮だけでつながるまでになった。その後右手も一回切りつけられ、友人といっしょにむちで追い払われた。そのとき文民政府を支えるナイジェリア軍宛の闘争の理由が書かれているであろう手紙を渡された。
 森の中を必死で逃げる間、傷口の出血は止まらなかった。包帯などあるはずがない。最後にはちぎれかけた左手をもぎ取り、林の中へ捨てた。「逃げながら(落ちそうな手を)押さえていられなかった。」その後ようやく家族と再会し、庇護を求めて隣国のギニアまで歩いていった。傷の手当てができたのは、そこの病院にたどり着いてからだった。

 

ロンドンの環境・人権保護団体「グローバル・ウィットネス」のアレックス・ヤースリー氏は、「手足を切断された市民たちは、米の収穫作業ができなくなり、食糧をRUFに頼るようになる。シエラレオネ国軍も食糧の道を絶たれ、国全体が飢餓のために不安定化する。RUFはそれを狙っているのです。」と説明する。

社会復帰
 フリータウンの郊外の村、カサブランカに「手足を切断された人と戦争負傷者のキャンプ」という施設がある。ここでは1800人を超える犠牲者と家族が暮らしている。ここのある家のベランダでは片腕の男たちが床屋になる訓練を受けている。また国内で唯一という義手や義足を生産する小さな工場もある。少なくとも2000人が義手・義足を持っている。(アブドル・サンコーはこのキャンプにある学校の校長)

「手足を失った者の苦悩は、目に見えるシエラレオネの苦しみです。」
「この国の女性たちに、目に見えない残虐行為が計画されました。それは女性や少女を拉致してレイプ、集団レイプを行い、一部を殺人マシーンに仕立て上げることで、シエラレオネの女性を服従させるという周到な作戦でした。犯罪行為を裁くときは、この隠された苦しみを絶対に忘れてはなりません。」
(シエラレオネのNGOの委員長)

進まない難民帰還
 ロメで平和協定が結ばれた後、UNHCRは平和回復に伴い2000年末にギニア、リベリア、ガンビアにいる難民約17万人が帰国すると予測し、難民の帰還と再定着を支援する計画を立てた。
しかし・・・実現しなかった。
 国内では、強盗やレイプが横行
 人道機関の活動を阻む立ち入り禁止区域が数多く残る
 ゲリラの武装解除は断続的 武器と引き換えの報奨金の支払いが完全でない 
報復を恐れ元ゲリラが武器を手放そうとしない

11.子ども――最大の内戦の犠牲者――
反政府ゲリラは子どもを誘拐したり強制的に徴募して、子どもを兵士に仕立てあげた。
大多数の子どもの兵士は一般市民を殺害した経験がある。
ゲリラは、若い兵士に入隊の儀式として、時には両親を殺害し、隣人の手足を切断するように強要した。
故郷の村がわかっていても、村人に合わせる顔がなくてセンターに戻ってくる子どもが多い。
恐怖心を抱かないようにするため、ゲリラは子どもの兵士に麻薬を与えた。そのため元子ども兵は、多くが麻薬中毒者である。
元少年兵は難民キャンプでも隠れて住まなければならないことがある。過去に殺した人の友人や家族がキャンプで暮らしているからだ。そんな人に出会うようなことがあれば、彼らの身は危険にさらされる。
そういった子どもたちの心の傷が癒えるのにはながい時間がかかる。

12.ギニアの苦悩――忘れられた国――
ギニアはアフリカで最も不安定な地域の中心に位置する。長年の内戦で荒廃した隣国、シエラレオネとリベリアから、何十万という人が安全な場所を求めてやってきた。
現在、ギニアは最貧国のひとつであるが、アフリカ最大の難民受入国である。シエラレオネとリベリアを中心とした国から、48万9000人の難民を受け入れている。

100キロにわたり国境に沿って国道が走っているが、その100キロに地元民の村と難民キャンプが混在
古参の難民と新しい難民
首都に住む難民もいる

忘れられた国
ギニアの事業は、多くの資金拠出国から「魅力的」だとみなされないために、他の地域に比べ援助の手が差し伸べられない。そのため常に活動資金の調達は困難で、経費の削減を迫られる。
ギニア国民の不満
多くの難民のために国内の限られた資源・財源が圧迫され、環境は悪化、国の安全は脅かされる。700万人のギニア国民は、自分たちには援助金が割り振られず、滞在者ばかりに割り振られることに不満。

難民帰還のための資金が、攻撃を受けやすい国境付近の難民キャンプを安全な場所に移動させるのに消えてしまう。しかしキャンプの移動は難民を疲れさせてしまう。

 

・参考ホームページ

http://www.w-digest.com/mm/mm0002/bk/000029.html (内戦の過程)
http://www.asahi-net.or.jp/~cn2k-oosg/sierra01.html  (内戦の過程・構図)
http://www.sekainenkan.com/2001/1/1_20.htm
 (共同通信社ニュース PKF拘束、ダイヤ規制など)
http://tanakanews.com/A0203diamond.html
 (田中宇の国際ニュース解説 ダイヤモンド)
http://members3.tsukaeru.net/kcn/011114_diamond.htm
 (紛争ダイヤモンド)
http://www.phoenix-c.or.jp/~sakony/gemstry-dia-smg.htm
  (紛争ダイヤモンド)
http://www.aa.tufs.ac.jp/~imajima/atl_4/data_42.html
  (リベリア内戦史)
http://www.sekainenkan.com/2001/3/003_d/D025.htm
 (シエラレオネ概観)
http://www.ide.go.jp/Japanese/Publish/W_trend/wt_0108.html
 (フォトエッセイ)
http://www1.jca.apc.org/vaww-net-japan/vaww-j/ja/tribunal/sierra_leone.htm
 (RUFの被害の証言)
http://www.nakashima.org/meteo_sle.htm (シエラレオネの気候)

UNHCRのホームページ
UNHCRの機関紙『難民』 2000年第3号(118号)「瀬戸際に立つシエラレオネ」

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Last Updated: 2003.02.17

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