チェチェン総合情報

チェチェンニュース Vol.23 No.17(#541) 2023.12.16

「母、アンナ ロシアの真実を暴いたジャーナリストの情熱と人生」

ヴェーラ・ポリトコフスカヤ/サーラ・ジュディチェ著 関口英子/森敦子訳 NHK出版 2023年

 チェチェン戦争については、アンナ・ポリトコフスカヤの本で初めて知ったという人が少なくないと思う。彼女は1999年の第二次チェチェン戦争の始まりから取材を開始し、ロシアの暗部を世界に伝えたすえ、2006年にモスクワで暗殺された。日本でも「チェチェン やめられない戦争」をはじめとする3冊の本が翻訳されている。

 今回出版された「母、アンナ」はアンナの娘、ヴェーラによる回想録である。このような本がイタリア人のジャーナリストとの共著で発行され、世界中で翻訳が進んでいるということ自体、アンナの業績の重要さを物語っている。

 アンナ・ポリトコフスカヤはモスクワ大学のジャーナリズム学科を卒業し、ペレストロイカの精神を吸収しながら、職業人生のスタートを切った。1982年以来「イズヴェスチア」紙などいくつかの新聞社を渡り歩きながら、少しづつ足もとを固めていったアンナは、そのころ二児の親でもあった。子どもたちを寝かしつけた後で打ち始めるタイプライターの音は、ヴェーラにとって「毎晩の子守歌」のようだったといい、その多忙な生活を象徴している。

 この本を読んで、初めて詳しく知ることができたのは、2001年のモスクワ劇場占拠事件(ノルドオスト事件)での、アンナが果たした役割のことだ。チェチェンの若者たちが、劇場で千人近い人質をとって立てこもった事件で、アンナは直接劇場に入って政府当局との仲介役になろうとした。劇場を包囲する治安機関にかけあって、人質のための飲み物を自費で買い、運び込んだという。交渉に向けた努力にもかかわらず、治安機関は劇場に毒ガスを流し込み、多数の犯人ばかりか人質までも殺害したのだが……。

 戦争と、ロシア軍の残虐行為が続くチェチェンからの情報を世界に伝えていたアンナは、2006年の10月、自宅のアパートメントのエレベーターの中で何者かに銃殺されてしまった。それから8年後、ロシアの裁判所は殺害の実行犯として4人のチェチェン人、1人のロシア人警察官に有罪を言い渡すが、ヴェーラを始め、遺族たちはこの判決に納得していない。背後にいて、殺人の命令を下した人物がわからないままに結審したからだ。独立派を屈服させてチェチェンを支配する首長のカディロフは、閣議の最中にも「ポリトコフスカヤを殺害する」と誓っていたし、アンナ自身もそのことを知っていた。だがカディロフは処罰されるどころか、捜査の手が伸びることすらなかった。カディロフはプーチンのお気に入りだからだ。

 時は過ぎ、2022年にロシアがウクライナに侵略を開始したことで、ヴェーラたち遺族の運命も危険にさらされることになった。もともとアンナの家系はウクライナ人である。孫のアンナ・ヴィクトリヤは学校で反ロシア的人物として同級生たちに脅迫され、モスクワ郊外のダーチャ(別荘)は不審火によって全焼。ついにヴェーラはロシアからの出国を決意し、第三国でこの本を書いた。

 「わたしの国においては、自由は少数の人にしか許されない、贅沢品なのだ」とヴェーラは語る。ここにはロシアの人々についての分析も語られている。なぜロシア人はプーチンを支持し、ウクライナ侵略に反対しないのか。政権による強固なメディア支配、貧困、そして抗議者たちへの弾圧。西側の知識人ではなく、ロシア人だからこそ語れる苦渋の言葉の数々がある。そのプーチン独裁の確立につながる最初の一歩が、第二次チェチェン戦争だったことは、もはや言うまでもない。

 一読して、やはりアンナ・ポリトコフスカヤこそソ連邦崩壊後のロシアの姿を強く照射した人物だという思いを強く持った。いま、もっと大きな侵略戦争にのめりこむロシアの実態を知るために、ぜひ多くの人に手にとってもらいたいと思う一冊だ。

 なお、前掲のアンナの著書、「チェチェン やめられない戦争」(NHK出版、2004年)はすでに入手困難になっている。ロシア人のリベラルから見たチェチェン戦争の記録として貴重な本である。ぜひ文庫などに編入して、これからも読み継がれてほしいのだが。

(大富亮/チェチェンニュース)

母、アンナ ロシアの真実を暴いたジャーナリストの情熱と人生
発売日 2023年11月17日

https://www.nhk-book.co.jp/detail/000000819502023.html

目次

プロローグ 哀惜の響き
第一章 「眠らない目」 
第二章 父 
第三章 クーデター
第四章 プーチンの王国
第五章 報道と検閲
第六章 母なら「戦争」と呼んだだろう
第七章 貧しき者たちの戦争
第八章 脱出
第九章 約束
第十章 「こんなこと二度とごめんだわ」
第十一章 モスクワの錯乱者
第十二章 わたしだったかもしれない
第十三章 兄妹、記憶をたぐりよせて
第十四章 プーチンの毒薬
第十五章 幸せはココナッツチョコレート
第十六章 マーティンとファン・ゴッホ
第十七章 襲撃
第十八章 徒労
第十九章 最後の取材
第二十章 自由の国の亡霊
第二十一章 家が燃え、橋が焼け落ちる


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