チェチェン総合情報

9 Nov 2011 チェチェンニュース #374

■「ラムザニスタン」へようこそ

 アメリカのタイム誌に掲載されたチェチェンの話。ジャン・クロード・ヴァン・ダムやSEALなどの芸能人が出席して話題になったカディロフの誕生セレモニーの背景は、どうなっているのかがよくわかる。セレモニーについてはチェチェンニュース#369を参照ください。

http://www.jca.apc.org/tlessoor/chechennews/chn/1114.htm

 この記事を読む前に、最近のグローズヌイの写真を見ていただくと、イメージが沸きやすいかもしれない。旅行者が撮ったらしい写真がたくさん。このページの後半には、廃墟や、そこをなんとか生き抜いているチェチェンの人々の姿もあり、そちらの方が見応えがある。

http://englishrussia.com/2010/09/30/a-trip-to-grozny-chechnya/

 ところで、昔からネットではチェチェンの「首切り画像」というものが飛び交っている。ネットになるまえは、ロシア大使館がそういうビデオテープを、日本のマスコミに配布していた。大使館の意図ははっきりしていて、「テロリズムと誘拐のはびこるチェチェン」の映像教材をばらまくことで、チェチェンへの嫌悪感を煽りつつ、軍事侵攻の正当さをアピールしようとしていた。

 最近のカディロフのやりかたはもっとひどい。あとで少し解説するので、ひとまず記事をお読みください。

「ラムザニスタン」へようこそ

 タイム誌、2011年10月31日

 チェチェンの首都グローズヌイには25万人が住んでいるはずだが、まるでゴーストタウンのようだ。道には人々の姿はなく、自動車も見かけない。「車から降りるには許可が必要です」と係官が言う。そんな街で見かけたのは、一団のオレンジ色の上着をまとった女性たちが、路上を箒がけしてホコリを舞いあげている姿だけだった。街の中心部はバリケードで封鎖されており、屈強な男たちがあらゆるところに配置されている。この街は戦争中なのか、それとも戒厳令下なのだろうか?

 とつぜん沈黙を破って、大きなエンジン音が轟く。「彼だ」という言葉がモスクの庭に居並ぶ人々──部下、護衛、数少ないジャーナリストの間を伝わっていく。まもなく黒いメルセデスの車列が止まる。どの車も窓ガラスは黒い。まるまると太った男が降りてくる。これがチェチェンの指導者、ラムザン・カディロフ(写真)だ。彼の35歳の誕生祝いの始まりだ。

 ロシアの大統領ウラジーミル・プーチンは、5年前にこの人物をチェチェンの大統領に据えた。それ以来カディロフは、ロシア政府が望む「事態の正常化」を体現することになった。1994年から2004年へと続いた、連邦軍と抵抗勢力の、二度のひどい戦争を終わらせるための。

 プーチンとカディロフは、あたかも父子のような関係にある。カディロフの実の父、アフメドは2004年に爆殺され、それ以来プーチンが保護者になった。カディロフはロシアのNTVで、こう語った。「父が生きているとき、どうしても父と自分を比べてしまった。いま、俺のリーダーはプーチンさんだけだ。彼は手本だ。チェチェンでも、彼のようにやりたいと思ってる」

 モスクワから送られてくる復興資金のおかげで、カディロフは破壊されていたグローズヌイを、とても写真写りのよい街に変えることができた。しかもいろいろな新しい物で飾り立てて。リッチな四駆、舗装道路、きれいに刈り揃えられた芝生、ビューティーサロン、寿司レストラン。それらがたち並ぶ「プーチン広場」。

 グロズヌイの建築は無駄遣いの極みだ。2006年から9年にかけて、トルコから建築家や労働者が呼ばれて、イスタンブールのアヤ・ソフィアを模したモスクが建設された。その周囲を5つの摩天楼が取り囲んで、「グローズヌイ・シティ」が構成され、まるでドバイを思わせる。10年前、戦争がピークだった頃は、ミヌートカ広場では人の死体を野犬がくわえていた。いまやグローズヌイは、もうロシアの一地方都市ではなく、架空の国の一大首都になった。「ラムザニスタン」とでも名付けようか。

 どこから来た金で作ったのか? ロシア政府の資金だけなのか? カディロフの答えはこうだ。「アッラーが同じだけの金を授けてくれた。金がどこから来るのか、必ずしも我々は知らなくていい」と。イスラム過激派を力づくで弾圧しつつも、信仰への「熱意」は隠そうとしないカディロフ。この9月に、カディロフは空港から市街への道の両脇にグローズヌイの学生全員を並ばせ、ロールスロイスのコンパーチブルに乗ってパレードをした。手には豪華なカップを抱え、預言者よろしくそこから飲み物を飲むそぶりをする。そのすごいロールスロイスの後ろには、60台もの黒いベンツが続いた。

どこにいても監視される

 グローズヌイは、言ってみればジョージ・オーウェルの「1984年」と「アラビアン・ナイト」を足して二で割ったような街だ。例のモスクの4つのミナレット(尖塔)には、24時間動作する監視カメラがあり、庭園だけでなく街路も写せるように、レールの上に載せられている。まるでカディロフの目のような広角レンズ。カディロフは、政府のすべての決定に深く関わり、それを監視している。復興事業、ズィクル(スーフィーの祈祷儀式)、最新モデルの高級車の購入、女性が何を着るべきかに至るまで。チェチェンでは、7歳になった女の子は常にスカーフを被らなければならない。対照的に、隣のイングーシ共和国ではまったく逆で、むしろ学校でそれを被ることは禁じられている。

 ロシアの他の地方と同じように、この権力体制は、脅迫と腐敗によって守られている。仕事が欲しければ、賄賂を払わなければならない。インタビューに答えた医師のレイラ(以下すべて仮名)は、病院での職を得るために、病院に9,900ドルを支払わなければならなかった。それなのに数ヶ月後、レイラは病院側から「あなたは職にふさわしくない」と伝えられ、解雇されそうになった。理由は「経験が足りず、服装が正しくない」から。彼女は、他にもっと多くの金を支払うつもりの求職者がいるのだと感じた。そして職に留まるために、再び9,900ドルを払わなければならなかった。それは結局、彼女の患者が負担することになったのだが。

 教師のファティマが言うには、すべての教師、学生は、数百ドルづつ「カディロフ基金」に支払わなければならない。ビジネスマンからメイドに至るまで、国中がそうなっている。チェチェンの失業率は高く、ロシア政府の統計でも、59.6パーセントにのぼる。産業もなく、まともな投資もされないこの国で仕事を探すのは簡単なことではない。あるのはサッカースタジアム、空っぽの高級ホテル、建設途上で止まったショッピングモール、そしてモスクくらいだ。

 リズヴァンという青年はこう言う。「僕の家族はカディロフのパレードがあるときに、なるべくカディロフに近いところに陣取ること以外、何も考えていないんだ。パレードの最中に、5000ルーブル(1万3千円ほど)の札をたくさん投げるからね。屈辱的だよ。こんな封建制みたいな社会も、映画のセットみたいな街も、なにもかも嫌だ」と、カディロフの35歳の誕生日を祝うセレモニーの様子を放送するテレビの画面を指差して言う。そこにはコンサートや、アクロバット、レーザー光の照明が輝いている。(そして、ヴァン・ダムらが祝いの言葉を述べる:訳注)

 ビジネスマンのティムールにとっては、大事なのは金だけではない。彼は政府や、ビジネス界にいろいろコネがある。「子どもを一番いい学校に進ませたいし、いい服も着せたい」。彼は日本製の四駆を運転しながらそう言う。恵まれているのとは裏腹に、彼は恐れている。「ここには仕事なんてないのさ。あるのは恐怖だけだ。上のやつらは明日には僕からすべてを取り上げることができる。そうなったら、誰も助けてくれたりしない」

 こういうインタビューは、決して録画したり、記録を残すことはできない。グロズヌイのどこに行っても、人々の恐怖がひしひしと感じられる。取材しようとすると、誰もが前もって同じような警告をする。「あなたが私の名前を記事に書いたら、私は殺されるのよ」と。人々にいつでも恐怖を感じさせるのにもってこいの手段として、携帯電話に配信される残虐なビデオにまさるものはない。カディロフは、暴力による処罰の様子を写したビデオを、部下の荒くれ者たちがネットに流すのを、わざと許している。チェチェンの若者たちは、この種の──虐待や苦痛、冒涜に満ちた野蛮な動画をひんぱんに見ている。

 少数だが、カディロフの監獄から出て生き残った人もいる。オーストリアに逃げたウマール・イスライロフは、自分の経験を積極的に語ろうとした。カディロフはコーカサス全土に広がっているイスラム過激派を敵視しているので、誰かをその協力者とみなすや監獄に閉じ込めて虐待する。イスライロフはヨーロッパ人権裁判所で自分の体験として暴露しようとしたが、そうする前に命が尽きた。2009年の1月、ウィーンで殺害されたのである。オーストリア警察によれば、犯人はカディロフの部下のレチ・ボガチュロフという名前の男で、逮捕状も出たが、男はすぐに姿を消した。今、ボガチュロフはチェチェン内務省の局長になっている。ロシア政府は、オーストリア政府からの引き渡し要求には、一切協力しようとしない。

http://www.time.com/time/world/article/0,8599,2098122,00.html

Welcome to 'Ramzanistan': Under an Ironfisted Ruler, Chechnya Rises Again By Marie Jego / Le Temps / Worldcrunch Monday, Oct. 31, 2011

 これが最近の、残虐映像流出の理由なのだった・・・。実に救いのない話。大使館のビデオと同じように、チェチェンへの嫌悪感を煽って関心を低下させた上、カディロフの場合、ビデオをチェチェン人全員を脅迫する材料にしている。

 一見、一石二鳥だが、近視眼的だ。こんなやり方をしている限り、プーチンのロシア以外の国と付き合っていくことはできず、行き止まりは必ず来る。カディロフ体制は長くは続かないし、また、続かせてはいけないのだと思う。(大富)

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