チェチェン総合情報

チェチェンニュース Vol.06 No.18 2006.09.17

http://www.jca.apc.org/tlessoor/chechennews/chn/0618.htm (HTML版) 発行部数:1541部

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まずは共謀罪のニュースから。これまで二度も廃案になった共謀罪法案が、秋の臨時国会で再び息を吹き返します。どうやら共謀罪推進派はかなり粘着質な方々のようですね。なので、こちらもしつこくねちねち取り上げます。この法案が通ってしまえば、今後の日本は「一寸先は共謀罪」の社会になってしまいます。ゴキブリのようにしぶとい悪法ですが、何度でも繰り返し叩き潰していきましょう。チェチェン人難民の少年、イムラン君の来日手術報告など、チェチェン関連ニュースもお伝えします。(邦枝律/チェチェンニュース)

INDEX

17.Sep 2006 犯罪の錬金術=共謀罪を廃案に!

Alchemy of Crime: Say No to Kyoubouzai

共謀罪を誰にでもわかりやすく伝えられるキャッチフレーズを考えてみました。「犯罪の錬金術」というのはどうでしょう?

今月末から始まる臨時国会で再び継続審議になる共謀罪法案は、(犯罪行為の)無から(犯罪意思の)有を(国家が)生み出してくれるという摩訶不思議な法律です。法務省の国会答弁では、言葉を交わさない黙示の共謀さえ処罰の対象になるとされました。友人の部屋でグラビア雑誌を見ていただけで、強制わいせつ致死罪・強姦致死罪が適用されて3年以上の懲役に・・・なんてこともあるかもしれません(刑務所満杯になっちゃいますけど)。

犯罪の錬金術=共謀罪を廃案にするために、皆さんのアイディアや力を貸してください!議員関係者からは、議員への電話やFAX、メールが効果的だという声が上がっているそうです。文面は短いものでよいので、とにかく反対の意思を表明することが重要です。

Say "NO" to 共謀罪 サイバーアクション
 関係者にメールを一斉送信できます。何度でも送ってあげましょう。
 http://www.greenpeace.or.jp/info/features/civil_liberty/cyberaction/

▼衆議院 法務委員会への電話、FAXはこちらから
 共謀罪ってなんだ?
 http://kyobo.syuriken.jp/

▼衆議院 法務委員会への政党別メールはこちらから
 (メーラーが起動しない場合は、右クリックでプロパティを開いてアドレスをコピーしてください。)
 自民党 公明党(漆原 良夫) 民主党 社民党(保坂 展人) 国民新党(滝 実) 今村 雅弘(無所属) 山口 俊一(無所属)

前回と同様、この法案の鍵を握っているのが民主党です。自民(公明)党支持の方は、自民(公明)党議員に対して「今まで自民(公明)党を応援してきましたが、共謀罪のように危ない法案を通すくらいなら民主党に乗り換えます」、民主党議員に対して「今まで自民(公明)党を支持してきましたが、共謀罪に反対してくれるなら民主党に投票します」と訴えると効果的だと思います。

他の政党はおそらく最後まで反対するでしょうから、ぜひ励ましの声を送ってあげてください。

他にもこんなのやってみたら?というアイディアがあれば、ぜひメールください。賛成議員落選運動なんておもしろそうですよね。今ならまだ共謀罪になりませんよー。

16.Sep 2006 忘却の9.11
Another September 11

9.11から5年、あるいは33年が経った。2001年9月11日のニューヨーク——ハイジャックされた旅客機が米国の中枢を攻撃し、2973名が死亡した。米国は、報復措置としてアフガニスタンとイラクに戦争を仕掛け、2006年9月3日現在までに9.11の死者数を超える2974人以上の米国人が戦死している。

1973年9月11日、チリのサンティアゴ——米国の支援を受けたピノチェト将軍が、選挙によって誕生した初の社会主義政権であるアジェンデ政権をクーデターによって転覆した。以後17年間にわたる軍事独裁政権のもとで犠牲になった人々は、死者と行方不明者、拷問による被害者、現在なお精神治療を必要とする人々を合わせ、100万人をはるかに超える(チリ厚生省調べ)。2つの9.11は、どちらも同じ火曜日だった。

ラテンアメリカの人々が記憶に刻む「もうひとつの9.11」に関しては、東京大学の山崎カヲルさんや、P-nave infoの文章、あるいは益岡賢さんによる翻訳文をぜひ読んで、知っていただきたいと思う。9.11が米国の悲劇としての占有物ではないことを。

 ●もうひとつの9・11(山崎カヲル)
 http://www.hansen-jp.com/217yamazaki.htm

 ●9月11日に思うこと [追加](P-navi info)
 http://0000000000.net/p-navi/info/column/200609112203.htm

 ●チリ 一九六四年〜一九七三年  鎚と鎌が子供の額に焼き印される(益岡賢訳)
 http://www.jca.apc.org/~kmasuoka/persons/kh34.html

・・・チェチェンの話をしよう。ロシアのプーチン大統領は、就任直前のインタビューで「自分が目指すのはチリのピノチェト政権のようなスタイル」というような発言をしている。

ピノチェト時代のチリは「市場経済と強制収容所政策とが分かちがたく結びついている」ことで有名な国だった。「テロ防止」の名のもとに、すさまじい数の市民や芸術家、ジャーナリストが処刑され、強制収容所に送られた。開発独裁といわれた経済発展の「成功」は、その裏側で極度の貧困を生み出すことになる。チリの全人口に占める貧困層の割合は、ピノチェトが権力を握る前の1970年には20%だったが、ピノチェトが米国に捨てられる形で政権を去った1990年には倍の40%になっていた。

ピノチェトへの崇拝を表明したプーチン大統領は、今から考えればひどく正直だったと思う。プーチン政権の推進してきた「テロとの戦い」や経済政策からは、人権という概念は見事に忘れ去られている。

2001年9月11日——それは貧困という暴力によって世界で2万8800人の子どもが殺された日でもある。2万8800人という数は正確なものではない。「ほっとけない 世界のまずしさ」というサイトに、「3秒にひとり、貧困のために子どもが命を落としています」とあったので、それを1日分に計算し直してみただけの数字である。だから百以下の数についてはわからない。もしかすると、千単位の数さえ、違うのかもしれない。

死んでなお、数値としてさえ扱われない子どもたちの命。それは人間の尊厳に対する喩えようもない冒涜だ。けれど、この件に関して各国の指導者たちは沈黙を保っていた。というより、そもそも子どもたちの死がひとつの事件としてメディアに取り上げられることはなかった。もちろん、彼らの死に対する責任追及や、報復、あるいは追悼が行われることもなかった。

9.11を米国の悲劇としての占有物と捉え、もうひとつ、あるいはそれ以上の9.11を忘れてしまう(あるいは知ろうとしない)のは、もうやめよう。モスクワやベスランの事件をロシアの悲劇としてのみ思い起こすのも、もうやめよう。そうしなければ、日本にいる私たちとチェチェン、そして世界の人々とをつなぐ、想像力という細い道さえ失われてしまうから。

14.Sep 2006 イングーシ・チェチェン傀儡政権間で交戦
Chechen, Ingush Security Forces Clash

ロシアのマスコミが伝えるところでは、等しく親ロシアと伝えられるイングーシ共和国国境警備隊(DPS)と「チェチェン共和国」のOMON(民警特別部隊)間の対立は、極に達して、 9月13日には双方が激しい銃撃戦を展開、双方から4名以上の死者と、多数の負傷者を出した。この銃撃戦は、この1週間で2度目とgazeta.ruは伝えている。
http://www.gazeta.ru/2006/09/13/oa_215861.shtml

対立の原因は、傀儡チェチェン共和国のOMONは一般にカディロフツィという呼び名の通り、初代カディロフ傀儡大統領の警備隊長を務めたラムザン・カディロフの私兵集団が、ロシアFSB(連邦保安局)の庇護の元、OMONを名乗りだした。チェチェン国内でも彼らの評判は極めて悪いが、彼らは、イングーシ国内でも、イングーシの治安当局と無関係に、チェチェン人難民に対して、掃討作戦を展開したり、不法連行(誘拐)を繰り返している。

今回の対立は、国境のイングーシ側検問所で、イングーシから、チェチェンに向かうチェチェンOMONの装甲兵員輸送車中に、頭に袋を被せられ、縛られた人々がいることに、イングーシ側国境警備隊が気づき、通過を阻止し、書類提出を求めたところ、チェチェン側がイングーシ側に発砲し、強引に通過を図って激しい銃撃戦となった。

最近、ラムザン・カディロフの立場を悪くするようなロシア報道が目立ってきている。カディロフ部隊員の大量逃亡とその関係者家族のカディロフによる人質事件、「大統領」アルハーノフとの対立etc. [9/14 Chechen Watch]

11.Sep 2006 エコノミスト[世界が知らないチェチェン戦争]
The Weekly Economist:Chechnya - a seacret war

9月11日(月)に発売された雑誌に「世界が知らないチェチェン戦争」(大富亮)が掲載されました。もうあまり残っていないかもしれませんが、本屋でお見かけの際にはぜひお買い求めください。

http://www.mainichi.co.jp/syuppan/economist/

チェチェン周辺の地図も、アゼルバイジャンなど、要望の多かった周辺地名を追加して、更新しています。フリー素材として、ご自由にお使いください。

http://www.jca.apc.org/tlessoor/chechennews/basic/index.htm

11.Sep 2006 イムラン基金活動報告
Thank-you Letter from Imran Fund

2000年にチェチェン戦争で被弾したチェチェン難民の少年イムランの頭蓋骨修復手術を日本で行うため、2006年4月15日より「イムラン基金」として本格的に活動を展開してきました。そして去る7月28日に念願の来日手術成功にまでたどり着くことができました。皆さんへの深い感謝の気持ちと共にイムラン基金の活動報告をしたいと思います。

イムランと私が最初に出会ったのは2004年11月のことで、私がバクーのチェチェン難民子どもセンターを訪問した時でした。その際にイムランの頭部に弾丸の破片が残っていると聞きましたが、特に知的障害も運動障害も残っていないので、この時点では怪我のことには気がつきませんでした。それから数ヵ月後、イムランに手術が必要であると聞き、私の生まれ育った青森県弘前市にある弘前大学医学部附属病院の大熊洋揮教授や現地の国連職員の方々に相談し、日本での手術の可能性を確認したうえで、6月にバクーへと再渡航しました。私はイムランを検査に連れていき、そのデータを大熊教授へ送りました。

イムランの頭蓋骨には4×4.5センチの穴が開いたままでした。これは被弾したときに砕けてしまった骨を手術で取り除き、骨を補修しなかったからなのですが、この部分の脳の脈動する様子が目で確認できるくらい皮膚も薄くなっていました。障害は残っていなくても、この欠損部を放って置いて何らかの衝撃が頭に加わると万が一の事態に陥りかねません。

日本で手術を!と思う反面、私は募金活動を日本で展開することの重みを感じていました。イムランを助けたいなら自分の力でなんとかすればいいのですし、募金活動をすることの責任はとても大きいのですから。そんな風に悩んでいたとき、私は大熊先生に電話で、「ロシアでイムランの手術はできないのでしょうか。」とやや強い口調で尋ねました。内心「はい、出来ますよ。」という返事を期待していたのですが、先生はご自身がロシアの医療現場を訪ねてきた経験から「(脈動している部分は)皮も薄くなっているし、ロシアの医療水準ではなんとも言えません。日本だったら大丈夫だと言えますが。」そう言って、私に日本での手術を勧めてくださいました。周囲からの現実的な意見を目の当たりにし不安になっていた時、大熊先生は無謀な私の計画を後押ししてくださいました。

その頃、もはやイムランの命は私にとってどうでもいい命ではなくなっていたのです。ただ手術をすればいいのではなく、安全に手術を受けさせてあげたいと思いました。そしてイムランが被弾して奇跡の生還を果たし今日に至るまでに背負ってきた中での苦労や、今後イムランが手術を受けなかったがために起こり得る最悪の事態に際して私に襲い掛かる後悔に比べたら、募金キャンペーンで私に圧し掛かる重圧や苦労などとても小さなことなのです。

今年の春、親を始めとして何人かに相談しましたが、結局協力が得られなかったのは考えの甘い私をとても支えられないという当然の理由からでした。事務局もない状況で募金活動を開始せざるを得ませんでしたが、4月15日、青森県の地方紙に「イムラン基金」が掲載されたところから募金活動が始まりました。6月まで募金はなかなか集まりませんでしたが、外国からでは宣伝が困難であると思い、資金も不足した状態で来日決定をして来日の準備だけはしていました。その決定を受けて、来日が近づくに連れてマスコミに盛んに取り上げていただき、来日してからは私のほうが驚いてしまうくらいに報道してくださいました。街頭募金を一切しないつもりだった私にとって、成功の鍵を握っているのはマスコミでした。

イムランは私の母校、東小学校でチェチェン・ダンスを披露、子どもたちだけでなくテレビを通して多くの方々にその様子を見ていただきました。チェチェン文化や難民、戦争のことを知ってもらう、それもまたイムラン基金の活動目的のひとつでした。さらに日本の医療支援や国際貢献への可能性の提案、それも重要な活動目的でした。イムランの手術成功のニュースは私たちだけでなく見守ってくださった多くの方々にとって嬉しいものだったに違いありません。

手術前、「後で会おうね。」と言って笑顔で見送った私も、手術後に回復室に通されて、苦しそうなイムランを目にしたときにはとても心が痛くなりました。苦しそうに眠るイムランに「イムランのお蔭で私は(長く帰らないつもりだった)故郷に帰ることができたし、(剰余金で)他のチェチェンの子どもたちも助けることができるんだよ。よく頑張ったね。ありがとう。」と私は言いました。翌日にはイムランも食欲がでて、歩行もできるようになり、翌々日には手術前よりも元気になりました。

イムランは8月15日に退院し、18日に家族の待つバクーへと旅立ちました。イムランも私も温かく迎えられ、見守っていただき、祝福されて、入院中もとても励まされていました。皆さんへの感謝の気持ちでいっぱいです。

皆さんからの善意を今度は戦争の続くチェチェンで医療支援に役立てていきます。チェチェン人医師ハッサン・バイエフが代表を務める「チェチェンの子ども達国際委員会」はチェチェンで医療支援を行っています。私が実際にその活動に参加し、現地に出向き、皆さんにチェチェンの医療事情やどのように皆さんの善意を役立てたか報告をしていきたいと思っています。私一人ではイムラン一人だけでしたが、皆さんが力を貸してくださったので、これからはより多くの人々を助けていくことができそうです。本当にありがとうございました。

イムラン来日手術報告をHPで写真と一緒にご覧ください。

イムラン基金 菊池 由希子
 http://www.geocities.jp/imran_fund/

イベント情報
Event Information

●9/5-18 神奈川:「BESLAN」 菱田雄介展(詳細不明)

http://www.progetto.co.jp/

●9/18(月・祝) 東京:爆撃下の子どもたち(パレスチナに生きること)

http://www5e.biglobe.ne.jp/~JCCP/information.htm#inf060918

●9/20(水) 東京:ドキュメンタリー・ドリーム・ショー(「メランコリア3つの部屋」あり)

http://www.cinematrix.jp/dds/

●9/23(土・祝) 神奈川:教育基本法改悪をとめる!9・23神奈川集会

http://my.reset.jp/~yokokai/top1.htm

●9/23(土・祝) 東京:劣化ウラン弾と、イラクの今 -私たちにできること-

http://stop-rokkasho.jp/modules/eguide/event.php?eid=14&caldate=2006-9-24


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