チェチェン総合情報

チェチェンニュース Vol.05 No.18 2005.06.17

発行部数:1669部

「チェチェン共和国文化の日」に思う

(在モスクワの留学生、YKさんが、最近のモスクワでの文化イベントを報告してくれました。 とはいえ、ちょっと複雑な感想になってしまった模様・・・)

6月3日 モスクワ、Y.K

 6月2日から4日にかけて、ここモスクワでふたつのイベントがあった。ひとつは、「チェチェン共和国文化の日」という、モスクワ市とチェチェン共和国政府(親ロシア派)間のイベント。日本で言うなら都庁と県庁の合同イベントだ。しかし、これは招待客しか参加できなかったため、私は3日に行われた、もうひとつのイベント、「サムクッニェ スッイレ」(チェチェン語で「Funny Night!!」)に行くことにした。チケット販売は主催者のある女性の携帯電話でのみの受付で、会場もまたモスクワ南部の古い公民館のようなところだった。

 会場に集まったのは、もちろんほとんどがチェチェン人だった。参加者は国立チェチェンドラマ劇場や、民族舞踊グループ、お笑いグループなどなど。司会は私と同じモスクワ大学に通う男子学生だったが、ロシア語で始めたかと思いきや、すぐにチェチェン語に切り替えてしまい、その後のほとんどの出演者がチェチェン語で話す。チェチェン版漫才も、会場のチェチェン人が大笑いしているとき、私とステージの下に座っているロシア人警察官二人は言葉がわからないため首を斜めに傾け、ただ苦笑いしていた。

 やっとロシア語のお笑いが始まったとき、私もチェチェン人と同様に笑えた。プーチンのモノマネ、クレムリン・ネタ、戦争ネタ、豚肉ネタなど、普段なら不謹慎ではないかと思うようなことを次々と実に軽快に笑いにすりかえていく。ヤロスラヴァリからやってきたチェチェン人の青年は「アッサラーム・アライクム、モスクワ!」と声を張り上げモスクワのチェチェン人たちの前に登場。それまでのロシア系、アラブ系とちがって、この青年の歌は日本人にも人気がでそうだと思った。

 ゲストのロシア人ジャーナリスト、マキシム・シェフチェンコ(独立新聞の記者)はこんなことを客席に向けて言った。

 「ソ連時代、自分が子どもだった頃、なぜ6月1日の国際児童擁護デーを祝うのかわからなかったけど、大人になって、ジャーナリストになって、なぜ子どもを守らなきゃならないかよくわかった。それは子どもに脅威をもたらすのは大人だからだと。私たちはいつも子どもに冗談を言ったりふざけたりして接するけれど、時には真剣に子どもと向き合わなければならない。私は何度も北コーカサスに出かけてわかったけれど、北コーカサス、チェチェンの大人たちは子どもと真剣に向かいあって話すことができる人たちだ。〈省略〉最近調査したところ、ロシア人の間でも反戦の声が高まっていることがわかった。ロシア人もチェチェン人の子どもたちを我が子のように思っている。あなた方を理解できる。皆さんに喜んでほしい。もう98,99年ころの最悪な状況には二度と戻らないということを。」

 出演したチェチェン人の小さな子どもや大人もまた、「チェチェンの、そして世界の子どもたちが戦争を見なくてすみますように!」と一言ずつ述べた。

 チェチェン語がわかったなら、もっともっと楽しかっただろう3時間の大公演が終わり、今度はロビーでアコーディオンと太鼓の音にあわせてチェチェン人たちが踊りだした。私は夜11時に会場を出たが、多くのチェチェン人がまだ踊っている。一体何時まで踊っていたのだろう・・・。

 けれども、モスクワのチェチェン人、私は複雑な思いでついつい彼らを見てしまう。彼らは急速に発展していくモスクワの中で、チェチェンに残った同胞や、難民として苦しい生活を強いられている同胞のことを忘れているのではないか、と。モスクワの暮らしは他の旧ソ連の都市に比べて断然良い。そんなモスクワ市民に共通して見られるのが「無関心」である。結局モスクワのチェチェン人もまた、モスクワの甘い蜜を吸ってしまって、今も続くロシア軍の占領や人権侵害を暗黙のうちに承認してしまってはいないだろうか。

 こうやってチェチェン人が集まり、チェチェン文化を楽しむのはいいが、チェチェン人による反戦集会や同胞を助けようとする動きは、モスクワでほとんど起こらない。「ロシア連邦国民」としての居住、教育機会、働く権利はロシア人や他民族同様に持っているし、ここモスクワでチェチェン人だからといって学校内で差別が起きることだってない。難民でない限り、チェチェン人はモスクワ市民としてロシア人にも受け入れられている。私の同級生にチェチェン人の女の子がいるが、彼女をいじめる人は誰もいないし、みんな仲良くしている。しかし、彼女はあまりに派手な格好でテストを受けに来るため、よく教授に怒られている。

 会場にいっぱいいた、彼女と同じようなお金持ちのチェチェン人には他地域のチェチェン人にはない権利やチャンスがあるのだ。そのチャンスを活かしてチェチェン民族を救おうとする者は残念ながら圧倒的に少ない。彼らは難民や戦争の犠牲になった同じチェチェン人たちの前に胸を張って立つことができるのだろうか。

 「モスクワは人も街も冷たい」よくモスクワを皮肉って人は言う。日本の田舎で育った私もモスクワに住んで3年、すっかりその冷たさが自分にも移ってしまったと感じるが、モスクワのチェチェン人もまた、そんな「都会病」にかかってしまったのかもしれない。私自身も、病にかかってしまうことが、モスクワで暮らす術でもあると思っている。しかし、文化的な催し物がこの病の治療に役立つこともまた願っている。

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