チェチェン総合情報

チェチェンニュース Vol.04 No.40 2004.12.01

発行部数:1686部

チェチェン戦争の犠牲者数について
今年、チェチェンで300人弱が行方不明に
ロシア軍の死亡者、10年で2万5千人/兵士の母親委員会
チェチェン駐留ロシア側兵力5万3千人/イタル・タス通信
11月のロシア軍側被害状況
ジャーナリスト常岡浩介氏イングーシで拘束
欧州人権法廷、チェチェン人の訴えを審理
「どんな手段を使ってでも」バサーエフ語る
イベント:日本ビジュアル・ジャーナリスト協会(JVJA)年次報告会
イベント:チッタゴン・ヒルこども基金勉強会
編集室より

■チェチェン戦争の犠牲者数について
 (2004.11.30 大富亮/チェチェンニュース)

 ここ10年間のチェチェン戦争による犠牲者の正確な数は誰も知らない。チェチェンは外部のジャーナリストに対して封鎖され、正しい人口調査も行われないからだ。いきおい、外部にいる私たちは政治家や軍人たちのコメントをもとに「〜と言われている」と書くことになる。しばらくの間、その代表例はアレクサンドル・レベジ・元ロシア安全保障会議書記がコメントした「8万人前後」だった。これは、1994年から95年まで続いていた第一次チェチェン戦争についての数字だ。

 1999年に始まった第二次チェチェン戦争は、第一次の倍以上の期間続いており、かつ前回よりも苛烈なので、さきの8万人を大きく上回る犠牲者が出ている可能性が高い。最近、チェチェン暫定議会(親ロシア派)のタウス・ジャブライーロフ議長は、1994年から今日までの間に、20万人のチェチェン人が殺害されていると、ロシアのインターファックス通信に語った。

DZHABRAILOV: 200,000 KILLED IN CHECHNYA OVER TEN YEARS
http://jamestown.org/publications_details.php?volume_id=396&issue_id=3153&article_id=2368908

 同議長は「この中の2万人以上が子どもだ」とし、それ以外にも、1万人以上の子どもが孤児になっているという。また、ここしばらくは1ヶ月あたり50人の民間人がチェチェン中で殺されており、最近の年間の犠牲者、誘拐被害者、行方不明者は2千人から3千人に及ぶという。

 ジャブライーロフ氏の推定は、独立派側の主張に近い。たとえば、ロンドンに亡命しているアフメド・ザカーエフ文化相は、9月7日に英紙ガーディアンへの寄稿の中で「1994年以来、少なくとも20万人のチェチェンの市民が、ロシア軍に殺害されている」とし、「うち3万5千人は子どもたちで、このほかに4万人の子どもたちが重症を負い、3万2千人の子どもが両親のどちらかを失い、6千5百人が孤児になってしまった」としている。

Our dead and injured children
http://www.guardian.co.uk/comment/story/0,,1298703,00.html

 親ロシア派にしても、独立派にしても、チェチェン戦争での死亡数は、20万人を下らないという認識が一般的になっている。ジャブライーロフ氏は親ロシア派だから、原因がロシア軍の侵攻によるものだとは言わないだろう。が、ではチェチェン人同士の内戦によるものか?と尋ねれば、それにダーとは答えないはずだ。だから、大体次のようなことが言えることになる。

 1989年の国勢調査の際に102万8千人(うちロシア系住民29万4千人)だったチェチェンの人口は、ロシアとの戦争によって20万人が減り、現在、82万8千人になっている。これに自然増減と、住民の流出の可能性が加わる。また、ロシア側は、常にチェチェンの武装勢力の人数を2千人程度と発表しているので、それを信用すると、武装勢力の百倍に近い人数の民間人が、戦争の犠牲になっている。

 ちなみに、1944年に、チェチェン人とイングーシ人はカザフスタンに強制移住させられ、その半数が犠牲になったと言われるが、これも正確な数字はいまだに発表されていない。現在、チェチェンで抵抗活動を続けている人々の中核には、この流刑先で生まれた人々がいる。チェチェン戦争の原因や背景を探るときに、この強制移住を語らないわけにはいかないのだが、強制移住の死者ついての当時の資料がモスクワのどこかの文書庫の奥深くにあるとしても、今の政治情勢では決して公開されないだろう。

 近い将来に、ロシア政府とチェチェン親ロシア政権が、武力でチェチェンを平定することがあっても、この戦争での被害者、つまりロシア軍によって殺された人々のことは明らかにされないだろう。どう考えても、この犠牲は「対テロ作戦」の結果としては理不尽だからだ。理不尽が放置されては和解はありえない。和解のない限り、第二次チェチェン戦争の恨みは、将来の第三次チェチェン戦争の火種になるはずだ。

 本当は、伝聞や印象をもとに犠牲者数を推定するのではなく、正確な調査の上で、チェチェンで起こっている事態を知らなければならない。今の戦争を止めるための十分な世論を生み出すためにも。それには、ロシア政府が封鎖を解いて、チェチェンへの入国の自由を保障する必要がある。そして、将来の戦争を防ぐためには、国際社会がチェチェンに直接介入し、まず和平を、そして和解のプロセスを保障する必要がある。

 もうすぐ12月11日が来る。1994年にロシア軍がチェチェンへ侵攻して、ちょうど10年目だ。

■今年、チェチェンで300人弱が行方不明に

 11月14日、ロシアの人権団体メモリアルは、2004年の間に、チェチェンでは300件近い誘拐事件が発生したと発表した。チェチェンの1/4の地区についての調査の結果、1月から10月にかけて、294人の市民が誘拐されているのだと言う。「この人数のうち194人は解放され、20人は死亡が確認され、残る128人は今も行方不明です」と、メモリアルのドミトリー・グルシキン氏は語る。また、「われわれの意見では、こうした犯行の背後には、当局のさまざまな部門がこれに関与しています」と。

 いくつかの国際機関は、1999年にロシア軍がチェチェンに侵攻して以降、ロシア側・チェチェン側を問わず人権侵害が行われているとの批判を繰り返している。チェチェンの親ロシア政府も、04年中に少なくとも162人の市民が行方不明になっていると発表している。人権団体は、ロシア軍とチェチェンの親ロシア派当局が、これらの誘拐事件の大半に責任を負っていると主張している。

300 civilians kidnapped in Chechnya so far this year: rights group
http://www.reliefweb.int/w/rwb.nsf/480fa8736b88bbc3c12564f6004c8ad5/c4346973e179bdcf49256f4d0012147d?OpenDocument

この件の日本での報道:
市民240人以上犠牲に 人権団体がチェチェン調査【モスクワ14日共同】
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20041114-00000107-kyodo-int

■ロシア軍の死亡者、10年で2万5千人/兵士の母親委員会

 10月20日のAFPによると、ロシア兵士の母親委員会のヴァレンティナ・メリニコワ女史は、チェチェン戦争で、2万5千人のロシア兵が死亡したとの見解を明らかにした。彼女はエコー・モスクワのインタビューでつぎのように語った。「この10年間で、国防省と内務省軍の兵士と将校をあわせて、すでに2万5千人の兵士の命が失われました。これは直接殺されただけでなく、負傷したり、(戦争に耐えかねて)自殺を図った数も含まれます」「チェチェンの人々の犠牲はこの10倍に上ることでしょう」ロシア軍側は、同じ期間中のロシア軍の死者は1万人程度と発表しているが、多くの人権団体はこれを信頼していない。

25,000 Russian troops died in two Chechen wars: rights group
http://www.reliefweb.int/w/rwb.nsf/480fa8736b88bbc3c12564f6004c8ad5/110f518ff81ab50749256f340006febf?OpenDocument

■チェチェン駐留ロシア側兵力5万3千人/イタル・タス通信

 11月12日、ロシアのイワノフ国防相は、「チェチェン山岳部に展開中のロシア軍部隊は、来年前半にも撤退を行う」と発言した。北コーカサス軍管区での記者会見の場でのこの発言によると、2005年には、チェチェンに駐留するのは第42自動車化部隊と特殊部隊だけになるという。これまでの公式発表をまとめると、チェチェンには内務省軍2万8千人、42自動車化連隊が1万5千人、特殊部隊1万人が派遣されている。

 ラムザン・カディロフ(親ロシア派)副首相は、連邦軍の部分撤退は、「テロリズムに対するチェチェン政府の治安維持機構が充実してきた結果だと考えている」という。また、チェチェン選出のロシア下院議員ルスラン・ヤマダエフは、「連邦軍の部分撤退は、当然のこととしてチェチェン国民に受け入れられるものと思う」とし、撤退は「チェチェンでの平和な生活が確立されようとしている証しになるだろう」と語るとともに、「チェチェンの内務省およびFSS部門をはじめとする治安機構は100%の力を発揮しており、状況をコントロールしている」との認識を示した。

Troop withdrawal from Chechnya indicates peaceful life settles
http://www.tass.ru/eng/level2.html?NewsID=1451755&PageNum=0

■11月のロシア軍側被害状況

 (2004.11.28 渡辺千明)

 チェチェンプレス(チェチェン国営通信社・独立派)による不完全集計でのロシア軍のチェチェン内での被害状況。これで見る限り、チェチェン抵抗運動の戦闘能力はまったく弱まりは見せておらず、逆にロシア軍は確実に出血を強いられていることになる。 第269週(10月30日-11月5日) 死者98 負傷103 装甲戦闘車両7 軍用トラック5 乗用車6  ヘリコプター2 第270週(11月6-12日) 死者84  負傷115  装甲戦闘車両4  軍用トラック3 軽装甲UAZ型小型四駆車5 ガゼル型マイクロバス2 UAZ型ワンボックスカー<タブレトカ>1 乗用車2 第271週(11月13-19日) 死者78  負傷91  装甲戦闘車両7(装甲兵員輸送車4 歩兵戦闘車2 装甲斥候偵察車1) 軍用トラック4 (内装甲板補強URAL型トラック1) 乗用車4(軽装甲UAZ型小型四駆車1)  第272週(11月20-26日) 死者112  負傷140  装甲戦闘車両5 軍用トラック5(内装甲板補強URAL型トラック2) 乗用車2(軽装甲UAZ型小型四駆車1)

■ジャーナリスト常岡浩介氏イングーシで拘束

 (2004.11.23 渡辺千明)

 軍事ジャーナリスト加藤健二郎氏が主宰するフリー・ジャーナリストの集まり、東長崎機関に届いた情報によると、ジャーナリスト常岡浩介氏は、イングーシ共和国のナズラニ鉄道駅にてFSBスタッフに拘束され、裁判と脅されている。

 東長崎機関メンバーのフリー・ジャーナリストの常岡浩介氏は、 10月24日、アエロフロート航空機で東京からモスクワ入りし、しばらくモスクワで取材活動を行ったあと、 11月10日、シベリア航空機で、北オセチアのウラジカフカース入りしてベスラン事件の取材活動を行い、11月13日、北オセチアから、イングーシ共和国のナズラニ入り、チェチェン難民の現状を取材活動を行っていた。

 くわしくはこちら:
http://groups.msn.com/ChechenWatch/general.msnw?action=get_message&mview=0&ID_Message=1528

 ロシア・イングーシの日本人の消息:
http://www.higashi-nagasaki.com/g_c/G60-03.html

■欧州人権法廷、チェチェン人の訴えを審理

 以下はチェコの人権団体、「プラハ・ウォッチドッグ」の報告をもとにしている。

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 5年前に、ロシア軍の関与する犯罪に巻き込まれ、ロシア国内で法律的に救済されなかったチェチェン人とその家族たちが、欧州人権裁判所に訴えを起こした。原告となったチェチェン人の女性5人と、男性1人は、1999年から2000年にかけて、チェチェン戦争の最中に家族が受けたロシア軍による拷問、裁判なしの処刑、および市民を目標とした砲爆撃についてロシアで訴えを起こしたが、ロシア政府はこれをすべて却下した。

 そのため、2000年4月と5月に、その被害者と被害者の家族は欧州人権裁判所(ECHR)に行き、2002年に入ってその申し立てが受理された。これらの申立て人たちの勇気と、モスクワの人権団体のメモリアル、そしてロンドンに本部を置く欧州人権アドボカシーセンターによる専門的な支援により、本日(2004年10月14日)に審理が行われた。

 申し立て人たちによれば、1999年から2000年にかけて、ロシア軍は欧州人権条約にあるいくつかの条項に違反する行為を行った。生命権(第2条)、拷問・非人道的な取り扱い・処罰等の禁止(第3条)、社会的・医療的支援を受ける権利(第13条)、財産権(第1議定書第1条)に違反する行為だった。

 拷問と裁判なしの処刑については、申立て人のうち二人が、2000年1月末にグロズヌイ(チェチェンの首都)で5人の親族が殺害された後に問題化した。その親族5人の遺体には幾つもの銃創が残っており、彼らはロシア軍によって虐待された後、殺されたものと考えられた。

 申立て人のうち3人は、1999年にグロズヌイを脱出しようとした市民たちに対して加えられた無差別爆撃について主張をしている。一人はその際に負傷し、実子二人と義理の娘を殺害されている。もう一人は負傷、もう一人は自動車を破壊され、積んでいた家財を破壊されたとしている。

 6人目は、2000年の2月4日に、チェチェンの村カタリ−ユルトに対して行われた無差別爆撃に対して申し立てをしている。この爆撃によって、申立て人(女性)の3人の姪が殺害された。犯罪と疑われるこれらの行為は、チェチェンに関するいくつもの人権侵害の氷山の一角と考えられている。報道によれば、120件のこれらの申し立てが、ECHRに送付されており、専門家によれば、もし今回の聴聞で原告側にとって有利な結果となれば、チェチェン関係の申し立てはさらに急増するはずだと見ている。

 ECHRのこれまでの伝統からすると、今回の評決は数週間ないし数ヶ月のうちに公表される見込み。

The European Court of Human Rights hears first Chechen complaints against Russia
http://www.reliefweb.int/w/Rwb.nsf/480fa8736b88bbc3c12564f6004c8ad5/0873fb23d6ae16ef49256f3100070625?OpenDocument

今回のケースについての裁判所側のプレスリリース:
http://www.echr.coe.int/Eng/Press/2004/Oct/HearingKhashiyev&AkayevavRussia141004.htm

欧州人権裁判所についての説明は、在ストラスブール日本総領事館の説明を参照:
http://www.strasbourg.fr.emb-japan.go.jp/jp/europe/PresentPE_TDH01.html

■「どんな手段を使ってでも」バサーエフ語る

 どうにかしてください、この人、という感じの野戦司令官バサーエフについての断片的な記事。カナダ紙「グローブ・アンド・メール」より。

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 シャミーリ・バサーエフ、死者350人以上にのぼる惨事に終わった9月の南ロシアでの人質事件の責任を認めたチェチェンの野戦司令官は、今後もあらゆる方法−−−市民に対する化学、生物兵器の使用も含めて−−−で、5年におよぶロシアの対チェチェン戦争を終わらせ、チェチェン独立を勝ち取るために戦うと主張している。

 本紙、グローブ・アンド・メールとバサーエフ氏とのメールの交信は、9月に彼がベスラン第一中等学校での事件への責任を認めて以来はじめての意見表明となった。バサーエフ氏は今後10年間のロシアとの戦争も覚悟しているが、国際法を遵守するつもりはあるという。ただし、もしロシア軍もそうするならばの話だ。

 ベスラン事件のあと(の謎めいた動きから)同氏はしばしば「ロシアのビンラディン」と呼ばれるようになったが、彼はこれまでプーチン政権に対して激しく批判していた。バサーエフ氏は、1995年にロシア側を交渉に引き出し、第一次チェチェン戦争の終結につながった南ロシアの街ブジョンノフスクでの人質事件を再現する考えがあると語っている。

 96年の停戦によって、チェチェンが事実上の自治権を与えられて3年ののち、プーチン政権はロシア軍を再び派遣した。主張された理由は、チェチェンを「強奪」し、イスラム民兵の軍事基地を造ろうとしているバサーエフのような「テロリスト」を根絶する為に、どうしてもしなければならない作戦だというものだ。

 バサーエフはこう言う。「ロシアはチェチェン中の人々を5年間にわたって人質にしていたのに、(世界は)何もしようとしなかった。われわれが千人の人々を、たった3日間人質にして、民族虐殺をやめるように訴えたら、世界は衝撃を受けたという。これが偽善でなければ何なんだ?」

 このメールでの交信は、Webサイト、カフカス・センターの仲介によって行われた。質問は9月末に、この野戦司令官が過去に使っていたアドレスに送られた。彼からの返事は、24日後に、ロシア語によるメールで届いた。バサーエフ本人によるメールだという確証はないが、答えの内容とレトリックは、過去の言動の特徴と矛盾しない。

 バサーエフ氏は、ベスラン事件ののち、米貨にして1千万ドルの懸賞金をかけられているが、かれはチェチェンの首都グロズヌイのザボドスカヤ地区からメールを出していると言う。事実なら、ロシア軍が今回の戦争で比較的初期に制圧した戦線の、背後の深部で彼は行動できているということになる。

 ロシアの公式筋は、バサーエフがグロズヌイからメールを出すなど不可能だという。「彼はグロズヌイにはずっと姿をあらわしていない。彼の妄想にはもう、どんな論理も追いつかない。バサーエフはそもそも何も言っていないようなものだし、おとぎ話をでっちあげようとしてるだけだ」と、チェチェンの親ロシア政権に設置された対テロ部隊指揮官、ブヴァディ・ダキーエフは語る。

 2001年9月11日のニューヨークとワシントンへの攻撃以来、資金の経路を絶たれ、外部からごくわずかな資金しか受け取れずにいることを、バサーエフ氏はこぼしている。彼と部下たちに対して、2万ドル以下の資金がトルコとドイツ、そしてアラブ首長国連邦の匿名のスポンサーから届いただけだとか。

 「イスラム教徒としてはずかしい」と彼は語る。「あの9月11日から3年もたって、だれもわれわれを助けようとしない。彼らは<テロリスト>と共謀していると思われるのを恐れ、こっちも要望のしかたがうまくない」

By MARK MacKINNON The Globe and Mail Tuesday, November 2, 2004 - Page A11
Will use any tactic, Chechen warlord warns: http://iicas.org/2004en/05_11_an_en.htm

(富)さらにひどい記事と訳になっていきますが、バサーエフが意味不明のことを口走っているので仕方ないような気がします。参考程度にどうぞ。ジェームズタウン財団のチェチェニャ・ウィークリーより:

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 ロシア外務省は先週、バサーエフとのメールによる問答を掲載したカナダの新聞に対して「ベスラン事件を含め、ロシア国民の血で手を汚した殺人者とテロリスト」が発言する場を設けたとして非難を浴びせた。カナダ紙グローブ・アンド・メールは、11月5日の記事で、ロシア外務省からの書簡を受け取ったことを公表した。編集長のエドワード・グリーンスポンは、「われわれは国際的な事件を徹底的に報道する責任がある」として、この批判に反論した。

 バサーエフと、グローブ紙モスクワ支局長マーク・マッキノンとのメールの交信は、独立派系の通信社カフカス・センターを通じて行われ、その内容は10月31日に独立派系のダイモフ通信社、チェチェンプレスにも投稿された。(関心のある方はこれらのサイトから探してください・富)このなかで、バサーエフはベスランで起こった事件について「衝撃を受けた」としながら、現場で起こったことについての「一定の責任」を負うが、罪を負うものではないという認識を示した。

 「地下鉄での爆破や、航空機の撃墜は正当化されるか」という質問に対し、バサーエフは、プーチン政権側が国際法を遵守するならば、「ベスランであれ、モスクワであれ、飛行機の件についてであれ」われわれも同じようにすると答えた。また、ロシア軍が「何度も生物化学兵器をはじめとする毒物をわれわれに対して使っている以上、こちらも報復することや許されるはずだ」とバサーエフは語った。

 バサーエフはまた、攻撃目標は「ロシア帝国」に限らないと語った。「われわれはロシアの占領者を、資金面で、あるいは行動、発言、助言などで助けている者に対しても、実力を行使する権利があると考えている」として、「特に、他国のリーダーたちが知っておかなければならないことは、プーチンを歓迎し、われわれの闘争を無差別なものと決め付けたりするのは、彼らは自国民を危険な状況にさらすということだ」

 バサーエフは、独立派の指導者アスラン・マスハードフはベスラン事件への関与はしていないと発言した。彼によれば、6月末にマスハードフと会ったが、「大量の捕獲品の武器弾薬を渡し、常識的な戦闘をするよう求めたが、それは叶えられなかった。私は彼に、プーチンに国際法を守るように求め、われわれはそうなったときに自動的にそれを守ろうと言った。マスハードフが望んでいるのは、戦術の転換だった」とし、ベスラン事件の直後に、FSBがマスハードフの親類縁者50人以上を拘束していることを知ったという。11月1日に、マスハードフのロンドンにおけるスポークスマンのアフメド・ザカーエフは、バサーエフがベスラン事件に関与しているとのコメントに関し、「戦争犯罪」であるとして、ジュネーブ議定書によって罰されるべきだという声明を発表した。

 2人のアラブ人が、ベスラン事件当時ゲリラに参加していたという報道について、バサーエフはこう答えた。「こういう風には見られないようだが、ブッシュとプーチンは、偏執的な失調症に世界中を感染させて、アルカイダがどこにでもいるという被害妄想を生むのに成功したんだ」と答えた。アラブ人の一人は、「1994年から96年の第一次戦争中にチェチェンに来てチェチェン女性と結婚した男で、もう一人はヨルダンから1年前にきて<聖戦>に加わった」バサーエフは、同盟者として、アルカイダをどう見ているかという質問への答えを避けたが、2001年9月11日の事件に関与したことは「間違いだ」と書いている。(このあたりは、事件の責任者にしては当事者意識の感じられない答えなので、正直何を言っているかわからない・富)

CHECHNYA WEEKLY Volume 5 Issue 41 (November 10, 2004)
BASAEV SAYS THERE WILL BE MORE TERRORIST ATTACKS
http://www.jamestown.org/publications_details.php?volume_id=396&issue_id=3136&article_id=2368829

■イベント:日本ビジュアル・ジャーナリスト協会(JVJA)年次報告会

 12月3日開催のJVJA年次報告会で、林克明が報告します。当初、取材の予定により出席できるか不明でしたが、取材延期によりビデオ映像を交えて発言できることになりました。お時間のある方は、ぜひご出席ください。

「テロ」の現場で何が起きているのか

 チェチェン、パレスチナ、イラクなど世界各地で「反テロ戦争」が繰り広げられている。「テロを殲滅するための正義の戦争」という"大義名分"があれば、どのような殺戮も人権侵害も免罪されてしまう空気が今、世界を覆っている。アメリカやロシア、イスラエルなどが推し進め、日本も支持するその戦争の現場で、いったい何が起こっているのか。また米軍のイラク派遣の基地となった沖縄はどうなっているのか。現場で生きる人びとの視点から取材したJVJAのジャーナリストたちが映像と写真を交えて報告する。

2004年12月3日(金)6時30分開場
時間:午後6時45分〜午後9時30分
   会場:中野ゼロホール(西館・小ホール)
http://www.nices.or.jp/02guidance/02-1.htm

■イベント:チッタゴン・ヒルこども基金勉強会

 「チェチェンで何が起こっているの?

 バングラデシュのチェッタゴン丘陵に暮らす先住諸民族は、焼き畑の人々(ジュマ)と呼ばれています。これらジュマ=モンゴロイド系の人々は、1億数千万の人口のバングラデシュの中で人口100万と、ほぼロシアとチェチニアのような構図の中で抑圧を受けています。日本にもある支援団体の中の一つ、チェッタゴン・ヒル子ども基金が主催して、公開学習シリーズとして、「チェチェンで何がおきているの?」を催し、チェチェンビデオ「春になったら」と「子どもの物語にあらず」を上映します。(チェチェンニュースの大富亮が話をします)

 日時 12月11日(土)18:30-21:3
 中目黒スクエア2f (中目黒2-10-13) 参加費一般800円、学生500円 
 主催者URL : http://cht-children.org

■編集室より

 チェチェン数字特集はいかがでしたでしょうか。もっと正確な数字を元に考えられる日が来てもらいたいものですが、逆に、わからないことそのものが、チェチェンの現状を示していると言えます。

 ところで、チェチェン問題と平和支援運動を考える定例会を行っています。次回は12月1日(水)、午後7時、会場は都内です(もう今日ではないですか。苦笑)。議題は、チェチェン関係団体の統一宣伝ツール(チラシなど)の検討や、来年初旬に向けた活動の検討、カザフスタンにおけるチェチェン・ディアスポラの現況についての報告(岡田一男氏、映像つき)などです。参加ご希望の方はご連絡ください。( ootomi@mist.ocn.ne.jp 大富)

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