チェチェン総合情報

チェチェンニュース Vol.04 No.37 2004.11.03


発行部数:1664部


■チェチェンでの平和創出のためのジャーナリストからの提案

ーーー貧しい人々は平和を求め、宮廷の連中は戦争を欲するーーー

(アンナ・ポリトコフスカヤ 2004.09.13)

<記事について> アンナ・ポリトコフスカヤについての説明はほとんど必要
ないほどだが、一応。モスクワの小新聞社ノーヴァヤ・ガゼータ紙の記者とし
て、幾度となく戦禍のチェチェンを取材している。最近は北オセチアの学校人
質事件の取材の途上で何者かに毒物を飲まされたことで、日本でも一度に有名
になった。訳書に「チェチェン やめられない戦争」(NHK出版)がある。

彼女の証言を引用してチェチェン問題を語ることはやさしい。私たちが知り
たいと思うことを、彼女はいつも届けようとするからだ。けれども、正直それ
を読むのは辛いことがある。書かれているチェチェンの苛酷な状況の前に、私
達には何一つできないような気分になるからだ。

けれど、これから記事を読む私か、あなたが、いつかチェチェンの平和のた
めの国際監視団の一員になり、チェチェンを短期間訪れることがあってもいい
かもしれない。この日本での生活の先に、そんな熱意を埋め込み、その視点か
ら、いま起こっていることを注視してみてはどうだろう。そういうふうに読む
のは、すこし邪道かもしれないが、この記事で、ポリトコフスカヤはチェチェ
ン戦争の現実的な幕引きの仕方を考察している。(大富亮)

ーーー貧しい人々は平和を求め、宮廷の連中は戦争を欲するーーー

テロを止めるには、チェチェン問題の武力による解決という考えを捨てなけ
ればならない。だれが、どうやってそれをやることができるだろうか?

 9月1日からの3日間の出来事で クレムリンの住人たちの道義的、知的レ
ベルでは第二のベスラン事件をくいとめるのは期待できないことが明らかに
なった。あの悲劇のあとに起きていることは、それ以上のことを示している。
政府は事件からなんの教訓も引き出そうとはせず、相変わらず嘘をつき、黒を
白と言いくるめようと、立ち回っている。これが意味するのはただひと
つーーーわたしたちの子供や孫たちは、今も危険にさらされていると言うことだ。

地下室にこもっている権力者たち。彼らは国民が悲劇の中にあるときは地下
に隠れる。少なくとも、隠れないでくれるひとたちが必要だ。

彼らは何をしてくれたのか?

この数日間の重要なこと:当局はベスランの悲劇に対して何をしたのだろう
か?どういう新たな方策をとって、国民の安全を守ろうとしているだろうか?

なされた身振りはただ一つ、ロシア南部での「対テロ作戦」関連の人事刷新
だけだ。各地域ごとに、「対テロ作戦担当」の上席将校が内務省軍から任命さ
れた。この上席将校たちは担当地域のナンバーワンに次ぐ地位にあたる。もと
もとの制度として、それぞれの地域のテロ事件について全責任を負わされてい
る各大統領たち、ジヤジコフ、アルハノフ、ザソーホフらが「対テロ作戦委員
会」の議長だった。その次席人事が変更されたのだ。

しかも、「対テロ作戦」の上席将校たちにはそれぞれ特殊部隊員が70人ず
つ与えられた。つまり、ベスラン事件後の南部ロシア地域の補強として。そ
れっきり?それっきりだ。 注意をそらすための典型的な役人風のやりかた。

では、ロシア南部の「対テロ作戦委員会」の指導者とはどういう人たちだろ
うか?ベスラン事件を未然に防ぐためにあらゆることをする義務があったのは
どういう人たちだったのか?の事件が起きてしまったとき、人質解放の指揮を
執るべきだったのはどういうひとたちなのか?

●臆病者たち

どの時代にも 汚点はある。ブレジネフ時代にはシニカルな頽廃があった。
エリツイン時代は早い者勝ち、とれるだけとれ。プーチン時代、これは臆病者
の時代だ。プーチンについているのは誰か?

まず、イングーシ大統領のジアジコフ氏、この人は政権について2年半だ
が、それまではKGBとFSBで勤務、プーチンの職業上の婿さんのようなも
の。イングーシの大統領の座にジヤジコフをつけたのがプーチンとその一党で
あることは誰も疑う者がいない。ジヤジコフ統治の2年半にイングーシでは憲
法に違反する特殊部隊の横暴、連邦保安局や「死の部隊」による人々の拉致誘
拐を許してきた。その反動として、青年たちは山に入り(武装勢力に参加し、
訳注)、さらに大きな反動として、一連のテロ事件が起きている。ジヤジコフ
は何をしているのか?イングーシのテロ取り締まり委員会の議長は?彼は保安
局の職員らしく、いつもの席でじっと動かない。

 私は何を言いたいのかって?別に何も悪くない。連邦保安局の職員というの
は、人々や世界を他人の背中越しに観察している人々のことだ。そういう職業
なのだ。目に見えない脅威と戦う、見えない戦士だ。悲劇が起きるのは、脅威
が現実となり、大統領が前面に出ていって、強盗どもに対する抵抗を指揮しな
ければならないような時、たとえば、6月21日から22日にかけてのイン
グーシの襲撃事件だ。

 あの夜、何十人もの人々が殺されていたときに、ジヤジコフは地下室で、事
態が収束するのを待っていた。その大事な命を守ろうとして。大統領の心臓、
これはたしかに重要で貴重なものなのは、誰も異論がないだろう、そういうも
のを隠しておくのはまさに地下室しかないのかもしれない。しかし、他のひと
たちの命だってそれに劣らず貴重なはず・・・。

 その結果、92人のイングーシ人の心臓が打ち抜かれた。襲撃した犯人たち
に対して効果的な抵抗がまったくできなかったせいだ。何より問題なのは、武
装集団はこの手の作戦が今後も可能だと、確信したということだ。

 ジヤジコフについてはまた触れることにして、今は8月21日のことを。グ
ローズヌイ。この街が武装勢力に占拠されたのも、まったくイングーシのシナ
リオの再現だった。その夜、プーチンのお気に入りのアル・アルハーノフやラ
ムザン・カディロフはどこにいたのか?よくテレビで、強盗どもを取り押さえ
るのはもう間近だとおしゃべりするのが好きなあの人たちは?

 ふたりとも地下室に隠れていた。誰も指揮をとらなかった。彼らは「国際テ
ロリズム」との今後の戦いのために、命を大事にしていたのだ。50名以上の
命が失われ、またもや肝心なこと、武装勢力は、こういうことを今後も続けら
れると確信を強めた。

 そして、いよいよベスラン。 獣どもは子どもたちに爆薬を仕掛け、チェ
チェンの忌まわしい戦争の終結という要求を出した。ジヤジコフ、アルハーノ
フ、ラムザン・カディロフなどは「敵はここに侵入できない」とプーチン大統
領に請け合ったはずなのに。あの9月1日の朝に事件が起こったからには、す
ぐ学校に行くべきだった(この獣たちが名前をかたったマスハードフ(独立派
の大統領)も同じだ)、それぞれの身の安全などで身を惜しんだりせず、使え
るあらゆる手段を駆使して子どもたちを解放するよう説得しすべきだった。そ
ういう場合には、どちらが正しいかなど、後回しにすべきなのだ。

 ところが、実際は、ジヤジコフも、アルハノフも、ラムザン・カディロフ
も、マスハードフすらまったく姿を見せなかった。臆病風を吹かせたのだ。数
百人の子どもの命より、自分の命が大事だった。わたしの考えでは、強盗たち
は臆病者たちの親類、同じ人種だ。

 頭のいい人たちはこう言う。ベスランで交渉するなど愚の骨頂だった、と。
それは死刑判決とおなじことで、殲滅されてしまっただけだろう、と。そうか
もしれない。だが、それがどうだというのだ?身から出たさびではないか。し
かも、結果は 罪のない子どもたちが、臆病で愚かな人々のかわりに責任を取
らされたのだ、その人たちがどう言っていたか思い出してほしい「われわれは
すべての責任をとる」と。

 一つ思い起こすことがある:女性や子どもたちの命と引き替えに生き延びる
という先例を、わが現代史で示したのは今年の5月9日に殺されたカディロフ
(ラムザンの父親)唯一人だ。これは 2002年10月のことだった。
ミュージカルの「ノルド・オスト」が上演されている劇場を占拠したテロリス
トたちが、アフマド・ハジ・カディロフが出てくれば50人の女を人質から解
放すると宣言した時、カディロフは、自分の命を50人の女性より大切にし
て、出て行かなかった。それから、まもなく、プーチンはアフマド・ハジ(カ
ディロフ)こそ、チェチェンにおける自分の寵臣であることを世界に見せつけた。

 ジヤジコフ、カディロフ・ジュニア、アルハーノフ、この三人は三人とも
プーチンのお気に入りであり、だからこそ、まったく同じように振る舞ったの
だ。勇敢だった者は取り除かれた(アウシェフ元イングーシ大統領は26人を
救い出したのに、その後誰も触れようとしない。この大統領が辞任させられた
後にジヤジコフがイングーシ大統領になった経緯は「チェチェンやめられない
戦争」(NHK出版)に詳しい、訳注)。そして、新たな「テロ取り締まり策」の
内容と言えば これらの臆病者たちにそれぞれ上席将校一人、と70人ずつの
特殊部隊を与えるということなのだ。この助っ人がテロを防いでくれるという
ことか・・・

 でも、臆病者にはテロを防ぐことはできない。内務省軍の上級将校だって、
また次のXデーにこの3人の命を守るのがせいぜいだ。それ以外の私たちに
とっては、何の助けにもならない。

 結論は簡潔明瞭:担当地域の「テロ取り締まり作戦」の長とされているジヤ
ジコフ(イングーシ大統領)もアルハーノフ(チェチェン大統領)もラムザ
ン・カディロフ(暗殺された傀儡のアフマド・カディロフの息子で首相、訳
注)も、これ以上その職務にとどまることは許されない。これは死を意味する
からだ。ー彼らのではなく、私たち皆の死だ。しかも、これがまだひとつめの
結論でしかない。

 第二は何か?テロ活動に対抗できることとは何だろうか?何によって、次々
におきるテロ事件の波を打ち砕き、すこしずつそれを鎮めていくことができる
だろうか?

 まず、必要なのは、社会的に明快な対抗策にのっとった政府の勇気だ。その
先は何か?テロ事件が起きる可能性を最小限にするために北コーカサスで何を
変える必要があるだろうか?

 

●何をなすべきか?


以下に私のプランを示したい。

これはわが国で起きている多くのことーーープーチンの大統領任期第一期に
起きたこと、そして今起きていることーーーに対して極めて批判的な、ひとり
のジャーナリストとしてのプランだ。チェチェン問題を順を追って解決してい
くにはどうすればよいかをテーマにして、考えてみた。

 北コーカサスのシャヒジズム(バサーエフらのテロだけでなく、チェチェン
戦争全体を指している、訳注)を、今後どうすべきか。

私は村から村へ、街から街へと歩き回り、飽かずひたすら質問を投げかける
という仕事をしていた。1999年の夏から絶え間なく、来る月も来る月も。
その主要なテーマとは:チェチェンに平和があるようにするには何をなすべき
か?そのプロセスにおいてあなたはどういう役割が果たせるのか?チェチェン
の将来像は?ロシアとともにか、それともロシア抜きか?ロシアとともにとい
うならどのように和解するのか?マスハードフが交渉相手とみなされない今、
そしてマスハードフを排除した者たちとの交渉は事実上不可能な今、どのよう
に和解ができるのか?

●チェチェン問題解決の提案


1.「チェチェン問題解決の連邦評議会(合議制の評議機関)」を設置する。
基本的に、このメンバーに治安機関、軍隊、官僚はいれないー彼らに対しての
信頼はないのだから。第二次チェチェン戦争の全期間を通して、人権擁護の監
視員としてチェチェンで活動してきた一般市民代表は入れる。グローズヌイの
政府庁舎という高い壁に隠れて居たひとびとではなく、真の信頼に値するのは
まさにその人たちだ。どんな風向きでも常に反戦の立場で活動し、平和解決を
求め、チェチェンの市民たちが実質上認めなかった2回のエセ選挙などではな
く現実の政治プロセスを求めてきた、わが国の社会活動家たちによって構成さ
れる。

2.この評議会設置後は、チェチェン関連の政治上、財政上のあらゆる決定が
ここで採択される。

3.評議会は具体的で明快な行動の計画、「第一に、第二に、第三に・・・」
を作成し、それを公表する。その意味は、チェチェンの市民ひとりひとりがこ
の計画の一つ一つを明快に理解するものでなければならないからだ。チェチェ
ンで紛争解決のために、何がいつ、どういう期限で実行されるのか。

4.チェチェン市民の大部分が彼を尊敬しなくなっているとはいえ、マスハー
ドフとの政治的話し合いを必ず行う。何のためにか? その目的は、国民に対
して詫びて、退任するかあるいは起きてしまった事態に対する法律上の責任を
果たす機会を、マスハードフに与えるためだ。これは マスハードフにとって
ではなく、かつて彼を選んだ人々にとって重要なのだ。これは多くの人々に
とって真の政治解決の出発点と受け止められるだろう。

5.ロシア連邦中央は、戦争中におきた一般市民の犠牲にたいする懺悔をする
必要がある。

6.政治解決の第一条件として、この地域の非武装化が不可欠だ。それは軍隊
の撤兵なしにはできない。軍隊が残ることができるのは常駐の駐屯地のみで、
しかもはっきり限定した移行期間のみだ。その期間は公表されなければならな
い。軍隊撤兵実現の条件も公表すべし(非武装化の違反にたいする罰則も)。

7.当事者同士の全面的な不信感(連邦側の軍、特殊部隊、市民、カディロフ
側勢力)というなかでの非武装化実施の方法は、市民が信頼できるような国際
監視員(国連、OSCE,PACE欧州評議会議員総会など)が必ず立ち合う
ことだ。国際監視員のみが、唯一誰の側にも与しない、公平な非武装化の保障
となりうる。強制的な非武装化もあり得るかもしれない、これがロシア連邦軍
の立ち会いでなされるのではなく、国際監視員が見守る中で行われるなら、市
民はこれを認めるだろう。

8.国際監視員の存在は全移行期間—双方の熱を冷ます期間—には不可欠であ
る。連邦中央が国際社会にそのような監視を依頼することは決して弱さの証で
はなく、かえって連邦中央度量を見せることになる。

9.移行期間の政治的指導部は「ロシア総督」(大多数が使っている言葉遣い
では)で、チェチェン紛争解決担当のロシア連邦大統領全権レベルの者。特別
な権限を与えられた副首相でもあり得る。こうした体制ではアル・アルハーノ
フが今の地位に一定期間とどまるだろう。しかし、ラムザン・カディロフはど
のような役職でも残すことは無理である。この人物は否定的な評価しかされて
いない。

10.「総督」の主要な性格は軍人ではないということ。
その人物がチェチェン社会で名を知られており、尊敬されていること、このた
めには、所属の党派の方針ととにゆらぐことのない チェチェン全体で政治的
には常に反戦の立場を貫いてきた者。

11.グローズヌイに置かれる「総督」のチェチェン側事務局が不可欠だ。そ
のメンバー民間の代表で(ロシアでもチェチェンでもよい)チェチェンの状
況、チェチェンの人々が戦争中にどんなことに困っていたのかを熟知してお
り、人権擁護の監視員として、当地で活動しており、人々の尊敬に値する人た
ち。お役人ではだめである。

12・共和国統治のための経済機構—これは「総督」事務局に従うものとす
る。資金の流れは、汚点のない連邦評議会と市民社会の監視の下に置かれる。

13.全国民的にチェチェンのありかたを漸次討議する。議会制にするのか、
大統領制の共和国か。これはモスクワが決定するのではないーモスクワから下
ろされる決定は受け入れられないし、それをすればチェチェンの国民的な合意
は破れてしまう。

14.全国民的に問題を検討する:どの憲法に則って行くのか。公開の形で、
討論によって、憲法の「二重権力状態」—国民の一部は1992年の憲法を受
け入れず、他の部分は2003年の憲法を受け入れていないーを収束させなけ
ればならない。そのような討論に、状況の正常化のために、また単一の憲法に
従った誰もが参加できると見なすであろうような真に全国民的な選挙のための
基盤がある。

15.そして、お互いの沈静化と非武装化に数年をかけた後に、これを国民の
大多数が受け入れたのを見届けてから、(大統領共和国なのか、議会制共和国
か)の自由な選挙を実施する。

他のひとたちには他のプランもあるだろう。わたしがここであげたのとこと
なる論拠もあり得よう。ロシアには憲法会議があったのだから、チェチェン会
議が生まれるならそれもよし。いろいろな案を検討するために。論争し、討議
を重ねる会議を、しかし、その論争も討議も速やかに進めなければならない、
もう余裕はない。速やかに強力な知力の結集のための会議をつくらねば。野心
のない、だれが先に招請されたなどということにこだわらない、我が国おなじ
みの政治エリートの下劣さ抜きで。

 今はとにかく考えなければならない。 生き延びるために。われわれ皆のた
めに。ベスランの子どもたちの霊のために。 臆病者たちにはその職から去っ
てもらうしかない。彼らの仕事は終ったのだから。

原文: http://2004.novayagazeta.ru/nomer/2004/67n/n67n-s00.shtml
訳:T.K

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