チェチェン総合情報

チェチェンニュース Vol.04 No.24 2004.07.29 発行部数:1082部

■バサーエフに聞きたいこと <第一回>
 (大富亮/チェチェンニュース)

●イングーシ蜂起事件の経過と背景

 ロシア軍の侵攻の続くチェチェンの隣にあるイングーシでは、6月21日の 深夜から夜明けにかけて、対ロシアのレジスタンスが、大がかりな軍事行動を 起こした。200人から500人のほどのレジスタンスが、内務省ビルなどを急襲し、 コストエフ内相代行を含め、90人ほどが死亡。夜の間続いた蜂起で、ロシア軍 部隊の装甲車などを焼くなど、激しい戦闘だった。しかもその後、レジスタン スたちはすぐに姿を消し、逮捕者はほとんど出なかった。

 まず、この事件の背景から。一昨年の2002年4月、イングーシ共和国では、 それまで10年以上大統領を務めていたルスラン・アウシェフ大統領に代わり、 連邦保安局(KGBの後身)出身のジアジコフが大統領に就任した。これを境にチェ チェン難民の扱いがぐっと厳しくなり、今年6月にすべての大規模キャンプが 撤去された。とはいえイングーシはロシア連邦中でもかなり貧しい国で、戦争 が続いているために失業率も高く、FSB官僚出身のジアジコフの人気も、今 ひとつだったようだ。

 6月21日の蜂起がこれほど大規模なものだったのに、ゲリラたちが首尾よ く姿を消したことは、イングーシの住民たちがこの蜂起を支援していたことを 示している。イングーシはチェチェンと比べても非常に狭い地域であり、こん な蜂起には相当な背後が必要なはずだ。住民だけではない。7月中にも、イン グーシの警察官4人が、この蜂起に参加したとして、軍に逮捕されたほどだ。 事件の翌日には、チェチェン独立派のマスハードフ大統領につながるスポークス マン、ザカーエフ副首相の声明が発表されたが、事件の犯行の主体が何者かは、 曖昧なままだった(要は彼も事態を把握していなかった)。

http://www.watchdog.cz/?show=000000-000005-000004-000061&lang=1

●ジアジコフの生き残り策

 ところで事件のあと、イングーシで気になる動きがあった。まず、ジアジコ フが国内の治安を掌握していないことが明らかになったため、反対勢力が勢い づき、6月29日にはイングーシのムーサ・オズドーエフ議員がラジオ局エコー ・モスクワで、「政府の腐敗と犯罪の増加」などを指摘し、不信感を表明した。 同じ理由で、7月5日、イングーシの宗教指導者、マゴメド・アルボガチエフ が辞任した。連邦側から見ても、今回の事態は元FSB将軍であるジアジコフの 「失態」であり、世論がプーチン大統領の対チェチェン政策への批判に傾けば、 即、トカゲの尻尾として切り捨てられる可能性があった。

http://www.jamestown.org/publications_details.php?volume_id=396&issue_id=3016&article_id=2368245

 国民の不人気に加えて、モスクワからもスケープゴートにされそうな空気を かぎとったジアジコフは思い切った冒険に出た。7月7日、モスクワでの記者 会見で、チェチェン独立派の穏健派である、マスハードフとの「対話」の可能性 をほのめかしたのだ。しかも挑戦的なことに、「チェチェンの親ロシア派が参 加する必要はない」と言い添えながら。さらに、ヴレーミヤ・ノーボスチのイ ンタビューでは、連邦軍の北コーカサスでの振る舞いを批判し、ロシアそのも のが「ギャングのやりかたで運営されている」とこきおろした。

http://www.themoscowtimes.com/stories/2004/07/07/014.html

 もともとヨーロッパ、南コーカサス、ロシア、アメリカと、各地のディアス ポラを代表にして和平交渉の仲介を依頼してきたマスハードフにとって、ジアジ コフからの申し出は、意外だが、久しぶりのいいニュースに聞こえたはずだ。

 ジアジコフは元FSBでありながら、メモリアルなど人権組織の会議にも顔を出 していたので、いままで私にはちょっと正体のわからない人物だった。こうし てみると意外に老獪な人物なのかもしれない。ジアジコフはロシア政府と渡り 合い、7月が終わる今も、彼は大統領職に残っている。それだけでなく、7月 22日にはプーチン大統領から、ロシア連邦会議(上院に相当)の議員に任命さ れた。

●矛盾する声明

 7月18日になってロイター通信がマスハードフとのメールによるインタビュー を掲載して、チェチェン側のサイトにも掲載された。その時点でのマスハードフの 立場は、ザカーエフ同様、この事件を実質的に把握できていないことを示して いた。次のような内容だ。

1.自分はイングーシでの蜂起には関与していない。
2.チェチェン人はロシアのテロリズムとの戦争を続けている。
3.チェチェン側からの、ロシア領土での戦争は合法である。

http://groups.msn.com/ChechenWatch/general.msnw?action=get_message&mview=0&ID_Message=1379&LastModified=4675481444390483659

 ところが、9日後の27日、チェチェン独立派の通信社、チェチェンプレスと カフカス・センターに、チェチェンの独立派政府筋からの声明がポストされた。 次のような内容だった。

1.イングーシ蜂起は、マスハードフ大統領が承認していた。
2.指揮官はシャミーリ・バサーエフとドック・ウマーロフだった。
3.戦闘に加わった兵士は、後方支援を含めて950人だった。

http://groups.msn.com/ChechenWatch/general.msnw?action=get_message&mview=0&ID_Message=1386&LastModified=4675482329890928459

 どちらのコメントも本物だとすると、マスハードフはこの矛盾をどう説明する つもりなのだろう。また、チェチェン側サイトも、矛盾する記事を脈絡もなく アップロードしていることになり、戦場のゲリラや政治家との繋がりが怪しく なっている感じがする。

 大きな事件が起こったとき、まずマスハードフが関与を否定し、しばらくたっ てからバサーエフが犯行声明を出す。このパターンは、2002年のモスクワ劇場 占拠事件(以下ノルドオスト)以降、ずっと続いている。新しいのは、今度は マスハードフの名前も使われたことだ。マスハードフから否定の声明が出ていない ことからすると、その承認を得たのだろう。

●マスハードフを引きずり込むバサーエフ

 けれども7月27日の犯行声明は、明らかにタイミングを外してしまっている。 事件が世界的な話題性を持っている時、つまり事件直後に声明が出てこそ、そ の事件の主謀者たちと、その主張に注目が集まる。今回の声明は日本の各紙も 気がついていないか、ニュース性が低いと判断しているようだ。

 とは言っても、バサーエフ流の犯行声明に、マスハードフの名前が加えられた ことにも、意味はあるはずだ。二つの声明の経過から推測すると、おそらくバ サーエフがマスハードフに妥協を強いたのだと思う。チェチェン情勢を、<ロシ ア軍対チェチェン独立派>というような二項対立ではなく、複雑な利害関係に 結び付けられた政治家、野戦司令官、軍、情報機関、オリガルヒの争いだと考 えると、今回のイングーシ騒乱も少しわかってくる。

 まず、戦争が続くことは、チェチェンに石油などの権益を持つロシア軍部に とって都合がいい。チェチェンとの和平交渉?冗談ではない、前回の戦争でチェ チェンに負けたのは交渉なんてことを言い出したからだ。

 一方、チェチェン戦争の緒戦の勝利で大統領の座をつかんだプーチンにとっ ては、戦争の継続よりも、早い時点での完全制圧の方が望ましい。911以降 西側から人権問題を突っ込まれることは減ったとは言っても、マイナスイメー ジの源であることは変わりがないし、世論は変わりやすい。また、テロの撲滅 を口にした以上、マスハードフとの和平交渉はもってのほか。

 一方のバサーエフも、和平と言うよりは戦争の長期化を狙って次々と事件を 起こしてきた。ある意味でこちらの動機の方がわかりにくく、たぶん深刻さが 深い。ノルドオスト事件、グロズヌイ政庁爆破、ツシノ飛行場自爆事件、カディ ロフ爆殺。どの事件もバサーエフたちチェチェン側ゲリラの凶悪さを世界に轟 かせた。それは和平への力にはならず、事件が起こるたびにプーチンの強硬姿 勢に評価が集まっている。

 マスハードフ、ザカーエフ、アフマドフ(外相)らの独立派穏健派指導部だけ は、ゲリラ戦を続けながらも、「プーチン政権との和平交渉だけが戦争終結の 道だ」と主張している。けれども、事件がおこるたびに、その和平の試みは挫 折させられてきた。2002年の夏から秋に向かって進みかけた、アメリカ主導の 和平提案、「リヒテンシュタイン・プラン」は、10月のノルドオスト事件によっ てかき消された。

 デンマークで開かれた全世界チェチェン民族会議も、ノルドオスト事件直後 にあたってしまったために、混乱して目立った成果を出せなかった。リヒテン シュタインでロシア側議員と折衝したザカーエフ副首相の経歴には何の汚点も ないが、各国で拘留され、取調べを受ける羽目になって和平交渉どころではな かった。ロシア政府がザカーエフを犯罪者として引き渡すことを要請したため だ。

 イングーシ蜂起事件の意味を、もう少し考えてみたい。 (つづく)

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