チェチェン総合情報

チェチェンニュース
Vol.02 No.46 2002.12.04

■劇場占拠事件をどう考えるか? コヴァリョフ議員に問う

(2002.11.03 ノーヴォエ・ブレーミャ誌に掲載。Легкость мрачных предсказаний 10月25日夕刻、まさに26日の突入直前になされたインタビュー。聞き手はリュボーフィ・ツカーノヴァ。)

記事について:10月末のモスクワ劇場占拠事件の直後、ロシアの雑誌ノーヴォエ・ブレーミヤに掲載された、セルゲイ・コバリョフ下院議員へのインタビュー。94年以来チェチェン問題をみつめ、行動してきた政治家として、コバリョフ議員はチェチェンのマスハードフ大統領との和平交渉のほか、実際の選択肢がないことを主張してやまない。

日本のメディアではほとんど触れられていないことだが、チェチェン共和国のマスハードフ大統領、「反政府武装勢力」のリーダーは、繰り返しロシア側に対して和平を申し入れ、それは拒絶されつづけている。この一点を見逃すと、チェチェン戦争というものが、ある種のいびつな暴力闘争としてしか理解できない。

記事には、エリツィンの側近であったベレゾフスキーと、チェチェンのバサーエフ野戦司令官の結びつきにも触れている。今の第二次チェチェン戦争は、1999年のバサーエフ司令官の隣国ダゲスタンへの侵攻、モスクワでの連続アパート爆破事件から始まったのものであり、特にバサーエフ司令官の行動は結果としてチェチェンにとって大きなマイナスイメージにつながった。(2002.12.02 大富亮/チェチェンニュース編集室)

●ブジョンノフスクの教訓

ただひとつの解決策は、ブジョンノフスク方式を採って話し合いを始めることだ(1995年、第一次チェチェン戦争中に、南ロシア・ブジョンノフスクの病院をチェチェンゲリラが占拠し、和平交渉を要求した。ロシア軍が病院を攻撃したとき、病人をかばったのはむしろ人質を取ったチェチェンゲリラの側だった。チェルノムイルジン首相(当時)がゲリラたちに和平交渉の開始を約束し、人質解放後は、ロシアの議員団がチェチェンゲリラたちの帰還を保証する「人間の盾」として同行した)

あのときも、パルチザン戦のあとにはテロが始まると予告したのがあたってしまった。バサーエフのような者の後には、バラーエフのような者があとに続くということだ。今回の劇場占拠は、出口のなさにかられて行われているとは思えない。女性たちはそうかもしれないが。しかし、彼らの意識がどうであろうと、その背景に、追いつめられた、絶望にかられているチェチェンがあることは事実だ。

ブジョンノフスクの時、バサーエフたちを無事にチェチェンに戻すための人間の盾になった時、移動のバスで私たちは何度もチェチェンの兵士たちに、「自分たちがやったことは犯罪だろうか?英雄行為だろうか?」と尋ねられ、話し合った。私たちが同乗したバスは、ダゲスタンでも、チェチェンでも大歓迎された。戦争の中止を勝ち取った英雄として。しかし、今回はもっと条件が悪い。

あのときチェルノムイルジン首相を交渉の席につくように説得したガイダル副首相(当時)にあたる人が今はいない。現在のクレムリンはチェルノムイルジンよりエリツインより数段ひどい。すぐに「このテロ行為の背後にはマスハードフがいる」という説を盛んに宣伝している。それは、マスハードフ(大統領)をテロリスト呼ばわりすることで、テロリストと交渉なんかできない、と言い訳するためだ。

ブジョンノフスクの時、ゲリラたちには戦闘の準備があった。人数も、150人と多かった。今回は僅か40人、その半分は女性だ。彼らは、初めから命を投げ出している。そこが怖いところだ。ロシア側はアルカイダとの関係、国際テロネットワークとの関係などなど、精力的に嘘をつきまくる。西側の支持をとりつけるためだ。悪いことに、西側はこれを喜んで受け入れる。そうすればロシアもイラク問題で協力的になることを期待できるからだ。

●和平交渉はできない——クレムリンの威信にかけて

クレムリンが言うように、国際テロリズムだとして、西側の支持をとりつけるなら、西側風の反テロ作戦の原則というものがある。第一の原則は人質の命を守ることだ。ブジョンノフスクがそうだった。武装勢力を説き伏せて人質を無条件に解放させる。もちろん彼らの要求を受け入れてただちに軍隊を退くことは物理的に不可能だ。そのぐらいは彼らにだって理解できる。しかし、今、和平交渉に入れないのは他の理由がある。

それは、交渉がクレムリンの威信を傷つけるからだ。交渉はクレムリンの計画に入っていない。しかし、逆なのだ。停戦の決断ができれば、それは誉められこそすれ屈辱ではない。和平こそが民族政策の英知の証拠なったのに。こんなに長い間戦争を停止できないこと、それこそが屈辱なのだ。

ザカーエフ(副首相、マスハードフの報道官)は、マスハードフが今回の行動を激しく非難していると語っている。一方、クレムリンのプロパガンダではマスハードフが何か激しい調子で語っているビデオを流して、マスハードフがテロをあおっていると主張している。ソ連時代からおなじみのやり方だ。私はチェチェンのプロパガンダも信用しない。言ってみればモフラジ・ウドゥーゴフはゲッペルスだ。だがロシアのプロパガンダを信じないのは言わずもがなだ。一言一言が嘘ばかりではないか。

●ベレゾフスキーとバサーエフ

ブジョンノフスクの方式を検討してみる余地はある。あの事件のあと数ヶ月は平穏だった。 戦火が再燃したのは1995年の12月17日からだった。それまで、チェチェンとロシア共同和平監視委員会が監視を続け、だらだらとではあったが和平交渉が続いていた。平和とは言えないまでも戦争でもなかった。もちろんパルチザン戦はなかった。戦火の再燃はロシアの指導部の愚かさというか、チェチェンで挑発的に違法に選挙を強行した卑劣さがもとだった。しかも、最初に戦火があがったのはグデルメスだった。まさに選挙と直接関係があった。

チェチェン人を使ってロシアの意志を通そうとすれば、内戦が始まるだろう。私は民族自決の擁護者ではないが、マスハードフが置かれている困難さはよく理解できる。彼は民族自決さえ捨てて、内戦を避けようとしている。彼はイスラム教国家をめざしてはいない。すでにクレムリンに対して、何度も人身売買の取り締まりで協力しあおうと提案し、国際赤十字職員7人の射殺など、政治がらみの虐殺には裏があると、自説を前面に出してきた。

その彼をモスクワや国際社会が支援すれば、彼のチェチェンの中での格も上がり、野戦司令官の誰も太刀打ちできなくなっていたはずだ。実際には、ロシア政府は96年から99年の戦間期に、特使としてベレゾフスキーを送り込み、彼に大きな権限を与えていた。だがそこで彼が会っていたのはマスハードフではなく、バサーエフだけだった。彼は何度となくチェチェンに出向いていたが、マスハードフには会わなかった。

会うのは常にバサーエフ、資金を与えるのもバサーエフ。99年のダゲスタン侵攻の直前にもバサーエフに会っている。バサーエフは兵士としては優秀だが、政治的には狡猾な陰謀家だ。彼はマスハードフに大統領選で敗れたが、チェチェンでは影響力を持っていた、そして、マスハードフを動かせるほどだったことは、マスハードフ自身が認めざるを得なかった。マスハードフはそういうものに囲まれていて、自力でこれを克服することはできなかった。

これと並行して、ロシアの特殊部隊が自分のゲームを展開していた。また、チェチェン民族特有のメンタリテイ。これを抜いては理解できない。これに加えて、ロシアではリベラルと言われる人たちさえ、ハサブユルトの和平を屈辱、ロシアの民族的な敗北と感じており、ハサブユルト合意の再現を求める人々に対して、あらゆるチャンスをとらえて分裂工作に出た。それが効を奏してダゲスタンへの侵攻が起きてしまった。あれはまったくチェチェン政府、マスハードフにとってでも、ムスリムにとってでもなく、ロシア政府の意を汲んで実行されたものだ。

●マスハードフでなければ、誰と交渉するのか?

もちろん今でもマスハードフの交渉相手としての権威は充分だ。他に誰を相手にしろと言うのか?傀儡のカデイロフと交渉するなんて無意味だ。チェチェンでのリーダーシップも、時間と状況で変化するから、マスハードフと交渉を始めれば彼の株は上がり、たちまち充分な立場になる。チェチェン人は戦争に疲れている。チェチェンで戦争継続を望む者は、ロシア軍の将軍たちと同様、戦争で儲けているような卑劣漢だけだ。和平交渉が始まりさえすれば、あるいはその兆しが見えさえすればマスハードフの権威は急上昇して、97年1月(第一次戦争の終結直後)を越えるだろう。なにより、ザカーエフの言によれば、マスハードフは今回の事件に対して激しく否定的だったのだ。

マスハードフは、和平交渉について再三その用意がある、それを希望すると表明してきたし、妥協点を捜そうとさえ書いていた。まさに、だからこそ、マスハードフを交渉相手にすることはロシア政府にとって都合が悪いのだ。

パルチザンを相手の闘いに勝利はない。それを押さえつけても決して終わらない。戦争終結を求めるテロではなく、報復テロが始まるだろう。少しでも賢い方向へ政策転換をするか、陰鬱な予測が当たってしまう状況へすすめるのか。そのどちらかだ。

●劇場への特殊部隊の突入の後・・・

結局、権力が何を最優先するのかが明確に示された。国民の命は最優先ではない。国家の威信が、人質の救出より優先されたのだ。どれだけの危険があるか、自覚した上での突入だった。もし、この毒ガス攻めが始まったことをより早くゲリラたちが気づいていたら、劇場は爆弾で崩壊し、ガスにやられた人質たちはがれきの山の下敷きになって、死者は120人ではすまなかっただろう。突入後の世論の喜びよう、プーチン礼賛は嫌悪すべきものだ。マスハードフも、もっと決然とした態度をとるべきだった。もちろん彼の立場は苦しく、さまざまな勢力を相手に2重3重のゲームを強いられていたのだろうが。

くりかえしになるが、唯一の道は交渉だ。マスハードフ、チェチェン議会、あるいはその代表、とにかく連邦軍と対峙しているその人々との交渉をすべきだ。チェチェンを、ロシアの指示に従うチェチェン人に統治させるのは、典型的な植民地政策に他ならない。それには断固反対だ。そんなことをすればチェチェン内部で内紛が絶えない、大変な状況になるだろう。

原文:
http://www.newtimes.ru/artical.asp?n=2971&art_id=3176

参考/文中の各人名については総合情報内の「人名メモ」
http://www9.ocn.ne.jp/~kafkas/biograph.htm

マスハードフ大統領へのインタビュー:
http://www9.ocn.ne.jp/~kafkas/chn/0114.htm

(抄訳:T.K)