チェチェン総合情報

チェチェンニュース
Vol.02 No.21 2002.07.30

■概況

●連続アパート爆破事件に再びスポットライト

1999年9月、モスクワ市内のアパートが突然爆破され、すぐさまチェチェン人が「テロ犯人」として連邦保安局に名指しされる事件が起こりました。犯人たちは「チェチェンに逃走した」とされ、ロシア国内での反チェチェン感情が一挙に高まりました。

その後この事件に関係したとされるカフカス人に対する裁判が開かれたものの、うやむやに終わる一方で、政商ベレゾフスキー氏などからは、この事件はFSBが企んだものだといった指摘が繰り返しなされています。

いまだにこの事件をチェチェン人の仕業だと信じているのは当のロシア人くらいではないかと思いますが、先週、原因究明のための集会がモスクワで開かれ、元FSB将校がインターネットを通じて(!)証言台に立ったために、再び注目を浴びています。

真犯人がチェチェン人、FSBいずれにしても、この事件がロシア国民の憎悪と戦意の強化に大きく役立ったという事実は動きません。そして、チェチェンでの敗北が明らかになるにつれて戦意は弱まり、この事件を究明しようとする動きに対しても圧力が弱まりつつあるように見えます。詳しくは【連続アパート爆破事件関連】 の項をご覧ください。

●プーチンは、本音では戦争終結を欲している

本紙でも時折名前の挙がっているロシアの人権派、セルゲイ・カバリョフ下院議員が、プーチンの本音についての観測を述べました。状況からしても妥当と思われるのですが、プーチン氏は「戦争終結の必要性をずっと前から悟っているが、その方法を見いだせないでいる」ようです。また、アメリカの駐ロ大使は国際会議の場で、チェチェンからの撤退を強く勧める一方、ロシアからの石油買い付けの増量をちらつかせました。アメリカの動きがチェチェン和平に結びつくことは望ましいのですが、その背景には平和とはまた別個の目的があると考えるべきでしょう。参考のため、モスクワの軍事評論家、フェリケンガウゼル氏のアメリカ批判を掲載しました。詳しくは【和平への動き】 の項をご覧ください。

●グルジアに戦火拡大?

チェチェンとグルジアの国境地域で、ここ数日激しい戦闘が発生しているようです。チェチェン、ロシア双方の報道内容が大きく食い違っているので状況は判然としませんが、大まかにロシア側のソースは、「グルジアのパンキシ渓谷のチェチェンゲリラがチェチェンに戻ろうとして突破を試みている」、チェチェン側は「チェチェン領内からの攻撃を行っており、予定の作戦行動だ」と声明しています。当のグルジアのシュワルナゼ大統領はロシアの言い分を支持し、戦闘には「ロシア・グルジア両軍が参加している」とコメントしました。チェチェン問題にはどちらかというと真摯に対応している指導者なので、一定の信頼は置いていいと思います。くわしくは【戦闘状況】 の項をご覧ください。(大富亮)

【連続アパート爆破事件関連】

■元FSB将校、テロリスト集合写真をでっち上げとコメント

7月24日のラジオ局「エホー・モスコボイ(モスクワのこだま)」によると、ロンドンに亡命中の元FSB(連邦保安局)将校、アレクサンドル・リトビネンコ氏は、1999年にモスクワで起きたアパート爆破テロの下手人とされるアチャメズ・ゴチャエフと接触があったとされる件で、世界中のいかなる情報機関にも公開の席でなら、協力・証言する用意があると声明した。

そして、ロシアでは欠席裁判で国家反逆罪に問われている自身の逮捕について、ロシア当局が協力を依頼するとしている英国の諜報機関からは何の音沙汰もないとした上で、FSBのウェブサイトに載っているテロの下手人ゴチャエフとその黒幕ハッターブという「証拠写真」を合成による偽物に過ぎないと決めつけた。原文:

http://www.echo.msk.ru/7news/archive/102119.html問題の写真:

http://groups.msn.com/ChechenWatch/general.msnw?action=get_message&mview=0&ID_Message=114&DDir=-1

■爆弾テロの首謀者としてFSB高官の名が上がる

7月25日、モスクワのテレビ局NTVは、クレムリンの赤の広場とモスクワ川を隔てて対岸にある高級ホテル、バルチク・ケンピンスキーを会場とする「1999年秋・モスクワ・ボルゴドンスクでのアパート爆破テロ事件究明委員会」の討論を中継した。

この番組にはロンドンから亡命中のFSB将校リトビネンコ氏が、弁護士と共にインターネットTV中継により参加し、その中でFSBがテロ実行犯とするカラチャイ人ゴチャエフの無実を指摘すると共に、真の首謀者は、当時FSB副長官であったゲルマン・ウグリュモフであると名指しした。

これらの指摘についてFSBは直接の論評を拒んでいる。なおウグリュモフは2001年1月からチェチェンで北コーカサス対テロ作戦本部創設を指揮していたが5月31日に公式には心臓発作とされているがピストル自殺を遂げている。

■爆弾テロ容疑者ゴチャエフの証言

1999年の、モスクワでの連続爆弾テロ事件の下手人と言われる、カラチャイ人、アチメゾ・ゴチャエフ氏は逃走中であるが、自分は無実の罪で追われているとして、自分のテロへの関与を全面的に否定すると共に、自分がハメられたとして、事件前後の経緯につき彼の知る限りを供述書にしたためて、チェチェン側が組織している一連の爆弾テロ事件の調査委員会に提出した。

それによると、1970年生まれカラチャエフスク出身で、学齢期にモスクワに移住、兵役終了後は、モスクワで別荘建設とブローカー業を営んでいた。99年6月、昔からの知人が接触してきて食料品を彼から買い取り、様々な取引を持ちかけ共同事業の開始を提案した。そのとき事業展開に必要と言うことで幾つかの住宅を世話して欲しいと依頼され、彼が世話した幾つかの住宅が、いずれも爆破事件の現場となった建物の中にあったというのである。

彼自身は、チェチェンには行ったこともなく、またチェチェン人社会とも繋がりが無く、ウルス・マルタンの訓練施設でテロ訓練を受けたとか、バサーエフとハッターブから直接命令を受け、テロ実現の報償として50万米ドルが支給されたなどと言うのは一切が嘘としている。彼が身を隠したのは、自分の兄弟が、民警に勤務しており、容疑者を逮捕現場で直ちに射殺せよという指示が出ていることを知らされ、口を封じられると知ったからだとしている。

彼自身は、取引を持ちかけた知人がFSBの特務工作員だったと思うとしている。また、リャザンで起きた事件には、自分と繋がるものは何もないと語っている。

【和平への動き】

■「チェチェン戦争は民主化に反する」/バーシュボウ米大使発言

7月22日、アレクサンダー・バーシュボウ駐露アメリカ大使は、モスクワ近郊のゴリツィノで開かれた国際会議の場で、チェチェン問題についての発言を行った。APが23日に伝えたところによると、同大使はロシアのチェチェン進攻について「ソ連崩壊後の民主化の動きに反するものだ」と率直な批判を表明した。また、アメリカは天然資源確保の一環として、来年からロシアからの原油の輸入増を検討していることを明らかにした。

バーシュボウ氏の批判は続く。「ロシアがチェチェン戦争に政治的決着を図る勇気があるならば、なぜ度重なる”事態正常化”の宣言にもかかわらず戦争が続いているのか? ロシアの指導者層が、軍は”対テロ作戦”に従事していると説明するのなら、深刻な人権侵害に関与しているのは一体誰なのか?」ここで興味深いのは、バーシュボウ大使の発言に見られる、アメリカの天然資源に対する強い関心である。ロシア政府の収入が、輸出入の際の関税に大きく依存していることを考えると、「石油を買うから、その代わり戦争をやめろ」というメッセージは一定の有効性があるかも知れない。(大富亮)

原文:

http://www.themoscowtimes.com/stories/2002/07/23/003.html

■カバリョフ議員「プーチンは戦争終結を欲しているが・・・」

7月25日のチェチェンプレスは、24日にドイツの通信社が行ったインタビューを引用して、人権活動家でロシア下院議員のセルゲイ・カバリョフ氏の「プーチン大統領は、ロシアにとって諸悪の根元となっているチェチェンにおける戦争終結の必要性をずっと前から悟っているが、どうやって抜け出したらよいか、その方法を見いだせないでいる」という見解を紹介した。

カバリョフ氏の見るところ、プーチンは、自ら始めることを認めた戦争を終結に運ぶもっともな理由を見つけかねているが、もはやチェチェン戦争は彼とその政権にとってプラスになるものは何もなくなっていることを十分に知っている。またアスラン・マスハードフ大統領を物理的に抹殺した場合、それが引き金になって起こるであろう、チェチェン抵抗運動の反発も心得ている。

従って最終的にはマスハードフとの交渉による政治的解決を決断せざるをえないであろう。チェチェンは今やロシアの西側との地政学的な思惑の人質のようなものであり、その意味で西側が果たすべき責任は極めて大きいとも語った。

原文:

http://www.chechenpress.com/news/07_2002/8_25_07.shtml

■残忍の泥沼へ−−−アメリカが主導する世界

7月25日付けのモスクワタイムスに掲載された連載記事 "Defense Dossier"の中で、ロシアの軍事評論家、パーヴェル・フェリケンガウズル氏は、アフガニスタンの戦争について、「アルカイダ掃討のための爆撃の結果、ここ数週間で400人の市民が犠牲になった。アメリカは"ミス"によって女性や子どもを含む市民を殺害し、最終的には犠牲者たちがアルカイダの”人間の盾”だったと説明している」とした。

その上で、「これはごくひかえめな数字だが、チェチェンでは一月あたり50人から80人の若者が、拘束されるか殺されるかする状況が半年以上続いている。一方でイスラエル軍は今週、ガザの住宅地を爆撃し、ハマスのリーダーを殺すために他に14人のパレスチナ人を巻き添えにした。世界的に、戦争の法が崩壊しつつある」と指摘した。

フェリケンガウズル氏はこういった事態の原因をアメリカに求めた。「明らかに、アメリカのアフガン攻撃が、戦争犯罪の公然化をもたらしている」 つまりアメリカが行う「対テロ戦争」が、戦争にまつわるルールのすべてを無視しているため、ロシアやイスラエルの指導者はやすやすと言い抜けることが可能になっているというのである。国際法廷の設置をめぐるアメリカの横暴な態度に触れた上、同氏はこう結論する。「アメリカが率いる世界は、非人間的な泥沼に引きずり込まれつつある」。

ロシアの言論からは、この記事のようなシニカルな批判がなされていることも、気にとめておきたい。第二次大戦後に南米で行われてきたアメリカによる支配は、現在のチェチェン進攻以上に人間性を欠いたものだった。(大富亮)原文:

http://www.themoscowtimes.com/stories/2002/07/25/009.html

■モスクワ、独立新聞の論評

7月23日のロシアの日刊紙ニェザビシマヤ・ガゼータ=独立新聞は、イリヤ・マスカコフ記者による「マスハードフは武装勢力を統合した」という論評を掲載した。その中で、22日にチェチェンで公表された拡大国家防衛委員会の発表を克明に分析し、この委員会の最大の成果がマスハードフ大統領とバサーエフの対立の最終的決着、バサーエフによる97年選挙の結果の受け入れであるとした。

この記事の中でマスカコフ記者は、「マスハードフによるチェチェン国内の全武装勢力の掌握は、来るべき8月に独立派勢力の大規模な攻勢を予感させられる」としている。もはや、マスハードフの統制下にないのは、国外にいるゲラエフ配下の部隊のみであるが、彼らにも、「マスハードフの指揮下に入る以外に道は残されていない」と記者は見ている。

加えてここ数ヶ月の苛烈な掃討作戦が、ますますロシア軍とその庇護のもとにある親ロシア派行政府から人心を離反させ、ロシア軍占領下の村々からは、「武装勢力は、まさに解放者・救済者として支持されている」このことには、現地のロシア軍も痛感し始めているとしている。

この様な情勢の中で登場した、スルティゴフ/チェチェン人権担当官に関しても、彼にはより年輩のチェチェン人政治家たちの支持がなくては動きがとれないこと、「モスクワ指向の強いスルティゴフ氏がチェチェン国内の政治・行政に対する野心のないことが唯一の支持の源泉である」と分析している。

【戦闘状況】

■チェチェン・グルジア国境で激戦

7月27日朝よりチェチェン・グルジア国境地帯付近でロシア国境警備隊とチェチェン独立派武装勢力の間で激しい戦闘があった。独立派・ロシア軍双方ともこれを認めているが、詳細については、例によって大きく食い違う。

●ロシア側

イティム・カリンスキー地区国境警備隊は、朝早くグルジア国境からチェチェン側ケリゴ渓谷に侵入した馬を含む60人ほどの武装部隊を発見、交戦した。戦闘は非常に激しく、国境警備隊側には5名の死者と3人の負傷者が出た。国境警備隊は戦闘爆撃機の支援で態勢を固め、予想される行き先への道を断って包囲をした。土曜の夜と日曜の未明、包囲を突破しようと武装分子は戦闘を仕掛けてきたが、国境警備隊より撃退された。

最初の衝突のあった場所で、国境警備隊はチェチェン側武装勢力の遺留品武器多数を押収した。その中には小型携帯対空ミサイル(スティンガーミサイル、ロシアのイグラなどのこと)数セットとグレネードランチャー数丁が含まれれていた。北コーカサス国境警備本部は、予備部隊のケリゴ渓谷への増派を決定した。

原文:

http://kavkaz.strana.ru/news/153841.html

●チェチェン側

独立派イスラム系サイト、カフカスセンターは28日11時に、二つのチェチェン部隊司令官と無線連絡を取り、シャトイ地区とイトゥム・カリンスキー地区で、二つの部隊がロシア国境警備隊を攻撃し、敵に39名死亡という大被害を与えたことを確認した。最初の戦闘は午後2時、第2の戦闘は午後5時半に、いずれも少数の偵察部隊が、ロシア国境警備隊にわざと発見されるという罠をしかけ、充分敵を引きつけたところへ本隊が圧倒的な攻撃を仕掛けた特殊作戦であった。チェチェン側は粉砕した国境警備隊から多数の武器を戦利品として獲得した。5丁のグレネードランチャー、3丁の狙撃銃、20丁の自動小銃とPK式機関銃5丁それに手榴弾や無線通話装置などが含まれる。

チェチェン軍は、ロシア側の日曜日にもこの地区で戦闘が続いたという報道を否定し、チェチェン部隊は、速やかに移動し自らの陣営に帰り着いており、ロシアの戦闘爆撃機が無人となった衝突現場付近に爆撃を続けているに過ぎないとした。同時に、ロシア側のグルジアからのムジャヘディン潜入という報道を否定し、この作戦がチェチェン国内で、先に策定された軍事委員会の夏-秋攻勢の一環として実施されたものだとした。なおチェチェン側の死者は3名であった。

原文:

http://www.kavkaz.org/russ/article.php?id=4247

■国境警備部隊、チェチェン軍となお交戦中/ロシア報道

7月29日付けのモスクワタイムスによると、28日、グルジアとチェチェン国境地帯において、チェチェンに侵入しようとしたゲリラと、ロシア国境警備部隊との間に激しい戦闘があった。国境警備軍によると、武装したチェチェン人50名がグルジアからチェチェンへの国境を突破しようとしており、ここ2年間でも最も大規模な戦闘になっている。今のところチェチェン側3人が死亡、2人が投降。ロシア側の損害は負傷者5人。モスクワタイムスの記事内容は典型的なロシア側発表だが、チェチェン側はこの戦闘は「グルジア>チェチェン」への部隊の移動ではなく、チェチェン内部からの攻撃だと声明している。チェチェン側の行動の目的も含め、状況は不明確である。

原文:

http://www.themoscowtimes.com/doc/HotNews.html#23384

■「チェチェン人がチェチェンに突入しようとしている」/シュワルナゼ発言

7月29日、グルジアのシュワルナゼ大統領はラジオ番組の中で、チェチェン=グルジア国境での大規模戦闘について、「戦闘中のチェチェン人はグルジアのパンキシ渓谷からチェチェンへ帰還しようとしており、国境を警備しているグルジア軍とロシア軍はこれを迎撃せざるをえない」との見解を明らかにした。モスクワタイムスの報道による。

原文:

http://www.themoscowtimes.com/doc/HotNews.html#23389

【戦死数についての議論】

■チェチェン側発表による双方の損害

7月22日にロシア政府は、チェチェン武装勢力のこれまでの損害は約13,500人と発表した。これについてのチェチェン側のコメントによると、「チェチェン武装勢力の損害については、現実との乖離は少ない」。ただし、一般住民の被害は「6−7万にも上っている」。

逆に、「プーチン政権が公表していた、第2次チェチェン戦争勃発当時のチェチェン軍の総数は約5万であった。とすると、チェチェン軍をほぼ壊滅させたというロシア側の主張は、いかなる理由によるのか」と疑問を投げかけている。

ロシア側の損害については、元内相クリコフ氏が先週明らかした、チェチェン戦争の損害がアフガニスタン戦争と並んだというコメントが真実とすれば、損害は死者10万人、負傷者30万人ということになる。この数字が大げさとしても、被害の数は数万を下ることはないと思われる。

http://www.chechenpress.com/news/07_2002/7_23_07.shtml

■チェチェンでの損失、アフガニスタンより多い/ロシア紙

7月24日づけのロシアの新聞、ノーヴィエ・イズベスチア紙

http://www.newizv.ru/ は、ロシア当局の発表している「様々な」数字を分析して、第2次チェチェン戦争のロシア軍の損失が粉飾されている現状を鋭く追求する記事を掲載した。それによると数字の逆転現象があり、死者が蘇る珍奇現象が発生しているとした。また、アフガニスタンで一定期間にソ連軍が失った兵員よりもチェチェンで失っている兵員の数が遙かに上回っており、大祖国戦争(第2次大戦)以来最大の損失のレコードを日々、塗り替えているという。この記事をチェチェン側では、政府系のチェチェンプレスがコメント抜きでそのまま掲載した。

原文:

http://www.chechenpress.com/news/07_2002/12_24_07.shtml

一方、イスラム系のカフカスセンターは、25日にコメント付きで内容を紹介し、チェチェン側が見ている第2次チェチェン戦争のロシア軍将兵戦死者の数を3万とした。また、戦死者の半数は、いわゆるコントラクトニキと呼ばれる契約志願兵たちであり、その70%は、破廉恥罪で服役中にチェチェン戦線行きと引き替えに赦免を受けたものであると指摘した。

第一次チェチェン戦争では練度の低い一般徴兵の新兵が投入されて、多くの損失を蒙り、ロシアでは社会問題となった。日本ほどではないにしろ、ロシアでは子沢山の時代はとうの昔に消え去り、7−80年代には、一人っ子中心の社会になっていた。そこに突然アフガニスタン派兵で戦場に送り込まれた将兵の損失が、結局ソ連そのものを崩壊させたのは記憶にまだ新しい。

【人権】

■ロシア政府チェチェン人権代表、軍との協力を予定

7月18日、ロシア政府のアブドゥル・スルティゴフ/チェチェン人権担当官は記者会見の場で、今後の最優先課題として、軍と協力して、身代金目当ての逮捕や殺害など、チェチェンでの人権抑圧の停止を目標としてかがげた。また、欧州評議会とロシア下院のチェチェン問題合同作業部会とも協力する準備があることを明らかにした。一方、7月19日付けのノーヴィエ・イズベスチア紙によると、チェチェン選出のロシア下院議員アスランベック・アスラハノフ氏は、ロシア軍が現在も組織的に人権侵害を行っており、情報封鎖を続けていることに対してふたたび強い不快感を表明した。原文:

http://www.rferl.org/newsline/2002/07/190702.asp

■ブダーノフ大佐、モスクワで精神鑑定

7月22日、ロシアのノーボスチ通信社は、18歳のチェチェン人少女を強姦殺人したとして訴追されているロシア軍の戦車隊長ブダーノフ大佐が、改めて精神鑑定を受けるためモスクワのセルブスキー精神医学研究所へ送られたと伝えた。彼の弁護人、アレクセイ・ドゥリモフ氏もこのことを公式に認めた。