チェチェン総合情報

チェチェンニュース
Vol.02 No.19 2002.07.23

【和平への動き】

■マスハードフ大統領、R・ハスブラトフ氏と協議

7月19日付けのロシアの新聞、モスクワ・ニュース紙は、ルスラン・ハスブラートフ氏にインタビューし、ハスブラートフ氏の提案する第2次チェチェン戦争の決着案に対してマスハードフ大統領のコメントが届いたことを聞き出した。ハスブラートフ氏はこれに先立ち、トルコ、イスタンブールでマスハードフ大統領の特別代表を務めるアフメド・ザカーエフ氏とも秘密協議を行っていたとされる。

この提案は、ブレジンスキー提案よりも更に、チェチェンの地位が深く検討されていることが特徴的で、ロシアが第2次チェチェン戦争に勝利はできないと明言している。ハスブラートフ案では、チェチェンはロシアの枠内に名目的に残留し、通貨制度もロシアの通貨を維持するが、「国際自治」と名付けられる極めて高度な自治権を得る。これは国際社会により自治を保障する制度であるが、独自の軍隊を持つのかどうかなどの点で、ハスブラトフ氏はマスハードフ氏と完全な意見の一致を見ていない部分も少なくないとしている。

http://www.mn.ru/issue.php?2002-27-14注:ハスブラートフ氏は1942年生まれのチェチェン人。経済学者・政治家。現在は政治の表舞台を去っているが、ソ連を崩壊させた1991年の8月クーデター当時は、エリツィンと共にロシア議会に立てこもって戦い、91-93年にはロシア連邦最高会議議長を務めた。また93年の9-10危機にはエリツインと対立して再度議会に立てこもったが、エリツィンの議会ビル砲撃に敗れ、収監され翌年2月恩赦されるが政治の表舞台からは去った。

【戦闘状況】

■カフカスセンターが伝えた各地の戦況

7月16日、チェチェン独立派側の有力サイト、カフカスセンター(http://www.kavkaz.org/)が伝えた、最近の戦闘状況を紹介。最近の戦闘はヴェデノなど南部地域だけでなく、首都グロズヌイでも激化している模様。

シャトイ地区/15人ほどの独立派兵士がロシア軍の車列を襲って装甲車を破壊し、自陣営に戻る途上、ロシア軍に発見され銃撃戦となった。ロシア側は包囲しようと試みたが、兵士たちは決然として立ち向かい、裏をかいて包囲網を突破した。その間に、ロシア兵8人以上を倒したが、2名の戦死者を出した。なお彼等が銃撃戦の数時間前にシャトイ北郊で破壊したのは、BRDM4輪駆動装甲車2両と牽引式対空高射機関銃1基。

アチホイ-マルタン地区/アチホイ-マルタンの町に入った機動小部隊は、占領軍の陣地を襲撃した。ロシア軍および「民族の裏切り者」(親ロシア派のチェチェン人部隊などを指す)との交戦は数時間にわたり、ロシア兵6人を倒し、チェチェン人の兵士1名を捕虜として、部隊はチェチェン南西部の基地に引き揚げた。

ヴェデノ地区/ヴェデノの町とその周辺部での戦闘は今日も続いている。ヴェデノの町中および、付近の集落、シャミリ・フトル、ジャンニ・ヴェデノ、ドゥイシノ・ヴェデノなどで衝突が続いている。一方、ロシア軍は大量の装甲車部隊と自走式重火器をこの地域に集結させようとしている。

シャリ地区/セルジェニ・ユルト村でロシア軍は新たな「掃討作戦」を開始。村は目下封鎖されている。

グロズヌイ地区/15日夜、アルグン川にかかる橋のたもと、ロシア軍検問所付近で軍の車列が遠隔操作地雷で爆破された。爆破の後、車列に銃火が浴びせられ、ロシア兵のこと3名が戦死、10名以上が負傷した。地雷でBTR装甲兵員輸送車1両が大破した。チェチェン側に損害はなかった。

ショルコフスキー地区/ショルコフスキー地区でも激しい戦闘があり、チェチェン側に3名の戦死者が出たが、内の2名は、ノガイ・ジャマートの戦士だった(訳注:ダゲスタン人の部隊であろう)。一方、ロシア側に付いていたチェチェン兵士2名とロシア兵5名以上が戦死した。

ヴェデノ地区/15日夕方、ヴェデノの町外れで、チェチェン側の偵察隊とロシア軍の特殊部隊が遭遇して小競り合いとなり、チェチェン側は戦士2名が失われたが、ロシア側が町の中心部に向かって大急ぎで退却したので、チェチェン側は深追いを避けた。

グロズヌイ・ザボドスキー地区/16日早朝、ロシア軍の地区司令部を所属不明のチェチェン部隊が非制御ロケット弾で攻撃。6発が立て続けに発射され、司令部は炎上した。付近の住民の通報によれば、最低4名が即死、負傷者多数が出た。

朝より装甲車が増派され、司令部付近は厳戒態勢にある。

アチホイ・マルタン地区/16日朝、アチホイ・マルタンでロシア軍の複数のBTRとURAL型大型トラックが破壊され、ロシア軍兵士7名が戦死した。この他、野戦司令官アッサドゥラが南部戦線で地雷に触雷して死亡した。

http://www.kavkaz.org/russ/indexr.php?raz=4

■ロシア連邦軍によるヴェデノ地区空爆激化

7月16日、ロシア空軍機は10回にわたりヴェデノ地区のエシェルハティ、エリスタンジ、アギシトィ、ヴェデノ、シャミリ・フトル、ジャンイ・ヴェデノ、ベルガトイ等の集落周辺を、爆弾とロケット弾により爆撃した。結果4名の住民が死亡。

■ロシア側報道による戦況

7月15日付けの「チェチェン共和国情報チャンネル」から15日付戦況報道を紹介する。このサイトは実質的にはロシア政府系通信社strana.ruのチェチェン報道サイトだが、チェチェン共和国政府の公式サイトを名乗っている。

武装分子、民警将校を殺害/14日の夜、グロズヌイ地区イリンスカヤ集落で任務を終えて帰宅途上の内務省地区責任者が銃撃を受けて殺害され、所持していた弾丸16発入りカートリッジのついたマカロフ型自動拳銃を奪われた。捜査当局は、9mm口径の銃弾2発と薬莢7発を犯行現場で見つけた。

続きはこちら:

http://groups.msn.com/ChechenWatch/general.msnw?action=get_message&mview=0&ID_Message=78&LastModified=4675380236038086183

■ロシア軍「人間の盾」の使用開始

7月14日のカフカスセンターによると、ロシア軍は、チェチェン独立派武装勢力の軍用車列に対する遠隔操作地雷による爆破攻勢に対抗して、非武装住民に「人間の盾」となることを強制し始めた。非武装民間人の乗ったバスを強制的に自分たちの車列に挟み込んで移動していくやり方で、11日にシャリ地区のハットゥーンで初めて行われ、翌日も同一地域で、ヴェデノ地区から来たバスが同じ目に遭わされた。

■チェチェン分離独立派ゲリラが各地でロシア軍部隊を攻撃、6 人死亡

[モスクワ 16日 ロイター]ロシア・チェチェン共和国の分離独立派ゲリラが、共和国内各地のロシア軍部隊や検問所を攻撃し、6人が死亡、少なくとも25人が負傷した。ロシア通信(RIA)によると、チェチェン共和国の首都グロズヌイ東方のアルグンでは、独立派ゲリラが、移動中のロシア内務省軍部隊が渡っていた橋を爆破、部隊に発砲したという。

続きはこちら:

http://www.reuters.co.jp/news_article.jhtml?StoryID=1209580&type=worldnews

【関連情報】

■日本人ジャーナリストの目から見たチェチェン戦争

チェチェンでの戦闘に関連し、第一次チェチェン戦争を取材した日本人ジャーナリストによる取材成果を参考として紹介します。(編集室)番組紹介「カトケンの第三次世界小戦 ミッション2  チェチェン最前線 約15 分」紛争地の悲惨さを訴える報道的芸術写真からでは戦争の正確な実態を理解できない。ブロードバンド放送だからできる、感情を抜きにした本物の戦争を解説。第2回目はチェチェン最前線密着ルポである。ロシア軍に包囲された首都グロズヌイにチェチェン人決部隊とともに突入した。圧倒的に優勢な空爆と砲撃の下で、チェチェン人部隊はどのようにして生き残り、そしてロシア軍と戦っているのか。

砲撃音から瞬時に弾着地点を判断するノウハウ、狙撃兵狩りのための囮、先遣部隊に密着、狙撃ゾーンを駆け抜ける緊張。神出鬼没の攻撃でロシア軍を恐怖のドン底に突き落とした最強硬派野戦司令官シャミール・バサーエフ率いる決死隊の戦い方が明かされる!

http://tandm.tv/

【政治】

■ジャッド卿(欧州評議会)とロシア検事総長、チェチェンでの人権抑圧につい

て議論

7月11日に開かれた、欧州評議会とロシア議会によるチェチェン戦争についての合同作業部会において、欧州評議会側の代表であるジャッド卿と、ロシアのウスチノフ検事総長の間で意見交換がなされたと、ラジオリバティーが報じた。この場で、ジャッド卿はノヴィエ・アルディ、チェルノラーチェ、ハンカラ、アルハン−ユルトなどでの掃討作戦による人権抑圧と殺人についての、ロシア側の調査が不完全なままに終わっていることを指摘した。

ウスチノフ氏はこれを受けて、「調査は継続しているが、ロシア側がただちに責任をとるべき証拠は今のところ見つかっていない」と答えるとともに、ロシア軍の服装をしたチェチェン側ゲリラの犯行であるという可能性を示唆した。こうした議論の後、ジャッド卿は、ウスチノフ氏が提案した、チェチェン視察への同行に同意した。(2002.7.12 RFE/RL)

■FSB 将校、モスクワ爆弾事件調査特別委員会に出席の意向

7月16日付けのロシアの複数のメディアによると、ロンドン在住の元ロシア連邦保安局(FSB)将校、アレクサンドル・リツビエンコ氏は、1999年にモスクワなどで発生した連続アパート爆破事件の調査特別委員会(委員長:セルゲイ・コヴァレフ議員)に出席する意向を明らかにした。委員会は今月25日に開かれる予定。

リツビエンコ氏は、6月25日に、モスクワの法廷での欠席裁判により国家反逆罪を言い渡されている。同氏は現在、FSBから爆弾事件についての関与を疑われているアチメズ・ゴチヤエフ (Achimez Gochiyaev) 氏と接触しており、「非常に重要な情報」を入手しているという。(2002.7.17 RFERL)

■ヤストルゼムスキー氏、チェチェンへの資本投下を勧める

7月17日付けのコムソモールスカヤ・プラウダ紙でのインタビューの中で、セルゲイ・ヤストルゼムスキー大統領補佐官はチェチェン問題の今後について、(憲法制定にむけた)国民投票と総選挙は、チェチェン人が自己決定してゆけるよう、できるだけ早期に実行すべきであると話した。この中でヤストルゼムスキー氏は、ロシアに忠実なチェチェン警察を訓練するべきだとコメントした上で、今後の復興については「投資に次ぐ投資をしなければならない。もし経済が復興できなければ、また新たな問題が現れる」と話した。(2002.7.18 RFERL)

■「ロシア軍の余剰部隊は撤退する」イワノフ国防相、外遊先で発言

7月16日のロイターによると、ロシアのイワノフ国防相は外遊先のオスロで、ロシア軍のチェチェンからの撤退の問題に関して、「今後、余剰となっている部隊の撤退を開始する。しかしこれは余剰部隊に限ってのことであり、ロシア軍のプレゼンスは維持しなければならない」と発言した。撤退時期と対象となる兵力については明らかにしなかった。ロシアの公式筋によると、ロシア軍の死者数は3200人、チェチェン側ゲリラの死者は1万2千人にのぼる。(2002.7.17Reuters) 最近チェチェンでの戦闘は激化し、公式発表を大きく上回る犠牲が出ている。そこで「余剰戦力の削減」という形での撤退論が、ここ最近のトレンドになっている。

http://www.reuters.com/news_article.jhtml?type=search&StoryID=1211839

【ロシア国内】

■モスクワでのラジカル党反戦活動

7月15日昼、クレムリンの城壁わきを流れるモスクワ河の水上バスの甲板から、国際ラジカル党(TRP)のメンバー7−8人が、クレムリンに向かって、「プーチン大統領はマスハードフ大統領との戦争終結に向けての交渉を直ちに始めよ!」というスローガンを大書した横断幕を掲げた。この反戦行動をモスクワの多くのマスコミが取り上げた。インターファックス通信は、酷暑のおり、モスクワの日中の交通は死んだようになっており、この光景を目撃した者は非常に少なかったと冷ややかに報じているが、他の報道では川岸に報道陣だけでも数十人が集まったとしている。一部のロシア側マスコミは、反戦行動の具体的な紹介と共に、事前にTRPがマスコミに流した声明の内容をかなり詳細に流しており、TRPは一定の目的を達したと言えるだろう。なお、民警とのトラブルなどは一切なかった。

http://www.radikaly.ru/photo/20715rivercremlin/pages/20715rivercremlin02.php

【難民】

■イングーシ難民キャンプに対する掃討作戦

7月4日の夜、イングーシ共和国のナズラン地域、ヤンダル村の難民キャンプに、マスクで顔を隠した兵士たちが現れ、難民の住居一軒に火を放った。さらに、何の説明もなくこの住居にいたチェチェン人4人を拘束した。いずれも20代から30台の男性だった。マスクの男たちはVAZ-2106とGAZ-2410ヴォルガで彼らを運んでゆき、チェチェン人たちは消息を絶った。

7月12日には、イングーシ内務省がナズランのイングーシスカヤ通りの住宅を間借りしていた6人のチェチェン人を逮捕した。公式には、この人々がナズランのタクシー運転手を殺害したとの説明がなされたが、イングーシに暮らす難民たちによると、ここしばらくイングーシでは犯罪に関係ない人々が逮捕されるケースが増えているという。ナズランのチェチェン国民救済委員会による。

具体的な情報が明らかになっていないが、この傾向は、イングーシのジアジコフ政権が計画している、チェチェン難民の強制送還に向けた組織的ないやがらせと思われる。

■「チェチェン難民の帰還に国連のコミットは不可欠」グルジア公式筋

7月16日、グルジア外務省のカッハ・シュカルリゼ報道官は、グルジア領内にいるチェチェン難民の帰還について、「国連高等難民弁務官(UNHCR)その他、関心を持つ国際機関が協力し、国際法のもとで実施することが必要だ」との見解を明らかにするとともに、グルジア側が調査したチェチェン難民の詳細データをロシア側に引き渡すという最近の噂を否定した。グルジア国連協会の報道による。これらの意見については、11日までグルジアを訪問していたロシアのルシャイロ安全保障会議書記との折衝でも議題に上ったという。(2002.7.16 civil.ge)

http://www.civil.ge/cgi-bin/newspro/fullpnews.cgi?newsid1026816947,46682,

【親ロシア政権の動き】

■「新憲法」に向けた国民投票

7月16日、チェチェンの親ロシア政権のアフメド・カディロフ行政長官は、今年11月には新しい憲法のための国民投票が行われるの見通しを明らかにした。同日のイタル−タス通信とAFPの報道による。この憲法草案には、今後のチェチェンの大統領職は公選され、任期は5年間。ロシア政府側はこの案を支持するとしている。(2002.7.16 AFP)7月17日に、親ロシア政権のスタニスラフ・イリアソフ首相が明らかにしたところによると、新憲法案に対する国民投票は10月に行われる予定。昨日、カディロフ行政長官の発表した「11月に国民投票」のコメントとの食い違いを見せている。

イタル−タス通信が報じた。同じく親ロシア派のベスラン・ガンタミロフ副首相(前北コーカサス管区検察長官、グロズヌイ市長、その他)によれば、憲法はロシア議会の憲法委員会の保証を得る予定であり、憲法制定の6ヶ月後、つまり2003年の4月または5月に、新しいチェチェン議会の総選挙が行われるという。(2002.7.17 RFERL)憲法案に対する直接投票というのは耳慣れないことである。直接民主制でもない限り、議会選挙と大統領選挙が行われ、その後に憲法を制定するのが自然な流れだが、親ロシア政権には国民の支持という基盤がないために、このような計画をしているのであろう。

戦闘状態のままで議会選挙/大統領選挙となった場合、相当多数のボイコットか、反ロシアの立場に立つ議員多数を立法府内に抱え込むことが予想される。また、戦闘状態が終わったとしても、民主的な選挙となった場合はマスハードフ現大統領(独立派)が当選する可能性は高い。親ロシア政権にとっての最悪のシナリオであろう。(大富亮)

【チェチェン独立派の動き】

■7月上旬の司令官会議詳報

7月21日のカフカスセンターは、6月27日から7月4日にかけて首都から東部にあたるヴェデノ地区の山岳森林地帯でマスハードフ大統領がバサーエフ司令官らと開催した司令官会議の内容を伝えた。これによると、会議は司令官たちの戦術的なレベルでの意思統一だけではなく、イチケリア・チェチェン共和国の政府、議会、地区行政責任者、各戦線・戦域の司令官が参集した大規模な会議だった。

討論内容は戦況分析に加え、夏−秋に向けての作戦計画など軍事面の意思統一、および現行イチケリア憲法の補足・改訂、抵抗運動の発展強化、戦死者・負傷者とその家族への支援策に及ぶ広範なものであった。また人事面では最高司令官のマスハードフのもとに作られる軍事評議会(シューラ)の代表にバサーエフ司令官が就任し、最高司令官代理とした。文字通り、バサーエフが独立派のナンバー2であることを明示しているのである。

現行イチケリア憲法の補足・改訂にあたっては、シャリア(イスラム法)の規定するところとの整合性が検討課題であった。また、マスハードフとバサーエフを中心とした最高幹部の秘密会議で夏−秋の作戦計画が練られ、記者発表用のビデオ撮影が行われた。

翌22日、カフカスセンターは、国防会議の終わりに記録された「記者発表」の模様を詳しくビデオ配信している。イチケリア国旗と黒地に剣とアラビア文字の聖文が白抜きされた小旗を背に、バサーエフ司令官を従えたマスハードフ大統領が談話を発表している。彼の手元にはノートパソコンが開かれている。

この日のカフカスセンターの発表文は、イスラム系の視聴者を意識してマジュリス、シューラ、ムジャヘディン、アミルといった言葉を併用して、ドラスティックな方針転換を感じさせず、またバサエーフが最高司令官代理として、新設される軍事評議会の議長を務めることを強調している。

http://www.kavkaz.org/russ/article.php?id=4101一方、チェチェンプレスは従来通り平易なロシア語で通した表現をしている。こちらは、副首相ザカーエフが新設される広報宣伝評議会の議長に就任し、かれが国家宣伝にあたること、また老人を敬う北コーカサスの風習により、この拡大国防会議に数名の長老が招かれたことを付け加えている。

http://www.chechenpress.com/news/07_2002/7_22_07.shtml2002年春から夏にかけての独立派の動きの大きな特徴は、独立派が和戦双方でロシアに攻勢をかけるなか、独立派の団結ぶりを強くアピールする構図となった。

1997年、第一次チェチェン戦争後に行われた大統領選の立候補者は5名であった。

過半数を獲得したマスハードフ、1/4強を獲得したバサーエフ。今回の会議は、この二人を軸に今後の独立闘争が戦われることを明示し、加えてこの会議の後、8%を獲得したヤンダルビエフをマスハードフの国外代表、特にイスラム諸国担当と再確認した。残りの2名、ウドゥゴフは、非政府系とはいえ重要な役割を担っているカフカスセンターの責任者であり、ザカーエフはロシア政府との交渉においてマスハードフの代理を務める。こうして97年の大統領候補者すべてが重要な役割についたことで、すべてが足並みを揃えたということが伺える。(渡辺千明)写真など:

http://groups.msn.com/ChechenWatch/general.msnw?action=get_message&mview=0&ID_Message=97&DDir=-1

【読者の意見】

■チェチェンと東ティモール(チェチェンニュースに寄せられた読者の感想)

及川 稜乙@あづみの道草あかとんぼの会・代表です。

チェチェンとインドネシアの問題に共通するところが多いというご指摘は、わたしもまったくそのとおりと強く思っています。とくに、大国インドネシアやロシアとの経済的軍事的利益を損なうおそれにばかり気を配って、多角的な見方や情報を提供しない日本のマスメディアに最大の病根があると痛感しています...続きはこちら

http://groups.msn.com/ChechenWatch/general.msnw?action=get_message&mview=0&ID_Message=86&DDir=-1

Re:ご意見ありがとうございます。日本と密接な利害関係のあるインドネシアと同じように、ロシア事情に詳しい人の多くはチェチェンについて語ろうとしません。今後アチェなどの紛争を憂慮する方々と一緒に考えてゆきたいと思っています。(編集室)

■編集室より

多くの方に協力していただいたおかげで、情報が多彩になってきました。

独立派情報が充実してくると、今度はモスクワにアンテナを張りたいと思いはじめます。このバランスは試行錯誤です。何より戦争が続いていることを正視しなければ。(富)