チェチェン総合情報

チェチェンニュース
Vol.01 No.10 2001.07.02

■チェチェン側野戦司令官、戦闘中に死亡

6月25日、ロシア政府のヤストルゼムスキー/チェチェン問題担当報道官は、ロシア内務省軍と連邦保安局(FSB)による掃討作戦の結果、独立派レジスタンスのアルビ・バラーエフ氏(28歳)と、彼の部下17名が死亡したと発表した。

この作戦は、6月19日から24日の間にかけて、グロズヌイの西にあるアルハン-カラの町で行われた。ウラジミール・モルテンスコイ/チェチェン駐留軍司令官代行によると、バラーエフ氏の遺体は遺族によって確認されたという。

バラーエフは、シャミーリ・バサーエフやハッターブなどに次ぐ有力司令官と言われ、99年のロシア軍のシュピグン少将の誘拐などに関与しているとされる。(25日、ラジオ・リバティ)

この掃討作戦によるロシア側の損害については、モルテンスコイ司令官代行は「残念ながら2名のロシア軍人が負傷した」と語る一方、AFPは「170人が死亡した可能性がある」と報道。チェチェン独立派は「ロシア兵180人が死亡」と、関連のWebサイトで発表している。(6月26日、モスクワタイムス、AFP)

■チェチェン紛争の平和的解決を求め、難民がハンストを開始

女性17人、10歳から12歳の子供5人を含む、37人のチェチェン難民が、隣接するイングーシ共和国の難民キャンプでハンストを続けている。

ハンストはイングーシのスレプツォフスカヤにある二つのキャンプ内で行われており、6月4日の開始当初は数人の小規模なものと伝えられていたが、次第に規模が大きくなっている。難民たちはチェチェンへの侵略の停止と、プーチン/マスハードフ両大統領による和平交渉を求めている。

「彼らは絶望している。チェチェンは危険すぎて帰還することもできないのだから」イングーシのアウシェフ大統領は語る。

今のところ、ロシア政府はチェチェン独立派を「山賊」と呼び、直接の和平交渉に応じる動きはない。ヤストルゼムスキー/チェチェン問題担当報道官は、「マスハードフと言葉を交すとしたら、彼が自首した場合だ」と話す。

6月25日、ハンガーストライキの参加者を含む230人以上の難民が、ロシアのプーチン大統領への、対話を求めるメッセージを掲げ、「われわれはロシア兵に殺されるのなら飢えて死ぬ方を選ぶ」と声明した。(6月26日、AFP)

■首都グロズヌイ・グデルメス各所で数回にわたる爆弾による攻撃

6月22日、チェチェン独立派の爆弾による攻撃により、少なくとも5人が死亡、9人が負傷した。

チェチェン南部の自動車道路を走行中のロシア軍のトラックが爆弾または地雷による攻撃を受け、2名が死亡、数人が負傷した。その直後、グロズヌイ市内でも同様の爆発があり、トラックに乗車していたロシア兵1名が死亡した。トラックは操縦不能になり、暴走して市場に突入し、学生2名が死亡した。

親ロシア政権警察当局の、ムーサ・ガジマドマゴフ氏は「グロズヌイの周辺で徹底的な"洗い出し作戦"を行って、この種の事件を根絶する必要があります」と語った。一連の爆破は、19日にチェチェン第二の都市グデルメスでも発生し、3人が死亡、34人が負傷した。

ロシア連邦軍は99年からチェチェンに再度進攻し、ヨーロッパでは第二次大戦以来とされる大規模な空爆によってグロズヌイを占領したが、各地で独立派レジスタンスによるゲリラ攻撃に悩まされている。(6月22日、BBC/22日、ロイター)

■グルジア/チェチェン国境地帯での戦闘激化

6月26日、グルジア/チェチェン国境の山岳地帯での激しい戦闘により、少なくとも9人の独立派レジスタンスが死亡した。現地の連邦筋によると、この戦闘で6人のロシア兵も死亡。12人のレジスタンスがロシア側に投降した。

25日、グルジアのシュワルナゼ大統領は、「数百人」のレジスタンスが、チェチェンに近いグルジア領を拠点にしていると認めた。これまでもロシア政府はグルジアに対し、シュワルナゼ氏がチェチェンのレジスタンスを援護していると抗議を行ってきたが、シュワルナゼ氏は、「グルジア共和国はチェチェンからの難民や、戦闘によって負傷した人間に対して人道上の観点から支援をしているに過ぎない」としている。(6月26日、AFP)

■国際赤十字、チェチェンでの活動を再開

6月27日、赤十字国際委員会(ICRC)は、先月、現地スタッフが銃撃を受けた事件の後停止していた活動を再開した。ICRCによると、この決定は、ロシア政府との交渉の結果、今後の活動についての協力を得られたため。事件についてはなお調査中。(6月27日,AFP)

■日本山・寺沢潤世師の行動

6月18日、チェチェンを含むユーラシアの平和のために行脚を続ける、寺沢潤世さんからの通信が届いた。現在、寺沢さんはウクライナのキエフを出発し、各地の道場を巡回している。以下はその一部。

「カナダ東部の主要都市、トロント・オタワ・モントリオールを巡り、科学者、医師の平和運動者の間でソ連崩壊後10周年の間に激変したロシア、チェチェンの武力紛争が将来にもたらす危機を訴えました。全北米のアメリカインディアンの精神的指導者がこぞって、この危機が古来伝えられてきた予言であるインディアンの使命と悟り、平和創造に立ち上がることを相はかっています。また、100年前、コーカサスからカナダに移住したロシア農民のキリスト平和者の共同体も、チェチェン平和解決に共同歩調をとることを決定しました。<中略>今、全ユーラシアが文明の衝突の危機に直面しています。アフガニスタンのタリバーンによるバーミヤン仏像破壊はその一端であります」(6月18日)

■用語解説<「チェチェン政府」と「親ロシア政権」>

チェチェン共和国は97年に大統領選挙と議会選挙を行い、日本を含む各国の選挙監視下で、現在のアスラン・マスハードフ政権が成立しました。

しかし昨年6月、チェチェンに進攻中のロシア政府の援助により、チェチェン人のアフマド・カディロフ氏を中心にもう一つの政府が設置され、二つの政府がチェチェンに存在しています。

マスハードフ氏が民主的に選挙された経過を考慮し、チェチェンニュースではマスハードフ政権を「チェチェン政府」または「独立派」、カディロフ氏の政権を「親ロシア政権」と表記します。