チェチェン総合情報

ユーラシアからの手紙


南無妙法蓮華経

二〇〇三年十月三十日
ウクライナ国チルカッセ

合掌

 去る八月よりおよそ三ヶ月におよぶ長途の旅から晩秋の色濃いウクライナにもどり、キエフから車で五時間、広大なネーポル河畔にあるチルカッセという地方都市に三日間、心身をやすめ、次の行動計画への準備にそなえるために訪ねています。
 深い静寂の松林がつづき、松の木立が切れた丘の上からは目の前に対岸さえ肉眼で見えないほど芒々たる水をたたえるネポール河が秋のひかりに銀色にきらめいて広がります。
 十二年前、ソ連崩壊以前、初めての仏教伝道の旅の最初に訪れた思い出の町です。清らかな大自然の眺望にめぐまれたこの松林の丘陵地には昔ながらの一軒家屋が点在しており、近い将来、好地の家屋が見つかれば、ここに道場を開きたいと念願しています。ハリコフにあった森林道場が二年前、地方行政の弾圧によって破壊されて以来、五十名百名の同行者の参集し、修行できる道場がなくなりました。この地はそれにまさる景勝の宝土の条件を備えています。
 さてここで、これまでの動きのあらましを記しておきましょう。
 八月中旬、キルギスタンをあとにして、八月二十五日、ジュネーブに入り、北朝鮮国連代表部と初めての接触を取りました。北朝鮮の核軍事化の危機を巡り、当方の平和的解決と新しい東アジアの民衆レベルにおける和解と共存の上に立つ平和樹立への提案を伝えました。
 具体的には東アジア六カ国(北朝鮮、韓国、中国、ロシア、モンゴル、日本)の仏教徒が非核不戦、和解と平和共存の誓願のもとに北朝鮮の金剛山に佛舎利を奉じて平和の宝塔を建立する共同誓願を軸に、明年、六カ国にまたがる平和祈念巡行を行なうという提案です。当時、北京での政府レベルでの初めての五カ国多国間協議は予想通り前進にはほど遠く、北朝鮮側のプルトニウム精製の進行と核武装宣言とが西側メディアで大きく報道された矢先、北朝鮮代表部の参事官二名が急遽、国際平和ビューローの事務所を訪ね、これらの提案を好意的に評価した事は重要な第一歩です。
 次に九月上旬、英国に移りました。一つは、チェチェン紛争が政治的解決への進展を見ないまま、九/一一後の国際反テロ戦争という大きな世界政治潮流の中で、チェチェン独立派の指導者をロシア政府が国際指名手配するという法的武器をつかってチェチェンの一層の孤立化と弱体化が計られています。
 その一方で、チェチェン一般市民、難民への人権蹂躙と共同制裁的な軍事支配の締め付けは一層厳しさをましています。国際社会はそうした潮流変化の中でロシア側が進めるまやかしの外見的な正常化の宣伝を額面通りに受け入れ、人権NGOや地元市民団体の訴えにもかかわらず、国連人権委員会もこの二年連続してロシアを批判するチェチェン人権決議を否決しています。
 そうした背景の中で最も先鋭的で意義深い進展の一つは、何度もおしつぶされて実現できなかった世界チェチェン会議が先年暮れ、デンマークのコペンハーゲンで開催されたその直前、唐突なモスクワ劇場のチェチェンテロリスト集団の占拠、観客人質それにともなう多大な死傷者を出した救出作戦が新たなムスリムテロの衝撃的事件として世界をおどろかしました。私は過去二度、グルジアのチブリシ、トルコのイスタンブールに予定された世界チェチェン会議開催準備に関わりました。二度ともロシア政府の強引な横やりで中止の憂き目を見ています。これはチェチェン紛争の政治的解決を目指すチェチェン人を中心とする国際的運動を計画したもので、私は二度にわたり、武力闘争から非暴力政治運動へ明確な転換を宣言し、何世紀にもわたるチェチェンとロシアの和解の選択を提言してきました。
 ロシア政府はモスクワ劇場襲撃事件を理由に、デンマーク政府にこの世界チェチェン会議はチェチェンテロリストを助ける集団だとして中止を要求し、当時、EU議長国であったデンマークは集会の自由、政治的発言の自由というEU民主主義の原則に関わるとしてロシア政府の干渉を拒否し、この国際会議は実現しました。
 この国際会議に出席した最も高いレベルのチェチェン独立政府の代表者が元副首相、現大統領ヨーロッパ特使であるザカエフ氏です。
 ロシア政府はモスクワ劇場事件に関わる重要参考人ならびに種々な重大犯罪(殺人、人質、拷問、公的建物破壊等)被疑者としてザカエフ氏を国際指名手配し、デンマーク政府に身柄拘束と送還をせまり、一時ザカエフ氏は逮捕されたものの、デンマークの法廷は証拠不充分として氏を釈放しました。引きつづき英国に帰った氏は、そこでも国際指名手配下の令状で逮捕され、氏の弁護団側によって公判審議にもちこまれて今日にいたっています。  私は九月上旬、後半の五日間の公判における証言尋問と、十月二十一日の検察側弁護側最終弁論に立ち会い、法廷前に法鼓を撃って御祈念いたしました。来る十一月十三日、判決が下されます。
 弁護側の論拠は次の三つの柱に要約されます。
一、  ロシアに送還すれば、公正な裁判をへずに、氏に対する拷問、虐待、暗殺の可能性があること。チェチェン戦争間、チェチェン人であるということだけで、又、独立を支持するという政治的意見だけを理由に不当逮捕、不法連行、拷問、処刑が行なわれており、軍、秘密情報省、警察、検察、裁判が組織的にチェチェン人への人権侵害、戦争犯罪を行ない、さらにそれを隠蔽し、メディア、外交操作を行なっていること。
二、 氏への逮捕令状の法的手順の合法性に極めて政治的動機が働いていることが明らかで、第一次戦争期の犯罪性が二〇〇一年に初めて訴えられたなど時間的に整合性に薄く、証言者の証言の作成の手順に合法性をかき、軍、検察、情報省が組織ぐるみで拷問を強要した疑いが明らかで、それらの責任者や公的立場にある人々がザカエフ氏の犯罪がすでに確定したような公的発言をくりかえしていること。
三、 ロシアチェチェン間の紛争の歴史的背景にさかのぼり、ソ連崩壊後のチェチェン独立をめぐる現紛争においては、氏はジュネーブ条約における紛争当事者の一方の政治、軍事、外交の当事者に該当し、一九九七年、当一次戦争後調停したエルツィン、マスカドフ、平和協定の一方の調印の政府を代表し、二〇〇〇年には交渉の正式代表としてモスクワを訪問しており、その時はロシア側も交渉の正式な当事者として待遇。殺人罪などの罪状は、第一次戦争の軍事行動中の行為を指し、一般的起訴事項にあてはまらないこと。
 この裁判の画期的な側面は、ロシア国外の法廷において、ロシアの軍事行動の正当性、合法性が問われ、ロシア軍の人権侵害、戦争犯罪の側面が尋問の中で露わになり、又、ロシア政治の民主的法整備全体が公判の一方に問われ、公的記録としてとどまった事であります。
 長引いた公判も来る十三日に判決が下ります。この判決は今後の、ロシアと英国並びにヨーロッパの関係の方向を大きく左右する結果になるかもしれません。チェチェン人の将来、大量移民のきっかけの法的根拠となるかもしれません。又、ロシアの戦争犯罪が国際犯罪法廷へ起訴される法的前例となるかも知れません。
 ポストソビエトのロシア十二年の重大な節目となりましょう。その場が英国ロンドンであることも又、因縁であります。私もその一日のため、三度ロンドンで法鼓を撃つつもりです。

以下続く。

ダネツクにて十一月十四日
寺沢 潤世