チェチェン総合情報

ユーラシアからの手紙

寺沢潤世上人

南無妙法蓮華経

中央アジアキルギス国天山道場
ニ〇〇三年八月二十日

去る八月一日、成田を発って同十六日まで二度目の韓国を訪ね、十七日キルギスタンの首都郊外にある天山山脈のふもとの御草庵に帰り着きました。二週間に足らない慌しい日本帰国の旅でしたが、心にかかる諸事をほぼ成弁し、次なる道筋が開かれる端緒となりました。

朝鮮半島の核危機

日本帰国の途上、初めて韓国の土を踏みました。近年より近日に至るまで、ポスト冷戦の世界は、二十一世紀をさかいに怖るべき危機に見舞われつづけています。九・一一のアメリカ同時多発テロ攻撃を機にアフガニスタン、中東、印パ、イラク戦争とたてつづけに全ユーラシアにまたがる収拾への展望のない大戦争につながりかねない戦火が今もつづいています。そこに今、第二次大戦以来最大の危機が北朝鮮の核武装によって極東アジアに現れました。冷戦下にあった戦後日本をふくむ七十年に及ぶ東アジア体制が、根底から変貌を余儀なくされる事態に直面しています。朝鮮半島は今後どう展開してゆくのか、それに連動して東アジアにはどんな近未来が待っているのか、日本にはどんな展望への選択肢が可能なのか。

大量破壊兵器と国際テロの脅威を大義とし、サダムフセイン政権転換を目的としたイラク戦争のアメリカ世界戦略の筆法を以ってすれば、十中八九核を持つ北朝鮮の現体制をアメリカは許すことはあり得ません。軍事行動がほぼ必然の現実であることを直視した上で、今どんな平和樹立への行動があり得るのかを命がけで見出さねばなりません。

今ここで一歩をあやまつ時、東アジア全体が再び二十世紀の三十年戦争への道を再演しかねない岐路に立ち至っているといえます。こうした情況下で七月と八月の二度にわたって、韓国において宗教者世界サミット「転換期にある世界  これからの正しいグローバルガバナンス」が開催されました。

38度線の展望台にて

今度、韓国から日本に帰るのに釜山 下関の海路をとりました。この航路は恩師大聖人様が西天開教から大戦へ突入しつつある日本に帰国され、佛舎利分布のため大陸へ渡航された海上であります。また、朝鮮の金剛山で終戦をむかえられて九州におもどりになられた時の航路でもあったと記憶しています。

次に八月十一日から十六日までソウルで開催された宗教者世界サミットに出席する前、少しでも自分の目と足でこの国を知ろうと、八月一日ソウル入りしました。日本橋道場の花川御法尼の手配で韓国の霊山法華寺の御信者に空港でお出迎えいただき、そのまま車で二時間ばかりで現今同寺が進めている御佛舎利塔建立の宝土にご案内していただきました。深い静寂、山々のふもとに霊山法華寺の仏殿があり、その夜はそこに投宿し、翌朝四時からの朝勤をすませ、みどり深い山々の中に長い歳月をかけて開かれた宝土に参りました。清らかで目にもあざやかな緑の山々のふところに抱かれたこれから湧現するばかりの宝塔の新しく切り開かれた清浄土の南縁に立つ古松の下の花崗岩に座し、ニ日間の唱題三昧の断食御祈念をつとめました。南方に開けた下界の谷あいから白雲が舞いあがり、三方は日本でも見ることが出来なくなった豊かな森の山々にかこまれ、木立を絶え間ない白雲が流れていきます。谷下の清流の水の音、みんみんぜみやつくつく法師のせみしぐれ、露にぬれた色あざやかな草々の花。この宝土はその山つづきが北朝鮮であると言います。実に聖山の趣につつまれた樹下道場に時を忘れて御祈念三昧に入ることが出来ました。

四日、断食を明け、ソウルの本寺寺務所に荷を下ろし、その足で会議までの六日間韓国を巡ることにしました。

まず五日北上し、韓国側の鉄道の最終駅、薪炭里(シンタンリ)に来ました。北との軍事分界線まで十キロの寒村です。分界線をこえると金剛山へとつづきます。八月六日をこの地でむかえて御祈念したいと念じました。六日、村に現れた韓国兵士に分界線の展望地点までの案内を乞うと、民間人、外国人の立ち入り可能の軍事分界線に行くためにはソウルにもどり別の路線に乗り換えて、都羅山駅に出ねばならないとのこと、いずれにせよ、御師匠様が終戦をむかえられた金剛山に最も近い国境の村で御師匠様のお誕生日をむかえられたことは幸いでした。午後には特別観光ルートで新しく公開された非武装地帯の南方限界線を巡ることのできる都羅展望台に立つことができました。冷戦ピーク時の東西ベルリン分断の壁を思い出させる三十八度線の非武装地帯をバスで巡れるようになりました。その展望台の丘の上から北側の景色が川のむこうに指呼の間に見渡すことができます。

北朝鮮の背水の陣

今この三十八度線に対峙し、朝鮮戦争の停戦ラインによって南北に分断されて以来半世紀、地上に残る最後の分断国家は東アジアの近代史の究極の宿業にのぞんでいます。 国家体制崩壊寸前に追いつめられた北朝鮮は、その国民総生産の三分の一を軍事費にあて、地上軍一〇〇万、予備軍七〇〇万を三十八度線の国境地帯に集中的に戦車大砲部隊を展開させ、数の上では南の韓国軍、在韓米軍を圧倒しています。そして今、その圧倒的量の通常兵力の上に核兵力を加え、七十発以上といわれるテポドンミサイルを配備しています。

イラク戦争によって二十一世紀のアメリカの先制攻撃戦を見せつけられた金正日にとって、死活を決する背水の陣でのぞんでいると言えます。 この三十八度戦をこえ、その大軍がなだれ打ち、四千台の戦車軍、一万三千の大砲が火をふき、核装備されたテポドンを韓国、日本列島のどこでもを照準に合わせてうちこむことが出来ます。北軍がソウルを火の海とすると豪語したのは虚勢ではありません。 この都羅展望台に登る途上、米軍基地を廻り過ぎました。最前線に展開された兵力三万七千が北朝鮮の軍事力と対峙しています。先日、ラムズウェル国防長官はその最前線部隊を後方釜山にまで移動することを発表しました。一方イラク戦争、太平洋のグアム基地にアメリカ本土、中東インドから続々とB52、B1 戦略爆撃機部隊、F15E、F16C戦闘爆撃機部隊が集中していることが報告されています。表向きの北朝鮮核危機の外交的解決の姿勢と共に、実戦への臨戦体制造りは確実に始まっています。

八月六日、日本のヒロシマに史上最初の原爆が使用された日、日本の近代国家作りが大国列強のアジア干渉、進出に伍すアジア侵略政策の行きついた破国の悲劇を現出したその因縁を二十一世紀にまで展開しているその最前線に立ち、時間の許すかぎり大音声で撃鼓宣令して祈りつづけました。十方世界の諸佛、諸天善神、大戦、朝鮮戦争の戦没者諸聖霊にむかって立正安国論を唱え、不戦、まさに来たらんとする核戦争の危機をのりこえる不戦の実乗の一善の道が東アジアに実現することを祈りました。汽車が都羅山駅にむかう途中、白馬駅を通りました。御師匠様の御尊父開権院様の示寂の地にして、御師匠様大陸開教の始めの因縁となった土地のはずです。

三韓の遺産を巡り、思うこと

その後会議までの残る四日間、日本仏教伝来のはじめ、その源となった百済聖明王の都扶余遺跡、また新羅の仏都慶州の遺構を巡りました。日本史の画期的な古代日本形成のプロセスは、激動のユーラシア大陸との交渉史でもありました。その最も重要な交渉こそが、三韓との間の仏法伝来の歴史であります。いかにユーラシア東端の朝鮮半島と東海の日本列島とのつながりの古く深いものであったかを、許せるかぎり巡った仏寺、古跡、王陵、古墳、博物館での展示物などを通して実感します。陵墓の構造、壁画、埋蔵品の黄金の装飾具は正しく全ユーラシア共通の霊性文化の名残をとどめています。また、金銅佛舎利容器、仏画、古代瓦の文様なども中国化する以前、ユーラシア騎馬民族の霊的感性と美意識の上に発達したものであることがはっきり示されています。西域、さらにペルシア、ガンダーラに直結しているともいえましょう。

日本仏教初伝から推古ニ年の三宝興立の詔までおよそ半世紀、また、聖徳太子からはじまる新たな大陸交流と新しい日本形成の理念と礎となった仏法東漸の全ユーラシア精神文明の息吹は、美しい三韓の人々と日本の最も深いたましいの交流の結晶であったのです。 その香しい息吹を今も脈々と伝える慶州扶余の山河にたたずむ時、近代日本がその最も高いユーラシア精神文明の結晶をなみし、勝他偏狭な西洋のさるまねと国学者の流れをくむ独善盲目の国家神道を以って、日本に最も近く古いわが文化の大恩の朝鮮民族の人々を蹂躙し、アジア進出をもくろむ大国列強のアジア分断の策略にまんまと乗せられ、日本とアジアに未曾有の惨禍をもたらした歴史を深く省みざるを得ませんでした。

火の手広がるユーラシアに、今こそ平和の一大運動を

朝鮮半島から日本への仏教伝来の時期はまた、東西ユーラシア激動の時代にして、そこには仏教東漸という人類精神史上稀有なるグローバルな平和の文化創造の大運動がつらぬいていました。二十一世紀のユーラシアはまた、未曾有の危機と激動の前触れにあります。この極東朝鮮半島の核戦争の危機から全ユーラシア核拡散と第四次世界大戦の現代文明の破局を未然に調伏するのは今この時をおいてありません。この危機はすでにバルカンに、中東に、イラクに、アフガニスタンに、印パ、中印に、そして中央アジアに火の手を広げています。

この朝鮮半島、極東の危機は今、関係六カ国間の多国籍交渉にようやくこぎつけはしましたが、従前の列強間の力のかけひきからは何ら真の解決は望まれません。イラク危機がそうであり、中東和平交渉が如実にその覇道の行き詰まりを示して余りあります。今こそ二十世紀の平和の文化創造の大運動を極東より起こし、アジアを通じて一佛土となし、不戦、但行礼拝の実乗の一善を以って、二十一世紀破滅の大悪一乗の強敵を降伏せしむる時であります。

十一日より十五日までのソウルにおける宗教者世界サミットには百カ国から四百名の、ほとんどの世界宗教の代表が集い、バルト三国、ベロロシア、モルドバ、北南アメリカなどから元首相、大統領だった名士が参加しました。開会レセプションでアジア代表の宗教者として歓迎の辞を述べることになっており、開会のはじめに撃鼓唱題三唱し、ごあいさつする因縁となりました。

焦点の朝鮮半島問題ではクリントン政権で北朝鮮と交渉した元外交官をはじめ高いレベルの発表が、ロシア側から、中国からも発言されました。これからどのように新しい和平の運動を進めるべきか、その方向が少しずつ現れてゆくようです。また、アジア仏教徒平和会議の代表がモンゴルから参加しました。全東アジアの仏教者による平和のイニシァチブを形成することで同意しました。

今中央アジアのキルギスタンの天山道場にもどりましたが、来る二十五日からジュネーブに向かい、国連の北朝鮮代表部と今後の和平イニシァチブについて初めての接触をします。九月十日前後、ロンドンでチェチェン元副首相ザカエフ氏をめぐる法廷で証言する予定です。十五日から二十日イスラエル、パレスチナ中東和平を祈る諸宗教者の平和行進に招かれており、時間的に許されれば参加した後、十月十一月十二月までロシア、ウクライナのお弟子と共に西天行脚の御修行をして、明年からの日本、韓国、北朝鮮、中国にまたがる平和祈念の行動の成満を期したいと念じます。

わずか一週間の天山のなかの静かな日々を過ごしました。夜明けの美しい丘に登り、御来光をむかえ、草原の高山植物の草花を手折り、仏前に供し、様々な果樹の実をもぎ、帰りの道のくさむらで野いちごを口にする、のどかな、浄土に遊ぶが如き平和のひとときでした。決して明るくはない暗雲たれこめる中央ユーラシアの未来にのぞみつつも即是道場の本国土妙の風光を楽しむ宿縁を感謝せねばなりません。

長文になりましたが、日本出発直後の様々の感懐をまとめて感謝と報告にさせていただきました。

合掌三拝
寺沢潤世

有縁の各方へ

(見出しはチェチェンニュース編集室による)
撮影:山口花能