チェチェン総合情報

プーチン大統領へのメッセージ

 尊敬するウラジーミル・ウラジーミロヴィチ!

 非業の死を遂げたアスラン・マスハードフの遺骸を埋葬するために遺族に引き渡す問題を即刻解決して頂くようお願いします。

 その子供たちが軍の兵士や将校として武装勢力の捕虜になったことのあるロシアの多くの母親たちにとって、マスハードフはまったくなんの条件も要求せずに囚われの人達を釈放してくれた人として記憶されています。しばしば、彼はこれをジョハル・ドゥダーエフやチェチェンの野戦司令官たちの意向に反して行ったこともあったのです。

 マスハードフは 戦いで負傷したり、亡くなったロシアの軍人達に対していつでもそれにふさわしい立派な扱いをしてきました。亡くなった兵士たちの遺族に強請(ゆすり)を働いていた武装勢力がいたとき、マスハードフはこれを止めさせたのです。我々の多くがロシアの兵士、将校やさまざまな出自の一般市民の運命について マスハードフと直接のコンタクトを持ったことがあります。 そして、必ず彼はそうした問題に理解を示し、支援をしてくれました。

 アスラン・マスハードフの遺骸を引き渡さず埋葬させないという事は チェチェン民族の慣習からみて アスラン・マスハードフの遺族や彼を支持する者たちに対する侮辱であるだけでなく、それはチェチェン共和国に住む人々の大多数にとって、 そして 自分の国が世界でも尊敬される立派な法治国家であると見なすことを望んでいる全ロシア市民に対しても侮辱であります。そのような行動は暴力の拡大を招き、ロシアは決して和解しがたい敵であるとしている人々の立場を強めてしまうかもしれません。

 大統領閣下、アスラン・マスハードフが 殺されたのはテロ活動阻止の作戦中ではありません。 マスハードフの遺骸の引き渡しを拒否している役人達が依拠している規則は法律に明らかに矛盾しています、と言うのも、ある人物をテロリストと認めることは裁判によってのみ可能だからです。

 その上、この規則の適用は 一度として一貫性があったことがありません−武装勢力のメンバーが殺害されその遺骸が遺族に引き渡され、埋葬された例を数多く知っております。今回も 法と人道主義の原則が勝利してくれることを期待します。

 時が経てば 全てがしかるべきところを得るものです。今日、われわれはドイツ人の戦死者たちがどこに埋葬されているかを探している遺族を支援しているではありませんか、彼らは1941年に我が国に戦争をしかけてきたのであるにも関わらずです。

 更にもうひとつ、 ロシアでは千人を超える母親が 今に至るまでチェチェン戦争で行方不明になった自分の子供たちの運命を 知らされていないのです。 そのようなときに この間の出来事が チェチェンの地においてその行方不明の者たちに対する人道的な扱いを今、そして今後も 保障することになるとは思えません。

 賢明な人たちが次のように言っています: 自分がそうして欲しいと思うように他人に対してもそういう扱いをすべきだ、と。

 大統領が正義にかなった判断をとり、アスラン・マスハードフの遺体が遺族に引き渡され埋葬できることを 信じたいと思います。

署名:リュドミーラ・アレクセーエワ モスクワ・ヘルシンキグループ議長、ロシア連邦大統領付属市民社会制度育成推進人権会議メンバー/アンドレイ・ブリヌショフ リャザン 人権擁護団体「メモリアル」議長、チェチェンにおける1994−1996年の武力紛争地帯における人権擁護団体監視ミッションメンバー/スヴェトラーナ・ガヌーシュキナ 人権擁護センター「メモリアル」会議メンバー、「市民支援」委員会メンバー、ロシア連邦大統領付属市民社会制度育成推進人権会議メンバーワレンチン・ゲフテル 人権研究所所長、モスクワ市長付属人権委員会メンバー/ヴャチェスラフ・イズマイロフ 「ノーヴァヤ・ガゼータ」紙 軍事評論員/セルゲイ・コヴァリョフ  ロシアの団体「メモリアル」代表、 人権研究所議長/オレグ・オルロフ 人権センタ「メモリアル」会議議長、ロシア連邦大統領付属市民社会制度育成推進人権会議メンバー/レフ・ポノマリョフ  全ロシア社会運動団体「人権のために(ザ・プラーヴァ・チェラヴェーカ)」の議長/ユリヤ・セレダ  ロシア歴史雑誌「カルタ(地図)」編集員、1995年、チェチェン(における)武力紛争地帯における人権擁護団体監視ミッションメンバー/ウルリフ・フィッシャー 国際ヘルシンキ連盟議長/出典:「ノーヴァヤ・ガゼータ」20号http://2005.novayagazeta.ru/nomer/2005/20n/n20n-s03.shtml  

2005.3.21

訳:T