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アスラン・マスハードフの親しき者たちと、その死を悼む

エレーナ・ボンエル(Elena Bonner ノーベル賞受賞原子物理学者アンドレイ・サーハロフ未亡人)

 アスラン・マスハードフは一人の兵士として、自らの兵士であり、将校であることへの誇りを決して裏切ることがありませんでした。私は彼が高貴な人間であっただけでなく、善良な人間であったことを確言します。この事を私は他人の言葉からではなく、実際に彼に接した自らの印象で語っているのです。人間の死は、常に身近な者にとっては不幸です。私は彼の近親者たち、その属した民族の人びとと共に、死を悼みます。

 人の死、とりわけ闘いの中での死に対しては、大地に横たわる一人一人を送るため、挽鐘が打ち鳴らされるものです。ロシアを率いる中佐殿とその将軍たちは、戦闘の厳しさでも、戦術の巧みさによるでもなく、誰かの卑劣さや、裏切りによって転がり込んだ、自らの手柄を勝手に喜んでおれば良いでしょう。でも、マスハードフを送る挽鐘は、彼を送るだけのものでなく、昨日までと比べても、さらに堕落を重ねて、はるかに平和から遠ざかってしまった今日のロシアを送るものです。

 彼らは思い起こさないのでしょうか?200年のながきにわたってロシアが、ペテルブルクのゴロダイ島でニコライ一世の絞首した五名の囚人たちの遺骸を捜し続けていることを?彼らを人間的に弔うことを許さなかった皇帝の首切り役人への追求が続いている意味を理解しないのでしょうか?

 兵士はどこがギャングや首切り役人と異なるのでしょうか?何よりも先ず、兵士は傷つけ倒した敵を侮ることがありません。その亡骸を興味本意に集まる人前に晒したりはしません。その敵を自らの手で葬るか、近親者に引き渡して、その信仰、その慣習に従って、亡骸が土に、あるいは火に帰れるようにします。

 自らの見せかけだけの信仰を見せつけ、民族意識の高揚をねらう、新たなロシアの支配者は、国際テロリズムという嘘を吐きつつ、60年前に死んでいった兵士たちの想い出を称える偽りを行っています。それは、自らの血をもって勝利を勝ち取った兵士たちの勲を横取りしようという企みです。彼ら確かに兵士たちでありました。しかし、この男は首切り役人であり、ギャングです。

2005.3.9

訳:岡田一男