2005年 3月10日 ノーヴァヤガゼータ 17号
われわれの情報源によると、 イチケリアのリーダー、アスラン・マスハードフがトルストイ・ユルトのどこにいるかを教えたのは、 その直前に拘束された武装勢力の者たちだったことを確認した。 その者達は拷問されただけでなく、親族に制裁を加えると脅迫されたのだった。
トルストイ・ユルト、スヴォーロフ通り1の一階建ての建物は、 3月8日の朝、FSB(連邦保安局)と情報総局の特殊部隊によって包囲された。 肝をつぶしたその家の主は、マスハードフとそれ以外に3人が 地下室に居ることを知らせた。 地下室に手榴弾を放り込むことは容易だったので、逃走するどころか、それ相当の抵抗をすることすら不可能だった。 マスハードフは投降を提案されたが、拒絶した。 自分のイニシアチヴで交渉を始めたのはイチケリア大統領の元人事課長のワヒド・ムルダショフだった。 そのあと、マスハードフと彼の側近たちの間で撃ち合いとなり、その結果、イチケリアのリーダーは殺害されてしまった。
マスハードフの殺害後、彼の3人の同志、 ムルダショフ、その甥、そしてもうひとり、ボディーガードのエリスハノフは、戦わずして連邦軍に投降した。
ノーヴァヤ・ガゼータ 軍事論説員 ヴャチェスラフ・イズマイロフ
http://2005.novayagazeta.ru/nomer/2005/17n/n17n-s01.shtml