チェチェン総合情報

文書13——モスクワ劇場占拠事件直後の分析

http://kavkaz.memo.ru/digesttext/digest/id/531558.html

完全に失敗した人質解放作戦

 モスクワで悲劇が起きた。ミリニコヴァ通りの文化会館への突入は、人質となった何の罪もない観客たちに、きわめて多くの犠牲者を出した。

 この悲劇は、遂行された作戦をマスコミが「見事だった」と勝ち誇ったように報じることでさらに深められている。10月26日は、テレビでもラジオでも誰一人、人間らしい声を上げず、血の通った意見は放送されなかった。

 このような作戦を「見事」といえるのは「人質が解放され、テロリストが逮捕されて、誰の死体もない」ような時だけだ。10月26日の夜、90人以上の人質が亡くなったと報じられた時点で、この人質解放作戦が完全に失敗だったことは明らかになった(最終的な発表では人質800人のうち129人が死亡、ゲリラは41人死亡:編注)。人質の命を奪ってしまっても、それを「解放」と言えるのだろうか?

 ロシア連邦保安局(FSB)は「もし突入しなかったら、テロリストは人質全員を殺していた」という。しかし「もしも」で、これほど多くの罪のない市民を殺すことなど、決して正当化できない。どうしても突入しなければならなかったという理由を説明できた者は誰もいない。「犯人が人質たちを射殺し始めた」という嘘が語られているが、そんなことはなかったと、人質になった人々は証言している。

テロリストの要求は正当だった

 10月23日に、武装した集団が若者向けのミュージカルの観客千人あまりを人質にとった。この事実はもちろん彼らを「テロリスト」と呼ぶのに十分だ。また、12歳以上の子どもたちの解放を拒絶したことも重大な犯罪だ。しかし、情状酌量の余地がないものではない。テロリストは金銭や武器を要求したのではない。彼らは「チェチェン戦争の停止とロシア軍の撤退」を求めたのだ。これは、ロシア社会全体が求めていることでもある。

 この事件をアメリカの同時多発テロと並べて議論することは、まったくのナンセンスといわねばならない。テロリストたちの要求それ自体は正当だった。

 もちろん戦争の継続を望んでいる軍組織や、そのほかのシラビキ(ロシア政府の武力省庁)が「人質解放のため」とか「チェチェンの平和のため」と言ったとしても、信頼には値しない。しかし、大統領がそうした一歩を踏み出したならば、それは人間性の勝利であり、国民全体に対する歩み寄りの大きなアピールになっただろうし、人道や、人権を守る姿勢の証明になったはずだ。

 ただ人々の命を救うために限定して、交渉の席に着くのを約束することもできたはずだ。このことを、ロシア社会の良識ある人々はずっと以前から訴えてきた。

自国民を切り捨てるプーチン政権

 ところが、大統領が選んだのは別の道だった。チェチェンで戦争が続くほうが好都合な武力省庁のために、一般のロシア市民の利益は無視したのだ。

 テロリストたちの見積りは裏切られた。彼らは、ロシアが「対テロ作戦」とやらでチェチェンの一般市民の犠牲を無視してきたからといって、まさかロシア人の観客の命まで捨ててかかるとは思わなかった。今政権についているのはプーチンであって、ブジョーノフスク病院占拠事件(1995年)のときに、粘り強い交渉を続けて突入を避けることができたロシア下院議員や人権運動家のような人々ではないということを忘れていた。

 結果として、人質事件は始めから終わりまで非人間的な狂気と、ありふれた愚かしさに貫かれていた。

バラーエフ一家はロシアの手先だった

 テロリストたちを指揮していたのはチェチェンでも名高い残虐な強盗のバラーエフ一家であり、ロシア連邦保安局(FSB)にもっとも近いことで有名な人たちだった。劇場を占拠したモフサル・バラーエフの伯父、アルビの一派はFSBの職員証を使って、チェチェン中どこでも自由に移動できたことは有名な話だ。ロシアの人権活動家ヴィクトル・ポプコフ氏がバラーエフ一派の手で銃撃殺害されたとする重大な証拠もある。コムソモールスコエ村の悲劇のとき、まさにアルビ・バラーエフがゲリラたちを連れて行ったのだが、そこには包囲の罠がしかけられていて、アルビは彼らを置いて、姿をくらましたのだ。

 そんなバラーエフ一家の者たちに、このような狂気の行動へ向かわせたのは何だったのか? どのような勢力が働きかけていたのだろうか? 特務機関と検問所がところ狭しとひしめきあう、あのチェチェン国境を、この人々はどうやって抜け出し、モスクワまで行き着けたのか? そして、なぜ、FSBは突入のときに、誰一人生け捕りにしようとしなかったのか? 捜査しようという気がなかったとでもいうのか? 疑問だらけだ。

メディアは情報の断片しか見せなかった

 この事件にもっとも皮肉な風味を添えているのは、果てしなくテレビで流されている虚偽報道だ。拘束された人質やその家族たちが平和を訴えたことを、「ストックホルム・シンドローム」などと解釈している。平和、流血の停止という考えそのものが、まるで悪い考えであるかのように言い、要求自体が不当なもののように報道する。さらに、現実に起きていることについての情報は、断片しか見せない。

 テレビの視聴者は劇場で起きていることを見られないし、テロリストがどういうことを言って、何を要求しているかも聞くことができない(テレビでは犯人が喋っている場面は放送されたが、音声は消されていた:編注)。記者たちは非常線のために交渉人たちに近寄ることもできなかったのだろう。

 死体に対する侮辱もあった——倒れているバラーエフの死体の手に、封を切っていないコニャックの瓶を持せたことは何の意味があったのか? 決死隊の女性が酒のにおいをさせていたという主張は? そして勝利の拍手とともに、死体と血を見せつけるのはなぜなのか?

すべての市民が「人質」になっている

 言い残されているすべてのことから、こんなことが浮かび上がってくる。銃声などなかった。バラーエフ一派は眠っているところを射殺された。客席から運び出すのが間に合わなかった、あるいは身体の弱いものはガスによって殺された。違うやり方をしていれば、違う結果になっていただろう。それが私の見解だ。

 10月25日に、モスクワでは平和を求める集会が自然発生的に行われた。「言論の自由」というNTVの生番組では、平和と交渉の側に立つ多くの意見が聞かれた。こういった人々の声が、皮肉にも治安機関の仕事を急がせた。人間の命など何とも思わず、ただ事件をひねり潰すことだけをめざして。治安機関にとって、一番重要なのは戦争と流血を継続することだからだ。この悲惨な「政策」の人質になっているのは、ロシアのすべての市民だ。

2002年10月26日
フリージャーナリスト、エレーナ・サンニコヴァ
ヴィクトル記念情報分析センター

Опубликовано 26 октября 2002 года
Автор: Елена Санникова
Источник: Информационно-аналитический центр им. Виктора