チェチェン総合情報

上院外交委員会議題──第2次チェチェン戦争

(1999.11.04 エレーナ・ボンネル/反体制物理学者 故サハロフ博士夫人)

第二次チェチェン戦争が勃発した主な原因を探るには、まず、現在のロシア政治情勢を理解しなければならない。第一次チェチェン戦争は、エリツィン大統領再選のために必要であった。今回の戦争は、エリツィン大統領が自ら選んだ後継者として公に支持する、ウラジーミル・プーチン現首相が世論調査で順位を上げるために必要とされている。

ロシア軍にとって戦争は魅力的である。なぜなら、アフガン戦争と第一次チェチェン戦争(1994−96)で敗北を喫した将軍にとって雪辱の機会となるためである。将軍たちは、アフガニスタンで勝利を逃したのはペレストロイカとゴルバチェフのせいだと信じ、チェチェンでは、非はアレクサンドル・レベジと報道・出版の自由、世論にあると思い込んでいる。ソビエト連邦崩壊以来、落ち込みの激しい軍産複合体にとって、戦争とは金であり、新たな秩序を意味する。大統領政府や政府の大臣、国会議員にとって、戦争は愛国的スローガンを復活させ、国民の関心を汚職や財政スキャンダルから敵──今回の事態ではチェチェン人──に向けるために必要なのである。

これまで政権は、国民を鼓舞するために戦争より他に何らの手段も見出しておらず、国民の三分の一に当たる5100万人の暮らし向きは法定貧困レベルを下回っている。この一年にあった度重なる首相の交代劇(最後の3人が全てKGB関係者であるのは注目に値する)は、ことによると戦争を決意できる人物を意識的あるいは無意識的に求めた結果によるものかもしれない。プリマコフは用心深すぎた。ステパシン解任の一番の理由は、マスハードフ・チェチェン共和国大統領との話し合いを意欲的に進めただけでなく、エリツィン大統領との会談を取り決めたことである。プーチンがステパシンの後任となったのは、クレムリンの意向が和平ではなく、戦争だと彼が明確に理解しているからであるのはまず間違いない。

この八月、首相就任後初のインタビューの中で、任命をどう受け止めるかという質問に答えてプーチンが「私は一兵士である」と答えたのは思い出す価値がある。その後、ハサビユルト合意とエリツィン、マスハードフ両大統領が署名した和平条約は無意味な紙切れであると言い放ったのは、大統領ではなくプーチンが最初であった。プーチンは不当にも、マスハードフは合法的に選出された大統領ではなく、そのような相手と交渉を開始するのは意味がないと主張している。ダゲスタンへの侵攻と、チェチェン人の関与は未だ明らかにされていないものの、ロシアで数百人もの死者を出したアパート爆破事件とが、反チェチェンキャンペーンを正当化するものだと、ロシア世論は認めている。

一連の爆破事件によってロシアでは、政治家はこの戦争を国際テロリズムに対する戦いと呼び、将校は全世界に対し民間に犠牲者が出ようともこの戦争を完遂するつもりであると言い放つまでになっている。テレビを代表とするマスメディアでは、かつてないほどの反チェチェンキャンペーンが始まっている。チェチェン人はロシアの都市から追い立てられ、中でもモスクワでは各都市の先頭を切って法律で保障された権利の侵害が起きている。

第一次チェチェン戦争では10万から13万人が命を失った。地元住民が追放されている期間に仮設収容所から姿を消した1500人以上の人々の生死は依然として不明である。チェチェンの都市の全て、多くの町村、あらゆるインフラ、教育・医療・文化施設、工場や企業が破壊された。戦争後、チェチェンの都市部には失業者があふれた。犯罪が増加し、身の代金目当ての誘拐が日常化した。にもかかわらず、戦争終結後驚異的な努力によって、何とか家屋を修理し、作物の取り入れを済ませ、チェチェン人は冬を乗り切った。これらはみなロシアからの経済援助無しに成し遂げられたものだった。ロシア自体が逼塞状況にあるといっても、エリツィンとマスハードフの和平条約署名後に、何としてもチェチェン復興を援助すべきであった。ロシアは平和を確保するための金は見つけられなかったが、戦争を始める金は見つけることができるようだ。

現予算において軍事費支出は10億ドル引き上げられており、軍産複合体への発注は増加し、首相は戦闘に参加する兵士全員に月1000ドルの手当支給を約束している。戦争にならなくても歳入が通常の歳出を下回っているのに、どこからこの金を工面するというのであろうか。一つの方法はルーブルの単なる増刷──その結果起こるインフレは貧困層をさらに圧迫する。増税されれば数多くの中小企業が倒産する。さらに西側各国による融資とIMFなど国際機関からの資金調達を受けることになるだろうし、少なくとも、未払いの借入金利息の返済後に残されているものなら手当たり次第取り込むことになる。第二次チェチェン戦争は第一次同様、間接的に七大国やその他経済先進諸国からの資金援助を受け続けていることになる。

戦争の影響は最近採択された政令や法的措置にも見られる。憲法裁判所は私立の高等専門学校や大学に在籍する学生を課程修了前に徴兵できるとの判断を下した。大統領は招集兵を訓練の6ヶ月後には戦線に投入することができるとの大統領令を発したが、これは戦闘には志願兵のみを用いるという原則に背いている。

戦争に関する情報は、新たに創設された「ロシア情報サービス」と軍が検閲・編集しており、交戦地帯での西側報道関係者やロシアのフリージャーナリストの活動は事実上許されていない。人道主義団体や人権NGOの活動は妨害を受け、国連とNGO監視員による紛争地域への立ち入りは制限されている。

軍事行動を開始したとき、ロシアの将軍は、目的はチェチェンとの国境線沿いに緩衝地帯を設けることだと述べていたが、10月半ば以降のグロズヌイとオーデルムに対する攻撃後、この声明は単に世論を鎮めるためだったことが明らかになった。グロズヌイの市場へのロケット攻撃で、近くの産院にいた13人の赤ちゃんを含む150人以上が殺され、戦争が一層残酷な第二段階に入ったことを示した。それ以前とそれ以降に起きた民間人への容赦ない爆撃の全てについてと同様、この場合もプーチン首相を含むロシアの当局者は嘘をつき、事件の存在を否定している。10月29日、マスハードフ大統領はチェチェン市民の代理としてローマ法王ヨハネ・パウロ二世に、ロシアの砲爆撃により主に女性と子ども3600人が死亡し5500人以上が負傷したと書簡で訴えた。

同日、赤十字章をはっきりと記した5台の車両を含む難民輸送部隊がロシア軍機の攻撃を受け、目撃者の話では25人以上が殺され70人以上が負傷した。犠牲者は日に日に増加している。

チェチェンから近隣地域に流れ込む難民の数は25万人台を超えた。大多数はイングーシに向かい、11月1日の時点で約19万人に達した。この数は戦争勃発前の人口が34万人の小共和国のインフラには負担が重過ぎる。にもかかわらず、イングーシのルスラン・アウシェフ大統領は、ロシア陸軍がチェチェンとの国境線を封鎖した際に抗議した。

イングーシは激しい爆撃から逃れてくる難民をさらに受け入れる用意があると、アシュエフは言明している。 難民の置かれている立場はきわめて厳しい。人道的に危険な状況はイングーシには存在しないという主張は、ロシア政府がでっち上げたもう一つの嘘にすぎない。そのため、国際団体の代表が難民との接触を拒まれ、大規模な人権侵害の現場の確認が妨げられる恐れがある。テント・ストーブ・簡易ベッド・毛布・防寒服などが不十分で、すでに気温は夜間には氷点下に達するほどである。飲料水・衛生用品は十分ではない。医師・看護婦・薬品・手術用具の不足は深刻である。パンを焼く小麦粉が足らず、牛乳や粉ミルクを含むその他の食料も僅かしか手に入らない。

毎日数十人もの人々──おもに幼児と老人──が寒さと飢え、怪我で死んでいる。これまで難民に届けられた国連や他の人道主義団体からの援助では不十分で、その上、援助物資の一部は軍の手に落ちているとの報告もある。援助の流れを迅速且つ大幅に引き上げなければ、伝染病や栄養不良、非常に厳しい寒さによる死者が無数に出ることが予想される。人道的に危険な状況はすでに存在しており、事態の悪化を防げるのは大規模な国際支援活動のみである。 無差別な砲爆撃が都市、村落、交戦地帯から逃れる難民輸送部隊に加えられているが、これは「戦時の民間人保護に関するジュネーブ協定及び追加議定書」に対する重大な違反であり、きわめて重要な国際協定をロシア政府が完全に無視していることを表わしている。戦争遂行に用いられた手段を見れば、この戦争がテロリストとの戦いではないのは明らかで、ロシアの将軍はチェチェン国民の大多数を抹殺し、生き延びた人々を生まれ育った土地から追い立てようとしている。彼らの目的はチェチェンをロシア連邦の一部として──ただしチェチェン人なしで──存続させることである。これは集団虐殺に他ならない。ありきたりな人権侵害の例が一つ増えただけなのではない、人類に対する犯罪である。いくらエリツィン大統領とプーチン首相がロシアの内政問題にすぎないと力説しても、もはやそこにとどまるわけにはいかなくなっているのである。

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