(41)多くの写真が白黒だったこともあり、すごく悲しい感じがした。また、とても遠くの世界のようにも感じた。見ることで重たい気持ちになった。今日のおばあさんたちの講演を実際に聞くことで、今、遠く過去と感じている気持ちがどのように変化するのか気になる。
おばあさん達の話を聞いて、分かったような気にはなりたくない。どの写真のコメントにも私たちが想像できないような苦悩が詰まっていたと思うから。


 (42)写真展を見て、新たな事実をたくさん知れた。彼女たちは今だに心の傷を背負い、セラピーを受けていること。戦争は遠い昔のことのように思っていたけれど、今もすぐ近くに戦争を体験し、すさまじい暴力を受けた人々が生きているということ。彼女たちは日本兵(政府)をうらんでいるけれど、私たちのような若者に事実を知ってほしいと思っているのはすごいと思う。私だったら「日本人」というだけで、うらんで憎むかもしれない。


 (43)「日本人が私の痛みを知らないことが悔しい」というおばあさんの言葉が心に残りました。私はアマーたちの存在とアマーたちへの謝罪の意を絶対に忘れません。日本人でありながら、日本人に失望し、日本人が憎いです。アマーたちは日本人によって殺されたも同然。それ以上の苦痛を今も抱えているのだと思うとやりきれない気持ちです。


 (44)私は今日の写真展と、この間の映画を見て、元慰安婦の人たちを「かわいそう」と思うのはやめることにした。写真のコメント、映画のときのアマーたちの話している姿を見ると、もちろん「かわいそう」という感情は出てきてしまう。しかしアマーたちは「かわいそう」と思ってもらうために証言をしているのではない、ということに気づかされた。過去に日本軍にされたことは生涯忘れることができない憎いできごとだけど、その過去はもう消すことができない。だからこのようなことがもう起こらないように日本政府に訴えて続けている。私たちも単に「かわいそう」と思うのではなく、このような事実があったということにきちんと向き合っていくことが大切なのではないかと思った。


 (45)写真を見て、言葉を読んでも、それがどれだけ彼女たちの中で大きなことで、彼女たちの人生をめちゃくちゃにしたのか、私にはわからない。ただ、1人のおばあさんの写真をみた時に、映画の中のおばあさんを思い出した。そのおばあさんは自分の母親の墓の前で、泣きながら初めて母親に自分の過去をうちあけていた。私は、とてもそのシーンが印象的で、私の親のことを思い出した。私がもし、同じ過去を負ったなら、母にそのことを打ちあけただろうか。母はきっと受け止めてくれる。しかし、とても悲しませてしまうことになると思う。台湾のおばあさんたちは、民族という社会集団の中で、今でも苦しんでいる。いったい、民族って何だろうと思った。そして“時効”なんて永遠にないのだと思う。


 (46)元日本軍の人と結婚して、今でも打ちあけられない人がいることに驚いた。
自分を見つめなおし、今を生きている阿媽たちの勇気は自分には想像のつかないもので、すごい事だと思い、私は阿媽たちに会いたくなった。私は、阿媽たちのトラウマを目撃した。私はそれに応える責任があるのだとあらためて思った。
阿媽たちの受けた痛みや思いは私には一生かかっても理解することができないだろう。でも、私はこの目撃したことを一生忘れないと思った。


 (47)阿媽たちの写真は、私たちに訴えかけてきているような気がしました。悲しさ、つらさ、全て写真に写っていました。けれど現実ではそれ以上の苦しみを背負って生きていると感じました。この事実を知らない日本人は、たくさんいます。阿媽たちの表情を写真で見て、早く証言集会で話が聞きたいと思いました。私たちには、証言を聞く必要があります。


 (48)すごいものが伝わってきたと思います。彼女たちの目からは、日本政府への強い想いが伝わってきました。私は彼女達を見て、奥が真っ暗く、死んでいるように思いました。色々なセラピーの写真がありましたが、今の自分をどう描くかとか、自分を表したのをみた時、本当なら楽しく青春を過ごすことができた、その連れていかれる頃の少女の思いや憧れが今もそのまま残っているのだと思いました。かなえられることもなく。日本はこれほどまでに人間を痛めつけたことを改めて感じました。数年のことでも日本は彼女達の一生を台無しにしました。彼女たちは一生、あの当時の最悪な悪夢の中で生きています。今、私たち日本人はこのことを知らないでいるというのは、あまりにも無責任というか、あってはならないと思います。


 (49)私たちは戦争を起こした当事者ではない。だが、戦争は心の中ではまだ続いているのである。彼女たちは何十年たっても今だに苦しんでいる。私たちは何にも考えることなく普通に暮らしている。むしろ私は大学に入るまで元「慰安婦」という言葉すら知らなかった。これらの写真を見ていて、今生きている私たちもまた、加害者であると思った。彼女たちのために何ができるかと考えると、まずは事実を知る必要がある。そして、私たちが非を認めない限り、阿媽たちの名誉はきっと傷ついたままなのだろう思った。


 (50)映画をみた時、すべての阿媽たちが同じような経験をし、同じ苦しみを今ももち続けているのだと思っていた。桃さんという映画にも写真にもいた方は1000日以上も性暴力を受けていた。1年〜4年弱の人がいるけど写真の表情や内容から同じ苦しみをもっているように見えてもそれぞれ思っていることは(心の奥の部分では)違う気持ちになっているのかもしれないと思った。写真の表情が笑っていることが逆に私に悲しみを与えてくる。笑顔の奥の感情がとても伝わってきて苦しかった。
 (51)今日はビックリしました。あの黒白写真を見て、1人1人の顔は无辜で、責任もない顔でした。そして説明の言葉も深く頭に刻みました。今の彼女達はだいたい70〜90歳くらいで、この苦しみを何十年ももっていて、大変苦痛だと思いました。(留学生)


 (52)一枚一枚じっくりと見たが、予想以上に衝撃を受けた。彼女たちの痛みのコメントが2,3行書いてあったが、胸がとても痛くなった。彼女たちの真意はとても2,3行ですべて現せるものではないと思うし、理解できる範囲を超えている。「生き残れただけでも良かった」とコメントしている人がいたが、本来性的暴力を受けて十分に被害を実際受けたのに・・・・。そういう意味で、感覚がズレてしまっていると思った。


 (53)わずか13〜19歳の女性が、見ず知らずの外国人男性に強姦される。普通の人が分かる痛みではありません。妊娠しても解放されず、変態軍人と毎日を過ごさなければならなかったという彼女たちの心の傷・身体に残った傷跡は、この先も一生消えることなく彼女たちの中にあり続けることでしょう。日本、そして彼女らを犯した軍人たちは、受け取られることが無いとしてもお金を払うべきであると思います。お金で解決する問題ではないけれど、どうにかして彼女たちの傷を癒さなければならない責任・義務があると思います。


 (54)彼女たちが日本兵に慰安婦として暴力を受けて期間は様々だったが、皆この経験が原因で人生をメチャクチャにされたのは分かった。そういった経験があって後々の結婚がうまくいかなくなるのは、彼女たちの女としての幸せや未来を奪ったということだろう。夫の気持ちもわかるが、たまに許したというか同情した人もいたようだったが、当時ではそんな人はめずらしいだろう。


 (55)言葉がでなくなった。たくさんの女性が、日本軍人の性欲を満たすために犠牲になった。中には13歳というまだ幼いときに慰安婦にさせられた女性もいた。ほとんどの阿媽たちは、「いい仕事がある」という理由でだまされて生涯消えることのない傷を負った。これが日本軍の本性か。
 私利私欲のために女性を「道具」として使い、挙句の果てには捨ててしまう。もし、自分が彼女たちの立場だったら、受けた性被害のことは親にも言えないと思うし、自殺も考えるかもしれない(実際に自殺を試みた阿媽もいた)。当時の日本軍に彼女たちの痛みがわかるはずもない。彼女たちがこうして必死で訴えかけているのに、若い世代の人たちは彼女たちの存在さえ知らない。全ての人たちに、1人の人間として、彼女たちの受けた痛みについて知ってもらいたい。


 (56)おばあさんたちの言葉を読んで、心に残ったのは「今の日本人は私たちの苦痛を誰も知らない」ということです。たしかに、この授業をとらない限り、慰安婦について考える機会はなかっただろうと思う。この写真展、ビデオ、証言集会で少しでもおばあさんたちの苦しみを私たちが聞いたり見たりすることによって、その苦しみを和らげられたらいいと思った。


 (57)映画とはちがう感情を持った。写真の方がなぜかこの出来事を衝撃的なものとして心に響いた。彼女たちの辛さが伝わってきた。今の状況から立ち直ろうとする彼女たちの姿、日本政府の謝罪をしないことへの憤りが伝わってきた。謝ったところで許せるはずがない。しかし、謝ってほしい。真剣に彼女たちの苦しみをわかってほしいと切に思った。彼女たちを同じ“女”として生きている私にとって、自分を彼女たちの身に降りかかった出来事を置き替えると本当に耐えられない屈辱的なことだと思う。その状況から立ち直ろうとする彼女をみて、責任を放棄した日本政府の下に生きる人間として恥ずかしいと思った。


 (58)阿媽たちの写真展を見て、体験を読んでも、ただ気が重く、辛くなるだけだった。彼女たちの顔を見て、辛い過去を想像してみるけれど、現実や並みの経験からかけ離れすぎていて、遠くに感じます。


 (59)壮絶な事実を知って、まず驚いた。心から笑っている彼女たちの写真は見当たらなかった。どの写真を見ても、共通していたことは、彼女らはどこか遠くを見つめていたことだ。それは、過去の自分かもしれないし、慰安所へ行かなかったら、という違ったもう一つの人生を歩んでいる自分かもしれない。棺おけに安らかに眠った方の写真は、涙が出そうになった。死ぬことで自由になったとは変なコメントの書かれ方ではあったが、そういう人生になってしまった彼女の顔は、悔しさと悲しさに満ちていた。全体的に見て、心が痛くてたまらなかった。なぜ日本政府は彼女たちを理解しようとしないのだろうか。


 (60)写真展を見て、一番気になったのが大きな顔の絵だった。いびつな形をしていると思い、近寄ってみると、大勢の人の顔の集まりだった。素顔の人もいれば、仮面をつけた人もいた。あまりにもたくさんの人々の顔で形作られた一つの顔は強く、そして哀しく見えた。
 写真の下のコメントにとても強く引きつけられる言葉があった。「一番悲しいのは今の人たちが知らないこと」というものである。過去の過ちを認めないのが政府の罪だとしたら、今を生きる私たちの罪は過去を知らずに生きることではないだろうか。


                             つづく  (4) (5)   <もどる <(1) <(2)

2005年12月 写真展  「台湾の阿媽のまなざし」

文教大学 学生たちの感想(3)

 〜台湾の阿媽の写真展と呉秀妹阿媽の証言を聞いて〜

●To TOP


●前の頁へ

●感想・阿媽の証言を聞いて