(1)阿媽たちの写真の中に“自分の体との対話”というものがいくつかあった。戦争中、日本兵に無理やり性行為をされ、傷ついた体は、自分のものではないと考えたのではないかと思った。1人ひとりの写真を見ても、子宮を失った人、流産した人もいて一生治らない傷を負っていた。それ以上に、慰安婦だったということを恥ずかしいこととして誰にも言えなかったことの傷が深いと思う。それにもかかわらず、今回写真を展示したり、講演会を行うというのは弱い被害者ではなく、日本人に訴えるというとても強い意志を感じた。
“慰安婦”ということは知っていても、自分はその事実までは知らなかった。そんな残酷なことをしてきた日本政府は、何の賠償もなく、とてもひどい。恥ずべき行為だと思う。そしてその事実を知らない私たち日本人はとても恥ずかしく感じた。


 (2)何よりもまず本人たちの言葉には力があると感じた。説明される何倍も伝わってくる気がした。しかし、私たちがその現実を知らないのは仕方がない事だと思う。軽視しているわけではないが、現実をみたわけでもないし、その出来事を授業を通じて始めて知った。ただ、いまを知り、考えるだけでも意味があるのだろうか?私たちはどうすべきなのだろう? 


 (3)戦争とは、人と人との関係をこわしてしまうものだと再確認した。写真の人もみんなとても悲しい目をしていたと思った。言えることは、戦争は2度と繰り返してはいけないということである。


 (4)慰安婦という存在をはじめて知りました。その実情というものは本当に悲惨で言葉を失ってしまいました。誰もが自ら望んでしたものではなく騙されて連れていかれたもので1日に平均20人の相手をしていたということで彼女たちの屈辱は、はかりしれないものでしょう。その事実をふまえた上で写真をみた時不思議な感じでした。いまだに何かを隠しているかの表情であったり、過去によって奪われてしまった明るさを秘めているようでした。彼女たちが一番悔しいのはそういう事実が日本では全く浸透していないことでしょう。今日のような写真を見て色んなことを感じる機会があって良かったです。


 (5)最初に写真を見た瞬間、阿媽からすごくやさしいものを感じました。私たちの想像を絶する経験をしていて、彼女たちの本当のつらさをわかることは、できないけれど、写真にうつっている姿を見て、言葉にはできない、何か、大きなものを感じた気がしました。映画で、話をしていた場面を思い出し、彼女たちが、自分のことを話していたところと写真を重ねて見て、まだ幼かったころの心と体の傷の大きさを重さを感じました。

 (6)まず最初に驚いたのは、慰安婦にさせられたときの年齢の低さです。まだ成人にもなっていない17、8歳、果ては12歳の方までいたことに驚きを隠せません。また、慰安婦になってしまった経緯のすべてがだまされ、そして強制的にという所に、当時の日本兵の残酷さが目にみえてくるような気がします。展示された写真の女性は、そのどれもが哀しい目をしているように私は見えました。
 そして私が一番悲しく思ったことが、写真の解説の中で「死んだことで本当の自由を得た」というのがあったことです。死ぬまで、慰安婦にさせられた苦痛を感じ続け、死ぬことでそれから解放される、逆に言えば、死ぬまで、その痛みから逃れることができない、ということになってしまいます。今日、「普通」の生活をしている人達が「明」だったとしたら、彼女たちの人生は、正反対の「暗」だったと私は考えます。今まで、こうした暗い歴史があったことを知らずに生きていた自分が恥ずかしく思えます。そして、この機会で知った事を私はありがたいと思います。 


 (7)阿媽の写真を見て
 正直、最初は、阿媽って何だろうぐらいの軽い気持ちでしかなかった。実際に写真を見て説明を読んでいると、なんだかにごったような気持ちになった。彼女たちは、だまされ、当時の日本兵に道具のように扱われ、強制的に性的暴力を受けた。彼女たちの写真は表情では笑っているものもあったが、どこか悲しげだった。戦争は人を変えるというが、もう2度とこの様なことを繰り返してはならないと思う。これは彼女たちだけでなく全ての人々が背負っていくべき問題だ。


 (8)言葉を失いました。
 普通の10〜20代の少女が一日で運命が変わってしまい、彼女たちも信じられなかったと思います。慰安婦ということばは聞いたことはあり、ただ単に性暴力を受けた被害者とだけ認識していたけど、その背景はあまりにも残酷すぎた。死ぬことで悪夢から解放されることに悲しい気持ちになります。
みなさんの笑顔が見たい。

 (9)写真を見ていると、中には笑顔で写っている人もいたが、多くの写真からはにらまれているような感じがして、言葉が出なかった。この写真を見ていると、彼女らの存在を知らない日本人が多くいて、教科書からも名前が消されるという今の事態に、憤りを感じた。そして否定論者の目の前にこれらの写真を突きつけて、それでもまだ彼女らの被害を否定できるのかと問い詰めてやりたい。しかし、こんな私的な感情に走った考えは持つべきではないと思いました。日本は絶対に賠償すべきだ。天皇の名の下に公娼制度が作られた以上、国の責任は確実だし、時効だなどと、年月の経過で水に流して良い問題では絶対にない。国がこれを認めるにはまだまだ時間がかかるだろうが、少なくても、私たち国民にとって、彼女らの語る事実を知ることは日本人として、義務であると思った。

 (10)数十年前に、彼女は私たちと同じくらいの年で、1人ひとりは夢見た少女時代の思い出がある。しかし、違うのは私たちは幸せで、彼女たちは悪夢のようだった。彼女たちが、耐えたのは凡人が想像もしないことだった。私だったら、生きていく勇気、自信がなくなるかもしれないと思う。だから、また彼女たちにもう一回悪夢を思い出させることは残酷であると思う。


 (11)写真の横についているコメントを読んでかなりショックを受けた。10代の頃に日本人にだまされて「慰安婦」になり、何年もの間毎日のように数名の日本兵のいいなりになり、抵抗もできず、かわいそうだと思った。それが原因で病気になったり、流産して体がぼろぼろになったり、家族からも見捨てられてしまった。彼女たちは何も悪いことをしていないのに人生を台無しにされ、その頃の日本兵があくまに思えた。途中で自殺しようとした人もいたが私だったら私も自殺を選ぶと思う。その後の代償も一切なく、無責任すぎると思った。こんなことを言ったら慰安婦だった人に恨まれるかもしれないが、コメントを読んでいる途中に気持ちが悪くなってしまった。この残酷な事実を知らないでいる日本人は恥だと思った。本当に今日この写真を見れて良かったと思う。忘れてはいけないことだ。

 (12)阿媽たちの写真とコメントは悲惨なものでしかなかった。しかし、彼女らにどんなに苦しい過去があったと今わかっても、私の想像は実際に起こった彼女らの悲痛な体験に及ばないと思う。私は、性暴力を行ったのは日本軍なわけだから、全ての日本人を嫌いになるのは、まちがっていると思っていたけれど、その考えは甘かったと思う。現在を生きる日本人は個人としては罪がないけれど、日本国家の犯した罪を知らなければいけないと思う。また、家族にもいえない過去を背負う彼女たちに賠償金を払うことで解決しようとし、さらなる悲劇を現在になっても生み出したのはとても悲しいと思った。彼女たちを永遠に不幸にさせてしまった日本は、そのことを知るべきだと思う。


 (13)今日は慰安婦に関する写真を見て、とてもびっくりした。慰安婦の惨めな境遇をすごくかわいそうと感じた。こんな写真を見る前に、慰安婦に関するいろいろなことを聞いたことがありますが、写真をずっと見ていないので、自分の感覚が全然わからない。昔の戦争は、慰安婦にとって、身体を壊すことだけではなくて、精神を傷つける。私たちの少女時代が幸せですが、慰安婦は私達と比べて、残酷な人生だと思う。阿媽は今80歳くらいだけれども、昔の記憶はわすれないですから、阿媽の心の中で、障害が深いと思った。


 (14)「慰安婦」という言葉を私は今まで20年間生きてきて、始めてそれがどういうものかを今日知った。騙され、犯され、孤独に死んでいく、それほどまでにも人間として扱われなかった人間を日本政府は認めないどころか、知ろうともしない。いかに日本という社会は人権が遅れていることに、一日本人として今日の展示を観て心底から申し訳ないと思う。また展示の中に「私は生きて帰ってこれただけで幸せよ」と書いてあった部分にもの凄く心打たれたと同時にいかに自分が幸せなんだと気付くことができた。ありがとうございました。


 (15)阿媽たちの写真を見て、一瞬頭が真っ白でした。その中で、ずっと目が離せないのは一枚がありました。わずか13歳のときから日本の軍人にレイプされましたという写真がありました。13歳でって信じられない。この年って女としては、生理的成長してるのかわからない。日本の今の若者たちがこういう歴史を知られるようになって、わすれてはいけないとはいえないけど、せめてこういうことを二度と繰り返さないように祈ります。


 (16)阿媽たちは今でも自分と向き合うことができないでいる。過去を恥ずかしいことと思い、家族にも言えないでいた。最初の方にあった個人写真に笑顔はなかった。あの戦時中のできごとが彼女たちの一生を奪ってしまったのだと思った。ずっと孤独な生活を送り、死んでやっと苦しみから解放されるという言葉はとてもショックだった。人は幸せを求め生きているのに、自由になれる瞬間が死ぬときなんて。私は今までこんなことがあったなんて知りませんでした。おそらく同じような世代のほとんどの人は知らないと思う。日本がやった事なのに知らないで今までいたことが恥ずかしく思える。またこれを認めようとしない今の日本は世界に対して何か発言できる立場ではないと思った。


 (17)写真を見てびっくりしました。被害者である阿媽たちは本当に残酷なことを経験してきて、誰も想像できない痛みを阿媽たちは味わった。しかもそれで永遠に病気でこの世を去った人もいるし、また、レイプされたことが原因で国に帰っても幸せな生活ができなくなってしまいます。彼女たちの人生はこれでおしまいでしょうか。身体の痛み、心の痛みで、阿媽たちは正義を求めるのが当然だと思います。


 (18)写真を見て思ったこと。ただただ怖いなあ・・・ということだけだった。一枚のパネルはそれぞれ解説のようなものが書いてあり(同じものもあったけれど)それを読んでいくうちに、だんだんとむごさが見えてきた。彼女たちはとてもひどい、かわいそうな10代を過ごしてしまったんだなあ・・・と心からかわいそうに思った。また、パネル1枚1枚の彼女たちの目からは何か強いものを感じて本当におそろしかった。


 (19)アマーたちの写真を観て、話で聞いただけではわからなかったことがわかった気がします。日本兵によって受けた傷がどれ程までに大きかったかがわかりました。戦争が終わって50年以上たったけど、未だに日本からの謝罪もなく、日本をうらみつづけていて、すこしでも早く、彼女たちを助けてあげることができたらいいのにと思いました。パネルを見て、こんなにたくさんの人が苦しんでいるのだという実感をあらためてしました。


 (20)写真展を見て
 慰安婦となった女性は20万以上となっている。だが、証言・活動を行っているのはわずか30人。これはどれほどの苦痛を与えたのかを裏付けている。賠償で許してもらえるのならやるべきだ。だが、自分が思うのは賠償されることで本当にいいのだろうか、それよりも日本国民、いや世界中の人々にこのような過去があったと知らせることが大事だと思う。自分の人生はボロボロになってしまうが、自分の体験したことが、これからの世界を変えて行くと思ってほしい。それを共感してくれる人も必ずいる。ポジティブな気持ちで活動してほしいと思う。


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    文教大学 学生たちの感想(1)

  〜台湾の阿媽の写真展と呉秀妹阿媽の証言を聞いて〜

●感想・・阿媽の証言を聞いて

2005年12月 写真展  「台湾の阿媽のまなざし」