■証言集会の感想を中心に■

 (1)阿媽の話を聞いて、ただ漠然ときいているだけだった。なんか、今の自分とはかけ離れ過ぎていた。ノンフイクションのドラマを見ているように感じた。でも阿媽の話はTVで放送されているようなスポンサーが得するようなTVとは違うんだと。
そう思うだけで、何だかよくわからなくなる。今の私ぐらいの歳で、売り渡され、少し後に「慰安婦」にさせられて、今だに生きていて、何で、「日本人は悪くない、軍人も戦争がなければあのようにはならなかった」って、私や、日本がいうならわかるけれど、なんで阿媽がそんなことを言えるのかが不思議でしようがなかった。通訳の人が脚色まではいかなくても、ニュアンス間違えて通訳しているんじゃないかって思うぐらい。だから阿媽と1対1で話したいと思った。何で台湾語できないんだろうって。阿媽には絶対幸せになってほしい。こんなに色々書いていること、軽いなあーって思われるかもしれないけど。本当、でも私は何ができるんだろううって考えると、色んな感情が頭を走る。何か,書く事が全くまとまらないけど、1つの事実を私に学ばせる機会があり、一人でも多くの人に知ってもらいたいという心で。
これ以上書いてもまとまらないので、まとめます。ありがとうで。
その勇気に感動します。心の広さに驚きます。


 (2)呉秀妹さんへ
私たち日本人が忘れてしまっていたことを思い出させていただきました。つらい過去のことを、今でも癒されることのない心や身体の傷を文教大学の若い人たちが、真摯にうけとめていた昨夜の集会に参加させていただいて複雑な思いがしています。
日本人は誰も悪くない、悪いのは戦争であり、軍隊ですと語られた阿媽の優しさに、どう応えられるか自問しています。
質問された2人の女性の心情にも深い感銘を覚えました。
こんなことがくりかえされないように草の根で伝えていかないといけないこともあらためて感じています。
これから寒くなります。実の母のことを思う時、秀妹阿媽のことも遠くから思います。
どうぞお身体を大切になさって下さい。


  (3)今回、直接阿媽から話を聞くことができ、とても光栄でした。以前から、“従軍慰安婦”という言葉は知っていましたが、それは日本人側の立場の話だったので、あいまいなものでした。阿媽の話を聞いていて恥ずかしいという気持ちでいっぱいでした。私は戦争を経験したことがありません。だからこそ、今回阿媽から聞いたような事が絶対起こってほしくないと思います。私の周りには、この事実を知らない人がいっぱいいると思うので、少しでも多くの人にこの事実を伝えていきたいと思います。
今回このような機会を与えていただき、ありがとうございました。

 
 (4)今回初めて慰安婦の人たちの出来事をしることができて、全ての内容が衝撃的なものばかりだった。すごくつらい体験をしたのにそれを回りの人は全く理解することができず、孤独な人生を歩んできた人ばかりだった。死んだことで初めて自由になれるというのはすごくせつないことだと思う。写真は今の彼女たちの心の中を写しているように見えた。1つの絵の中の表情でいくつものことを語っているようにも思えた。それは私たちが感じとらなくてはならないことだと思うし、それが彼女たちなりの精一杯の胸の内を出した表情だと思う。でも彼女たちの気持ちや日本兵に対する憎しみは消えるものではないけれど、それを今は多くの人に見てもらうことが大切なことになってきてると思う。それは同情の気持ちではなくて。


 (5)「慰安婦」の方の話も高校の授業(社会科)で先生が話して下さるまでは知りませんでした。歴史の教科書にもそんな事はひと言も載っていませんでした。今回、写真展にきたことにより、高校の時、聞いて知った事が、写真という視覚的物を見、より自分のなかで具体化された様に感じました。公娼制度の話を先生から聞いた時も、強姦を体よく公認しただけの何てはずかしい制度なんだと思った。


 (6)証言集会に参加して
今回は自分の人生でも大きな経験になりました。
自分の苦しい経験を語ることはかなり辛いことだったでしょう。でも、参加した人々には慰安婦にさせられた方の苦しさが今まで以上にショックだったと思います。私はこれからこの出来事がいつか教科書(又は授業のひとつ)となるように何かやっていかなければならないと思います。死なずに生きて帰ってきてくれ、さらにその出来事を語ってくれて本当にありがとうございました。


 (7)彼女の生命力は自分の身に降りかかった災難であることを知った。しきりに恥ずかしいと言いながら証言している彼女をみて、それを否定し続ける日本は一体何なのだろうと思う。そしてそんな日本に対して、日本を恨むのではなく、日本兵だけを恨む彼女の話を聞き、加害者を同じ日本人としてとても恥ずかしく思った。過去の出来事とは言っても、被害者の方々の多くがすでに他界しているとは言っても、このようなことが2度と起きないように後世に伝える義務があると思う。心の傷、身体の傷、私には決して理解することはできないが、彼女たちの話に耳を背けることなく、正面から受け取ることが私にできることだと思った。証言集会に来ることに少々抵抗があった(恐怖心があった)が、今日このように話が聞けてよかったと思っています。
貴重な機会をつくっていただき、ありがとうございました。


 (8) 阿媽の涙は一生忘れることができない。この先の私の人生にこの目撃した涙はありつづけるものだと感じた。
「日本人はいい人、悪いのは軍人だけ」、この言葉を聞いて私は恥ずかしくなった。いずれ阿媽たちがいなくなってしまう。しかし、この事実はずっとなくてはならないものである。
私はこの事実を一生責任をもって生きていこうと思った。
間の会話の中で「兵隊さん」「国のため」など日本語混じりに話していたことに大変驚いた。阿媽にとって大変重い言葉であったのだろうと思った。
阿媽はとても勇気のある人であると思う。そして大変優しい人だと感じた。
今日私はこんな素晴らしいおばあちゃんと会うことができて大変幸せである。


 (9)阿媽のお話を聞いて
話を聞いた直後なのに何も書けない気持ちがずっとある。彼女の話はとても自分が経験するとは思えない。でも実際に現在同じことが行われてしまうかもしれない。阿媽たちが私たちに証言することによって私たちに『記憶』を込めて危機を知らせている。きっと「日本政府の行ったことと私たちは違う」と言ってくれたけれど、日本に来て話すことはとてもつらいと思う。そのつらさよりも証言するという勇気の方が強い。彼女たちの証言で考えることをして『記憶』できる人が増えてほしい。
今は涙で表せない気持ちだ。


 (10)今日の阿媽の証言で、阿媽が「日本人はいい人ばかり、悪くない。軍人が悪いだけ」という言葉を受けてとても複雑なキモチになった。私たちは、戦争を経験していないし、たしかに私たちには、責任はないかもしれない。でも、今日のように慰安婦について知り、話を聞く責任はあると思った。一生懸命当時のことを話す阿媽を見て、もっと私たちのような戦争を知らない世代がこのことについて深く考えなければいけないと思った。日本政府はこの問題をなかったことにしたいと思っているだろうけれど、これから被害者がどんどん減っていってしまう中で、このまま風化させてはいけないと思う。


 (11)どう書いていいかわかりません。呉秀妹さんの話を聞いて自分の中に悔しさ、悲しさ、憤りが込み上げてきました。余りにも衝撃的でまだ頭の中が整理できていません。涙ながらに話してくれた呉秀妹さんには本当に感謝いたします。今回の裁判は残念に終わってしまいましたが、真実は1つであるし、いつかきっと法廷でも結果が出ると信じています。それと同時に私たちを含め皆さんを支援している人が多ぜいいることも分かっていただきたいです。
私も絶対に忘れません!!。


 (12)アマーは、私が思っていたより多くのことを語ってくれました。あそこまで赤裸々にすべてを語ってくれて勉強になりました。戦争時代にたくさんの女性が犠牲になったと考えると、とても悲しいです。話を聞く限りでは、状況はかなり悲惨で、女性をただの道具としてしか考えていないんだろうと思いました。私が実際アマーだとしたなら今回のように話して真実を伝えるということのマネはできないです。


  
 (13)証言をすることは、その当時を嫌でも思い出さなければならない辛い事だと思った。アマーの見せた表情が辛さを物語っていたと思う。アマーは涙を流してその辛さをはなしているのに「でも日本人は、みんないい人で戦争が悪い」とか「私はいいけど、これから自分と同じ思いをさせたくない」という言葉に私は心を打たれました。
アマーは証言したことによって気持ちが軽くなったといっていて、彼女の受けた傷は、証言しただけでは、癒されないと思うけど、今、彼女のために私たちができることで応援したいと思います。


 (14)今日の講演会を聞いて口にする言葉がないくらい驚きました。人生というのは一度しかないのに、彼女たちは一生もいやされない傷を背負いながらいきてきた。たとえ、日本政府に賠償されても彼女たちの心の傷がどうやっていやされるのだろうか。
日本の軍人が侵略しに行くのか、自分達の性欲を満足させるためなのか。日本に帰ってきてからの軍人たちは自分達が起こした罪を反省していますか?わかりません!(留学生)


 (15)私が中学生だったとき、先生が「従軍慰安婦」の事を授業であげ、「秘密の事」と言って内容を少し教えてくれた事を思い出した。他の先生は教科書の慰安婦のページをとり上げず、授業で扱ってはいけないといわれていたということを思い出した。今日話を目の前で聞いて「秘密の事って何?」と強く思いました。今でもなお、悪夢にうなされたり、自分につきまとう辛さを持ち合わせて生きている人たちがいるのに、それを隠してしまって良いのだろうかと思いました。おばあさんが話してくれたことは恥ずかしい事ではなく、逆に自分が“日本人”としての内容をきちんと知らなかった自分の事の方が恥ずかしさを感じました。話す権利・聞く権利があっても、そこに隔たりがあって“権利”の意味は働かないのだなあとも少し感じました。


 (16)今日、貴重な話を聞けた事にすごく感謝したいと感じた。そして、彼女の辛い過去を直接聞いた自分にはその話してもらえた事に責任を持つべきであると感じた。彼女が証言したことで、彼女がはずかしいのではなく、よかったと思えるように私たちが聞いた事で何かを変えていかなくてはならないと思う。彼女たちが生きてくれている間に彼女たちが少しでも幸せと感じてもらえるように何かをしていくべきだ。私にできることは何なのだろう?今日彼女は日本人を嫌いではなくみんないい人だって言ってくれた。あたたかいなあと思った。
心から感謝したいと思う。


 (17)今日の証言集会で、呉秀妹さんの話の中にあった「日本人が全て嫌いなのではなく、軍人が嫌い(憎い)のだ」という言葉を聞いた時、自分が同じ日本人である自覚とその言葉を聞くまで軍人(ここでの)は、自分(日本)とは関係がない第3者のような感覚でしかなかった、自分の無責任感を思い知らされました。今日この場で感じたことは文章だけで表現できるものではないと思いました。このやり場のない感情を後世に残していくことに意味があるかもしれないと思う。


 (18)アマの写真を全て一通り目を通した。どれもこれも顔には笑みなどなく、悲痛さが伝わってきた。女性にとって性暴力は本当に憎んでも憎みきれないものだと思う。一生の傷、決していやされることのない傷。誰かに簡単に口に出して話せることではない。前回の映画といい「女性としての権利」を奪われた女性を目にしたように思う。阿媽のコメントを見てから写真に目をやると一瞬目をそらしてしまう自分に気付かされた。


 (19)1人1人写った阿媽たちは、誰も笑ってはいませんでした。笑う内容ではないから当然なのだけれど。笑うことは人が生きるうえでの大事な活力の「もと」となると私は思っています。彼女たちからその「もと」を奪ってしまったのが私たち日本人なのだとしたら、この問題に対する向き合い方をもう少し考えなければならないと思います。写真には様々な思惑が含まれているのだと思いますが、自分の目で、自分の頭で考えなければ意味のない事だと思う。ともあれ、こうして私たちの前に姿を見せてくれた彼女らの勇気に感謝したいです。


 (20)息が詰まって、できたら早くこの場から離れたいと思っていた。
「かわいそう」だとか「きっと辛かっただろう」などとわかったようなことはとても言えない。なぜなら、このようなキモチはきっと、実際に被害にあった人のみ理解できるものだろうから。
私にはできることは、ただこのような事実があったことをいつまでも忘れないでいることくらいだろう。軽々しくわかったような気にはとてもなってはいけないような気がした。
 コメントの中に「死のとき、初めて悪夢から解放された」というものがあり、何かこみあげてくるものがあった。


 (21)話を聞いていて素直に感じたのは記憶がすごく明確であったということ。すごくこくな体験だから心で記憶を消すというのか、精神的に記憶があいまいだと思っていた。どん底というか、最悪を体験すると鮮明な記憶になるんだって思った。
今日、写真を見て、更にお話を聞いて現実感が増した。毎日何人も相手をし、体もこころもボロボロ、そんな女性が何百人もいるのに、この事実が、国として、隠しつづけてきたのは、やはり、おかしいことだし、日本人として無知であった私たちは恥ずかしいことだと思う。今日、証言する方々がお亡くなりになっている現状を聞いてこの機会がすごく貴重なものであるとともに、こうしてお話が聞けてよかったと思う。日本人、軍人をうらんで当然なのに、「日本人はやさしい」だとか「悪いのは戦争」と考えているのが本当にすごいと思う。同じ女として、私だと、ただうらむというのか、日本人嫌いだって考えてしまうと思う。
実際、戦争が生んだ犯罪である。このような問題は2度と繰り返してはならないし、だからこそ、国として隠さず、みんなが知るべきだと思う。
 教科書としても隠しているのも納得できないと思った。そんなかくされている事実を今日知れて本当に良かった。


 (22)今日証言集会に出席して、阿媽の悲痛な過去を実際に聞きました。遠い昔の出来事を話し、泣いていました。自殺を考えたこともあったけど、彼女は死を選ばず、生きることを選んだ。本来の幸せなんて望めないのに生きることは死ぬことよりも辛いことだと思う。だからせめて私たちには彼女たちの存在を知って悩まなくてはいけないと思った。日本の教科書から彼女たちの存在を消すことは、あってはならない。いくら「国民基金」を提案しても、お金だけ払って、それで終わりにしようとしていると思われて当然だと思う。お金よりも性暴力被害の事実を日本人が知ることのほうが日本人の果たすべき責任ではないかと思った。
阿媽は日本人をうらんでいなくて、戦争が兵隊をそのような行為をさせたと言っていて、本当に彼女は強い人だと思った。ただこれからの人生、幸せになってもらいたいと願います。


 (23)阿媽が話の途中で泣き出してしまったのが辛かった。60年たった今でもその受けた傷は消えることなく、辛かった日がありありと残っていることを思い知らされた気がする。なんでこんなことを話さなければならないのかという言葉は阿媽の本音であると思った。本当は誰にも知られたくないし、話したくもないことなのだと思った。阿媽たちは今でも苦しい生活を強いられている。日本は謝罪にも償いきれないようなことをしたのに、いまだに認めようとしないことが、同じ日本人として悲しい。でも阿媽が日本人は好きだと言ってくれたことがすごくうれしかった。まだ希望はある気がした。

しかし今まで全く知らなかったことがショックです。この授業をとった私たちだけではなく、文教大学の全員に、特に国際学部の人にも知ってほしいと思った。授業でとりあげることはできないのですか?またもうひとつ意外だったのは今日話してくれた阿媽は、初めて話したということです。私は証言してくれる人はもう何度も話していると思っていたので、とても貴重な、そして大切な話をきくことができたのだと思いました。
今日授業中に写真展を見て、死んではじめて自由になれるというコメントを見てすごくショックを受けたが、実際に証言を聞いて、本当に今でも苦しめられて生きていることを知って、そのキモチがわかった様な気がしたのが辛い。
この問題はまだ何も解決していないのだと思った。過去のことでもなく現在のことであると思った、今、同じ時を生きている私たちが、昔の人がやったことではなく、向き合っていかなければならないと思いました。


 (24)話を聞いて、秀妹アマーは本当に強いと思った。自分のすさまじい過去を無理して話して・・・。私は「日本人をうらんではいない。
悪いのは軍の人だけ」と秀妹アマーが言ったとき、涙が出た。なぜそんなことが言えるのか・・・。私は心の底から彼女のために何かしたいと思う。一刻も早く何かをしないと、証言できる人が1人もいなくなってしまう。
証言集会をひらき、私たちのような若者が過去に起きたことを知るだけでも、アマーたちにとってはささやかな幸せ(?)かもしれないけど、日本という国が戦後補償をしっかりすべきだと思う。この事件(出来事)に時効はない。
私たち日本人は、中・高では「慰安婦」問題はほとんど習わず、忘れていたけれど、大学でこんなにくわしく学べて本当に良かったと思う。ありがとうございました。


 (25)正直な話、自分も最近まで従軍慰安婦の存在を知りませんでした。授業で勉強するにつれて、当時の日本軍がしたことについて学び、ショックを受けました。
軍人たちの身勝手が、彼女たちの人生を悲劇に変えてしまった。慰安婦についての知識が浅いので、「かわいそう」と同情してしまう自分自身が情けなくて申し訳ない気持ちになります。

身体も心も傷つけられたが、それでも逃げずに、死んで楽になるよりは苦しくても生きて戦う道を選んだことに対して、悲しみの中にも「強さ」と「意思」を感じとれました。また、ところどころで聞き取れた「ヘイタイサン」、「クニノタメ」、「コロス」などの日本語もあり、当時何回も言われたことから印象に残って覚えているのかなと感じました。

つらい過去のことをこんなに大勢の前で話して、とてもはずかしいとおもう。それでも、「日本人は好き。軍人だけが悪い人だった」ということばに衝撃を受けた。たしかに、自分は本当の加害者ではないが、彼女たちに対して申し訳ないという気持ちしかもてない。それでも裁判で敗訴するというのは考えられない。彼女たちはもう高齢だが帰る家もないと言っていた。当時の日本軍が生きていたらこの問題についてどう感じるのだろうか。何かと理由をつけて正当化して、なかったことにしてしまうにちがいない。当時の日本軍は情けない、知らなかった自分たちも情けない。おそらく若い世代の人たちは彼女たちの存在について知らない人が多いだろう。本当に議論されるべき問題、救われるべき人たちのことについて、もっとたくさんの人に知ってほしい。


 (26)獨協大学のSです。本日元慰安婦の証言会に行かせていただぎました。私が元慰安婦について興味を持ち始めたのは高校生の時でしたが、従軍慰安婦問題があまり世に知られていないということを今日始めて知り、驚きました。もちろん私も詳細を知っていた訳ではありませんでしたが・・・・。

証言をして下さった呉秀妹さんが最初に「日本語で話すことができないので台湾語で」と(通訳の方の言葉ですが)伺ったとき、寧ろ台湾の言葉で証言して下さることが正Lいことであると思いました。それが呉さんの本当の(以外適切な言葉が浮かびません)言葉であると思ったからです。
日本語で話してしまうと、証言の何かが壊れてしまうような気がします。ただ、自分がその証言を通訳を介してしか理解できないということはとても残念に思いました。
呉さんは何度も自分で恥ずかしい体験とおっしゃり、ずっと穏やかに流れるように、小さな声で証言をしていらっしゃいました。
しかし彼女の経験が、まるで彼女自身の責任として恥ずべきであると考えさせてしまうもの、それを証言から寧ろ考えさせられてしまいます。そういった意味でも、藤巻先生が最後に「恥ずかしい経験ではありません」と呉さんに仰った言葉にとても共感しましたし、その後呉さんが大きな声で皆に語りかけてくれたことがとても心に残りました。
呉さんはとても優しい方で、日本人ではなく軍人や戦争が全て悪いと仰っていましたが、その責任はその他の人々、当時の一般の人々ももちろん、戦後に生きている私たちも負うべきものであると考えます。責任を負うということがどういうことか、まだまだ私の勉強不足で解らないのですが、応答していくことで責任を果たす可能性を見い出したいと思います。
 また、私たちから見て左横に座っていた女性の媒介した講演のような言葉と実際に証言して下さった呉さんの言葉の間に、大きな隔たりを感じました。語るということ、私はそれにずっと引っかかっています。特に代理で語るということに、です。それは正しいことなのか。本人ではなく、代わりに誰かが語るということが正しいことなのか。ですが出来事の当事者に不具合が生じ、その言葉が現実に発せられなくなった時、忘却されないためには「誰か」が語ることになってしまいます。
 例えば今日の証言会の左横の女性のように。でもそれは歪曲の歪曲になってしまう気がしています。通訳や翻訳もまた、+だけでなく−の可能性を多く含んでいます。間もスピードも、全く違ってしまう。ではどうしたら良いのか、という思いです。


 (27)証言集会に参加させて頂いた、獨協大学Yです。
ウシュウメイさんの証言を聞くことにより、自分の「従軍慰安婦」に対する知識が「抽象的」なものとして浮かび上がりました。昨日のお話に「日本政府が資料を公開しない」ということや、「マスコミがとりあげない」ということがあリました。私の知識は、日本という文化にのっとった上にあり、政府が公開しないもの、メデイアが載せなかった言葉たち、よって何が排除されてしまっているかを知ることは大切だと思いました。

様々なメディアは、「従軍慰安婦」の歴史的事実ではなく、「従軍慰安婦問題」として取り上げている機会が多いような気がします。その中で、主体はちがう形で構成されてしまっている可能性があると思いました。「従軍慰安婦」の歴史的事実自体がこれから、様々な形で再構成され、歪曲されてしまう可能性を含んでいると思いました。その契機は常にあり続けるため、「証言」を聞けた応答責任を自分がどのように果たしていくのか。何をしてはいけなくて、何をすべきなのか、一つ一つ、熟慮していく必要性があると思いました。

ウシュウメイさんが、「信じてください」と言っていたことが、今、このことがどんな状況にあるのかを示していると思いました。彼女たちの言っていることが証言として、証言たらしめられないということは、歴史から排除されてしまう危険な状態にあるということを含んでいると思いました。

だから、「かわいそうだ」といって、そのような位置におくのではなく「勇敢」であるという位置におくことは大切だと思いました。自分達が、このような事実を「従軍慰安婦」というひとつの歴史を、きちんとした形で認識できていないということは、自分自身の認識を疑うところからはじめる必要性があると思いました。これからも、「勉強」が必要だと思いました。自分が向き合うこの問題の対象に対する情報をどのように見ていくのか、常に考慮していきたいと思いました。
遠いところから、こちらまで来てくださったことに感謝し、本当にお体だけは気をつけて、大切にしていただきたいと思いました。本当にお体を大切にしていただきたいと思います。

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文教大学 学生たちの感想

 〜呉秀妹阿媽の証言を聞いて〜

2005年12月8日 茅ヶ崎カトリック教会にて

あたたかさに包まれて
  幸せそうな秀妹さん