イラク戦争被害の記録

被害報道日誌(6月29日〜11月17日)


今も続く “ファルージャの大虐殺”−−飢餓、無差別射撃、避難民


11月17日

■完全に包囲されたファルージャの地元武装勢力、反米・反占領レジスタンスは必死で戦った。そして今も戦っている。

[コメント]
(1) 米軍は「ザカルウィ」と「外国人テロリスト」がファルージャを支配しているとデマ宣伝を流し、米軍・イラク軍は、住民の邪魔をするこれらの「武装勢力」を殲滅するためにファルージャに侵攻したと主張している。アラウィは「民間人は一人も死んでいない」とうそぶいている。「ファルージャを武装勢力から解放する」「テロリストから解放する」と。米欧のメディアも、日本のメディアも、今回の攻撃が“大量虐殺”であるという認識が全く欠如している。批判することも警鐘を鳴らすこともせず、ただ米軍の「大本営発表」を垂れ流すだけである。国民は何も知らされていない。
 しかし米が宣伝する「武装勢力の退治」は、未曾有の残虐行為を行う隠れ蓑、口実にすぎない。元々「ザルカウィ」の存在があやふやであり、存在したとしてもその実像が著しく誇張されている。外国人勢力はほとんどいないという情報を米系メディア自身が流しているほどだ。
※「Few Foreigners Among Insurgents−−Judging from fighters captured in Fallouja, all but about 5% are Iraqi, U.S. officials say.」November 16, 2004 by Los Angeles Times
by John Hendren http://www.commondreams.org/headlines04/1116-23.htm

 15日、16日くらいから徐々に現場の映像がインターネットで大量に出始めた。無惨に破壊された町の風景、廃墟となったファルージャ、虐殺された住民の遺体が多数並んでいる。衝撃的な映像ばかりだ。イラク現地や米欧のメディアを丹念に読めば、一部の勇敢なフリージャーナリストが発する市内の破局的な様子も次第に明らかになり始めていることが分かる。これのどこが「ファルージャ市民の解放」なのか。大量虐殺の真実はあらゆる妨害をはね除けて必ずや明らかにされるだろう。そしてブッシュの再選後初の仕事となったこの大量虐殺は、行き詰まり破綻するイラク占領支配を更に土台から揺さぶるだろう。


(2) 米軍が今回の侵攻の最大の目的とし、実際に最初から標的にしていたのはザルカウィでも外国人勢力でもない。ファルージャの地元住民の武装抵抗組織だった。彼らは地域ごとに、あるいは職場ごとに同業組合的に組織され、「自警団」を作って、治安維持に当たってきた。

 彼らの抵抗の原点は昨年2003年4月28日の事件である。米軍はバグダッドを陥落させた後、各地で掃討作戦を展開させたが、ここファルージャでも学校を「宿営地」「基地」に使って、住民に睨みを利かせていた。ところが学校の明け渡しと授業再開を要求した親達が子供を連れて学校に押し寄せ、抗議行動を行ったところ、突然米軍側が発砲し、多数の死傷者を出した事件である。13人が死亡、75人以上が負傷する大惨事となった。亡くなった犠牲者の中には6人の子供が含まれていた。さらに30日には、この虐殺事件に抗議する民衆約7000人のデモ隊に対して米軍が再び発砲し、もたもや2人を虐殺し多数の負傷者を出した。
ファルージャの無差別虐殺事件−−学校再開を求める一般市民にいきなり発砲(署名事務局)

 これ以降、ファルージャの住民は反米・反占領闘争に立ち上がり、絶え間のない空爆にもかかわらず市民は団結を維持し、現在に至っているのである。とりわけ今年4月の米軍の攻撃を打ち破って以降、ファルージャはイラク民衆の占領反対闘争の“シンボル”“最大の拠点”になり、彼らファルージャ住民による米軍=傀儡政府に対する抵抗は、反米・反帝の民族解放闘争の性格を帯び、イラクの民族独立の闘いの最前線を形成することなった。
緊迫するイラク情勢と日本の反戦運動の緊急課題(署名事務局)


(3) 米軍の作戦は巧妙を極めた。イスラム・オンラインの論説「米はどのようにして戦争を遂行したか」において、それは3段階にわたって遂行されたと言う。
−−第1段階は、メディアによるデマ・でっち上げプロパガンダである。「ファルージャは外国勢力の巣窟」「ザルカウィ」「得体の知れないテロリストの拠点」「ここを叩き潰せば治安は回復する」等々。
−−第2段階は、「市内から住民はいなくなった」「ファルージャは空になった」というイラク中・世界中に流されたこれもメディアの大宣伝である。そして、市内にはまるで極悪非道の「武装勢力」「テロリスト」しか残っていない虚構を作り上げた。
−−そして総仕上げとして第3段階で「皆殺し」を開始したのである。
※「Crimes in Iraq How America Wages War in Iraq」By Firas Al-Atraqchi Freelance Columnist http://www.islamonline.net/english/In_Depth/Iraq_Aftermath/2004/11/article_07.shtml

 確かに米軍は事前に市内から住民に対してある程度の避難の猶予を与えた。ザルカウィと外国人勢力の多くは攻撃前にファルージャを脱出したと言われている。当然かもしれない。地の利に熟知していない外国人は、ファルージャ市民にとっては邪魔になるかもしれないからだ。いずれにせよ彼らはファルージャの武装勢力の一部分を占めるにすぎない
 実際に残ったと思われるのは、地元の武装勢力、上述した「自警団」に組織され、米軍の侵攻と戦い自分たちの町を防衛しようとした男達、つまり現地住民である。これに多くの住民が付け加わる。人口25〜30万人のうち、7〜8割が脱出したと言われているが本当のところは分からない。5〜10万人が残っていると言われている。いずれにしてもファルージャに残ったのは、自分の意志で武装抵抗に協力を決意した住民、あるいは様々な条件から避難できない住民、他に親族・知人がいなかったり、貧しくてそこから離れることのできない住民である。

 現地に根付いていない外国人武装勢力などどうでもよかった。米軍にとっては、ファルージャ住民が最初からの標的であり、彼らの抵抗姿勢を打ち砕くこと、それでも逆らえば皆殺しにし大量殺戮することが目的だったのだ。来年1月の議会選挙に参加しない者達、米軍とイラク暫定政府に屈服し服従しない者達、独自の地域支配を続けるスンニ派の地域武装勢力−−そしてこれらの「反乱分子」の最大の拠点、「抵抗の象徴」になっているファルージャ、その都市ごと、住民ごと、丸ごとを、武力によって粉砕・殲滅し、ファルージャが再び立ち上がることができないようにすること、そのために核心としての地元の武装抵抗を抹殺することが目的であった。

 米軍がわざと包囲を事前にリークし、住民に逃げる時間を与えたのは、何も“善意”や“良識”の反映ではない。全く逆のこと、つまり今年4月の攻撃の際のように、30万人が丸々市内にいれば、それこそ世界中の非難を浴びるからである。できるだけ住民を少なくすれば、残った住民を皆殺しにしても、徹底的な報道管制を行えば、4月よりは避難を浴びないだろう。そういう冷徹、冷酷な“計算”からそうしただけである。

 「残っている住民の数は少ない」「残っているのはテロリスト」−−このような虚構を演出して、思う存分、徹底的に殺しまくる舞台を設定し、殺戮を繰り広げたのである。これがファルージャの侵攻であった。ただ「選挙に反対している」「米軍の占領に抵抗している」という理由では、実際には広範な人民大衆を絞め殺すと言えば、世界中で非難轟々となりとてもできない。だから、「テロリストを排除する」といって演出したのだ。小泉首相が諸手をあげて賛成し、「成功させなければ」と支持したのは、このファルージャの人民大衆に対する大虐殺なのである。


(4) ファルージャでは今回の米軍の侵攻で非常にたくさんの住民が殺された。米軍・暫定政府は1600人を殺したと発表した。現地からの一部の情報では民間人だけで2000人が殺されたという。まさしく“大量虐殺”“ジェノサイド”である。
 地元の武装レジスタンスは防衛を余儀なくされた。1600人のうちどれくらいが武装勢力の戦死者なのか。元々「自警団」なのだから区別が付かないのは当然である。しかも彼らは軍服や制服もない。普段着なのだ。

 武装レジスタンスの戦士はただ虫けらのように殺されただけではない。地の利を利用し、知恵を働かせ、トンネルを掘り、食糧を備蓄し、完全封鎖され制圧された極度に狭い一つの都市でどれくらい長く生きながらえ、最後の最後まで抵抗するか、ほとんどは手作りの武器と戦術で、世界最大最強の攻撃力・破壊力を持つ米軍に立ち向かっているのである。
 言うまでもなく、元々戦力比は圧倒的に米軍に有利である。1万5000対1000(以下)、あるいは1600(以下)。いずれにしても10倍以上の圧倒的な戦力の格差。それに一方にはあって他方にはない超近代兵器の数々、無比の威力を持つ戦闘機や武装ヘリによる空爆・砲撃・機銃掃射、無人偵察機、暗視装置付きのヘルメット、それに連動した精密誘導ミサイル、150ミリ流弾砲をはじめとてつもない破壊力の大量の砲撃、抵抗さえ難しい重装甲の戦車部隊。等々。

 武装抵抗の男達は、このような怪物を相手に、今日現在で10日以上戦い抜いた。11日にはあと2日で「制圧」すると発表され、14日には「ほぼ制圧」とされたが、北西部のジョラン地区で、袋小路にしたと米軍が発表した南東部で、工業地帯の南西部で、散発的であれモグラたたきのように戦闘はあちこちでまだ続いている。

 両者の戦闘の激烈さは、その犠牲者の数に出ている。侵略者である米軍側は38人の死者、400〜500人の負傷者。以下に訳したAP通信の記事は、200数十人という負傷者に関する米軍の発表がウソ・デタラメであることを暴露している。
 負傷による戦線離脱。ファルージャに集中したことによる米軍の戦力の伸び切りと他地区での手薄等々、これを使用したスンニ派三角地帯全域での反米武装闘争の再発・活発化等々。−−イラク民衆は、ファルージャへの米軍の集中を防ぐため、米軍を分散化させるため、イラク全土で同時蜂起している。

 メディアによれば「抵抗はほとんどなかった」と言われているが、それはウソである。地元市民による「武装自衛」「ファルージャ防衛戦」は非常に強力だった。米軍さえ驚いた武器の備蓄と周り中からの火力の集中砲火による攻撃。あるいはいったん米軍部隊をやり過ごした上での後方からの「冬眠細胞」(sleep sell)による反撃、さまざまな場所に食料、弾薬などを備蓄しながらの都市部での遊撃戦、待ち伏せ攻撃等々。彼らが闘いの中で現実にやって見せた戦闘と編み出した戦術の水準は報道されるよりも非常に高度である。彼らは自分の生まれた町で、諸条件を熟知した中で、ありとあらゆるものを動員して闘いを挑んだのである。

 “ファルージャ市民5万人餓死の脅威”−−これが目下の最大の危険である。国際社会と反戦運動は声を大にしてこの危険を訴えなければならない。記事にもあるが、米軍はファルージャを完全に包囲し封鎖している。食糧・医薬品を入れさせず、武装抵抗部隊がその家族や一般住民とともに負傷し死に絶えること、餓死することを待っている。かつてない「兵糧責め」戦術である。また米軍は市街戦についてイスラエルのパレスチナ攻撃に学んだ。壁を破壊して侵攻し、家々を破壊し、中に人がいようとお構いなしに手榴弾を投げ込み各地区を制圧して回った。レジスタンスが抵抗すれば、住民がどれだけいようと、その一帯をビルごと破壊し抹殺した。そして、米軍が認める従軍取材以外のマスコミをシャットアウトし、人権団体、救援団体等を一切市内に入れないことで、無差別虐殺のニュースが外に出ないようにして皆殺しを行った。

 しかし、こうした傍若無人の振る舞い、虐殺と破壊自体が、人民大衆の中に猛烈な憎悪と復讐の反米感情を生み出しているのである。燃え上がったイラク民衆の反米・反占領の炎を武力で鎮圧することはできない。ファルージャは自らの力でそのことを証明するであろう。ファルージャのレジスタンス、イラク全土のレジスタンスはたとえいったんは押しつぶされても、屈することなく何度も出てくるであろう。英インデペンデントは、今回の蛮行について、こうして米軍は「“竜の歯”を蒔いたのだ」と批評した。将来米軍に跳ね返ってくるとも知らずに。ギリシア神話以来の人類史の教訓である。
※Chris Bellamy: The Americans are sowing dragons' teeth in Iraq
For every Iraqi killed, there are sisters, brothers, wives, parents and children now committed to a blood feud
17 November 2004 Independent Digital (UK)
http://comment.independent.co.uk/commentators/story.jsp?story=583641


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 以下の翻訳は、米軍という“巨像”に立ち向かう“アリ”が、絶望的で甚大な犠牲を出しながらも米軍に一矢を報おうと必死の抵抗を試みていることを示唆する3本の記事である。もちろんいずれも米欧系の新聞や通信社のものなので、明らかに米軍奮戦の立場から書かれている。しかしその記事の中には、抵抗の手強さを記述する部分が多く含まれており、地元の男達の誇りや意地が透けて見える。


[翻訳1]
★ 負傷した米軍の兵士がファルージャでの武装勢力の大規模な火力について語る。
「Wounded U.S. troops describe massive insurgent firepower in Fallujah」 AP通信 2004年11月15日
http://www.billingsgazette.com/index.php?id=1&display=rednews/2004/11/15/build/world/35-iraqwounded.inc

ドイツ、ラントステュール−−米兵達はイラク武装勢力の拠点であるファルージャでの月曜日の、彼らが傷つき、戦闘から離脱し、治療のためにドイツの病院に送られる前の悲惨な街頭での闘いを思い起こす。

4人の負傷した兵士達は、小さいチームで街を歩き回ったり、屋根の上から撃ってくる、覆面をしてよく武装している狙撃兵から、市の中で激しい銃火を浴びたと述べた。

「彼らは、戦い死ぬ用意ができていた」と、トラビス・シェーファー兵長、海兵隊大隊のライフル兵は、ラントステュール地域医療センターで記者に話した。

他の兵士のように、シェーファーは負傷したために軍の病院に送られた。ファルージャからイスラム戦士を追い払う戦いが1週間前に始まって以来、毎日約70の負傷兵が到着している。−−イラクからの通常の負傷者の2倍の数字だ。

人っ子ひとりいないさびれた市場で、ロケット推進手榴弾(RPG)が彼の右15ヤードで爆発、その時の破片によって負傷したが、シェーファーの右手はそこから包帯をされていた。

「それは家から家への戦いだった」と、彼は言った。「屋根から屋根への戦いだった」と。

ライアン・チャップマン兵長(第1海兵連隊)は、左の目の上に嫌な傷跡を付けていたが、それは武装勢力の狙撃兵との遭遇を思い出させるものだった。

彼の部隊は、ロケット推進式の手榴弾(RPG)や狙撃兵から攻撃を受けていたので、チャップマンは望遠鏡付き照準器をを装備した精密誘導ミサイル発射装置を持って狙撃兵を追跡していた。

しかし、彼は真っ先に打撃を受けた。弾丸は、彼を殺そうとして、ちょうど彼のヘルメットの端の下の額を傷つけた。

チャップマン(22歳)は、運がよかったことを認めた。しかし、彼は活動へ戻りたいと言った。

「たいしたことじゃない。私の頭蓋骨にはひびが入っているかもしれないが、しかし、戻らなければもっと大変なことになると思う」と、彼は報道記者に話した。「私は戻りたい−−親友がそこにいるんだ。」

米軍は先週、4月に失敗した作戦の後、武装勢力からファルージャをもぎ取るために戦ってきた。

医師によると、ローレンス・カンザスのチャップマンは、先週ラントステュールに来た419人の患者の中の一人だった。そしてその内の233人が戦闘による負傷だった。最も共通する負傷は、銃弾、あるいはロケット推進式の手榴弾(RPG)の爆発によるものだった。

ファルージャの武装勢力はよく組織されており、驚くほど重装備していることが分かった、と兵士は言った。

「彼らは、各自が何をしたらいいか自分自身の小さなの計画を持ち、どこへ行って戦ったらいいか見事な一連の構想を持っていた」と、米陸軍のクリス・クリンクスカールス特技兵は語った。彼はテキサスのサンアントニオ出身の22才で、右手を破片で負傷したので吊り包帯していた。

ワシントンのピュアラップのシェーファーは、武装勢力の火力に驚いた、と言った。

「彼らは無制限にちかい量のRPG(ロケット推進手榴弾)と迫撃弾を持っているようだった。彼らはそれらを派手に撃っているようだった」と、彼は言った。

第1海兵連隊のシェーファーは、彼の部隊が市内にわずか400ヤード入っただけだったが、その前に小火器、迫撃弾、RPGからの激しい砲火を浴びた、と語った。

「彼らは、我々を取り囲むそこら中の建物からRPGと迫撃弾で我々を狙っていた」と、20才の兵士は言った。「モスクからも彼らは射撃してきた−−ありとあらゆる場所からだ。」

ラントステュールは、世界中から負傷した米兵を受けいれている。最も最近の死傷者はファルージャからだが、当局者達は正確な内訳を持っていない。

イラクから新しい46人の負傷した米兵が月曜日にこの病院に来る、とラントステュールの女性スポークスマンのマリー・ショーは言った。

日曜日に、ファルージャの米軍は、そのスンニ派の拠点に散らばる強硬派の防衛戦士の真っ直中で戦った。戦いはあと数日間続くだろうと見積もられている。

米軍は日曜日までに、米軍兵士38人が戦死し275人が負傷した、一方武装勢力も1,200人以上が死んだと見積もっている。

民間の犠牲者は見積もられなかった。


[翻訳2]
★ 海兵隊、武装勢力の戦術は進化する
−−米軍当局者は語る、ファルージャでは武装勢力は機敏な状況のままで、戦闘の状況の変化に戦術を合わせている。
「Marine, insurgent tactics evolve−−In Fallujah, US officers say the remaining rebels are smart, and adapting to changing battle conditions.」By Scott Peterson | Staff writer of The Christian Science Monitor
スコット・ピーターソン | クリスチャンサイエンス・モニター・スタッフライター
クリスチャンサイエンスモニター 2004年11月17日版から
http://csmonitor.com/2004/1117/p06s01-woiq.html

イラク・ファルージャ−−ファルージャでの武装勢力の隠れ家はそのブロックの他の全ての家と同じように見える。ただ、外壁にかかっているコードにぶら下がっている新しい2つの煉瓦で用心深く印が付けられている以外は。

爆発物の専門家は、車庫に入り、トラックの後部にセットされた幾つかの迫撃砲の砲身を爆破した−−この移動式の大砲は武装勢力がよく使っているものだ。

しかし、火曜日にロドルフォ・サンリオ1等軍曹は、彼ら米兵が鎮圧しようとしている武装反乱から毎日学び取っている新しい情報に合わせて、対ゲリラ戦の努力をさらに一歩進めようとした。

彼は、飲料水で一杯の樽をひっくり返した。そしてナイフを使って切れ目を入れ、プラスチック製の水差しへ中身を出した。それから、海兵隊員は、台所に隣接する大量の食糧備蓄を調査した:数袋分の米、鉢に入ったタマネギとジャガイモ。

そして、彼はマッチをつけた。

数分間でその備蓄は燃え、ファルージャの地平線に刺激臭を放って黒煙を吹き出していった。−−こうして武装勢力の移動部隊から、彼らを活動源となる少なくとも一つの食糧貯蔵所を奪ったのだ。

「それは彼らがあちらこちらに動きながら生きのびる方法だ」と、炎が包む食物貯蔵品を前にしてサンリオ軍曹は言った。「彼らは、家から家へと移動する。そして、彼らが動くところはどこにも食べ物と水を備蓄している。それは焼かなければならない。なぜならそれが彼らを打ち負かす唯一の方法だからだ。彼らに食べ物と水を与えることを阻止し、彼らが外に出るようにし向けるのだ。」

このような戦術は、都市を戦場にするゲリラ戦では一定有効である。そしてこの都市の戦場で米海兵隊と陸軍の伝統的な学習曲線は急速に上昇している。

月曜日に、イラク国家警備隊によって試験的に開けられた食料配給所を訪れた数十人の男達の中に腹を空かした何人かの武装勢力が見つかった。

それらの容疑者は尋問された。そしてその一つのケースでは、食糧や爆薬を充填した自爆ベルト、ガレージドアの電子式リモコン(自動車爆弾を誘導するのに使われる)や他の装置がストックされている隠れ家に、米兵を連れて行った。

米も武装勢力も一層学んでいる。

しかし、ファルージャ−−イラクの全国的な武装反乱の神経中枢でありシンボルである−−への侵攻が第2週に入り、米兵と武装勢力は、双方がさらにもっと学んでいる。

ここで学んだ戦術は、イラクの他の場所で武装勢力を相手にするときに確実に使われるだろう。武装戦力は今回のファルージャ攻撃を、イラク中の一連の都市で攻撃を始める合図と受け取っている。

米軍は火曜日に、北部の中心都市であるモスルを奪還するために1,200人の精鋭部隊を送り込まなければならなかった。このスンニ派の根拠地でゲリラは9つの警察署を襲撃した。最近、彼らは多数の人々を殺した。

米国は1月に予定されている選挙の前にイラクのスンニ派地域の反乱を根絶しようと試みている。ファルージャ攻撃に抗議してイヤッド・アラウィ首相の政府から辞任したあるスンニ派の政治家がバグダッドで火曜日に米軍に逮捕された、とAPは伝えた。

頑強な抵抗が続いている

米軍は今やファルージャ市全体を占領した。しかし、頑強な敵を鎮圧するにはほど遠い状態だ。数百人の武装勢力が殺されたが−−彼らは自爆的な殉教作戦に関与する者がほとんどだったと士官達は考えている−−、もっと賢くて、死ぬことを望まない多くの者が残っている。

米軍の士官は、武装勢力の戦術は進化している、それは米軍の戦術がそれに対応して進化しているのと同じだと言う。彼らは、家々をつなぐトンネルの証拠−−サラエボでセルビアの狙撃兵が好んだ手段−−を見つけた。

彼らは銃口からの閃光を隠すために、カーテンの後ろから銃を撃った。彼らは、装甲貫通用の弾丸と高度な狙撃兵ライフル銃を使った。

彼らは、最近家々を掃討している海兵隊員を待ち伏せして、リビングルームをマシンガンの巣に変えた。ここ数日間、家を掃討するために門から入ろうとした2人の海兵隊員が武装勢力と衝突して死んだ。

別の事件でさらに2人の犠牲が出た。その事件では武装勢力が一家を人質に取った。海兵隊が突入したとき、家族がいたので発砲をやめた、その後米兵は彼らから撃たれたのだ。

海兵隊は、今でははるかに“ダイナミック”な突入をしている。それはドアを爆破して開けるような爆発物を使う方法や、壁にはしごをかける方法、家と家の間に橋を架ける方法さえある。また閃光弾や破砕性手榴弾も含まれる。

幾つかの小隊は、ショットガンでとてもたくさんのドアをぶち破ったので、弾薬が不足しているほどだ。

最も大きい銃撃戦の1つは、アルファー中隊が30人以上の武装勢力のいる場所から2つドアを下りたところに小隊基地を設営したときに起こった。2日間、武装勢力は活動せず静かにしていた。

「我々が彼らのドアの前に立つまで彼らは何もしなかった」と、市の東部で激しい銃撃戦となり約15人の武装勢力が死んだその事件について士官の一人が話した。「彼らは、撃ちまくって逃げた。そいつらは走って逃げるべき最初の機会にそうした。彼らは最も逃げやすい道を走り下りた。」

しかし、30万人の都市で、1万人の米兵が残った武装勢力とその隠れ家を見つけることは容易ではない。30万の住民のほとんどは戦闘の間、市から外部に避難していた。

海兵隊は隠れ家でたくさんの薬品を見つけた。たぶんスピードに似たアンフェタミンで、武装勢力を起こしておくためのものだ。2001年11月にタリバン政権が崩壊したとき、カブールにあったアルカイダの隠れ家にもそんな薬があった。

「敵は、我々がそのドアをノックするまで答えなかった」と、別の士官は言う。

素人の間違い

しかし、この戦場の他の事件は、多くの武装勢力が素人であることを証明している。1件の事件では、40人程度の武装勢力が集まり、武器を後ろに放り投げながら、通りを公然と走り下りた。

彼らが一つの建物に隠れたとき、米軍は躊躇しなかった:彼らはビル全体を破壊したのだ。

「我々は彼らの頭の中に入って行かねばならない」と、1人の士官が指揮官仲間に話した。「戦術は進化しているんだ、こちらも向こうも。我々は死にたいやつ、馬鹿な奴らは殺してきた。でも今や、彼らは賢くなり、生きたいと考えている。」


[翻訳3]
★ 新しい反乱戦術がファルージャで現れる
−−武装勢力がイスラムの神聖な夜に合わせて反撃を開始するとともに、海兵隊は木曜日に厳しい戦いに直面した−−
「New rebel tactics emerge in Fallujah−−Marines faced a tough fight Thursday as insurgents began a counterattack timed with an Islamic holy night」 By SCOTT PETERSON | Staff writer of The Christian Science Monitor
スコット・ピーターソン | クリスチャンサイエンス・モニターのスタッフライター
クリスチャン・サイエンス・モニター 2004年11月12日
http://www.csmonitor.com/2004/1112/p01s02-woiq.html

イラク、ファルージャ−−かなりの進展を遂げた3日間の後、米軍はファルージャの完全な制圧を試みようとしているが、エネルギーを取り戻した武装勢力との対決に直面している。

そして、米軍とイラク治安部隊の掌握地域が市全体に広がるにつれて、都市での近接戦闘の絶え間のない小衝突とドアからドアへの突然の捜索が、冬眠細胞(sleeper cells)を含む武装勢力の戦術についてより多くのことを明らかにしている。

木曜(12日)の夜、軍はイラクの武装勢力の大規模な反撃に備えた。−−これは「力の晩」(Night of Power)に合わせた措置だ。それは毎年行われるイスラム教の神聖な日で、強烈な精神的な献身によって特徴づけらる。それは罪を清め、運命を決めると言われている。

米海兵隊の士官の話によれば、少なくとも1つのモスクの拡声器が「殉教者の最後の儀式」に似た聖歌を流したことによって戦士の「一斉決起」が始まった。

「我々は、車や、バイクや、爆発ベストを着た人間による自爆攻撃を予想した」と、マイケル・ラモス中佐、ダラスからきた第3海兵師団第1大隊の指揮官は言った。

「今夜は悪いことがたくさん起こるはずだ」と、ギル・ジュアレス大尉、軽装甲偵察(LAR)中隊の指揮官は、夕暮れに余分の弾薬を車両に積み込むときに彼の小隊主任に言った。

「私は、今夜大きな戦いがあるだろうと思う。だから戦闘にいつでも戻れるように頭の準備をしておけ」と、カリフォルニアのサンディエゴからきた、ジュアレズ大尉が言う。「これら[武装勢力]は、今すぐにも攻撃を始める。我々は準備しなければならない。」

米軍の戦車と砲兵隊による砲撃が雷雨のように一日中降り注ぐ中で、武装勢力は彼らの仕事を開始した。

1つの装甲部隊は市の南部の中心で民兵によってRPGで待ち伏せ攻撃された。これとは別に、他の車両が銃火を浴び、海兵隊員が負傷した。

待ち伏せに巻き込まれた彼らは、そこには罠があった、と話した。その場所は防御のため路肩にマークがされており、爆破する位置に金属箱が置かれている。戦闘があったすぐ後に、米砲兵隊はその場所に砲弾の雨を降らした。

「彼らは、L型の待ち伏せ攻撃をやってくる」と、攻撃による煙で顔が黒くなった1人の伍長が話した。「それは、マッド・マックスから抜け出た何かに似ている。」

「我々は、今日ちょうどスズメバチの巣の罠へまっすぐ踏み込んでしまった」と、軍曹はやっとのことで生き延びたように疲れ果てた様子で語った。彼らの名前と所属部隊は公表できない。軍規の条文では親族に通知されるまでは、負傷者の詳細を公表してはいけないとあるからだ。「彼らは我々を厳密に調べていて、我々がそこに向かう前に6発のRPGを発射した。我々はそこに踏み込んで投げ縄で捕らえた。

米軍とイラク軍がファルージャで掌握する地域を広げており、絶え間のない近接戦闘と、突入、個別の捜索は、武装勢力の戦術についてますます明らかにしている。

ファルージャの北東部のモスクの周りの一区画だけで7箇所の武器保管庫があった。イラク軍の小隊は、水曜日に、致死性のガス「サリン」とラベルの貼られたガラス瓶が一杯詰まったスーツケースを発見した。

この発見はたぶんソビエトのテスト・キット・サンプルであろうと分析されているが、その部屋からは迫撃砲弾が発見されていることから、それを材料に砲弾化しようという意図も示しているように思われる。

米軍・イラク軍による攻撃の前夜、市の武装勢力の指導者達は、大規模な逆襲を誓い合った。

木曜日(11日)遅くまで、ファルージャの抵抗は断片的なものだった。それは携帯のロケット弾、迫撃弾とライフル銃チームによる奇襲攻撃だった。米の重砲、戦車砲と空爆は、確実に弾幕砲撃を行い、海兵隊の歩兵が前進する道を切り開いた。

米軍の指導者たちは、ファルージャでの努力は今までのところ成功したと考えた。3日の戦いの中で、同盟軍部隊は比較的少数の死傷者だけで、都市の半分以上を一掃した。

しかし、木曜の夜、死傷者は急増した。同盟軍はモスクから攻撃目標にされた。彼らは、種のように市内の至る所に散らばり、最初の攻撃が終わってから反撃するのを主目的とすると思われる、非武装の「冬眠細胞(sleeper cells)」を発見した。

武装勢力は、暴力の波をほかのところで続けた。人で溢れるバグダッドの商業道路で自動車爆弾を爆発させ17人を殺した、と警察は言った。北部ではゲリラは、モスルの若干の警察署を圧倒し、米軍と戦闘を行った。

モスクは、今年4月に海兵隊が同市を侵攻しようとした時も戦士によって利用された。そこは米軍によって時々攻撃目標にされ、民間人犠牲者が増大し国際的な抗議が高まった。

今回は、イラクの民族主義者や、アブ・ムサブ・ザルカウィと連携するアルカイダのネットワークに忠誠を誓うイスラムの民兵は、集結基地としてモスクに依存していたのかもしれない、と米軍の士官は言う。

「我々が捜索したモスクのほとんどは、武器貯蔵と武装勢力の軍事訓練に利用されていた」と、ラモス中佐は言う。

海兵隊は、モスクの尖塔の拡声器に向けて銃を発射した。それは通常は、祈りへのイスラム教の呼び掛けに使われてきたものだが、最近は、文字通り武装への呼び掛けとして用いられていた。

攻撃が始まる前、米軍の情報将校は、ディシュダシャス(男性が着る伝統的な長いガウン)を着た非武装のイラク人に警戒するように言った。彼は米軍の戦列の方に近づいてきて、それから戻ってゲリラの細胞に報告しているのだ。

これとは別に海兵隊は、略奪にあうのを防ぐために自宅に残っていると主張する非武装の男達の小グループを発見したが、彼らは実は、事前に準備した兵器とリンクして攻撃の命令を待っている「冬眠細胞」なのかもしれない。

水曜日の一つの例は、捜索の時にLAR急襲小隊によって家の中で発見された男達のグループだった。彼らは、イスラム戦士、あるいは神聖な勇士によって最近捕えられて拷問にかけられたと言った。

その日の遅く、何ブロックか離れているところで、他のビルを捜索していた急襲小隊の偵察員は他の4人の男を見つけた。彼らは家を守るために残った、そして彼らは拷問にかけられたと言った。

しかし、そこには拷問の痕跡がないという疑問がわき上がる−−ファルージャの戦士は疑わしい裏切り者を殺すのが典型的だ−−、さらにその男達は身元を証明するものを持っていなかった。

「それはよくリハーサルされたものだ」と、マイケル・オウブリー少尉(イリノイ・アーリントンハイ)は言った。「最初は怪しくは見えなかった、だが2度目は・・・怪しい。」

「至るところに『冬眠細胞』がある」と、ジュアレスは言う。「彼らは穴から出て我々に攻撃を始めるか、それともここを離れるかどちらかだ。」



11月16日

■ 米軍による“組織的大量虐殺”。最低で800人ものファルージャ市民が犠牲に!
 「800人の民間人犠牲者といった私たちの評価もあまりにも低すぎるだろう」今すぐにでも人々に援助が到着しないとしたら、「閉じこめられた子供たちの大半はしんでしまうだろう。」(国際赤十字委員会イラク現地担当者)

[コメント]
 16日、イラクで活動する赤十字の上級レベルの職員が、米軍によるファルージャ侵攻による犠牲者数を明らかにした。瞬く間にこの数値は世を駆けめぐった。犠牲者に関する情報が米軍によって完全に遮断、隠蔽されている現在、この数値は米軍の蛮行を暴き出すものとして、たいへん大きな意味を持っている。
 “800人”−下記IPS(Inter Press Service)の記事の中でも触れられているように、この犠牲者数の根拠はファルージャで活動する赤十字と赤新月社のスタッフ、ファルージャしないに閉じこめられた住民、避難民からの情報を元に概算されたものである。情報ソースが限られている現在、この数値の真偽を判断することはできない。しかし赤十字の担当者は、「この数値でも低すぎる」との意見を述べている。米軍の徹底した殺戮行為、ファルージャの焦土化を考慮するならば、実際は“800人”を大きく越えるものとなろう。“掃討作戦”の名目で今なお繰り広げられている虐殺行為によってさらに多くの市民が犠牲になっている。今なお支援団体がファルージャに入れず、飢餓、渇き、治療を受けることができない幼き命が今も次々と抹殺されている。まさに米軍による前代未聞の“組織的大虐殺”である。
※その他関連使サイト“Red Cross Estimates 800 Iraqi Civilians Killed in Fallujah”Wednesday, November 17th, 2004 http://www.democracynow.org/article.pl?sid=04/11/17/1524239

[抄訳]
★犠牲者数に関する報道

「ファルージャ:800人の市民が死んだ恐れがある」 ダール・ジャマイル
“800 Civilians Feared Dead in Fallujah”
Published on Tuesday, November 16, 2004 by Inter Press Service by Dahr Jamail
http://www.ipsnews.net/interna.asp?idnews=26296

バグダッド:すくなくとも800人の民間人が、米軍によるファルージャの軍事包囲の期間中に死亡した。赤十字はこのように(民間人の犠牲者数を)評価している。

バグダッドの高い地位にある赤十字の担当者は米軍による報復をおそれ匿名を条件にIPSに対して、「少なく見積もっても800人の民間人」が現時点までに殺害された、と語った。

彼の評価は、包囲された町(ファルージャ)周辺に拠点を置く赤十字職員、(ファルージャ)市内の住民、避難民からの報告に基づいていると語った。

「数人の赤十字職員は、米軍が町への立入を認めようとしないために、ファルージャから戻ったばかりだ。彼らは、町の郊外の砂漠に設けられた難民キャンプの中で世話をしている人々は、ファルージャ内部の被害と死の恐るべき体験を語ってくれた」。このように彼は語った。

担当者は、赤十字とイラク赤新月社はファルージャに駐留する米軍に対して、町に取り残された人々への医療支援を受け入れるよう要求したと語った。しかし何度も繰り返えされた要求は拒否され続けている。

両支援団体からの援助物資を積み込んだ車両は、町の郊外で通過のため米軍の許可を待ち続けている。彼らは、自分たちが国連に代わってやると訴えた。

「米軍は耳を塞いでいる。ファルージャ総合病院へ物資を運び入れることさえ、させない」と赤十字の職員は語った。

担当者は、市内に少なくとも5万人もの住民がとどまっていると評価している。貧しいために離れることが出来なかった者たち。市外に友人や家族がいない者たち。彼らは、行く場所がないのである。あるいは包囲が始まる前に逃れる十分な時間がなかった者たちもいる。彼はこのように語った。

彼の所属する赤十字の職員たちは、ファルージャ近隣の小さな町カーマの民間人家屋が米軍の艦載機に爆撃され、2日前に5人家族が一瞬の間に殺害された、と彼らは報じた。

「私には、アメリカの指導者たちはなぜ、赤十字を近づけさせないのか、また攻撃が始まるまる前に適正に対処させなかったのか、私には理解できない」。匿名を条件に、赤十字の職員が語った。

「いきなり米軍は攻撃を仕掛け、人々は助けもなく、薬もなく、食料もなく、援助物資もなくお手上げの状態に陥ってしまった」と彼は語った。

「米軍が一時休戦を呼びかけたとしたら、私たちはトラックを乗り入れて、ファルージャに取り残された、医療ケアを必要としている市民を搬送するだろう。私たちは、彼らを搬出することができるのだ」と語った。

攻撃下にあった4月に実施されたように、各地のモスクではファルージャ住民のための大量の食料と支援物資の収集が組織されている。しかしこれら物資は、町に運び入れることができないのである。

赤十字の担当者は、米軍がファルージャでクラスター爆弾を投下し、そして重大な火傷を負わせる化学兵器(リン酸兵器)を使用しているとの難民からの複数の報告を得ている。

米軍は、ファルージャにいた1200人の「武装勢力」を殺害したと主張している。町の抵抗運動の指導者アベル・カーダ・ジャナビ氏は、その中のおおよそ100人だけが戦闘員であると語っている。

「双方とも嘘をついている」と赤十字の担当者は語った。「1200人といった数値を支持する一方で、殺された戦闘員の数について双方とも嘘をついている。800人の民間人といった私たちの評価もあまりにも低すぎるだろう」と付け加えた。

ファルージャ市内の状況はひどいものである、と彼は語った。今すぐにでも人々に援助が到着しないとしたら、「閉じこめられた子供たちの大半はしんでしまうだろう」。

米国に支持された暫定政府保健省は直近の包囲前の二ヶ月前から、ファルージャの病院、診療所への物資援助を止めたのである。

「病院にはアスピリンがない」、「これは私の意見ではあるが、彼らは以前から攻撃計画を練っており、人々を弱体化させようと狙っていたことを示している」と彼は語った。


■ 氷山の一角−−負傷した無抵抗の市民を米軍が公然と射殺。

★米の独立系メディアInformation Clearing Houseに11月16日付で掲載された米海兵隊によるイラク人捕虜虐殺ビデオ
 非武装の負傷した捕虜を米海兵隊が頭を撃ち抜く様子を映している。負傷者も皆殺しにするという今回の作戦の残虐さを証明する「傍証」である。この記事の左下にはもう一つのビデオがある。こちらの方は、道ばたで負傷するイラク人を遊び半分に狙い撃ちし、歓声を上げる米兵が映し出されている。
http://www.informationclearinghouse.info/article7296.htm


Unarmed And Wounded POW Shot In The Head By U.S. Marine

[コメント]
 15日、米NBCテレビは、米軍が占拠したファルージャのモスク内で負傷した無抵抗のイラク人を公然と射殺した事実を報じた。それを受け米国防総省は、この報道内容を調査する意向を明らかにした。映像が撮られたのは13日、海兵隊員がモスクに押し入り、横たわる無抵抗のイラク人を射殺したというのである。以下に[要約]の形でニューヨーク・タイムズの記事を紹介する。−−民間人でも民兵でも同じ事だ。この米軍兵士の行為は、戦時における民間人保護、捕虜虐待を禁じたジュネーブ条約、国際法に反する犯罪であり、れっきとした戦争犯罪である。実行した兵士、その指揮官が厳罰に処されることは当然のことである。
 しかし注意しなければならない。あたかもこの事件が今回のファルージャ侵攻で「例外」的な違法行為、たまたま乱暴な米兵が行った「偶発的事件」であるかのように報道されていることの異様さ、今回の犯罪行為が氷山の一角であるという認識がないことの異様さである。
 どこから見ても今回のファルージャ侵攻そのもの、その全体がジュネーブ条約違反であり、人道に対する罪、戦争犯罪である。攻撃の最初から最後まで、そして今もなお、このような無抵抗の市民、降伏・負傷した抵抗する民兵への一方的な虐殺行為が当たり前のように大量的に行われている。この何十倍、何百倍、いや何千倍ものファルージャ市民が、銃撃、砲撃、空爆によって一方的に殺害されている。今回はたまたま米マスコミによって報道されただけであり、伝えられないジェノサイドがファルージャ全域で繰り広げられているのである。
 しかも米軍上層部が調査するという。こんな茶番劇は「アブグレイブ」でうんざりだ。今回の作戦そのものがファルージャ市民の皆殺しを目的としたもなのだ。裁かれるべきはこの作戦を指揮した米軍トップと最高司令官であるブッシュである。

 米とその傀儡政府は今回のファルージャ攻撃で「武装勢力からの解放」「テロリストからの解放」という虚構を持ち出している。聞き飽きたデマゴギー、「大量破壊兵器」と全く同様のでっち上げである。すでに今回拘束した人々ほぼ全員が現地住民であったことが報道されている。(だから米軍は早々と「ザルカウィは逃亡した」とアドバルーンを上げていた。元々米軍の今回の侵攻は米に抵抗するファルージャ市民を皆殺しにすることが目的だった!「ザルカウィ」は口実として都合よく利用されただけだ)
 4月の米軍のファルージャ侵攻で明らかになった事実は、ファルージャを守った人々の中心部隊は、実はファルージャ市民であったこと、彼らは同業者別に抵抗組織を作り、自らの生活の場を防衛するために闘っていたということ、すなわち「武装民兵」「自警団」だったということである。それは今回も変わらない。
 米と傀儡政府、そしてその「大本営発表」を垂れ流す米日の大手メディアが、一緒になって「ファルージャ侵攻=武装勢力の掃討」なるフィクションを作り上げた。米やメディアが「武装勢力」「テロリスト」と決め付けた人々の実像は何か。それはファルージャで生まれ育ち、そこで土地を耕し牛を飼い工場で働く普通の男達だ。彼らは、誇り高く自立心が強く郷土を踏みにじる占領者を許せなかったが故に、家族・子供達・仲間達を理不尽に虐殺されたことに抗議をしたが故に、ただそれだけで「武装勢力」「テロリスト」のレッテルを貼られ、皆殺しの対象にされたのだ。彼らのうち生き残ったごく少数の男達が、今現在もなお、「制圧」されたファルージャで神出鬼没のゲリラ戦を戦い、孤軍奮闘し絶望的な闘いを続けている。


[要約]
★「テレビ・レポート、海兵隊が捕虜を射殺」
「TV Report Says Marine Shot Prisoner」By THE ASSOCIATED PRESSNovember 16, 2004
http://www.nytimes.com/2004/11/16/international/middleeast/16marine.html

 みたところ非武装で、負傷しているイラク人捕虜が米海兵隊員によって撃ち殺された、と共同テレビジョン・ピクチャーズが月曜に報道した。これはNBCニュース・テレビジョンのケビン・サイト共同特派員がビデオ録画したもので、同特派員は、同じモスク内でさらに3人の負傷した捕虜が海兵隊員によって射殺されたらしい、と伝えている。サイト氏は第一海兵隊部隊に従軍取材していた。
 土曜日のこの映像では、わいせつな言葉が吐かれ、一人が死んだふりをしているぞ、との大声が聞かれる。そして海兵隊員が床に伏している捕虜に対して銃を持ち上げるシーンが写されている。NBCもCNNもこの後のシーンは報道しなかった。映像は途切れ、銃声だけが響いた。
 その場面をAP通信社テレビ・ニュースと共同ネットワークが入手した。その映像では海兵隊員の放った弾丸が男性の上半身、おそらく頭部に命中し、血が壁に飛び散り、身体がぐにゃりとなるシーンが映し出されていた。海兵隊のスポークスマンは現在のところ、これが土曜日に第一海兵隊部隊の隊員によってなされた事実のみ認めている。


★これはInformation Clearing Houseに 11月16日付で掲載された膨大なファルージャ攻撃の写真。
We have created a generation of Iraqis that have every reason to hate us.
http://fallujapictures.blogspot.com/
 米兵の死傷者と併せてファルージャ住民の死体も多数写っている。信憑性の確認は取れていないが、ファルージャ虐殺に関するはじめてのまとまった写真集なので紹介する。(注意:残虐な写真が含まれています)
「我々をあらゆる理由で憎むイラク人の一世代を生み出したのだ」とのコメントが添えられている。

(Al Jazeera)



11月15日

■米軍、武力で医療行為を阻止。多数の負傷者を皆殺しに。ファルージャ在住の医師の目撃証言:「米軍が私たちに負傷者の治療をさせてくれていたら、何百人と救えたであろうに」

[コメント]
 以下の抄訳は、ファルージャ在住の医師アーメド・ガニム氏によるファルージャ被害の目撃証言であり、一人の医師の命がけのファルージャ脱出記である。
 ここにはファルージャの凄惨な状況の生々しい断片が描かれている。登場する医師の従兄弟も道で倒れていた。しかし何もしてやれなかった。多くの女性、子供もまた助けを求め倒れていた。彼は殺されずに脱出できたが、今彼は医師として人間として思い悩み、悔悟している。
 米軍の犯罪行為は、このような無辜の市民の無差別殺戮だけではない。米軍は彼の勤務していた病院を空爆で破壊し同僚と患者を殺した。今回のファルージャ侵攻における米軍の情報統制のやり方の一つが病院機能の破壊と死傷者の実態やカウントを妨害することにあることはすでに知られているが、この記事には踏み込んできた米司令官が「武装勢力が犠牲者の誇張を防ぐためだ」と露骨にガニム医師に語ったことがはっきりと記されている。
 この記事から分かるもう一つの事実は、イラク国軍の暴虐ぶり、略奪や乱暴狼藉である。米軍はかつて中南米の軍事政権下で軍隊を残忍な殺人集団として育成したが、米は今再びイラクでそうした「ごろつき集団」を編成しようとしているのである。「自国民に対してなぜこんな仕打ちができるのか。」それほどまでに米軍と行動を共にしたイラク国軍の部隊は、ファルージャ市民の怒りの対象となっている。その背景には、米軍が投入したイラク国軍の中心がスンニ派以外のシーア派、特にクルド系イラク人が多いことが一つの理由として考えられる。それが事実ならば、民族対立を利用したこのような米軍の国軍編成のやり方は、イラクにおける民族間の憎悪をさらに高め、民族対立、民族紛争をかき立てることになるだろう。

[抄訳]
★「医師はファルージャ包囲の記憶に悩まされている」
“Doctor is haunted by siege of Fallujah” By ALISSA J. RUBIN Los Angeles Times   November 15. 2004 8:00AM http://www.concordmonitor.com/apps/pbcs.dll/article?AID=/20041115/REPOSITORY/411150349/1013/NEWS03

 イラク・バグダッド――アーメド・ガニム医師の悪夢の一週間は、一本の電話から始まった。ファルージャの下町にある救命センターの手術室内につながれた。電話は、市立総合病院のマネージャーからのものであった。マネージャーは叫んだ、イラク国軍と米海兵隊が病院に押し寄せてきた。医師に手錠をかけ、患者に駐車場に出ろと命令している、と。

 この病院に勤務する整形外科医のガニム医師の話によれば、イラク国軍兵士たちは「携帯電話、貯金が収められている病院の金庫、つぶれている救急車と車を盗んだ。」「米軍兵士らはもっと病院のスタッフに同情的だった。・・・医師の手錠を外し、患者と一緒に外へ出ることを許可した。」

 しかし最悪の事態がやってきた。明くる日、ガニム医師は危うく爆撃から逃れ、戦闘の音が鳴り響く通りを走った。彼は空腹の中を歩き、怯えながら、一マイルほどさまよった。助けることのできない人々に思いをめぐらしながら。

 ファルージャの戦闘は、11月7日に始まった。彼の勤務する市の最も中心的な医療施設はその夜、米軍とイラク部隊によって包囲されてしまった。司令官は、民間人が必要とする医療処置施設の存在は保障する、武装勢力が犠牲者を誇張することができないことを確認したい、と語った。

 この一週間の猛烈な戦闘の間、その戦闘に関する民間人の記述はほとんどなく、犠牲者の報告もわずかに散見されるのみであった。しかし戦闘が沈静化したことから、ガニム医師やその他の生存者が現れ、自身の体験を語り始めた。「私たちはイラク国軍によって蹴り倒された。米軍でも彼らほど手荒くはなかった」。このように58歳のファーハン・カラフ氏は語った。彼は包囲された時、ファルージャ総合病院にいた。

 「奴らは患者を手荒く扱い、医師を縛り上げ、何度も殴ったんだ。」「奴らは価値のある物なら何でも奪って行ったよ。お金から携帯電話、手に持てるだけたくさんの物を。こんなことあるかよ。自国民に対して、どうしてこんなことが出来るというんだい。」
 月曜が来て過ぎた。火曜日のことだ。爆撃は町の中心部のすぐ近くに迫ってきた。医師達が大わらわだった。
 「たくさんの患者の切断手術を行いました。しかし私は整形外科医ですよ。腹部を負傷した患者が私の所へやって来ても、何もできないじゃないですか。」「私たちはそれでも搬入しますよ。そして彼を殺すことになるのですよ。」目は落胆し、涙を溢れさせながら彼はそう語った。

 町への送電は遮断されている。水もない。食料もない。患者のための流動食もない。ガニム医師はこう語った。しかし患者はひっきりなしにやって来た。
 「私たちは全員を治療した。女性もいた。子供もいた。イスラム戦士もいた。彼らに私は、治療前に戦闘員であるかどうかなど、問わなかった。私は彼らの世話をしただけなんだ。」と、彼は語った。

 木曜日、一発目の爆弾が救命センサーの一室の真横を直撃した。ガニム医師は建物から逃げ出した。二発目の爆弾が直撃した。屋根を潰し病院の大半を破壊した。ガニム医師は、 少なくともそこで働く2、3人の若い研修医と患者の多くが殺されたと見ている。
 「その時私は、本当に死にたいと思った。それは破局的だった」と彼は語った。

 その後、彼は朦朧としながらファルージャをさまよった。至る所で起こっているように思えた爆発を避けながら。彼は空き家の避難所に入り、その場から動かなかった。

 「私は道端に傷ついた人々を見つけた。辺り一面が血にまみれていた。彼らはよろめきながら、金切り声を上げ、そして叫んでいた。“助けて!助けて!”と。でも私たちはその空き家から出て、連れ出すことも、助けることもできなかった。私たちも殺されるかもしれないからだ。」

 ある場所で彼は、道端の従兄弟を探し出し見つめた。彼は傷ついていた。「私は彼のために何もしてやれなかった。そこを動けなかった。」「彼は死んだ。慈悲などまったくない。」ガニム医師は語った。

 空爆が一時的におさまっている間、その医師はファルージャを離れる決断を下した。瓦礫だらけの道を通っている最中、彼と同じファルージャ出身の数人の戦士がその外科医に気付いた。彼らは脱出するための道を教えた。彼は麻酔士の仲間と歩いた。川に沿って、北方を目指した。

 まず川べりの村サグラゥイアに向け歩き、それからさらに12マイル離れた隣村に向けて歩いたと彼は語った。そこで彼らは車を拾い3マイルほどそれに乗った。彼らは再び歩き続けた。偶然、隣村まで車に乗ることができた。

 36時間かかった。そのほとんどが徒歩であり、バグダッドまではさらに30マイルもかかる。彼らは寝ていなかった。ナツメヤシを数個、ビスケットを1パック食べただけであった。

 昨日ガニム医師は、その週のできごとを思い返していた。彼は明らかに、そこであったことに思い悩んでいた。助けるけることができなかった人たちのことを・・・。
 「米軍が私たちに負傷者の治療をさせてくれていたら、何百人と救えたであろうに。」と、彼は語った。



11月14日

■米軍がジュネーブ条約を踏みにじりファルージャ市内への救援物資搬入を拒否−−何とむごいことに残った住民を餓死させ、負傷者を殺そうといる!

[コメント]
・朝日新聞15日夕刊によれば、赤新月社が救援物資をファルージャ市内に運ぼうとしたところ、米軍が「市民はいない」と搬入を拒否した。住民を餓死させ、負傷者をそのまま殺そうとしているのだ。完全にジュネーブ条約違反であり、戦争犯罪であり、“ジェノサイド”である。。どこまで残虐になるのか。米軍の本性を示すほんの一例である。情報源はロイター通信。以下のアドレスのyahooo!ニュースでも確認できる。
※ファルージャで武装勢力の掃討続く、赤新月社の救援物資は市民に届かず(ロイター)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20041115-00000378-reu-int 


・米軍が「市民はいない」というなら赤新月社に同行すればいいだけの話だ。拒否の理由にならない。おそらく抵抗する住民もろとも市内に残る市民を殺してしまうつもりなのだろう。
・今入られると困る理由がもう一つある。虐殺の証拠や痕跡を知られたくないのだ。我々は、市内に散乱する死体が米軍によって“証拠隠滅”されるのを恐れる。「占領監視センター」などイラク現地の人権団体、アムネスティ、国際赤十字、ヒューマンライツ・ウォッチなど国際人権団体を今すぐファルージャに入れよ!−−この要求が差し迫って重要になるだろう。米軍の友軍であるイスラエル軍は一昨年春、パレスチナのジェニンで数百人を虐殺し、ブルドーザーで建物もろとも生き埋めにしたり、死体を瓦礫と一緒に整地した。およそ人間がやることではないのだが、事実である。その時もイスラエル軍が赤新月社や国際人権団体が市内に入るのを武力で拒否した経緯がある。今回も米軍は同じ事をやっているのだ。
・米軍は武装勢力を1200人殺害したと“戦果”を誇示している。今回と同様、彼らは今年4月、武装勢力を800人殺害したと“戦果”を誇った。ところがその後、このほとんどは非武装の一般市民、それも女性や子供ということが暴露され、侵攻作戦ができなくなったのである。
・その住民虐殺の証拠を突き付けたのが、今回米軍が最初に襲撃した西部の総合病院であり、そこの医師や看護婦であり、バグダッドから事務所を追放されたアルジャジーラなのである。米軍はそこから教訓を学んだ。「虐殺現場、虐殺証拠を報道させるな!」と。
・今回米軍は、卑劣にもこの病院とアルジャジーラを封じ込め、情報統制をした上で虐殺に及んだのである。彼らの数字をそのまま採用したとしても数百人から千人の近くの市民が虐殺されたのではないか。ウソだというのなら、なぜ情報を封鎖したのか。なぜ人権団体を入れないのか。すでにこれだけで十分な“状況証拠”である。
・日本政府と自衛隊が加担する米軍とはまさにこのような残虐極まりない“殺人マシーン”であることを深く心に刻みたい。

[抄訳]
★「米国はファルージャでの戦争は終了したと宣言した。しかし、イラク全土で暴力が勃発している。援助団体は大惨事を警告している」

「Violence erupts across Iraq and aid agencies warn of disaster as US declares battle of Fallujah is over」14 November 2004
http://news.independent.co.uk/low_res/story.jsp?story=582727&host=3&dir=75

 硝煙が晴れわたる時、どのような恐怖が明らかになるのか?
 米国とイラク暫定政府は昨日、ファルージャにおける戦闘が終結したと宣言した。6日間にわたる戦闘の後、1000人を越える武装勢力が殺害され、抵抗勢力の支配地は鎮圧されたかのようである。
 しかし、勝利が宣言されたとしても、広範囲に拡大した暴力はその他の地域において勃発している。モスルの一部には武装勢力が入り込んでいる。米軍は(その地域への)派兵を余儀なくされ、北部の都市に向けてファルージャの一部の部隊を向かわせた。バグダットはいまだに市街戦が勃発し、グリーン・ゾーンには迫撃弾が撃ち込まれている。グリーン・ゾーンは、イラクにおける米権力の中心であるにもかかわらずである。首都の北方の町ユスフィアでは、激しい戦闘が起こっている。

 救援団体は、ファルージャとその近辺における人道的危機に警告を発している。腸チフスやその他疫病の蔓延。8団体は共同声明の中で、20万人の避難民が現在存在していることを明らかにしている。彼らは戦闘から逃れ、食料も、水も、住む場所もない。町を逃れてきた人々は、道路に沿って遺体が並べられていたと証言した。

 (赤新月社のスポークスマンの訴え)
 「ファルージャに押し込められた人々は、死んでいくか、飢えているのです。私たちを必要としているのです」。「状況は破壊的です。これは救援団体の義務なのです。これらの環境下におかれた人々を救わなければならないのです」。
 昨日、食料品と医薬品を満載した4台のトラックがようやくファルージャの中心地に到達した。米軍との交渉のすえ、やっとのことで。イラク保健省の一人は、負傷者をバグダットの病院に移送すると述べているが、その数については言及していない。

(中略)

 昨日の戦闘に引き続いて米軍は、狙撃兵が居るとされる2つのモスクを爆撃した。米兵の一人が手製爆弾によって死亡した。空母から飛び立った艦載機は、225kg爆弾を武装勢力の地下移動用トンネルを標的に投下した。……


[抄訳]
★「米軍はファルージャへの支援を妨害している」

“US troops 'preventing aid' to Falluja” 14 November, 2004 Aljazeera
http://english.aljazeera.net/NR/exeres/53B29CD6-0514-47D5-B776-97B5507CBC37.htm

・ 緊急援助を妨害する米軍

イラク赤新月社:負傷者が病院に行けない

多くの家族が戦場となった市街地から近郊の村に逃れた

難民は水と食糧の配給を必要としていると援助団員は述べた

米軍のスナイパーは地上で動くものを何でも標的にする
 米軍が赤新月社による緊急援助を今なお妨害している。それらはファルージャに閉じ込められた人々への援助物資である。
 少なくともトラックでファルージャ総合病院へ到着した時、(ファルージャ市街地への)侵入禁止措置を米軍は取り下げるだろうとの期待があった。このように記者は、(先週の)土曜日の段階で話していた。「しかし戦闘地域内で負傷した住民は西部地区にある総合病院に搬送することもできない。米軍が援助車両をその地に乗り入れることを禁じているからだ」。(赤新月社スポークスマン)

接触を拒否された
 「バグダッドからやってきた3人の医師と約50人のボランティアは、総合病院にいる。しかし現在に至るまで米軍は、彼らが市街地で医療援助活動できないようにしている」。「市街地に入り援助活動をさせてくれと、米軍と交渉している」。「町中で隠れている市民は、飢えと渇きにさらされており、彼らに対して援助がなされなければならない」。「彼らは私たちを必要としている」。(赤新月社スポークスマン)

難民の町が攻撃を受けた
 記者は昨日の土曜日の夜、ファルージャの戦闘から逃れてきた約4000人がいるアミリアット・アル・ファルージャの町を視察した。そこも米軍の攻撃を受け、5人の人々が亡くなり、4人が負傷した。赤新月社はただちに、4台のトラックと1台の救急車を、アミリアット・アル・ファルージャと途中にある村ハバニアに向かわせた。ハバニアには1500人の難民がいる。
 赤新月社は、ファルージャの中心には、1500家族がとどまっていると見ている。しかし避難した数十万人もの郊外にいる避難キャンプと村々で暮らす人々も、同様に心配だ。「彼らは飢えと水の欠乏によって死んでいっている。特に子供が。」

散乱する遺体
 ファルージャにとどまっている現地のある記者は、多くの民間人犠牲者が出ていることを報告している。「人道的状況は最悪。米軍は電力を遮断した。水を供給するポンプは止まった。濁った水によって給水管は汚染されている。食料の備蓄も底をついている」。「多くの家族が、破壊された家屋の下敷きになっている。そして死んでいる。腐敗した遺体によって通りは悪臭に満ちている」。


[要約]
★「人道的援助、ファルージャから閉め出される−−米軍により入るのを拒否された赤新月社の救援部隊、国連に援助を求める」
Humanitarian aid barred from Falluja
An Iraqi Red Crescent convoy blocked from entering Falluja by US forces has asked the United Nations for help.
Aljazeera
November 14th, 2004
http://english.aljazeera.net/NR/exeres/443C3B4E-C2D2-4B18-9C5C-7C9B657A8DCF.htm

 イラクの赤新月社の救援隊はファルージャに入る事を米軍からストップされている。米軍は赤新月社に対し、救援物資はファルージャ市外にあるファルージャ病院へ運ぶよう命令した。現地指揮官はセキュリティを理由に橋を渡る許可を出すことを拒んでいる。赤新月社の救護隊員は、「いま市外にあるファルージャ病院にいる。ここには何もしていない医療チームがいるだけで、他には誰もいない」と話している。
 米軍は、ファルージャ市内に赤新月社が救護隊を送る必要性は感じられないし、市内に閉じ込められた一般市民も存在しないと思う、という。現地指揮官は、被害を受けた人がいれば自分達がファルージャ病院まで運び出す、と主張している。これに対し、赤新月社のメンバーらは、少なくとも157家族が市内で救援を必要としていることがわかっているし、市内の人々は病院に来る事を許されていない、と反論している。
 メンバーは、米軍が制圧してコントロール下においているという地域にだけでも救護チームを入れさせてほしい、女性、子供達、老人らに人道援助を行い、負傷者らを病院に運ばせてほしい、との許可を米軍に願い出たが、米軍はそれも拒み続けている。


[要約]
★「ファルージャの戦闘での民間人の犠牲が明らかになる」

Civilian cost of Battle for Falluja emerges
by Rory McCarthy & Peter Beaumont, The U.K. Observer/Guardian
November 14th, 2004
http://www.guardian.co.uk/Iraq/Story/0,2763,1350926,00.html

 反米レジスタンスがイラク北部で活発に攻撃をはじめ、ファルージャを攻撃していた米軍が北部に移動しはじめると共に、負傷したファルージャ市民の病院への搬送がはじまりその総被害の実態が昨晩から表にでてきた。イラク厚生大臣は「著しい数の負傷者」を病院に搬送している、と発表した。しかしどれだけの数であるかは口にできなかった。様々な援助団体が、イラク市民は「人道的な破局の事態」に直面している、と警告を発していた真っ只中でのことである。市内には3万から5万人の市民が残っていたと考えられている。米軍が宣伝してきた、反米武装勢力を「正確に攻撃している」というのはデタラメであることがこの24時間で明らかになってきた。
 金曜日まで現地にいたジャーナリストは、重火力による攻撃で多くの市民が負傷したと報告している。水も食料も不足していた。病院では医薬品が枯渇し、医者は負傷者に包帯をまくくらいしかできず、幾人もの人々が失血死したという。


[要約]
★「ファルージャの内側:一家族のテロルの日記」

Inside Falluja: One family's diary of terror
by Dahr Jamail, Scottish Sunday Herald
November 14th, 2004
http://www.sundayherald.com/46056

 米軍は砲撃、戦車そしてブルドーザーを繰り出してファルージャに大攻勢をかけた。
 「私は、彼女の身体から赤ちゃんが吹き飛ばされた光景が焼きついて忘れられない。」
サリムの家が米軍機によってミサイルを打ち込まれたとき、彼女の姉は妊娠7ヶ月であったという。彼女の他の8人の家族は、数週間前から続けられていた爆撃によってすでに殺されており、サリムとセルマの2人だけが生き残った。彼女は、無数の米国空襲によって破壊された家について記述しました。
 セルマは数ヶ月間攻撃をうけ続けたファルージャ市内の惨状を証言している。死体の腐った悪臭が都市に渦巻き、「爆撃された家屋が死体で覆われている。誰も死体を片付けられない」「ファルージャでは家の外にでることすらできない。狙撃兵がいるから。」「ジェット機が飛び回って、いつ攻撃されるかわからない。」
「ファルージャはゴーストタウンのようだった。」バグダッドのおじの家に逃れてきた2人の姉妹は、時折地面を凝視しながら、トラウマをもたらした家族の死について語ってくれた。「私達の経験した事は、ファルージャのそこかしこで起こっているのです。」恐怖の中ですごした数ヶ月間が、彼女の顔に刻み込まれていた。
 彼女達は米軍の非常線をどうにかかいくぐって逃げてきた。その際、彼女らはファルージャが飛行機と戦車から総攻撃を受けるのを目撃した。「どうして私達の家族が爆撃されたの?私達の地域には兵士はひとりもいなかったのに」



11月13日

■ ファルージャで高まる人道的危機!
−−水はない。
 −−人々は汚水を飲んでいる。
 −−子どもたちはどんどん死んで行く。
 −−まともな食物がないので、人々は小麦粉を食べている。

[要約]
★「ファルージャで高まる人道的危機」

Humanitarian crisis brewing in Falluja(Saturday 13 November 2004, 1:52 Makka Time)
http://english.aljazeera.net/NR/exeres/3446138E-B943-48E8-A083-10C6F5EDD5CA.htm


援助団体は、医薬品配給への米の許可を待つ
 ファルージャおよび戦闘から逃れた周辺地域で「人道的危機」が拡大している。「Humanitarian crisis brewing in Falluja」(「ファルージャで高まる人道的危機」)と題された13日付のアルジャジーラの記事では、赤十字やユニセフなどの援助団体が、食糧、医薬品、水をファルージャの市民のために搬入することを認めるよう米軍に要請しているが、米軍はそれを無視しているという。
 ICRC(国際赤十字委員会)は、11月11日に人道危機に関する警告を発した。ICRCのスタッフのサイダニは言う、戦闘をする者たち全てが、民間人の被害を避け、負傷者に対する救護を補償する責任がある、と。
 ある住民は8日のファルージャへの攻撃の様子を語った。ファルージャの中の多くの建物が、完全に倒壊させられた。何日もの間、水も電気もなく、食料品店が閉じられたままだ。都市のあちこちに遺体の悪臭が垂れ込めている。今週の初めには9歳の少年が榴散弾で腹を撃たれて死んだ。病院に到着することができず、失血で数時間後に死んだのだ。
 「医薬品がなく、医者に行くこともできない。負傷者は皆死んでしまう」とイラクの赤新月社のボランティア、アル・ハミト・アリムは言った。「狙撃兵がどこでもいる。外に出ることは撃たれに行くことだ。」
 イブラーヒームは3人の子どもと妻とともに木曜の朝にファルージャを発ち、夜に西方20kmのハバニアに逃れた。彼は、都市に残っている家族は絶望的な窮乏状態にあると語った。
 「水はない。人々は汚水を飲んでいる。子供はどんどん死んで行く。まともな食物がないので、人々は小麦粉を食べている。」彼は、2000もの家族が逃れる難民キャンプになっているハバニアの中の援助ワーカーに伝えた。難民キャンプとなっているハバニアや近隣の村もまた人々は下痢や栄養失調に陥っており、生活必需品のパンやロウソクだけでなく医薬品も必要だと言っている。

多くのファルージャ住民が戦闘を逃れ難民となっている。
ファルージャは月曜以来、激しい戦闘の舞台となった。



11月12日

■ 米軍、封鎖線で”生きる者と死ぬ者へ選別”−−男性全員を市街戦の市内へ追い返し、空爆、砲撃、銃撃で皆殺しに!

[コメント]
・一体我々は以下に述べるような事実をどう表現したらいいだろうか。11月12日のAP電は、米軍による封鎖線での“生きる者と死ぬ者への選別”の様子を伝えている。男達を全て追い返し、空爆と砲撃・銃撃で皆殺しにする、人間を“袋のネズミ”にして惨殺するという残酷極まりない戦争犯罪である。幅の広いユーフラテス川を泳いで渡り、砂漠の中を歩いて逃げた避難民も報告されている。殺されるのを待っていることも、電気も食料もないファルージャにとどまっていることもできないから人々は避難するのだ。しかし、毎日数千、あるいはもっと多くの避難民が米軍によって無慈悲かつ冷酷に、危険に溢れる市内へと追い返されている。
・この記事を読んで疑問が解けた。米軍筋から盛んに「ザルカウィは逃げた」「武装勢力は逃亡した」との情報が流されたことである。この情報は本当かも知れないが、同時に、この記事で報告されているように、「武装勢力を逃がすな」「市内に追い返せ」という宣伝・情報操作の側面もある。注意しなければならない。
・米軍は15才から55才までの男たちがすべてゲリラの戦闘員であると決め付けている。それはつまり殺してもいいという意味だ。ファルージャを包囲する封鎖地点に市内から避難してきた避難民たちは、子どもや女性と男達に分けられ、男達は戦闘の続く市内に無理矢理追い返されている。10日に、海兵隊の第2偵察大部隊が封鎖するたった一つの封鎖ポイントだけで225人の避難民が来たが、海兵隊が通したのは25人の女性と子どもだけだった。200人の男たちは追い返された。「おまえ達はゲリラかも知れない。家に帰って、窓や屋根から離れてじっとしていろ、そうすればひょっとすると生き延びられるかも知れない」という訳である。
・しかし、それで終わりではない。次に来るのは拷問・虐待である。米軍は手ぐすねを引いている。ファルージャの戦闘が終わるまで生き延びられたら、ブラックリストを作ってゲリラかどうか試験してやるから、それまで地獄の戦場であるファルージャでじっと待っていろというのだ。我々はアブグレイブを想起する。4月末に国際問題になったアブグレイブ拷問事件の犠牲者のほとんどもファルージャの市民だった。今回もまたファルージャ。記事では、今回の凄惨な戦闘が終わった後に更なる地獄が待ち受けていることを示唆している。
・幾重にも幾重にも殺され傷つけられ踏みつけられ蹂躙されるファルージャの民衆。言葉では言い尽くせぬ憎悪と復讐の炎が燃え上がらずにはおかないだろう。以下は米abcニュースからAP電の抄訳。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−
[抄訳]
★ 「米兵、ファルージャから避難しようとする男たちを追い返す」
「GIs Force Men Fleeing Fallujah to Return−−U.S. Troops Force Men Trying to Flee Assault on Fallujah to Return to City」AP 2004/11/12
http://abcnews.go.com/International/print?id=246764

 ファルージャの攻撃から逃げるようと試みた男達が米軍によって追い返された。女性や子供や老人を除いて。その米兵は、武装勢力が武器を捨てて難民に紛れて逃げようとしているとの報告を受けた。多くのファルージャの男達はゲリラの戦闘員だと信じているので、15才から55才までの男すべてを追い返すよう指示したのだという。「我々は、彼らが家に帰り嵐の過ぎるのを待つか、安全な場所を見つけるものと思っている」と、第1騎兵師団の士官が11日に語った。

 ファルージャを包囲している部隊を指揮するマイケル・フォーマイカ陸軍大佐は、この命令が「冷淡な」感じがすることは認める。しかし彼はそれが任務を成功させる鍵であると主張する。第1騎兵師団第二旅団のフォーマイカは10日の夜の無線での会議で部下の大隊指揮官達にこう指示した。「彼らに,『お前達の家の中にじっとして窓から離れてろ、屋根からも離れろ、そうすればファルージャ攻撃を生き延びられるだろう』と言え」と。

 ファルージャの200,000〜300,000人の住民の多くが攻撃の前に非難したが、その時点で1,200〜3,000人の戦闘員が拠点にいると信じられている。アラウィ首相がファルージャの24時間夜間外出禁止令を発令した後、その地区に入る道路を閉鎖し米による封鎖に合法性を与えた。軍隊は、ファルージャから外部に出るすべての道路と橋を遮断した。住民はほとんど通り抜けることができなくなった。しかし、ここの士官達は、大量脱出(エクソダス)を恐れると言う。

 10日、海兵隊の第2偵察大部隊が封鎖地点に225人の群衆が押し寄せた。同海兵隊は、25人の女性と子どもは通したが、200人の兵役年齢の男たちを引き離して、ファルージャに歩いて帰るよう追い返した。「民間人と武装勢力を区別することはできない」と、第1騎兵師団の士官は言った。「もし彼らが武器を持っていなければ、誰が分からない。」

 また同じ10日に、兵士達は、ファルージャから出ようとした2台の救急車を止めて、内部に57人の避難民がいるのに気付いた。大部分は避難を許された女性と子供だったので認められた。避難民のより小さい列が米軍の封鎖地点に現れた際、何人かは通ることを許されたが、他のものは追い返された。ある避難民のグループは、幅が広いユーフラテス川を泳いで渡った、また砂漠の中の小道を徒歩であるいてファルージャから離れた、と軍の士官は言った。10日と11日、米兵は、住民が川を渡るのに使い、時々武装勢力が武器を運ぶのに使っているボートを沈めた。

 米軍の侵攻がファルージャの武装勢力を封じ込めにつれて、武装勢力の残存部隊が同市の南部に戦いながら逃げており、米軍は11日にその南部に移動した。今残っている武装勢力によるファルージャ内部の反撃は、海兵隊が道路や橋を塞いでいる部分で起こっている。海兵隊は、逃げるようと試みているたくさんの武装勢力を殺している。軍は、同市に残っている全ゲリラの半分、600人の武装勢力がすでに殺されたと評価した。

 ファルージャは8日以来、容赦のない空爆と砲撃の下で、電気のない状態におかれている。住人たちの食べ物が不足している。ある士官は、家の中にとどまっている人達は生き延びるだろうと言う、しかし町は生活するには危険で恐ろしい場所だということを認めた。

 戦闘が終われば、生き残ったすべての兵役年齢の男達は、爆発物を持っているかどうかを試験され、リストに載せられ、武装勢力のデータベースと照合され、そしてゲリラとの関係について尋問されるだろう、と軍の士官達は言う。米とイラクの部隊は家宅捜索を行っているところであり、市内のすべての家について武器がないかチェックする計画だ。



11月11日

★「イラクでの犠牲者の多くは予備役兵」
“Iraq deaths comprise many reservists” 11 November 2004 By ROBERT BURNS, AP Military Writer http://www.sacbee.com/24hour/special_reports/iraq/story/1816004p-9698607c.html

[コメント]
・ 現在のイラク駐留米軍の中における州兵(National Guard)と予備役兵の合計の割合は40%を占める。「パートタイム兵」の彼らは十分な訓練を積むことなく、戦地に送り込まれている。
・ ファルージャの戦闘における公表された死者のうち9人が予備役兵であった。6人が海兵隊予備役、2人が陸軍州兵、1人が陸軍予備役である。ファルージャにおける9人の予備役兵の犠牲は、これまでの最大の数であるという。いかに激しい戦闘が闘われているかの証左とともに、全米から兵士をかき集めイラク戦争を続けるブッシュ政権の政策の犠牲者でもある。


★「200人以上のファルージャでの犠牲者が報告されている」
“More Than 200 U.S. Fallujah Casualties Reported−U.S. Troops Launch Second Phase Of Assault In Insurgents」POSTED: 11:06 am EST November 11, 2004
http://www.nbc10.com/news/3910446/detail.html

[コメント]
・ この米nbcTVの報道で言う「犠牲者」とは米軍の負傷者、特にドイツに搬送された重傷者のことである。ファルージャ攻撃後、11日の段階で米兵200人以上が重傷を負っており、ドイツのランド・ストゥール病院が溢れ返っているという。死に至らないまでも、相当深刻な負傷を負った兵士が200人以上もいるのだ。
・武装勢力側や住民側と違い、米兵は防弾チョッキで防護し、ほとんどは空爆や戦車や大砲などで徹底的に相手を殺しまくった後に進軍しているにもかかわらず、ここまで負傷しているということは、いかほどまでに激しい市街戦が闘われているか、いかほどまで抵抗が激しいかを示している。
・11月15日(月)10時0分のロイター通信によると、「バグダッドの米軍当局は14日、開始から1週間を迎えた同作戦の米兵死者は38人、負傷者は275人に上ったと話した。」これまでも米軍の「大本営発表」は死傷者を過小報告してきた。おそらく負傷者はもっと多いのではないか。



11月10日

■ 増え続け散乱する死体、ひどくなる腐臭、死体を公園や庭に埋葬、等々−−凶暴となった米軍による地獄の惨劇

[コメント]
・米軍は武装勢力との戦闘の名の下に何をしているのか、以下は、現地住民がBBCに寄せてきた話である。一体何が起こっているのか。

[抄訳]
★ 「ファルージャからの声」
Voices from Falluja Thursday, 11 November, 2004, 16:27 GMT BBC
http://news.bbc.co.uk/1/hi/world/middle_east/4003877.stm

□ハミド・フレワ、弁護士でファルージャ住民:
・「水曜の晩、我々は空爆の音を夜中じゅう聞き、それは明け方に激しくなった。市のほとんどが猛攻を受けた。死体が道路中に散らばっていて、ほとんどの家族が自分たちの庭に埋葬せざるを得なかった。死体は歩道に並べられている。」
・「私はあなたに市の中心部から話をしている。家族と一緒にいるが、水も電気もない。急いで食糧配給をもらいたいが、市に食糧が届いていない。」
・「ファルージャは封鎖されている。逃げられもしない。我々は包囲されている。私は英米の兄弟達に私の訴えが届くよう期待する。この都市は別の惑星から来たんじゃないんだ。」
・「我々は人間だ。ここはイラクの街だ。なのになぜ我々はここから逃げなければならないのか。何とも言いようがない。」

□ユニス・ダウド、ファルージャ住民:
・「ファルージャの情勢はとても悪い。非常に激しい爆撃、道路とモスクの破壊。」
・「やつらは火曜日に第二の病院を攻撃し皆殺しにした。道路には死体が散乱している。人々は死体を庭や家に埋葬している。」
・「どこへ行くのも恐い。私の家族は爆撃の前に家を離れて友達の家にいる。」
・「我々は空爆がこんなにひどいとは思わなかった。我々はとても恐かった。小さい船に乗ってユーフラテス川に沿って、米軍がまだ発見していない道を通って逃げてきたんだ。」
・「そんなことをするのは危険だったんだが、いつ殺されるか分からない危険があったからだ。」

□ファディル・バドラニ、ジャーナリスト:
・「道路に死体がどんどん増えて、悪臭が強くなっている。」
・「昨夜の爆撃で私の家のドアが壊れ、13歳の子どもが死んだ。」
・「今この市を離れるのは非常に危険だ。」
・「我々は外界から完全に遮断されている−−電気も水もない。」
・「人々は負傷して死んでいる。手当てするところがどこにもないからだ。」
・「最後の病院として使ってきた診療所が2日前に爆撃された。」
・「何人かの家族が死体を自分の庭に埋葬し始めた。」


[要約]
★ ファルージャで医療の必要性が大変高まっている---赤新月社
Medical needs massive in Fallujah - Red Crescent
IRINnews.org November 10th, 2004
http://www.irinnews.org/report.asp?ReportID=44075&SelectRegion=Iraq_Crisis&SelectCountry=IRAQ

Sami al-Jumaili博士(この人はこの攻撃の生存者)によると、火曜日、ファルージャの中心にある公営病院にアメリカが空爆し、20人の医者が多数のイラク人とともに殺された。ヘルスワーカーの証言によれば、この病院では月曜日に始まったアメリカの攻撃により負傷したファルージャ市民を受け入れて治療を行っていた。病院の薬は底をつき、市内にたった1台だけ残っていた救急車も米軍の攻撃をうけた。

市民の証言では、数百の家が破壊され、水と食料もなくなり、店は閉じられたままであるためどこからも食べ物を手に入れる事ができない状態だという。水と電気の供給は日曜以来とまったまま。

医者達の話では、市内には外科医はひとりもいない。電気がとまっているため、血液の低温保存もできない。「他の病院から必要なものを手に入れられず、10歳の少年が私の腕の中で息をひきとった。そして負傷した人々が自宅で死んでいく。救援に行く事ができないからだ」

イラク赤新月社(IRCS) 、赤十字社(ICRC)の国際委員会は激しい市街戦のため援助物資を届ける事ができない。「救援物資はあるし、助けを求めている人々もいる。医薬品や、その他食料、水など必要物資の不足で人々が死んでいっている。だが、それを手をこまねいて見ていることしかできない。米軍が中に入らせないのだから。」赤新月社は多国籍軍に対し、市内に閉じ込められた市民を避難させるよう申し入れているが、回答はないという。

(参考)
※ In Fallujah, US Declares War on Hospitals, Ambulances
by Brian Dominick
www.dissidentvoice.org November 10, 2004
First Published in The NewStandard
http://www.dissidentvoice.org/Nov2004/Dominick1110.htm


[要約]
★「ファルージャは人道的危機にある、援助ワーカーが語る」

Falluja a humanitarian crisis, aid workers say
By Fadel al-Badrani ,Reuters
10 Nov 2004
http://www.reliefweb.int/w/rwb.nsf/0/797E0FFC2E74500085256F49006D42F7?OpenDocument

 ファルージャでの戦闘は罪なき人々が死んでいく大惨事を引き起こしている。医療活動による救護が市民のところまで行くことができないのだ、と援助ワーカーらは水曜日に訴えている。毒蛇にかまれて死んだ少年は、普通であれば簡単に直せるケースだ。少なくとも2,200組の家族が最近ファルージャから近隣に避難し、十分な水、食べ物、医療がない状態で生き延びようと苦闘している。
 しかし問題は市内に取り残された人々で、どれだけの人数かわからない。イスラム聖職者境界は6万人の市民が市内に閉じ込められていると見ている。ある援助ワーカーは「市内に入って人々を助けるための許可をアメリカに頼みました。でも、私たちはその後何も回答を得ていません」と証言する。米軍は援助団体からの要請には答えることなく、その最優先事項はファルージャに隠れた反逆者らを打ち破ることであると、述べている。指揮官らは民間被害を最小限にすると言っている。しかしそれは避けられない。火曜日、9歳の少年が砲弾の破片を胃にうけて死んだ。両親は戦闘が起こっているために彼を病院に連れて行くことができず、彼は数時間後に失血死した。外に出るのが危険なため、彼は庭に埋葬された。
 赤十字国際委員会は、何千人もの老人、女性、子供が食べ物も水もない状態で数日間を過ごしている、と報告している。


■ 11月10日、ロサンゼルス・ウェストウッドで行われたファルージャ侵攻反対の反戦デモに2輌の戦車が出動!
威圧が目的と言われている。即座に500名のデモ隊が戦車を取り囲み、抗議を行った。最後は、警察に守られて退去した。

    
 詳しくは、「ロサンゼルス・インディメディア」参照。
  http://www.la.indymedia.org/news/2004/11/118943.php



11月8日

■ 米軍、最初に病院を攻撃、破壊。治療の道を封じ負傷者を殺す!

[要約]
★「“おびただしい数の市民”がファルージャで死んだ。」
※'Scores of civilians' killed in Falluja(アルジャジーラ)2004/11/09
http://english.aljazeera.net/NR/exeres/813419D5-CC95-4505-9367-05140111C618.htm
※Battle for Fallujah rages(インディペンデント)2004/11/09
http://news.independent.co.uk/world/middle_east/story.jsp?story=580940

・米軍がファルージャに突入した11月8日(月曜日)の晩以来の戦闘で死傷した住民がたくさんいる。医師が言うには、月曜だけでメインのクリニックで15人が死んだ。火曜にはクリニックが閉まったので犠牲者を数える方法がなくなった、と住民は言う。
・米軍は突入直後に市の中心病院を制圧、医師や看護婦や患者を虐殺した。(インデペンデントの記事では、アラウィが武装勢力38人を殺したと発表した。)市は医療の提供ができなくなった。一人の外科医もいない。たった1台の救急車も攻撃され、医師が負傷した。負傷者は家の中におり動けない状況だ。赤十字国際委員会(ICRC)はこうした人道的危機に対して深い懸念を表明した。
・インデペンデントの記事では、医師が負傷者を助けたいので救急車を出したいというと米軍側はこれを拒否したという。
・先週末の空爆で市の中央部にある、イスラム救済基金で建てられた病院が破壊され、併せて近くにある医療を提供する倉庫になっていた建物も破壊された。電気は止められ住民は灯油を使い、地下室に隠れている。子供たちは恐怖のあまりヒステリックになっている。

[要約]
★「ファルージャには人体の断片がそこら中にある」
Body parts everywhere' in Fallujah (iafrica)2004/11/09
http://iafrica.com/news/worldnews/389225.htm

・攻撃に参加する米兵が「そこら中に人体の断片がある!」と叫んだ。155ミリ砲を猛烈に撃ち込んだためだ。この記事は、空爆の威力、武装ヘリの無差別攻撃、空対地ミサイルの威力、900キロ爆弾の威力等々、市街戦の前に抵抗勢力(実は普通の市民)が隠れる建物をもろとも圧倒的火力で殲滅する様が描かれている。大量虐殺を誇っている訳だ。

[要約]
★「そう我々はファルージャで勝つだろう、それがどうしたというのだ。大問題はその後何が来るかだ」
So We Win Fallujah. Then What? The big question is what comes after.」By Fred Kaplan
Posted Monday, Nov. 8, 2004, at 3:10 PM PT (MSN・Slate)http://slate.msn.com/id/2109360

・この記事は、今回の作戦の戦略的失敗を問題にしている。これを書いたコラムニストは言う。「戦闘が終わった後、そんなに長い間包囲を維持できないだろう。」そうなれば先月サマラで起こったのと同じ事が繰り返されるのだ、と。つまり米軍・イラク軍は「成功裏」にサマラを制圧したがその後、結局は抵抗勢力が舞い戻っている。もう一つ問いかける。「この作戦の当面の目標は何なのか」と。スンニ派を来年1月の選挙に参加させるためか。それなら大失敗だ。現にスンニ派は選挙ボイコットを呼びかけている。
・ブッシュは今回の作戦が「最終決着」(final showdown)だと意気込んでいるが、そうはならないだろう。第一に、今回の作戦は米軍とイラク軍との共同作戦なのだが、従軍取材した記者が言うには、当初500人が参加したが今残っているのはたった170人、後は逃亡したという。これはイラク軍単独でファルージャを維持できないということだ。第二に、「有志連合」「多国籍軍」の相次ぐ脱落によって米軍はますます一人になりますます孤立しているということである。



“ファルージャの大虐殺”−−これはジェノサイドだ!

“ファルージャの大虐殺”−−これはジェノサイドだ!

(1) 米軍がついにファルージャに対する大規模侵攻を開始した。11月8日、激しい空爆、砲撃によって住宅地を破壊した後、西部の橋と病院を制圧し、次いで大規模な地上部隊が北部からファルージャ市内に侵攻し殲滅作戦を始めた。ファルージャ周辺には4月を大きく上回る1万5千もの米兵と数千のイラク治安部隊が結集し、5千を超える部隊が市内に突入している。ブッシュは血塗られた大虐殺を再選後初めての仕事にしたのだ。
続き・・・
2004年11月10日



●11月2日

英医学誌『ランセット』の論文「2003年のイラク侵略前後における死者数−−集落抽出調査」より「要約」部分翻訳
最低10万人の衝撃:学術調査が初めて明らかにした米侵略・占領軍による“イラク人大量虐殺”




●10月22日

スンニ派三角地帯やバグダッド貧困地帯で深刻化する“新しい人道的危機”。
米軍による上下水道・医療施設への空爆・砲撃と保健衛生システムの崩壊
各種肝炎・腸チフスなど感染症の急増、癌・心臓病・糖尿病など慢性疾患の急増:「疾病の二重負担」




●9月13日


サドルシティのマハディ軍民兵
(「english.aljazeera.net」より)
2004年8月:“ナジャフの戦い”の政治的・軍事的意味



●8月6日

イラク戦争の民間人犠牲者は最初の7ヶ月だけで少なくとも37,000人を超える
−−米軍の妨害の中でイラクの政治グループが実地調査−−

[翻訳紹介]
(アルジャジーラ・ネット)
民間人犠牲者は 37,000人以上とイラクのグループが主張



●6月20日(459日目)−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

<ファルージャへの空爆、民間人無差別虐殺を糾弾する>

現場の様子(islamonline.netから)
 19日、米軍機がファルージャの民家を攻撃した。その結果、子供を含む民間人24人が死亡した。私たちは、相変わらずイラク各地で無差別住民虐殺を繰り広げる米軍に強い憤りを禁じ得ない。攻撃機を使った無慈悲な掃討作戦を、私たちは許すことができない。

 "米軍機はザルカウィ氏の隠れ家とされる建物を狙った"−−これが事件直後の米軍キミット司令官による説明である。しかし、死者には「少なくとも女性3人と子供5人がいた」と伝えられ、現地の治安部隊や地元警察なども「死んだのは普通の家族」、「ザルカウィやその仲間が、あの家やファルージャにいた様子はない」と証言し、米軍作戦を非難している。

 翌20日、暫定政権のアラウィ首相は早々にこの大虐殺を支持した。さすがにかつてのCIAエージェントであり傀儡政権の頭目である。この暫定政権なるものが、誰のために存在するのか、誰の利益を守るために首相に据えられたのかを早くも露呈した。

 4月初めからわずか1ヶ月で700人以上のファルージャ民衆を大虐殺した米軍は、イラク民衆の不屈の抵抗に撤退を余儀なくされた5月以降も、距離をおいてファルージャ包囲を継続し再攻撃の機会をうかがってきた。6月9日、アルジャジーラなどが、米軍がファルージャのかつての米軍検問所から1キロの所に戦車を配置していることを報じ、ファルージャへの再突入を準備しているものと見られると伝えた。この報道に、私たちも警戒を強めていたところである。一層警戒を強め、再びあの虐殺を繰り返させないために、批判と宣伝を強めていきたい。

(死者に関する数値は、Islamonlineの情報に基づいている)
※US Helicopter Kills At Least 24 Civilians In Fallujah
http://www.islamonline.net/English/News/2004-06/19/article08.shtml
※米軍がファルージャで空爆、22人死亡
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040620-00000364-reu-int

(米軍の再突入準備を伝える報道)
※Occupation tanks poised to enter Falluja
http://english.aljazeera.net/NR/exeres/E8E5D69B-FF87-4E8C-9CF8-637197702743.htm

関連:ファルージャの大虐殺特集ページ


<サドル・シティにおけるもう一つの大虐殺>
 バグダッド近郊のサドル・シティにおいて、米軍は、南部の聖都ナジャフ、クーファ、カルバラよりいっそう大規模な大虐殺を行っている。米軍当局者らは、ここで過去9週間に800人 ―― 1日当たり10人以上 ―― のイラク人を殺害していることを認めており、これは南部イラクでの倍の規模とされる。サドル師支持派の市民軍との戦闘によるものとは言え、占領政策に抗議して蜂起した民衆への一方的な虐殺に他ならない。

 殺された者たちのほとんどはまだ若く、失業した者たちで、生活に困窮してサドル市民軍に参加した人々であり、また戦闘の巻き添えになった市民もある。米軍当局自身が市民相手の「戦闘があまりに一方的すぎることへの懸念を表明し」、子供を殺す事には嫌気がさす、と吐露するほどの一方的なものである。このような米軍によるジェノサイドを許す事は断じてできない。

 この事態は、イラク人民の一層の怒りを掻き立て、反米蜂起を拡大している。現地のイラク警察では、市民軍との戦いを拒否するだろうと漏らして降格させられたり、戦闘発生の元凶として米軍に退去を要求するなど、アメリカへの協力を拒否する動きが出ている。ある警察官はインタビューで、市民軍について「占領に対する反乱」であり、「他国によって占領されたらどの国の市民でも、同じやり方で応ずる」当然の事柄である、と語っている。

 アメリカは自らの被害を抑えるためにイラク警察とイラク軍を強化して反米闘争鎮圧の最前線に送り込もうと躍起になってきた。しかし、サドル・シティの事態は、アメリカが弾圧を強化するほど、戦闘の経験を持たない一般市民さえもが闘争に参加し、警察もアメリカへ非協力的な姿勢に転じつつあることを示している。
(後の翻訳記事を参照)


<アブグレイブの虐待・虐殺>
 アブグレイブにおける米軍の虐待・虐殺問題について、今なお米軍の組織的関与を裏付ける証拠が積み上がっている。既に昨年11月段階において米軍内でイラク人拘束者に対する虐待が問題視されていたことを示す新たな証拠が上がっている。要するに米軍の上層部は事態を知っていながら黙殺し続けていたのである。

 そして拘束者への虐待、虐殺をめぐる"ブッシュ政権スキャンダル"に新たな問題が付け加わった。ブッシュ大統領の虐待・虐殺への関与といった、政権を揺るがす大問題がそれである。大統領は虐待を禁じる国内外の法律の規制を受けないとする内部文書が政権内の法律家によって昨年3月に作成された。この文書は機密扱いであるが、今や公然のものとなっている(http://globalresearch.ca/articles/torture_0604.pdfで入手可)。そこには、大統領の権限が、虐待禁止を盛り込んだジュネーブ条約や米連邦法に優先するとの政権中枢の法解釈が示されている。まさにブッシュ政権の「対テロ」政策転換とアブグレイブの虐待・虐殺の関連が焦点となるのである。ブッシュ大統領はその文書の存在を知っていながら黙認していたのではないか、大統領の政治生命にかあわる重大な疑惑が浮上しているのである。直後ブッシュ大統領は、「報告書は見た記憶がない。私の(対テロ戦争への)指示は、国内外の法律厳守だった」と語り、事実を打ち消そうと必死である。しかしながらマスコミの真相究明を求める動きは今なお続いており、この問題に注目していかなければならない。  

 ヒューマン・ライッツ・ウォッチは、「アブグレイブに至る過程」("The Road to Abu Graib "6月4日 http://hrw.org/reports/2004/usa0604)と題した報告書の中で、虐待・虐殺を引き起こした原因を次のように指摘している。(本報告書は、国際法を無視するブッシュ政権の新たな政策、グアンタナモ収容所の実態、アフガニスタンにおける組織的虐待の疑惑、イラクにおける虐待の実態、等、アブグレイブ虐待・虐殺批判を多側面かつ掘り下げ展開しており、長文のものではあるが是非とも参考して頂きたい。)
@9.11を受けて、米政権は対テロ戦争に勝利するために国際法を迂回(無視)しようとした。
A尋問において拘束者の抵抗を弱めるために、強制的(暴力的)方法を援用し始めたのである。これはジュネーブ条約に反するだけではなく、アメリカが加盟している国際条約や長年のルールにも反するものである。
Bアブグレイブの写真が公表されるや、米政権は行動を余儀なくされた。しかしそれまで同様の指摘を受けようとも、「見ざる、聞かざる」といった姿勢を貫いてきた。

 まさに新たな"ブッシュ政権スキャンダル"は、上記の@、Aに該当する重大な問題である。

※米大統領、虐待禁じる法律の規制を受けない=覚書(ロイター通信ニュース)
http://www.reuters.co.jp/news_article.jhtml?type=worldnews&StoryID=5377585
※昨年11月に虐待報告 拘束者評価部隊が、と米紙(共同)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040614-00000147-kyodo-int


<記事翻訳紹介>
サドル・シティでの「連日の大虐殺」が荒れ狂い、死者数が急上昇
Sadr City's 'daily massacre' rages as death toll soars
http://seattletimes.nwsource.com/html/nationworld/2001950733_sadrcity08.html
エドマンド・サンダース ロサンジェルス・タイムズ 2004年6月08日(火)

バグダッド、イラク---バグダッドで最も劣悪なスラム街地区は黒衣で覆われている。最近の数週間に殺された者たちの名前をつづった追悼の旗が、サドル・シティのほこりっぽく一面ごみだらけの通り沿いのフェンスやバルコニー、建物から多数ぶら下げられている。

ある旗は、「祖国を守って」殺された息子を悲しんでいる。いくつかには、死者の写真が写されている。数は少ないが、ひとつの黒旗の上に2つ、3つ、あるいは4つも名前が載せられたものさえある。

イラクとアメリカの指導者らが南部の聖都ナジャフ、クーファ、カルバラでの流血の終結に集中している時、バグダッドの裏庭ともいえる場所が静かに危険な状態となっていた。

米軍当局者らは、彼らが過去9週間にサドル・シティで800人以上のイラク人を殺害したと見積もっている---1日当たりほぼ1ダースの割合---これはアル-マフディー軍、シーア派急進派のイスラム聖職者ムクタダ・アル・サドルの市民軍との戦闘の中でのことである。これは南部イラクでの同様の戦闘において殺されたと報じられた人数の倍にあたる。

「連日にわたる大虐殺だ」とカシム・カディム(サワラとして良く知られているサドル・シティの現地住民)は語った。

4月以降、サドル・シティ近辺で少なくとも14人の米兵が死んでいる。これには金曜日にサドル・シティ郊外で米軍の警護車列がロケット式グレネード弾による攻撃を受けて殺された5人、そして土曜日に同じ場所で路上爆弾により殺された2人も含まれる。

暴力の連鎖は2ヶ月前、アル・サドル市民軍が数箇所のシーア派イスラム都市とその近隣のモスク、政庁や警察署をコントロール下においたときから始まった。サドル・シティ(崇拝されサダム政権下で暗殺された聖職者であるアル・サドルの父にちなんで命名された)はこれに含まれている。

イラク人死者のほとんどはまだ若く、そして失業した者たちである。これらの者はアル・サドル市民軍に参加し、眼前の米軍を撃つよう命令されている。その他のものは交戦の巻き添えになった人々で、例えば日曜日には米軍車両を狙った路上爆弾によって14歳の少年が殺されている。

この場所には金色ドームのモスクも、世界の目を引くような史跡もない。数十年間そうであったように、サダム・フセインによって厳しく抑圧されてきた300万のイラク人がいるサドル・シティ地区の苦痛は、大抵は見過ごされている、と住民らは訴える。

「とてつもなく多くの人々がここで死んでいる。それに誰も注意を払わない」とビデオゲーム店を営むマホメット・カラは言った。つい最近、彼の家の後ろに逃げ込んだ民兵を米軍の戦車が攻撃したため、彼の住居は銃撃と砲弾で穴だらけにされた。彼は手を砕かれ、5歳になる彼の娘は砲弾の破片で頭に傷を負ったと言う。

少数の例外を除いて、路上での戦闘と銃撃戦は夜間行事となっている。アル・サドル軍は米軍基地と米兵らが使用しているイラク警察署に対して定期的に迫撃砲での攻撃を行っている。

米軍は先月、アル・サドルの事務所を破壊した。しかし彼の支持者らが反抗して一日で再建した。住民らが朝に外へ出ると、自動車が燃え、弾丸のケースや死体が転がった道路を目の当たりにする。

「先日、帰宅途中に通りに人が倒れているのを見つけたんだ」と倉庫で働くラード・ムハムダゥイ(32歳)は話す。「助けようと近づいた時、彼が死んでいることに気づいた。私は、マフディー軍にいる彼の友人らを呼ぶと、彼らが死体を運んでいった。」

サドル・シティの住民達は、以前は米兵を歓迎した。しかし時が経つにつれ、彼らが言うには、長引く停電や下水の問題、そして米兵らが地域の宗教指導者らやシンボルに侮蔑的な態度をとっていることが分かってきた事から、多くのものが我慢の限界にきているという。

昨年の夏、兵士らが送信塔から宗教的な旗を叩き落したことから、小規模な暴動の口火が切られた。これは米軍のヘリコプターが群集へ発砲する事によって終結した。最近では、兵士らはあちこちにあるアル・サドルの写真を掲示板やフェンスからはがして回っている、と住民らは話す。

「みんな怒り心頭に達している」と自動車セールスマンのジャルバラ・ブライアン(45歳)は言った。「私たちの唯一望みは、アメリカが出て行くことだ。」

米軍当局者らは、スラム街での問題が、2003年3月に開始された米主導の侵略に先行して起こっていたことに注目している。当局者らは、住民の大多数はアメリカの存在を支持しているが、アル-マフディー軍の報復を恐れて、遠慮なく口にする事をためらっているのだ、と言う。約一ヶ月前、アメリカと一緒に仕事をしていたある地方議員が誘拐され、電柱から吊るされて殺されている。

「もし我々が手を引けば、市民軍が支配権を握るだろう。ここの住民らの90パーセントはそんなことを望んでいない」とゲーリー・ボルスキー中佐(サドル・シティにいる米軍第一騎兵部隊の大隊指揮官)は語る。「警察ではそれに対応することができない。」

彼の話では、この地区にイラク警官が500人いるが、実際には7,000人程度は必要だという。

警察は地域社会の中で、どちらかの側に付くことを避けようとしている。ナスル警察署のラヒーム・カディル中佐によれば、市民軍と戦うのを拒絶するだろうと漏らして降格された将校がいるという。

ほぼ一ヶ月にわたって米兵らはカディルのいる警察署を占拠していたが、米兵の存在が市民軍からの攻撃を誘発して近隣の家に被害が出るから出て行って欲しい、と彼が最終的に要求して止めてもらったとのことである。兵士らが去った後、アル-マフディー軍の戦士らが、アメリカの狙撃手らが使用していた屋上の砂袋を取り除くようカディルに言った。彼はこれに応じた。

「私はこれを軍隊とは見ていない」とカディルは話す。「これは占領に対する暴動なんだ。他国によって占領されたらどの国の市民でも、同じやり方で応ずるだろう。」

しかし日曜日、マフディー軍のメンバー15人が再度、彼の警察署を攻撃した。彼らは最初に将校らに建物を立ち去るよう命じ、それから小型の爆発物をセットした。軍事物資がいくつかと、部屋一杯分の家具が破壊された。

南部イラクと異なり、サドル・シティでは休戦会談や停戦交渉はない。

だが、ボルスキーの部隊は、街頭に漏洩する下水道設備の修理に110万ドルを費やすなどの人道主義プロジェクトによって、住民らを懐柔するための努力を強化している。週末の間、軍は小児科医に数十万ドル相当の生活必需品を配布し始めた。

しかしこのような努力は、路上での戦闘と攻撃によって大抵先行きの見通しが悪いものとなる。先週のある一日だけで、アル-サドルの民兵と米軍が21回も交戦した。ボルスキーは、殺されたものの大多数はアル-マフディー軍の戦士らであって、民間人ではなかったと主張する。

「私たちは非常に正確なのだ」と彼は言う。

市民軍に多大な損失がでているのは、烏合の衆の軍で、若年層で経験がないことを反映している。いくらかはまだ十代である。時々、米軍当局者でさえ、戦闘があまりに一方的すぎることへの懸念を表明している。

「兵士の立場からすれば、外に出て戦わなければならないというのは苦しいことである。そして、17歳の子供たち(ロケット式のグレネード弾を持った)が自分に狙いをつけていること気づくという場面に遭遇すれば、それはより一層つらいものだと言えるだろう」と、マーク・キミット准将(米軍のトップ広報官)は最近の状況説明の中で語った。

「その時に任務を果たさなければならないということは、大変苦しいことである。そしてその任務を遂行する事に、栄光も誇りも一切、伴わない。そう、素直に言って、これらの年端もいかない子供達が我々に対し武器を構えてくるからといって、RPGで仲間の一人を狙っているからといって、戦車にライフル銃を向けてくるからといって、この子供らを殺さなければならない場合は、いつだって嫌なものである。」

ロサンジェルス・タイムズ特派員ラヒーム・サルマン、セイフ・ラシード、シーザー・アフマッドがこの報道に寄与。



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