子どもに関する事件【事例】



注 :
被害者の氏名は、一人ひとりの墓碑銘を私たちの心に深く刻むために、書籍等に掲載された氏名をそのまま使用させていただいています。ただし、加害者や担当教師名等については、個人に問題を帰すよりも、社会全体の、あるいは学校、教師全体の問題として捉えるべきではないかと考え、匿名にしてあります。
また、学校名については類似事件と区別するためと、隠蔽をはかるよりも、学校も、地域も、事実を事実として重く受けとめて、二度と同じ悲劇を繰り返さないで欲しいという願いを込めて、そのまま使用しています。
S.TAKEDA


S960813 学校災害 2004.5.16 2004.12.9 2006.2.25 2006.6. 2008.9.20更新
  1996/8/13 高知県高知市の私立土佐高校の北村光寿(みつひさ)くん(高1)が、大阪府高槻市で開催されたサッカー大会の試合中に落雷を受け、両眼と下半身などに重い障がいを負った。
  経 緯 光寿くんは、他のサッカー部員21名とともに、教師に引率されて、大阪府高槻市で開催された「第9回なみはや国体サッカー競技(少年男子)開催記念第10回高槻ユース・サマーフェスティバル・サッカー交流試合」(1996/8/12-15)に参加。南大樋運動公園で試合をする。

  試合前 グラウンドに到着した頃は曇り空だった。
PM1:45− 土佐高の第1試合開始 雷雲が上空に現れ、小雨が降り始めた。時々、遠くに雷鳴がきこえた。
−PM2:55 第1試合終了   
  Aを主審とするM高校対T高校の試合 試合開始直後から暗雲が立ちこめて暗くなり、ラインズマンがラインを確認し、オフサイドの判定をするのが困難なほどの豪雨が降り続いた。
PM3:15 大阪管区気象台から雷注意報が発令。
    雨が止み、空が明るくなりつつあった。
グランド西南方向に黒く固まった暗雲が立ちこめ、雷鳴が聞こえた。
雲の間に放電が起きるのが目撃された。
雷鳴は大きくなく、遠くの空で発生したと考えられる程度。
PM4:30− 土佐高の第2試合開始 開始5分後、突然フィールドが明るくなり、大きなパチパチという音とギザギザの稲光とともに、雷は光寿くんの後頭部に落ちた。
光寿くんは意識不明の重体。

  天 候 台風12号が日本に接近していた。
  部員の対応 同校サッカー部の選手のなかには、試合前後に、落雷防止のため、首にしていたペンダントを外す者もいた。光寿くんも、チームメートにペンダントを外したほうがいいか聞いたりしていたが、結局、ペンダントは外さなかった。
  顧 問 サッカークラブの監督はBだったが病気のため、Aが代わって引率していた。
  障がい 事故後2カ月余りで少しずつ意識がもどったが、両眼失明。脳からの運動障害により、下半身機能が全廃。手が思うように動かせないどの重度の障がいにより、介助がなくては生活できなくなった。
   関 連 1997/10/14 他県で、サッカーの部活動中に、中野晋平さんが落雷の事故にあい、身体の自由を奪われた。柳川市の療養施設に入所中で、今も話すこともできない。声や表情で意思を伝える。
(2003/10/15 西日本新聞)
  裁 判 1999/3/ 光寿くんと両親、兄が、土佐高校を設置・運営している学校法人土佐高等学校と大会を主催し会場を提供した高槻市、主催者サッカー連盟を傘下におく財団法人高槻市体育協会、大会を主催した実行委員会の実行委員長を相手どって、治療費など計約2億9600万円の損害賠償を求めて提訴。
  判 決
(1審)
2003/6/30 高知地方裁判所で、原告の訴えを棄却。
亀田裁判長は、「落雷の危険性の予兆(兆候)があるものとして、サッカー競技を直ちに中止して、安全空間に避難すべきであった」「気象状況悪化に伴う中止や中断のルールを協議しておく必要があった」と指摘しながらも、グラウンドに居合わせたサッカー指導者の大半が落雷の危険性を感じていなかった。雷注意報は発令回数が非常に多く、危険性が明確に認識できるとは言えない。落雷の予見は不可能だった」として、原告側の主張を退けた。
  判 決
(高裁)
2004/10/29 高松高裁で、原告の控訴棄却。
松本信弘裁判長(馬渕勉裁判長代読)は、「雷鳴は遠くで鳴った程度で空も明るくなっており、危険を認識できたといえない。落雷の予見は可能といえない」と1審の高知地裁判決を支持。
   最高裁 最高裁が受理。
2006/2/13 法廷で、母親の北村みずほさんが意見陳述(陳述書参照)を行った。

2006/3/13 中川了滋裁判長は、高裁に審議を差し戻し命令。

「落雷事故が毎年発生していることや、前兆現象に関する文献が多数存在していることを踏まえると、現場にいた教諭らは気象状況から落雷を予見できた」と認定。

「たとえ一般的なスポーツ指導者に認識が薄かったとしても、教育活動の一環として行われる部活動では、生徒は指導官の指示に従って行動するのであるから、生徒との安全にかかわることを具体的に予見する義務がある」「危険を予見して、かつ、事故を防止する義務がある」と教示。

差し戻し審で、教諭が予見に基づいてどのような措置をとることができたかや、その結果事故を回避できたかどうかなどについて、さらに審理するよう命じた。

高槻市体育についても、会場を借りたのは同協会であることなどから「協会が主催者であると推認するのが相当」と判断。協会の責任についても、差し戻し審で審理される。
  高松高裁
(差し戻し審)
2008/9/17 高松高裁で、矢延正平裁判長は、在学していた私立土佐高校とサッカー大会を開いた高槻市体育協会に約3億円の支払い命令。

判決は、
@事故前の3年間に年間5〜11件の落雷死傷事故があり、3〜6人が死亡していた。
A雷鳴は遠くても危ないことを記した、入手可能な資料が当時すでに多数あった。
ことを指摘。
最高裁判決と同様、試合開始直前に雷鳴が聞こえ、雲間に放電が目撃されたことを踏まえ、「教諭は危険が迫っていることを予見できた」と認定。

落雷に対する安全対策として、高い物体の近くで、かつ物体そのものから少し離れた「保護範囲」に避難することも入手可能な資料で広く知られていたと指摘。

教諭は試合中止や延期を申し入れたり、周囲のコンクリート柱の近くに避難させたりして事故を回避できたのに、漫然と北村さんを出場させた過失があったと述べ、学校は使用者責任を負うとした。

協会については、「大会が教育活動の一環としての部活動チームの参加で成り立っていることからすれば、協会も危険性をできる限り具体的に予測し、事故を防止して生徒を保護する義務を負っている」と指摘。会場担当者の過失と協会の使用者責任を認めた。

矢延裁判長は、「クラブ活動では、生徒は担当教諭の指導監督に従って行動する」と指摘したうえで、「生徒の安全を守るべき引率教諭は一般に知られている避雷の知識を当然持つべきだ」として、部活動での学校の安全配慮義務を厳しく捉えた。
協会にも、同様の責任があるとした。

損害額は、逸失利益約1億1700万円、将来の介護費用約1億2千万円など、計約3億14万円と算定。
今後約50年間、常時介護が必要だとしたことなどから、過去の学校災害に比べ、高額となった。
家族の損害額は慰謝料など計約700万円とした。
  参考資料 折鶴とともに/学校災害から子どもを護る全国連絡会 第25回総会記念シンポジウム資料、2004/10/30毎日新聞「北村裁判を支援する会」会報「みっどフィルター」裁判の傍聴・ほか2008/9/18朝日新聞
  サイト内資料 me060217 me060316



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