子どもに関する事件・事故【事例】



注 :
被害者の氏名は、一人ひとりの墓碑銘を私たちの心に深く刻むために、書籍等に掲載された氏名をそのまま使用させていただいています。ただし、加害者や担当教師名等については、個人に問題を帰すよりも、社会全体の、あるいは学校、教師全体の問題として捉えるべきではないかと考え、匿名にしてあります。
また、学校名については類似事件と区別するためと、隠蔽をはかるよりも、学校も、地域も、事実を事実として重く受けとめて、二度と同じ悲劇を繰り返さないで欲しいという願いを込めて、そのまま使用しています。
S.TAKEDA
020323 叱責自殺 2007.8.16新規
2002/3/23 兵庫県の県立伊丹高校の西尾健司くん(高1・16)が、学校のトイレでタバコを吸っているのを見つかり、無期限の謹慎処分を受けた9時間後の午前1時頃、自宅近くの13階建てマンションの屋上から飛び降り自殺。
3ヶ月前にも、友人にテストの答案を見せて、自宅謹慎、反省文などの厳しい処分を受けていた。
遺書・ほか  亡くなる直前の深夜、友人にメールを送っていた。
「前は1週間やったから、たぶんそれより長いと思う。最悪やわ」「今回1人だけ謹慎ってのが精神的につらい」「(先生たちは)あきれてたわ」などと書いていた。

投身自殺したとき、ズボンのポケットに携帯電話が入っていた。奇跡的に壊れていなかったが、文字メールなどはすべて消されていた。仲のよかった女子生徒からの着信の電話番号だけが残っていた。
経 緯 2001/12/ 2学期の期末テスト時、隣の席の友人に頼まれて答案を見せた。
カンニングと認定されて、友人と一緒に1週間の自宅謹慎処分。(健司くんにとって、初めての処分だった)
反省文、反省日記を書くように指導される。

2002/3/21 12/13から書き始めた日記を、終業式の前日に突然、春休みも続けるように言われる。

3/22 終業式のあと、健司くんは校内のトイレで1人でタバコを吸っていて教師に見つかる。
母親も学校に呼び出される。
校長は「ストレスがたまったとは何や」と激しく叱責。学年主任も「家族も先生も裏切って」と叱責。生徒指導部長と担任にも叱られた。
無期の自宅謹慎を通告される。
3月末に家族でスキーに出かける予定だったが、母親が担任に相談したところ、「だめです。彼が悪いんですから・・・」と言われた。

処分を言い渡された直後、公園で会った親友(家族と一緒にスキーに行く予定だった)に、気落ちした様子で、「スキーには行けないかもしれん」などと話した。
処分の内容 期末テストの8教科分が0点にされた。

友人と一緒に、自宅謹慎処分。1週間後、反省ができたということで、解除される。

謹慎中は友達と連絡すること、テレビやゲーム等の娯楽も禁止。

期間中、担任教師らは交代で毎日、西尾家を訪問。

学年の全教師のところに一人ずつ謝罪しに行き、注意されたことをノートに記すことを課せられる。

反省日記を書き、毎日提出することを指導される。終業式の前日に突然、春休みも日記を続けるように言われる。

2回目の処分で、反省文を提出。無期の自宅謹慎を通告される。冬休みの家族でのスキー旅行を禁止される。
学校からの文書                    家庭謹慎中の生活の仕方について

                                               兵庫県立伊丹高等学校
                                                   生徒指導部

 家庭謹慎は自分の行動に対する反省をするための指導である。今までの自分を振り返り、今後の生き方を熟考することが主たる目的である。そのため、家庭謹慎中の行動は、以下の注意事項を守り、保護者の監督の下、規則正しい生活を送るよう心がけなさい。

注意事項

1.通常、自分が使用している部屋の整理・整頓をすること。

2.友達等との連絡は禁止する。

3.学校へ通学するときと同じ時間に起床し、規則正しく生活すること。

4.謹慎期間中は家族との話し合いを積極的に行い、学習に専念すること。

5.謹慎期間中の行動は、日誌に丁寧に記入すること。
反省日誌 ※反省日記の内容は
・1時間ごとにメモリのある1日の生活
・学習科目と内容
・学習面での課題と反省 克服しようと努めている点、理解の困難な点
・1日の反省 @今日は何を考えたか書く Aやった行為を中心に書く
・保護者の意見や感想
・担任欄

2002/12/13 自宅謹慎開始。反省日記を書き始める。
当初、健司くんはすべての項目を丁寧な字できちんと書いていた。
「1日の反省」については、「17行がすべて埋まるまで書くように」と返され、書いていた。
作文が苦手な健司くんは、日記の記入に悪戦苦闘していた。
日記の内容は次第に単調になり、家族に「もう、書くことないわ」とこぼしていた。
一方で、担任欄にはも一度も、何の記載もなかった。

謹慎解除後も、担任は続けて反省日記を書くよう、指導。
毎日点検して、「努力を怠りなく」などと短く書き込んでいたが、励ましの言葉はなかった。
反省文 1 「ぼくが最初に意図的に答案を見せたのは2学期の中間でした。○○に「見せて」と言われて、ばれなかったらいいだろうと思って答案を見せました。中間の時はそれでばれてなかったので、期末でも大丈夫だろうと思って期末でも見せました。
英語T、家庭科、古典、数学B、O.C、数学α、現国、化学の横向きの答案の時は、左ひじを空けて、プリントをずらして見せました。現社A.Bの半ピラの答案のときは、ぼくが解答し終わった後に○○にプリントをわたして、○○がそれを自分の答案に写して、それが終わるとぼくの解答用紙を返してもらいました。保健の縦の答案では見せていません。
答案を見せたり、わたしたのは、すべて先生が後ろを向いている時と、違うところを見ていたり、採点をしている時にしました。
はじめに答案を見せた時の教科は覚えていません。
反省文 2 「僕がたばこを吸いだしたのは、1月の終わりくらいからです。どうして吸い始めたかというと、その頃に、ストレス(1、2学期までは全然宿題をしていなかったけど、3学期になって、家で勉強するようになって、それがストレスになりました)がたまっていて、吸ったら、それが少し柔らぐかと思ったからです。ちょっとの間吸ったら、やめようと思っていたけど、やめられなくて、だんだん吸う本数が増えてきてしまいました。悪いことだとは思っていたけど、ばれないだろうと思い、吸い続けました。
初めはずっと家のベランダで吸っていたけど、外に出る時も、たばこを持ち歩くようになって、最近は、学校のトイレとか、下校中にも吸っていました。それは、3月に入った時ぐらいのことです。
2学期の終わりにカンニングのことで指導を受けて、自分では、十分反省したと思っていたけど、また、悪いことをしてしまったのは、自分の決意が弱かったからだと思います。

西尾健司」
被害者 ・明るい性格だった。
・弟とともに、小学校の頃から野球チームに所属していた。高校でも野球部に所属したが、1学期で退部。
・成績優秀だった。とくに数学が得意だった。
・カンニングで処分をされるまで、処分を受けたことがなかった。
・他人と争うことがきらいだった。
・反省日記が長期にわたるにつれ、家庭で苛立ちを見せるようになっていた。
・1月頃から自宅で喫煙するようになっていた。

・母親思いで、自分のしたことで母親が祖母から怒られるなどしたとき、「怒るなら、自分に怒って欲しい」と言って、迷惑をかけることをすごく嫌っていた。
家族の認知と対応 小さいとき、とくに大人しい性格だったこともあって、両親は自立心のある人間に育つよう、強制や口出しはしないようにしていた。ただし、他人に迷惑だけはかけないように日々、話していた。

2001/12/ カンニングで停学処分になったときに、母親は担任にあてて、感謝と謝罪の言葉とともに、今後の学校生活に対する不安と「長い目で見てやってほしい」というお願いの手紙を3枚にわたって綴っていた。

反省日記の保護者の意見や感想欄に、母親は欠かさず記入していた。
「していいこと、してはいけないこと、やるべきこと、守るべきこと、生きる上での大切な姿勢等、失敗することはいいけれど、そこから考え、学び、成長していって欲しいと思います」などと書いていた。

タバコを吸っていることは知っていたが、母親は「人に迷惑をかけないこと」を条件に黙認していた。
事件後の学校・
ほかの対応
2002/3/23 校長、教頭、学年主任、担任が西尾家を訪問。
校長は、「健司くんに特別、きつく怒ったということはなく、今までとなんら変わりなく注意したまでで、タバコぐらいでは、3日ぐらいの処分でと考えていたのに」と話した。
「ほかの生徒と同じように指導した。自殺と指導とは関係ない」とした。

3/24 通夜の席で、高校の生徒たちは祭壇のおかれた寺の2階に上がったが、健司くんの小学校、中学校時代の友人らは、高校の教師らに「上がるな」と止められて、上がることができなかった。

夕方、母親が学校にあいさつに行ったが、教頭は「いや〜、思ったよりたくさんの生徒で驚きましたなぁ」とふんぞりかえっていた。

野球部にもあいさつに行き、部員に一言、礼が言いたいと申し入れたが、友人1人を呼んだだけで、練習を止めることはなかった。告別式の日は練習試合に行き、一部の部員だけの出席だった。

2002/4/ 新しい校長に代わる。
前校長は焼香に来た際、「先日、校長会での送別会で、他校の校長たちから『最後にえらいことやったなあ』と言われた」と遺族に話した。

2003/1/25 前校長はほとんど毎月のように西尾家にお参りに来ていたが、母親が「失礼ですが、もうこれきり、来ていただかないでもらえますでしょうか。先生の考え方は変わらず、ルール違反に昔から同じように子どもを指導したまで、当然のことをしただけと思っておられるようにしか伝わらず、心からの誠意というものは感じられないので、お会いするたび辛くなってしまいました」と言うと、「はい、わかりました」とだけ言って帰った。
その後は一周忌、三回忌にも来訪なし。
三回忌のあと、母親が電話をしたが、元校長は「お母さんがもう来てくれるなってこと言われたから、行けないでしょう」と言って、電話の途中で切られてしまった。
担任教師の対応 担任教師は、「そこまで、本人が負担を感じているとは思わなかった」と話した。

2002/4/26 五七日に、担任教師がお参りに来た際、生徒らに「先生、何で笑っていられるん?いつも、うすら笑いやん」などと詰め寄られる。遺族の友人にも「謝れ!」と言われて、「亡くなったあと、自分の態度が悪くて、不快感を与えてしまったこと、お詫びいたします。申し訳ありませんでした」と謝罪。

2004/3/22 元担任が、母親の要請で健司くんにあてて書いた「反省ノート」を持参。
随所に謝罪と反省の言葉が書かれていた。

2004/4/ 他校へ配転後も西尾家への訪問を続け、「僕のなかで、日々、健司くんの存在が大きくなっていっているのを感じます」と話すようになり、両親にとっても、誠意を感じられるようになった。
生徒たちの対応 2002/9/ 大阪ミナミのライブハウスでの追悼ライブに、健司くんの友達のバンドも出演し、告別式に流していた「エンドレスレイン」を熱唱。

2003/3/ 健司くんの一周忌に、元クラスメイトらが、「健司くんへ」と題した文集を作成。遺族に手渡す。
たくさんの同級生、野球部員がお参りに来る。

2004/2/ 卒業式に元同級生らが、健司くんの写真をもって列席。
PTAほかの対応 健司くんの自殺事件について、PTAは総会も、説明会も開くことはなかった。

健司くんの母親がPTA役員に、「話を直接聞いていただきたいので、家に来てほしい」とお願いしたが、誰も来なかった。
学校のその後 2003/7/ 後任の校長は母親の訴えを聞き、「学校への不信感を重く受け止めている」と対応のまずさを謝罪。
「心を通わせる指導を徹底したい」と語り、謹慎処分の期間を徹底したり、個々の生徒に応じた対応をすることなどを約束。

2003/9/ 健司くんに答案を見せてと頼んだ生徒は責任を感じて苦しんでいた(同級生らから見ても精神的にかなり不安定だった)が、学校・教師らに配慮はなかった。
担任教師は、「まだ、西尾くんのことを引きずっているの?」と言ったり、喫煙や万引きなどの処分を重ね、高校を辞めさせようとしていた。
(後日、そのことを知った遺族にとって、健司くんの事件の教訓が生かされているようには思えなかった)

生徒指導部長の教師は、母親の「生徒の気持ちを理解することを努力して、生徒が心から反省し、生徒のためになる、本当の生徒指導を目指してほしい」という訴えに、「お母さんのおっしゃることはいつも変わらず、一貫していて、何も間違ったところはなく、そうあるべきだと思う」と言って努力し、2年間で学校が随分、変わってきたときく。

2004/4/ 生徒指導部長と担任教師が他校へ配転。
(指導部長は同校に3年在籍しただけで、「まだまだ改革しなければ」と折に触れて言っており、配転は本人の意思ではなかったときく)
元生徒指導部長は配転後も西尾家を訪問して、新しい学校でも、教師のあり方などを一から見直し、改革を進めている様子などを報告。「あの日の朝、『西尾くんが亡くなりました』という電話を受けたときの思いを二度と繰り返したくない」という。

後任の校長が定年退職し、生徒指導部長と担任教師が転出したことで、健司くんの事件を教訓に、変わりつつあった学校が元にもどってしまったように、遺族には感じられた。
携帯電話の所持を禁止し、休み時間であっても見つかれば取り上げる、自転車通学に雨合羽の着用を義務づけなど。
周囲の反応 健司くんのことを報道で知ったひとたちからは、「学校側は当たり前の指導をしただけ」「母親が喫煙を黙認したことが間違い」などの批判もあった。
その後 一周忌を迎えるにあたって、母親は息子のことを綴った「健司」を出版。

2005/ 健司くんの1歳年下の弟(大1・18)が、尼崎市のJR福知山線脱線事故に遭遇。2両目に乗車し、重傷を負いながらも奇跡的に助かった。
参考資料 2002/8/5毎日新聞、2003/6/11、6/12、毎日新聞、2005/6/3神戸新聞、「健司」(母親の手記)ほか


  



  いじめ・恐喝・リンチなど生徒間事件(1999年まで) 子どもに関する事件・事故 1
  いじめ・恐喝・リンチなど生徒間事件(2000年から) 子どもに関する事件・事故 1-2
  教師と生徒に関する事件 子どもに関する事件・事故 2
  熱中症・プール事故など学校災害 子どもに関する事件・事故 3
  体育会系部活動における事件等 子どもに関する事件・事故 4