子どもたちは二度殺される【事例】



注 :
被害者の氏名は、一人ひとりの墓碑銘を私たちの心に深く刻むために、書籍等に掲載された氏名をそのまま使用させていただいています。ただし、加害者や担当教師名等については、個人に問題を帰すよりも、社会全体の、あるいは学校、教師全体の問題として捉えるべきではないかと考え、匿名にしてあります。
また、学校名については類似事件と区別するためと、隠蔽をはかるよりも、学校も、地域も、事実を事実として重く受けとめて、二度と同じ悲劇を繰り返さないで欲しいという願いを込めて、そのまま使用しています。
S.TAKEDA
940608 学校災害 2000.9.10.  2001.5.30 2002.1.17 2002.2.6 2002.5.5 2002.7.4 2003.3.25更新
1994/6/8 国分寺市の中学校で、戸塚大地くん(中3・14)が体育の授業中、跳び箱から落下し第4頸椎を骨折して、3週間後に死亡。
経 緯
(裁判のための調査で明らかになったことを含む)
体育は3年のAクラス、Bクラス合同授業で、約33名が参加していた。

器械体操の授業では同じ一時限のなかで、総員を3グループに分け、グループごとにマットと鉄棒、跳び箱の3種目の練習を、1種目5分から10分で、ローテーションのように次々と生徒たちにやらせていた。(1時限内にどのグループも3種目の練習
をする)

各種目に関して、生徒たちは予め指示された共通課題と各人が選択する自由課題の技に取り組んでいた。練習は生徒が自主的に行い、教師は適宜指導していた。

当日は、マット運動の採点があり、A組から実施。テストを受けないクラスの生徒は、それぞれ鉄棒、跳び箱等の練習を行っていた。
大地くんが跳び箱から落下したとき教師は、マット運動のテストを採点中で、見ていなかった

大地くんは課題を終え、ふざけてプロレス技を真似た跳び方1回目にムーンサルトをして成功。周囲の生徒からざわめきと賞賛の声が上がった。リクエストに応えるかたちで、2回目に跳び箱の上に立ち、シューティングスタープレスをして回転しきれず失敗
直後、マットの上で、「身体が動かない」と話していた。3週間後に亡くなる。
学校・ほかの対応 学校は両親に「跳び箱から落ちました」と伝えただけで、詳しい経緯説明は一切なかった。

教員らは毎日、交代で病院に見舞いに来たが、
来訪したということを伝えるためだけに、集中治療室の大地くんに付き添っている両親をわざわざ呼びだした。

教師たちは生徒に、「事故のことは誰にも、家族にも一切しゃべってはいけない」と口止めをした(生徒たちの証言を教師は裁判で否定)


7/12 遺族も参列して「お別れ会」を開催。しかし、これで区切りを付けて、全て忘れて次にいこうという雰囲気だった。

卒業式で、大地くんのことは一言も触れられなかった。学校側は卒業アルバムに大地くんの写真を載せないつもりでいたが、生徒たちの発議で載せることになった。
担当教師の言動 6/29 葬儀の日、病院から遺体が届き、慰問に訪れた生徒たちが悲しみで動けないほどのショックを受けているなか、K教師はまるで他人ごとのように生徒の交通整理に当たっていた。

授業中の事故死であるにもかかわらず、大地くん死亡後も謝罪の言葉はなく、両親が校長に心情を訴える手紙を出してようやく、7月23日になって初めて担当教諭が、「謝っていなかったといわれるので、謝りにきました」と訪問。

遺族の目には、教師の言動から、教え子が自分の指導のもと目の前で事故にあい、死亡したということの痛みが感じとれない。

1994/7 教頭試験を受験する。

1997年には、教頭に出世。
調 査 事故原因究明は、定期試験に支障が出るという理由で、生徒からの事情聴取を控えているといわれ、事故状況の詳しい説明はなかった報告がなかったため、遺族が3度にわたり、学校に質問状を提出。現場検証を何度も強く要望したが、「必要ない」として拒否。

6/22 教育委員会の来訪に合わせて、事故当時と同じように器具を並べる、事故を目視していなかった体育のK教師が説明をする形で、現場検証を実施。(遺族が質問状の形で出した手紙に、「現場検証をする機会があれば、ぜひ立ち会いたい」と書いているにもかかわらず、知らされなかった)

当事者であるにもかかわらず、生徒への聞き取り調査などは、体育のK教師が行った。事故当時、一番近くにいた3名からのみ事情を聴く。(聞き取り調査書類や報告書などはなし)

生徒が遺族に事故当時、大地くんがプロレス技を真似て、ふざけて跳んでいて、2度目に事故にあったことを告白。それを受けて、父親が学校に「大地は課題以外のことをやっていて事故にあったのではないのですか?」と尋ねる。


7/13 教師が連れだって戸塚家を訪問。「事実は間違っていました」と報告。大地くんが課題以外のことをやっていたということで、一方的に責任を押しつけられる。(これが初めての学校側の詳しい説明となる)

教育委員会に呼ばれたり、来訪した委員に校内で説明したことはあっても、なぜ事故が起こったか、今後の予防策などの検討は一切していない。
事故報告書 遺族が事故説明と現場検証を求めて3度質問状を提出。

3回目に「事故報告書」が欲しいと要望したことに対して、学校は「すでに学校の手を離れているので、市の情報公開制度をつかうように」と回答。

情報開示請求
を行った結果、6/10付けで教育委員会に対する事故報告書が提出されていたことが判明。その後も何回かにわたり提出している。報告書には、「事故発生状況を説明するとともに、丁寧に謝罪する」とあるが、実際には説明も謝罪もなかった。
教育委員会の対応 学校、教育委員会と遺族との話し合いの席で、指導室長は遺族らに向かって「14歳にもなって、分別もある年頃なのにこういうことになって、国分寺市の教育委員会は他市よりも事故が多い。何をしているのかと言われて迷惑している」という趣旨の発言をする。
裁 判 遺族が、授業中の安全指導に問題があったとして、国分寺市を提訴。

そのなかで遺族は以下のことを訴えたいとした。
(1)学校で事故があった場合、事故原因を追求し、学校が主体となって家族への報告をするべきである。 
(2)学校の授業現場で子どもの命が失われたことに対して、教諭と親で悲しみを共有すべきではないか。 
(3)事故をふまえて二度とおこらないために再発防止をするべき
現場検証 民事訴訟になって初めて裁判所命令で、遺族立会のもと、事故を目撃した当時の生徒たち数名を交えて現場検証が行われる。

学校側の事故報告書に誤りのあることが判明。大地くんは最初、うつぶせに倒れていたのを、最初に駆けつけた生徒が仰向けにした。そのあと生徒に呼ばれて、K教師が駆けつけたことが判明。
また、現場検証で新たに、教師の位置から大地くんのいた跳び箱までよく見渡せたこと、しかしマット運動の採点中で下を向いていたなら見えなかったであろうこと、8段の跳び箱の上に人が立てば、かなり目立つことなどがわかった。
裁判での証言
(元生徒)
成人した当時の同級生3人が証人として出廷。(6人が陳述書を提出)

体育の時間は、ふざけていてもなにも注意も受けたことがない。そのため、何人かが途中で隠れてさぼっているようなこともあった。授業中、生徒がザワザワしていても、(教師は)関心がなく、なまぬるくやっていた。
体育の担当教師は、いつも下を向いて何か書いていた。
事故のときも、大地くんは跳び箱の上に立ち、周囲は拍手をしたりしていたが、事故が起きたことを生徒が知らせるまで教師は気付かなかった。
被告の言い分
(体育指導教師)
生徒が死亡したことは申し訳ないが、通常の授業に関しては指導方法等に間違いはなく、責任がない。一度に三種目の器械体操をさせることも、一人で十分に全体を見渡すことができるので、問題はなかった。安全対策としては、グループ編成のなかで、互いに安全を確認させていた。(事故当日は、マットのテスト中であったため、グループ形態が崩れていた)また、授業は新たな技術に挑戦するものではなく、できることを行う授業だったため、安全に対する不安はなかった。

大地くんの死亡事故後も、進行中の体育の授業については
今まで通りの指導方法を続けた。次年時からは、より安全をきすために、器械体操は1時限に1種目ずつ行うよう、同中の体育教師で話しあってやり方を変えた。

生徒指導は厳しくやっていた。
事故が起きたときは、今日の法廷のように静まりかえっていた。
生徒が事実に反することを証言(いつも騒がしかった、注意されなかった)したのは、大地くんと親しいグループであったことと、日頃、厳しい生徒指導をしていたことへの反感からだと思う。
裁判での証言
(その他)
大地くんが2年生のとき、別の体育の教師の指導もとで、学校で指定されていた白い体操着を着用せず、黒いTシャツを着てきたため、1年間、体育の授業を受けさせてもらえなかった。そのため、技術的にはたいへん優れていたがその年の体育の成績は「1」だった。学校は家庭には連絡をせず、裁判のなかで、被告弁護士から「両親はこのことを知っているのか」と問い質されてはじめて知る。
裁判過程で新たに判明した事実 当時、体育の授業にはティーム・ティーチングのための加配教員がいたが、女子の体育にだけつけており、男子にはつけていなかった。(後に、元女子生徒たちにとったアンケートで、女子の体育授業に加配教員がついていなかったと回答した全員が答えた。元教師の話では、単に雑用などのために教師を増員してもらう口実で、国分寺市ではTTを申請理由としていたという

8段という高さの跳び箱は、器械体操のそれまでの授業では一度も出されたことがなく、この日の授業(マットのテスト日)で初めて出された。(ムーンサルトやシューティングスタープレスは一度8段の跳び箱の上に立ち上がって始める。8段の高さがあってはじめて行える技)

K教師は、課題内容に、中学校体育において最も難度の高い技のひとつとされる前方倒立回転跳び等のC難度の技を取り入れており、大地くんを含む数名の生徒が挑戦していた。
判 決 2002/2/7 提訴から3年4か月目の八王子地裁で、「棄却」判決。

生徒の証言を全て「信用できない」とし、教師・学校側の言い分のみを認める。原告側の主張する安全配慮義務、事前注意義務、事後報告義務など全て、学校側はそれなりの責任を果たしていたとした。
事故の原因を、全体が見渡せる位置で、教師が生徒たちの目配りしていたにもかかわらず、大地くんが担当教師に見つからないように目を盗んで行った危険な行為の結果であるとして、教師に責任を問えないとした。(詳細は「わたしの雑記帳」2002/2/8付を参照)
控 訴 2002/2/ 遺族は、判決に納得がいかないとして「控訴」。
高 裁  2002/10/29 市が原告側に慰謝料等を支払い、指導教師の責任とともに、大地くんの過失を4割認めることで、和解が成立。(「和解案」参照
その後 2002/10 和解が成立したことを受けて、和解には再発防止策は含まれていないが、国分寺市教委は「学校生活で二度とこのようなことを起こしてはならない」として、市内の市立小中学校に再発防止策を通達する準備を始めた。
裁判経過
私見・その他
当サイトの「わたしの雑記帳」参照。
me001123 me001206 me001214 me010309 me010517 me010712 me020208 me020410 me020502 me020516 me020704  
参考資料 「大地の裁判通信」/戸塚弘・ひろみ発行、裁判傍聴、遺族の話、最終準備書面2002/10/29讀賣新聞



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