わたしの雑記帳

2001/3/9 戸塚さんの裁判(3/8)の報告


体力的にまだちょっと不安を抱えつつ、3月8日の八王子地裁の裁判の傍聴に行ってきました。
今回は、前回に引き続き、当時の体育教師の尋問と、元校長への尋問。
傍聴席は、過半数以上を背広を着た学校関係者が占めていた。

K教師は前回、「生徒たちの証言は根も葉もないことだ、彼らに対して、厳しい生活指導を行ったりしたので、それを恨んでの証言ではないか」と言った。(実際に指導を受けたことがあるのは3人中1人のみ)
また、生徒たちが証言するように、「いつも下を向いて何かを書いていた」ということは、「事実無根」「全くない」と言うことだった。

ただ、3人の元生徒を証言に呼んだことの妥当性については、事故当時、この3人が大地くんの一番近くにいたこと、当時、事故についての聞き取りもこの3人にしか行われていないことが確認された。
当時は、3人がK教師に対して反感をもっているとは感じられなかったが、この前の証言を聞いて初めて、そう思ったと言う。

また、体育に授業の加配要員を申請していたにもかかわらず、女子の体育授業のみにつけていたこと、その理由が、女子の体育教師が講師であったためで、男子につけようと思ったことはない、などということがわかった。
(器械体操は十分危険が予想される。まして男子は女子以上に。もしも、事故当時、加配教員があの場にいたら、監視の目が行き届き、事故は起こらずにすんだかもしれない。)

続いて、元校長への尋問。
どうも、要領を得ないというか、原告の印象的には、当時と変わらないという。

命にかかわる事故が起こったことに対して、どう思ったかの質問に、「困ったな」と思ったと答えた。そのあとに、怪我をしたりして、責任を感じる、辛いこと、残念だなどと言葉を並べた。
そして、「きちんと決められたことをやっていても事故は起こるのだなあ」と思ったと。

事故発生後の対応については、「誠意をつくす」「残った子どもたちが動揺しないように考えた」「二度と同じ事故が起こらないように」と、言葉は並ぶが具体的にとられた行動については、言葉が出てこない。
「器具などの破損も考えられるからマットを調べた」「K先生から話しを聞いた」などのみ。

一方で、遺族への説明や報告について、「報告されていると思っていた」と言い、6月10日の教育委員会に提出した事故報告書には、「事故の発生状況を説明し、学校として謝罪した」と確認もせずに憶測で書いたことを認めた。
そして、今まで一度として、両親に対して事故の状況をきちんと説明する機会を設けていなかったにかかわらず、生徒の期末テスト後、3人から事情を聴いて、大地くんが課題以外のことをやっていたとわかった途端、4人もの教師が連れだって、戸塚家を訪問して、事故原因を報告している。

事故原因がわかって、両親を責めることになるので、心苦しかったと校長は言った。
しかし、課題以外のことをやっていて事故にあった、そのことがなぜ両親を責めることに直結するのだろうか?
2度も続けて課題以外の跳び方をやっていた、見晴らしのいい体育館のなかで、跳び箱の8段のその上に立っていたことにも全く気づかなかった、事故が起きて、生徒に呼ばれて初めて事故に気づいた教師の過失というものには、一切思いがいかないらしい。
「みんなが整然と練習していた中で、大地くんだけがふざけていて事故にあったと思っているのか」の問いに「そうだ」と答えた。

「今日の法廷のように静かだった」と言った体育のK教師。本当に?
生徒たちは拍手喝采していたと言う。いつも、ふざけていても何も言われなかったと言っている。体育館の道具入れの中に隠れてさぼっていたこともあったと言った。生徒の体操着の色ですら勘違いして覚えていた体育の教師。生徒に関心が向いていなかったのではないか、いつも下を向いて書き物をていたのは、来るべき教頭試験に没頭していたのではないか。

そして、事故原因の聞き取り調査は、体育のK教師と、学年主任の2人が行っている。
当事者である、いわば過失があったかもしれないその教師自身に調査を行わせている。そんな教師に直接、聴かれて、生徒は何を答えるだろう。教師に不利なことを答えることができるだろうか。
それに対して、「人数がいなかったから」と校長は答えた。

教育委員会に向けては3回も報告書を出しているが、両親には出していない。両親は学校からの報告を待っていることには思いは至らなかったのかの問いに「そうだ」と言う。

事故対策委員会を設けたというが、調査をしたのは、当事者である体育担当教師と学年主任のみ。そして、聞き取りの調査票もなければ、委員会がなにをしたかの記録は何もない。

担当教師と校長の尋問を聴いていて、そこには、一人の生徒の命を亡くしたという痛みも重みも何も感じられなかった。ただ、淡々と事実を述べるだけ。保身に走っているという印象すらない。
生徒一人が死んで、「困ったことになった」ただそれだけ。面倒なことになったという思いしか感じられない。ひと一人の命がどんなにかけがえのないものであったか、それをどうしたら失わずにすんだのか、懺悔も後悔もない。

親は学校を信じて、子どもの全てを託していたというのに。そして、命が失われたことに対して、どれだけ悔やんでも悔やみきれない思いをしたというのに。
亡くなった当時は、泣いてばかりいたというお母さん。どこにその思いをぶつけてよいかわからず・・・。
そして今も、息子の死をけっして無駄にはしたくないと、自分には何ができるだろうかと模索している。

学校には、教師には、血が通っていないのだろうか。そんな学校に、子どもたちに対して命の大切さを教えることができるだろうか。子どもたちが死に急ぐのを止められるだろうか。
命を預かっているという自覚すらない。子どもを殺したという自覚すらない。
当然、二度と再び同じ悲劇がおこらないようになどと、真剣に取り組んだとは思えない。

証言を通して、生徒たちには血が、心が通っていたことがわかった。彼らは大地くんの死を悲しみ、それを口に出せないで来たことに傷ついていた。両親の悲しみを思いやる暖かい心を持ち合わせていた。
比べて、大人たちの心のなんと寒々しいことだろう。味気ないことだろう。
こんな大人たちが今も、教育の現場で、生徒たちを束ねているのだ。親は子どもたちを預けているのだ。

次回は、5月17日(木)1時30分から。
引き続き、元校長の尋問と、原告(戸塚大地くんのお母さん)の証言に移る。いよいよクライマックスとなる。原告らの思いを裁判長がきちんと受け止めてくれることを祈らずにはいられない。

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