わたしの雑記帳

2011/1/17 少年院出身者の全国サポートネットワーク「セカンドチャンス!」設立記念イベント (1/19一部追記)

2011年1月15日(土)、16日(日)、東京池袋の立教大学池袋キャンパスで、少年院出身者の全国サポートネットワーク「セカンドチャンス!」(http://secondchance1.blog37.fc2.com/)設立記念イベントが行われた。

内容は、
1月15日(土)は、オープニングセッション「 セカンドチャンス!設立の趣旨と経緯」。
基調講演1は、ゲストスピーカー:シャッド・マルナさんの話。(クイーンズ大学ベルファスト校教授(北アイルランド)。犯罪者の立ち直りに関する専門家。リヴァプールの犯罪者をインタビューし、 立ち直った犯罪者と犯罪を続けている犯罪者の違いを描きだした好著、『まき直し(Making Good)』 でアメリカ犯罪学会賞を受賞。)
メインセッション1で、「当事者が語ることの意味: 自分の当事者から社会の当事者へ」では、 川嵜竜希さん(少年院出院者の元プロボクサー。元暴力団員で、十代で二度の少年院を経験。少年院出院後、ボクシング、恋人、家族の支えにより立ち直る。現在は飲食店で働く傍ら、格闘技ジムで指導をしている。また、少年院での講演活動も積極的に行っている。)と、出院者たちの話。

1月16日(日)は、朝9時からで、基調講演2は、ゲストスピーカー:クリスター・カールソンさん(刑務所出所者による支援組織・KRIS理事長(スウェーデン)。30年の服役を終え、三人の仲間とともに、KRISを立ち上げ た。KRISは、現在、スウェーデンに29の支部、5500人の会員を有する。)
メインセッション2で、「社会の理解をどのように深めるか」。セカンドチャンスの当事者とサポートメンバーたちの話。
午後からは6つの分科会に分かれた。すなわち、「 出会いと居場所の大切さ」、「少年はいつ立ち直るか」、「少年院の処遇に対する「セカンドチャンス!」のかかわり方」、「当事者組織と多機関・団体連携」、「少年院…家族の思いや不安を語り合う」、「もう刑務所には戻らない:成人当事者の支援組織レガーロ」 。
そして、 クロージングセッションで、各分科会内容の発表とまとめ。


私は事前申し込みをして、両日に参加。分科会は「少年はいつ立ち直るか」に参加した。
ただし、関係者、事前登録のあった報道関係者以外の録音は禁止で、個別発言の内容も会場だけにとどめてほしいということだったので、ここでも個別の発言についてはできるだけ差し控えたいと思う。
以下は、いろんなひとの話をきくなかで、印象に残った言葉や気付いたこと、考えたことなどを簡単にまとめた。自分自身の備忘メモのようなものだと思ってほしい。


●「犯罪をおかした動機」
ひとそれぞれだったが、次のようなものがあった。
・勉強やスポーツで目立てなかった。悪いことをすると注目された。不良がかっこいいと思っていた。
・不良仲間が、自分の居場所だった。
・親が離婚したりして、さみしかった。
・貧乏だったから、他人がうらやましかった。ねたみがあった。
・怖いもの知らずだった。

親が酒を飲んで暴力をふるったというものもあったが、「家庭には問題がなかった」というひともいた。
児童自立支援施設のひとの話でも、 全国の児童自立施設の65パーセント以上が虐待を受けた子どもたちで占められており、国立では80パーセント以上いるという。
その割には、セカンドチャンスのメンバーに親に暴力を振るわれ続けて育ったというひとが少なかったのは、親の愛情を感じることができた人間のほうが、より早い段階で立ち直りやすいのではないかと思う。

能力主義によって子どもたちに植え付けられた劣等感。誰かに自分を見てほしい。他人から認められたい。自分を認めてくれる居場所がほしいという、子どもたちの切実な思いを感じた。


●多くの少年が再犯を繰り返していた。
その理由として、
・少年院のなかより、出てからのほうがたいへん。
・孤独感から、昔の仲間と会ってしまった。
・薬物依存。
・自分はいらない人間だと思った。自暴自棄。
などがあった。

海外での調査でも、出所後48時間以内に再犯する率が高いという。
スウェーデンの刑務所出所者による支援組織クリスは、刑務所に出所者を迎えに行き、その後の生活が軌道に乗るまで、マンツーマンできめ細かくサポートしているという。今や、6000人の出所者をサポート。どこに行っても出所者の居場所が確保されているという。そして、犯罪者個人への公的資金の導入。

セカンドチャンスの当事者からも、少年院のなかで、固く決心していたことが、出院して1日で、さみしくて崩れてしまった。昔の仲間に会いに行ってしまったと聞いた。
受け皿がないと、自分の居場所がないから、もとの場所に戻ってしまう。
あるいは、暴力団組織や非行グループから、抜け出すときの報復が怖くて、戻ってしまうものもいるという。薬物依存から抜け出ることのむずかしさも語られた。
少年院や刑務所を出てすぐの支援の大切さを感じた。
大人では、とくに高齢者の場合、生活の困窮が再犯に結びつく確率も高いと聞いている。刑務所を出ても、頼れる親族もいない、家もない、職もない。犯罪に手を染めなければ食べていけない。刑務所のほうがましと思うから、犯罪をしてでも戻りたいと思う。

少年の場合、大人と比べて、出てからの選択肢は無数にある。ただし、情報が少ない。行き渡っていない。
今は、保護司だけでなく、BBSやダルク、セカンドチャンスのような組織が、全国的にある。つながることができたひとは幸いだと思う。

特に必要なサポートは、心の居場所づくり。
非行に至るまでに気持ちを否定されてきた。理解されているという感情が必要。
少年院の中も厳しくて辛かったが、出てからがもっとつらい。居場所がない。自分なんていないほうがいいと思ってしまう。
ぐちをこぼしたくても、少年院の職員にも言えない。「つらい」と言えば、「当然だ」 「当然のむくいだ」と言われる。
当事者同士は、今まで語れなかった本音が語れる。また、同じ経験をしたひとの話は、素直にきくことができる。


●立ち直ったきっかけは、
・子どもができた
・母親が「命」について話してくれた。
・何度も裏切っている自分を、それでも信じてくれるひとがいた。
・何のために生まれてきたのかと、自分に問うようになった。
・自分を頼りにしてくれる人がいた。
・親の病気を知って、安心させなければと思った。
・ダルクで薬物から離れられた。
・自分を応援してくれる人たちとの出会い。
・宗教に出会った。
など。

更生を周囲が押し付けようとしても、結局、本人がその気にならなければ、無理だということ。逆に本人が更生する気になったときに、サポートしてくれる人たちがいれば、更生できるということを感じた。
更生は他人の尺度では測れない。本人が自分で決めること。

また、非行少年の親たちの会から、親の辛さも聞いた。周囲から「育て方が悪かった」と責められる。でも、自分ではどうしていいかわからない。「早く死ねばよかった」と思う。
少年たちが、親たちの会と接することで、互いの気持ちがわかりあえた部分もあるという。
自分の親より、かえって他人の親だからこそ、素直に言える。他人だからこそ、思い切って聴ける、本音が語れるという面もあるのだと思う。


シャッド・マルナ氏の「やり直し」という本には、立ち直った犯罪者と、まだ現役の犯罪者との違いは、
@本物の私は磨けば光るダイヤモンドの原石であると発見していること。
A自らの運命を支配できるという「楽観主義」をもっていること。
B社会(とりわけ次の世代)にお返しをしたいという気持ちをもっていること。
の3点で共通
するという。
少年院出身者の話からも、共通するものを感じた。
そして実際、今の彼らを見て、なるほどダイヤモンドの原石だったんだと感じた。


●少年院に入ってよかったと思うことは、
・あいさつができるようになるなど、社会人としての基本動作が身に着いた、
・内省の習慣がついた。
・自分のことを真剣に考えてくれる信頼できる大人と出会えた。
・手紙を書くことを覚えた。
・反省できる自分が好きになれた。

こうしてプラスに考えられる彼らだからこそ、立ち直れたのだと思う。
そして、信頼できる大人との出会いの大切さ。家庭で、学校で、もし巡り合えていたら、少年院に行かないですんだかもしれない。被害者も、加害者も生み出さずにすんだかもしれない。
何よりも大人たちの無関心が、犯罪少年たちを生み出しているのだと思う。
「愛の反対は無関心」。マザーテレサの言葉が改めて思い起こされる。
当日は、元少年たちが出た少年院からも職員の方たちが参加していた。報道などで、院内虐待があることも知っている。
院内虐待を受けた子どもたちは、はたして無事、更生できただろうかと気になる。

「辛い過去を消すことはできないが、見直すことはできる。」という言葉を聞いた。少年院が、辛い過去を見直すことのできる場所になってほしいと願う。


●支援組織の在り方について、
あくまで主役は当事者であるべきで、周囲はそれをサポートする。
セカンドチャンス設立のきっかけは、スウェーデンの「KRIS」という団体の存在を知ったことだと言う。

2日目のゲスト・スピーカーのクリスター・カールソンさんの話は私自身も大きな希望に感じられた。
34年間薬物依存者であらゆる薬物を乱用。53回の判決を裁判所で受けている。すなわち、それだけ再犯を繰り返し、誰も彼を立ち直らせることができなかった。あらゆる教育プログラムは役に立たず、矯正局も「今まで十分な機会があった」としてさじを投げた。
その彼が、さじを投げられて逆に一念発起。自ら犯罪者が社会復帰する助けをするNGOを仲間と立ち上げ、成功した。
犯罪者の更生に何がいちばん必要かを誰よりもよく知っていた。
他の施設との違いを次のように話した。
・自分たちには犯罪者としての経験があり、新入会員が親和しやすい。
・自分たちが他の犯罪者の復帰モデルになれる。
・組織は単純だが、厳しい原則に基づいている。すなわち、@正直であること、A薬物離脱、B奉仕意識。
・毎日24時間の無償対応。

クリスが実践していることは
・定期的な刑務所への面会。更生の意思のあるひとはここで、クリスとつながれる。
・釈放された服役者の出迎え
・マンツーマンの支援体制。同じような体験をした古い会員が新しい会員と一緒に生活しながら24時間援助や助言を行う。
・公的機関との関係を密にする。ハンディキャップをもった元犯罪者に対して、公的機関の援助が必要。公的窓口にも同行する。元犯罪者は話し方も、自分たちの権利についても知らないので、教えていく。
・集まれる場所を提供し、新たな友情と親密な関係をつくることで、昔からの人間関係から離れることができる。
出所者は、クリスで社会適応の仕方を学ぶという。


●被害者について
元少年たちは、反省や謝罪の気持ちを表すひともいたが、みな多くは語らなかった。
被害者と向き合うことについて、支援者のなかには、加害者も傷ついているから、被害者とすぐに向き合わせることがよいとは思わないという話も出た。周囲は加害少年に、すぐに謝れ、反省しろと言われるが、加害者の立ち直りには、時間的落差があるという。
また、人権派の弁護士さんからは、被害者に「がんばって生きてほしい」とやさしい言葉を掛けられたことが更生のきっかけになった子どもの話が出た。

話を聞いて、もちろん、わかる部分もある。少年たちは、その未熟さゆえに、すぐには「悪いことをした」という実感さえ持てない子どもも多くいる。そんな少年に会っても、被害者の怒りは増す、傷つくだけだ。
しかし、ならば被害者や遺族はいつまで待てばよいのだろう。何も言わずに待ち続ければ、いつかりっぱに更生した相手から、心からの謝罪を受けられる日は来るのだろうか。
その間に、二重、三重に傷つけられていく被害者の気持ちはどうなるのだろう。

被害にあった人たち、子どもを亡くした人たちは、最初は、相手が謝りに来ても、会ってやるものか、絶対許さないと思う。
しかし、いくら待っても親も本人も謝罪にさえ来ない。
少年事件の法廷では、少年は「親に迷惑をかけた」「すまない」と涙し、「申し訳ありませんでした」と親子で裁判官に頭を下げる。それを見て、裁判官は本人も反省しているようだから、今回は大目に見ましょうという。
そして再犯。何度でもやり直しがきくことが大切だと言う。

たしかに、更生をあきらめてしまうより、何度失敗しても、あきらめないでほしいと思う。
しかし、亡くなった被害者は二度とやり直しはきかない。奪われたものは、簡単には返らない。
犯罪被害が、そのひとの人生や周囲の人間の人生をすっかり変えてしまうこともある。
それを考えたら、与えられたやり直しのチャンスをいい加減な気持ちで、無駄にはしてほしくない。同じ犠牲者を増やしてほしくない。

少年のころは、「当たり前の、普通の暮らしがいい」とは思えなかった。それが今、その当たり前の暮らしのありがたみがわかるようになったと出院者がいう。
それは、被害者も同じ。もしくはもっと切実だと思う。被害の大きさによっては、働いて、恋人と出会って、結婚して、子どもを産み育てていくという生活を望むことさえ困難となる。

「加害者の更生に使われるのはまっびらごめん」「幸せになどなってほしくない」。そんな声も被害者から聞いてきた。
自分がその身になったら、怒りの感情は当然だと思う。
「罪を憎んでひとを憎まず」なんて心境にはなれないと思う。
また、あるべき被害者の姿を勝手に押し付け、被害者が当たり前に持つ、これらの感情を否定すべきではないと思う。

被害者を加害者の更生に利用すべきではないかもしれない。
しかし、被害者の存在を抜きにした更生は、どこか嘘くささを感じてしまう。

自分のことしか考えていないから、加害行為が行われる。そして、立ち直ったと言っても、まだ、自分のことばかり。それでよいのだろうか。
そして、罪の重さを抱え続けることと、幸せになることとはけっして矛盾することではないと思う。
もちろん、能天気な幸せは望めないと思うが。

被害者の存在が完全に忘れ去られている。
被害者にスポットがあてられてきたと言っても、世間の注目を浴びるような大きな事件のみ。それも事件発生直後の一時でしかない。言いたいことが言えない。聞きたいことが聞けない。教えてほしいことを教えてもらえない。
あげく、少年の立ち直りにとって邪魔だとまで言われる。

被害者と加害者はある面で、とても似ている。
「非行の場面では加害者だが、それまでの人生では被害者」という弁護士さんの言葉が象徴していると思う。
誰も辛さをわかってくれない孤独感。レッテルを貼られること。偏見にさらされること。経済的にも、精神的にも、たいへんな状況になのに、十分な支援がないこと。死にたい気持ちを抱えて何とか生きていること。
会場の被害者からも発言があった。どちらにも支援が必要で、どちらも不足している。
ただひとつ、言いたいのは、加害者には選択権があった。被害者には選択権はなかったということ。
そういう意味でも、やはり被害者の気持ちをより優先させてほしいと思う。

加害者と被害者が正面から向き合うことの課題は多い。
まだ加害者の更生に向けてのアプローチは走り始めたばかりで、被害者と向き合ったケースが少ないから、その是非を議論することさえできないのではないかと思う。
被害者と加害者を別々に考えるのではなく、互いに理解しあうこと、一緒に考えることも必要だと思う。
日本も、そろそろその時期に来ているのではないだろうか。


この2日間で、いちばん印象に残ったのは、「当事者こそが一番の専門家」という言葉。
加害者にも、被害者にも当てはまると思う。
そして、私自身の経験から言えば、当事者が専門家と出会うことで、もっと広い見方、違う見方ができるようになる。自分の経験を超えた知恵がそこから生まれると思う。
だからこそ、多くのひととのつながりが大切だと思える。


盛りだくさんだったが、とても有意義な2日間だった。
組織はつくるときより、続けることのほうがたいへん。これからも、頑張ってほしい。

「セカンドチャンス! ―人生が変わった少年院出院者たち―」/セカンドチャンス編/新化学出版社(1500円+税)は、お勧め。


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