わたしの雑記帳

2008/5/18 「あぶない!の化学 −子どもの事故予防に向けたシンポジウム−」に参加して、考えたこと。


2008年5月18日(日) 六本木アカデミーヒルズ49階タワーホールにて開催された、経済産業省安全知識循環型社会構築事業「あぶない!の化学 −子どもの事故予防に向けたシンポジウム−」に参加した。
「子どもの事故防止」に関しては、子どもの事故予防工学カウンシル(CIPEC)代表の小児科医・山中龍宏先生の話を何度か聞いたことがある。ただでさえ忙しい小児科医が、事故防止に向けてここまで真剣に取り組んでこられたことを本当にすごいと思う。
それがようやく実を結んで、国土交通省や大学、企業まで巻き込んで、ひとつの形になりつつある。

もっとも、1960年以降、0歳を除いた1歳〜19歳の子どもの死因の第1位を占めているのが「不慮の事故」。病死よりも高い。
しかも、毎年のように、同じ事故が起きつづけている。
子どもの事故と医療機関との連携は実に大きな意味がある。子どもは年がら年中けがをする。しかし、そのなかでも医療機関にかかるというのは、重症度が高いことを意味している。
すべての事故を予防することは不可能だ。しかも、子どもの成長には、小さなけがをすることは危険回避のために必要な経験知となる。しかし、命にかかわる、もしくは障がいが残るようなけがは避けなければならない。
そこで今回は、救急部にて調査した子どもの事故の第1位65%を占めた頭へのけがと、第2位10.4%を占めた手・指・手首へのけがに焦点をあてて、企業と連携しながら、様々な予防のための取組が紹介された。

子どもの事故といじめ問題。とても共通点があると感じる。
子どもが死に続けているにもかかわらず、国は縦割り行政で誰も責任を取らず、そして、通達を出すだけで、真剣に事故防止に取り組んでこなかった。少子化を問題にしながら、子どもが傷つき、死に続けていることを問題にしない。
システムの問題ではなく、子ども自身やその親の問題とされてきた。また、被災者やその親も自分の責任のように感じてきた。

なぜ、同じ事故がおき続けているのか。その主な原因は、
@情報が集まらない。
A分からない(知識化できない)
B伝わらない(現場に)



山中先生は、コツコツと事故の情報を集めてきた。しかし、いくら情報を集めても予防にはつながらなかったという。
予防につながる情報を集めなければ意味がない
という。
その予防につながるデータにするためには、詳しい発生状況を知ることが不可欠であるという。
実際に保護者に事故の状況の聞き取りをする。そのとき大切なのは、見たことと、推測とを分けること。
@子どもの目線になって、正しく、具体的に事故の状況を把握すること。
A具体的な状況を掴んだら、情報を整理する。
B必要な情報を確認する。

そして、事故情報を安全知識に変えること。次の事故を防ぐための情報を社会に知らせていくこと。

私は、学校事故・事件のことを約10年やってきて、やはり学校にひきつけて、この問題を考えてしまう。
現在、学校管理下の事故は日本体育・学校センターが収集し、毎年、冊子として出版されている。私も何冊かは持っている。
しかし、山中先生が書かれているように、「それは単なる事故の羅列であり、事故予防のための分析は行われていない」。
私自身、読んでいて、臨場感がない。おそらく、学校側が災害共済給付(医療費、障がい見舞金または死亡見舞金)を申請するために書く書類をまとめていることから、最初から事故防止のための情報収集という観点がないのだと思う。
また、給付のための書類ということもあって、学校の担当者が書く。その内容は事故当事者や目撃者、親に見せられることもなく、また、きちんとした情報収集もなされていない。

いじめ問題も全く同じで、文科省の統計も、単なる統計のためのデータ収集であり、膨大な時間と予算をかけながら、肝心の防止目的は明確には打ち出されていない。
山中先生の言う、「子どもの目線」「正しく」「具体的に」の全てが欠落している。それをチェックする機関もない。

いじめ問題の情報収集に関しては1994年11月27日にいじめ自殺した大河内清輝くんの事件とその後も続いたいじめ自殺を受けて、文部科学省所轄の特殊法人・国立教育会館のいじめ問題対策情報センターがつくられた。
全国の学校のいじめ情報がここには集まると当時の新聞には載っていた。しかし、せっかく集められた具体的な情報に一般の人間はアクセスできない。学校や教育委員会に限られているという。
このことも、事故再発防止のための、「事故情報を安全知識に変えること」「次の事故を防ぐための情報を社会に知らせていくこと」がなされていない。
しかも、7年連続いじめ自殺ゼロに対して、同センターは何をしていたのだろう。
いじめ自殺は、いじめのなかでも、子どもの死にかかわる最重要課題であるはずだ。まして、自殺事件をきっかけにしてつくられたセンターであるならば。
センターには、自殺につながったいじめの情報がどれほど収集され、それは、どのように活用されてきたのだろうか。政策に反映されてきたのだろうか。

文部科学省所轄の特殊法人のセンターとなれば、運営資金はおそらく税金でまかなわれていると思う。にもかかわらず、機能していないとしたら、単なるいじめ問題への取組のアリバイづくりや、教育公務員らの天下りとしての機能しかないのではないかと疑いたくもなる(文科省は天下りにおいても、たしかかなり上位を占めていたはず)。とくに、昨今の道路特定財源や年金の使われ方のいい加減さが次々と明らかになるのをみれば。

子どもの大切さ、命の大切さを声高に言いながら、子どもや人の命にかかわることに、予算さえつけようとしない。
人間とは正直なもので、本当に大切に思っているものに、お金をかける。口で言うより、予算の配分を見れば、政府が何をいちばん大切にしているかがわかる。

シンポジウムで配られた「子どもたちを事故から守る 事故事例の分析とその予防策を考える」/子どもの事故予防工学カウンシル(CIPEC)代表の小児科医・山中龍宏 著」に、「死亡率を検討できるのは国レベルだけ」とある。
子どもの事故も、いじめ問題も、国にしかできない対策がある。命にかかわることで、国にしかできないことがあるとしたら、国民の生命・財産を守るべき国が当然、なさなければならないことではないだろうか。
また、事故情報は個人情報保護法の例外規定にあるという。いじめ自殺も、同様に命にかかわることとして、個人情報保護法の例外規定にはならないのだろうか。

不慮の事故に次いで、10歳〜19歳の死因第2位を「自殺」が、「悪性新生物」と争っている。子どもの事故と自殺がなくなれば、子どもの死はもっと避けられる。
とくに19歳以下の自殺を減らすことができれば、20歳〜39歳までの死因第1位である「自殺」にも変化がみられるのではないかと思う。

シンポジウムの内容はとても具体的でわかりやすかった。そして、経済産業省が取り組むことで、大きな連携が期待できる。
各分野の専門家が集まることで、これまで防ぎようの無い事故と思われたものに、具体的な防止策が見えてきた。
産・官・民共働の先進的事例になってほしいと思う。

なお、今回はどちらかと言えば、私自身の備忘メモとして、今回のシンポジウムを通して考えたことを書いた。
シンポジウムの詳細については、キッズデザイン協会 http://www.kidsdesign.jp/ や 事故予防工学カウンシル(CIPEC) http://www.dh.aist.go.jp/projects/child/ のサイトにて。

昨年のシンポジウムの内容は、当サイト内『水泳プール無視された安全管理』/ 林田和行氏 にて。



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