わたしの雑記帳

2007/9/22 杉原賢哉くん(中3・14)自殺事件の傍聴報告と神戸私立高校生いじめ自殺事件について

2007年9月21日(金)、13時15分から、さいたま地裁505号法廷で、杉原賢哉くん(中3・14)自殺事件の民事裁判が行われた。裁判長は近藤壽邦氏。裁判官は河本晶子氏、多々良周作氏。

そろそろ人証調べを始めるにあたって、原告、被告、双方から尋問申請が出された。
被告側は学園理事長と校長を申請。
原告側はかなりの人数を出したとみえて、裁判長から、もっと絞れないかという話が出た。
とりあえず、クラス担任と賢哉くんが盗難事件を目撃したと言っていたときの担当教師の証拠調べをしてはどうかとの提案があった。
原告側は、2人の教師のほかに、賢哉くんが生前、信頼していろいろ相談していたとみられる教師の証人尋問をぜひしてほしいと願い出た。一方で、被告の開智学園側は、教師たちがこの事件のことで精神的にまいっていること、自殺当日以前のことはこの裁判の争点ではないとみているので必要ないと考えるとした。

近藤壽邦裁判長からは、この事件では現場での事実関係を明らかにさせたい旨の発言があり、客観的事実を知らない理事長はむしろ優先順位が低いのではないかと、現場の教師の尋問に意欲を見せた。
結局、次回は進行協議で、どのような順番で、誰を証人として呼ぶかが精査されることになった。

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被告の開智学園側は、自殺当日以前のことは裁判の争点ではないと言った。しかし、杉原さん側が主張しているのは、次の3つ。
1.欠席確認義務違反
2.全容解明義務違反
3.調査報告義務違反

自殺以前のことは、学校での出来事が自殺原因に大いに関係しているのではないかと杉原さん側はみている。そして、それをきちんと調査し保護者に報告しなかったことに対して、調査報告義務違反を問うている。
裁判長はそのことを理解し、自殺前の学校での賢哉くんの様子などを知っていたはずの教師の尋問を重視していると感じた。
被告側が出してきた理事長と校長はあくまで、賢哉くんが亡くなったあとの処理に関わった人たちだ。


その理事長の、原告の訴えに対する反論を書いた陳述書を見せてもらった。
内容的には、

・賢哉くんの自殺の原因について。まったくわからない。しかし、学校に自殺の原因があると思っていないので、対策の手立てはない。この年頃、特有の衝動的自殺ではないか。

・賢哉くんの父親は、自殺原因が学校にあると決め付けている。いじめも疑っているが、教頭に確認した結果、いじめはなかった。Bくんといざこざはあったが、教師が仲直りさせており、いじめではない。

・賢哉くんが目撃したという盗難事件については、被害者に確認したところ「少なくともその時刻とその場所では、A君はお金をとられていないということがA君の証言からわかっている」ので、賢哉くんの見間違い、勘違いである可能性が高い。

・学校から欠席の連絡がなかったことに対しては、連絡があったとしても自殺を防げたかどうかわからない。連絡しても、電話がつながったかどうかもわからない。登下校の生徒所在確認と安全確保の責任は原則として家庭にある。生徒の自主性、自律性を重視しているので、危険があると予見したときや明らかに事故の可能性が大きいとき以外は、緊急に遅刻や欠席の電話連絡をすることはしていない。

・賢哉くんの様子がおかしいと母親が感じていたのなら、親から学校に連絡すればよかった。また、母親は賢哉くんが学校指定の通学靴を履いていかなかったことを知りながら、疑問に思わなかった。賢哉くんと最も近い距離にいる母親が異常をつかんでいなかったということは、自殺の兆候はなかったといえるのではないか。学校側は自殺を予見することは不可能で、遅刻・欠席確認義務違反はなかった。

・盗難事件は生徒の生命、身体、精神等に重大な影響を及ぼす恐れがある場合にはあたらないので、全容解明の義務があったとしても、この件は該当しない。

・学校は捜査機関ではなく教育機関なので限界がある。可能な限りで全容を調査し、原告らに報告している。

などを主張している。

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いろいろと資料をいただいて、私なりに少し、この事件の全容が見えてきた気がする。
もちろん、あくまで私見であり、推測にすぎないことはここに記しておく。


2007年7月3日、兵庫県神戸市須磨区の私立滝川高校で、男子生徒(高3・18)が、校舎から飛び降り自殺した。ズボンのポケットに実名入りで、「金を要求されたが払えない。成績も下がり、死ぬしかない」などと記したメモが残っていた。
もし、私立滝川高校の事件で、詳細を書いた遺書が残されていなかったとしたら、警察やマスコミが動かなかったら、開智学園と同じような経緯をたどったのではないか。

杉原賢哉くんが自ら命を絶ったのは、2006年7月4日だった。1年後の、しかも非常に近い日にちに何か運命めいたものさえ感じてしまう。

滝川高校事件で、学校側は当初、「いじめとして認識していない」と言っていた。さらに、自殺した日の朝に模擬試験の結果発表があったことから、「成績が良くなかったことが自殺の一因」としていた。
そして、学校側はわざわざ遺族に頼んで、葬儀の日に「いちばん親しかった」という理由で、恐喝のリーダー格の同級生に男子生徒の棺を持たせることまでさせていた。

しかし実際には、男子生徒は入学直後から同級生数人に金品を要求されていた。自殺を図る1年ほど前には、担任教師が男子生徒の名前を挙げて「もうこれ以上、彼をいじめるな」と教室で同級生の少年らに注意している場面を複数の生徒が目撃していたという。
また、男子生徒の自殺後も、学校側は加害生徒を含む同級生ら計70人から聞き取りをし、「罰ゲーム」の存在などを把握しながら、「親しい仲間内の冗談」と判断し、県には「いじめはなかった」と報告していた。
恐喝未遂容疑で逮捕された同級生の少年(高3・17)は、別の同級生らと逮捕前、「警察の調べにうそをついてもばれない。なまっちょろいもんや」との内容のメールを携帯電話で回覧していたという。

杉原賢哉くんの場合も、学校側は生徒たちに聞き取り調査もしないうちに即日、教頭の言葉だけを根拠として、「いじめはなかった」と結論づけている。
しかも、直前のテストの結果から、成績不振が自殺の原因ではないかとも掲げている。
滝川高校事件にしろ、他のいじめ自殺にしろ、子どもが自殺に追い込まれるくらい悩んでいるときに、テストの成績がふるうはずがない。勉強など手につかない状態だったろうし、夜も眠れなかったのではないだろうか。

学校側は、いじめはなかったという。賢哉くんの自殺前に、同級生とのトラブルと、盗難現場を賢哉くんが見たという報告があったが、いずれも自殺とは無関係と言う。
しかし、トラブルのあった同級生と、賢哉くんが「ブレザーを触って財布を触っているところを見た」と言っている同級生とは同一人物だという。しかも、賢哉くんが亡くなったあとも、その同級生の名前も、財布から8000円を盗られたという被害生徒の名前も、学校側は遺族や原告弁護士の求めてにも、教えていない。

被害者が、そのときにはブレザーをそこには置いていなかったと証言していることを理由として、賢哉くんの見間違いだとしているが、被害者が8000円盗られたことは否定していない。
7件の盗難事件も、学校ではよくあることで大したことではないとしている。
しかし、生徒から自主的にあがってきた盗難事件が7件ということは、賢哉くんが亡くなったあと、改めて調査をやり直せば、もっと出てくるかもしれない。「盗られる側の不注意」という指導をとっている学校のなかでは、被害届さえ出しづらくて当然であり、氷山の一角である可能性もある。

多くの恐喝事件で、加害者もしくは、いじめの被害者が切羽詰まって、万引きや学校内でロッカー荒らしや体育の授業中に窃盗をしている。金品がなくなるということは、それだけの問題ではなく、生徒の重大な危機に関するサインである可能性は大きい。ニューヨークシティの「割れ窓」理論の応用で、「ゼロトレランス(許容ゼロ)」が叫ばれているなか、危機感がなさすぎる。まして、生徒が自殺に追い込まれているのだ。残された生徒たちのことを考えても、徹底的に調査するのが当然ではないだろうか。

「(盗難の)被害生徒が否定しているのだから」ということを根拠にしているが、もし、そこに不良グループがからんでいるとしたら。まして、賢哉くんが悪口を黒板や机に書かれていると教師に訴え、相手もそれを認め謝罪をさせたという生徒がやったということであれば、被害生徒は自分がいじめや暴力の被害者になるのを恐れて、口をつぐんだとは思わないのだろうか。そして、賢哉くんの訴えに対する教師の対応を見て、「先生は守ってくれない」とあきらめを感じていたとしたら、賢哉くんの自殺後も、訴えることはできないのではないだろうか。

賢哉くんと同級生とのトラブルにしても、私が大人向けの講演で必ず言うことだが、子どもは被害のうちで、もっとも軽い内容、あるいははっきりと証拠のあげやすいものから、大人に訴える。そのときの大人の対応を見て、もっとひどい内容を打ち明けるかどうか判断する。
教師に言ってもまともにとりあってもらえなかった不信感から、再度事情を聞こうという教師に拒否反応を示したのではないか。
滝川高校の事件でも、最初に報道されたいじめの内容は、「恐喝未遂」だった。その後、金額は40〜50万円、使い走りや下半身裸の写真がサイトに掲載されたり、モヒカン刈りにされていたなど、ひどい被害ほど後からわかってくる。
賢哉くんの事件でも、学校がまともに調査をしていたら、もっといろんな事実が出てきたかもしれない。

ほかの恐喝事件でも、被害者が自殺してさえ、警察が入っても深く捜査がされず、被害額が数千円から数万円程度の結論で調査が終了してしまうことが多い。小学生が数十万円の恐喝を行う時代に、中学生、高校生が、小さな額で満足するはずがないと思うのだが。それこそ、少年たちからすれば、、「警察の調べにうそをついてもばれない。なまっちょろいもんや」と多くの少年たちがほくそ笑んで、味を占めては犯罪行為を繰り返していることだろう。

杉原さんの事件では、遺書はなかった。マスコミも、警察も大きくは動かなかった。滝川高校にしても、他の児童生徒の死亡に関する事件においても、いまや学校・教師は警察相手でも平気でうそをつく。それこそ、少年たちと同じように、保身を考え、警察をなめている。
私立学校は、実は、公立学校以上に、学校で事件や事故があったときに、情報が出てこない。教師たちの人事交流がない。国の法的な縛りがない。公立学校以上に地縁がないため、生徒の保護者同士、あるいは遺族と在校生との連絡がとりづらい。学校名で選んで入っていることが多いだけに、公立学校以上に生徒も保護者も校名に傷がつくことを嫌う。
そんななかで、親はどのようにして、わが子の死の真実を知ることができるだろうか。

学校側は、遺族の一方的な思い込みで学校に非があるとされたと主張している。では、誤解だとしたら、それを解くどのような努力をしたのだろうか。遺族が納得のいくような調査をしたか。知りたい情報を開示したか。
学校・教師は保身に走る。そのことはもはや周知のことだ。唯一、信じられるものは、事件直後の生徒たちの生の声だけだ。今までも、多くの事件・事故で遺族の訴えに生徒たちが応えて、ようやく真実がもたらされている。それも、時間がたてば記憶があいまいになったり、周囲の大人たの説得に負けてしまったり、「言えない」雰囲気にのまれてしまったりで、事件の5日から1週間以内でなければ効果は著しく落ちてしまう。
だからこそ、杉原さんも、生徒に直接、話させてほしいと学校に願い出た。しかし、それも「どう話すかは、教育的な判断で学校が決めること」として拒絶されている。

大切な子どもが自ら命を絶った。しかも直前、母親に「盗難事件」について「学校で大変なことが起きている」と話していた。体育の授業中、サッカーのゴールキーパーをして何度もボールをぶつけられ、「わざとかなあ」と話していたという。
多くの事件事例をみてきた私は、もし同じことがわが子に起きたら、やはり学校でのいじめや恐喝グループの横行、隠蔽する教師たちの体質を真っ先に疑うだろう。
民事裁判では、訴えた側に立証責任がある。しかし、学校側は何も情報を出さない。だから、杉原さんは自殺当日に学校側が、3年生になって皆勤だった賢哉くんの欠席確認義務違反をひとつの柱として出さざるを得なかったのだと思う。

子どもが学校や保育施設などで亡くなったとき、そして、何があったかを学校や保育施設が語ろうとしないとき、重大なことを隠していると感じられるとき、親にはいったい何ができるだろう。せめて、亡くなった子どもに何があったか知りたいという、親として当たり前の願いに対して、国は知る術を示してほしい。でなければ、同じ悲劇は起き続けるだろう。嘘が新たな嘘を呼び、どれだけの人たちが二次被害、三次被害を受けるだろう。
子どもの自殺からわずか半年で、遺族が学校を相手に裁判を起こさなければならなかったこと自体、学校側の説明不足、調査報告不足であると認定してほしい。


※ 前回(7/6)の裁判も傍聴しながら、忙しさのなかで結局、報告をサイトにUPすることを断念してしまった。
前々回の傍聴報告は me070419 参照。




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