わたしの雑記帳

2007/5/13 川崎女児いじめPTSD事件の裁判。原告両親の証人尋問

2007年5月10日(木)、午後1時30分から、 横浜地裁川崎支部第一法廷で、平成16年ワ第247号川崎女児いじめPTSD事件の裁判が行われた(駒谷孝雄裁判長・鈴木正紀裁判官・古賀英武裁判官)。
事前に書証として、パスポートが出された。その後、前回(3月1日)の続き、原告・父への被告代理人弁護士からの反対尋問から始まった。
(風邪をひいて薬を飲んでいたので、頭がボーとしており、内容に多少、不確かな部分もあり)

被告弁護士は、何度もK父に、娘のKさんに対して暴力をあるったことはないかと尋ねた。K父は「ない」と答えた。
おそらく、K父が娘へのしつけに厳しいと聞いて、娘をぶったことがあるのではないかと聞くことによって、KさんのPTSDの原因を父親の暴力的なしつけのせいだとすり替えようとしているのではないかと、聞いていて思った。あるいは、K父の人格を貶めることで、裁判官に悪い印象を与えようとしたのかもしれない。
しかし、PTSDが発症するというのは、日常的にそう起こりえることではない。元同級生男児の肉体的な暴力を含むいじめが明らかになっている。逆に、K父が日常的に娘に暴力をふるっていたとしたら、性格がゆがむなどしたとしても、いじめによるPTSDにはならなかったかもしれない。

Kさんは、平成12年の4月以降、赤ちゃん言葉で話したり、はいはいしたり、背中を壁にこすりつけるなどの異常な行動がみられるようになったという。また、いじめについて父親に話したときは、いつもは笑顔の多いKさんが、体全体をふるわせて、大泣きしながら話したという。
Kさんは、中国に一時帰国したときに、北京大学の付属病院で診断を受けている。中国語で書かれた診断名についても、被告弁護士はしつこく聞く。PTSDに当てはまる診断名というが、どのような字を書くのかなど。
中国が精神医学の分野でどの程度発達しているか、私は知らない。診断名のわずかな違いをもって、PTSDには当たらないというつもりなのだろうか。

被告のA・Bに対する認識を聞かれ、K父は「信頼できない」とはっきり言った。
親としての監督責任を果たさなかった。いじめをやめさせると約束したにもかかわらず、約束は守られなかった。謝罪したあとも、いじめが続いた。そして、まるでいじめられている側に非があるかのような誹謗・中傷を流された。
自己中心的、いつもふざけている、親の前ではいい子だがほかではそうではない、金めあてに親が騒いでいる、弟もいじめられていた、暴力夫であるなどなど。それは転校後も続いたという。
大学教授でもあるK父は、Kさんにとっては厳格なちょっと怖い存在なのかもしれない。悪いことをすれば叱られる。しかし、愛情がなければ、わざわざ娘の学校に出向いたりはしないし、保護者と対決したりもしない。母親にすべて任せているだろう。K父からは、子どもへの愛情あふれる父親の姿しか、私には見えてこない。

もし、AやBの家庭が、Kさんのような家庭であったなら、子どもたちはきっと、Kさんをいじめるようなことはしなかっただろう。まして、いじめが発覚し、謝罪したあとも平気で繰り返すようなことは絶対になかっただろう。どちらの家庭に問題があるのか、子どもたちのすることをみればはっきりとわかるはずだ。

また、被告弁護士は、K父の主張する3学期になっても「おまえ、ますます中国人ぽくなった」などという暴言やポールで殴られたことなどは教育委員会・調査委員会の書類には書いていないと言った。
K父は、教育委員会の書類は、膨大な調査資料のうち、10分の1程度しか反映されていないと答えた。いじめの事実も、始めた時点のみ書かれており、継続していた事実が書かれていない。何回も繰り返しあった暴言、たとえば「式」の字を習ったときに「Kの葬式」と書かれたことや、「Kの牛乳はうんこの牛乳」「きたない」などと言われたことは何回もあったが、1回しか書かれていない。いつ、どこであったかは、数え切れない。しかし、かといって内容が不正確なわけではないと話した。


10分少しの休憩をはさんで、原告の森下弁護士からからK母への証人尋問が始まった。
Q:小1から小2までのKさんはどんな子どもだったのか?
A:明るく、元気で、友だちと毎日遊んでいた。学校でも、興味のあることには積極的だった。
担任の指導欄には、交友関係に問題はない、協調性のある子、思いやりのある子と書いていただいていた。

Q:精神科に通っていたようなことは?
A:なかった。

Q:いじめに気づいたのは?
A:3年生の1学期に、Aの母親から、うちの子が「うんこ」とか「ハーフ」とか言ってごめんなさいと言われたのが最初。

Q:「うちの子も元気な子だから、何か言っていると思うし、気にしないで」と言ったことは?
A:そのようなことは言っていない。

Q:いじめを認識したのは?
A:「中国人て悪いの?」と急に聞いたり、友だちと遊ぶ回数が少なくなって、弟とばかり家で遊ぶようになった。
2000年9月14日、前日から頭が痛いというので休ませていた。頭痛を訴え、気持ちがふさいでいるようだった。「何かあったの?」と聞いたら、いじめにあっていると打ち明けてくれた。
泣きながら、「何で中国人なの?」「何で○○という名前なの?」と、中国人と言われて、クラスみんなからばかにされていると話した。
Aくんと2名の男児、女子の中心はBさんと2名の女児が中心。
女子は睨んだり、わざと近づいてきて「あんたなんか、きらい」と言われる。Aくんたちからぶたれたり、からかわれたりするのを笑ってみている。クラスの多くが加害者に味方した。
11月に、保健室で休んでいるKを迎えに行ったところ、校門のところにBさんがいて、周りにいる女の子を呼び寄せていた。Kは母親の陰に隠れて、「こわい、こわい」と言って泣いた。

12月にホームルームで、先生がいじめをした児童に挙手をさせた。3、4人のみ手をあげなかったが、ほかはみんな手をあげた。校長が、謝らなかったのは3、4人のみと話した。
Aくんは「うんこ」「ハーフ」と言ってごめんなさい。ぶったり、けったりして、ごめんなさいと言った。Bさんは、保健係のとき、「仮病」とか言ってごめんなさいと言った。Aくんが怖いから、いじめをやめさせなかったと言った。

Q:9月14日にKさんから聞いた話は?
A:Aくん、Bさんの名前がもっとも多く出た。きわめてしつこく、回数が多かった。2人が中心になっていた。1学期にもいじめはあったと言った。4月から9月までずっといじめられていた。
「何で話さなかったの?」と聞くと、「中国人と言われて、なぜいけないのと思った。自分の父親が中国人だからいじめられたとなったら、お父さんが悪いことになってしまう。どうしても言えなかった」と話した。

Q:自殺未遂したときのことは?
A:11月にBさんから、「この芸能人、知っている?」「あの芸能人、知っている?」と聞かれて、答えられないと「そんなのも知らないの?」と大笑いされた。別の子が「Kちゃんは時代おくれ」と黒板に書いた。その日に、屋上に行って「飛び降りたい」と思ったという。トイレで遺書を書いているの父親が発見した。「お父さん、お母さん、Kちゃんのことはわすれて」と書いていた。
父親はKに「こんなことをしてはいけない」と言った。
娘が遺書を書いていたことに大きなショックを受けた。命を絶たないでほしいと思った。いつもそばにいるようにし、ハサミやナイフ、包丁を処分した。私の親族が入院して看病中は夫にみてもらった。

Q:夫に話したときのことは?
A:夫にKがいじめられていることを話した。相手の家に直接言うのではなく、学校を通じて指導を行ってほしいと担任に連絡した。

Q:校長がKさんに、中国の文化はすばらしいということを話したというが、そのようなことを頼んだのか?
A:頼んでいない。いじめの内容が「中国人だからいけない」というような内容だったので、そうしてくれたのだと思う。民族差別があるという話はしていない。

Q:その後のKさんの様子について?
A:父母で、中国人は悪くないとはげました。Kはカラ元気を出すよう努力してみえた。
しかし、いじめは、どんどん広がった。様子がおかしくなり、体に異常が出てきた。
目の前が真っ赤や緑に見えると言った。頭のなかが真っ白になると言った。かぎをしゃぶって、ハイハイした。おやつを食べて吐いたりした。夜中に「こわい、こわい」と言いながらBの名前を言って2階から下りてきた。

Q:保護者会について
A:12月16日に、いじめのことを広く保護者にも知ってほしいと緊急保護者会が開かれた。
親としては、Kがいじめられていることを広く理解してもらって、これからの対応を考えてほしいと思った。いじめの内容を話し、「どうかみなさんに救ってほしい」と頼んだ。
Bさんは、そもそも事実がちがうと言った。子どもはKに睨まれたといっている。Kは親がいるときといないで態度が違う。軽々しくいじめと言わないでほしい。もっと強く育てるべきなどと言った。
Bさんは、自分たちの言いたいことをよく言ってくれたという発言があった。
担任教師も、これはいじめではないと思うと言った。

Q:転校の理由について
A:娘はいじめられて自殺まで考えるまで追いつめられた。加害者は自分の罪を認めようとしない。親子が非難されるこの地域にはいられないと思った。引越してからはいじめはない。

Q:裁判にあたって
A:夫婦で、娘をどのように支えればよいかと話し合ってきた。夫は中国から、日本に新天地を求めてやってきた。夫のためにもいじめの事実を認めてほしい。


このあと、被告代理人弁護士から、反対尋問があった。
Q:なぜ、AとBがいじめの中心人物だというのか?
A:Kが、この2人にいちばんいじめられていると言った。
Bさんからは、Kが体調を崩して保健室に行ったり、休んだりすると、「あんた仮病でしょう」と言われた。
Aくんからは、中国人といわれてばかにされている、ぶったりされている。中国人と言われて、私はほんとうにどうしたらよいかわからないと、Kが話した。
Bさんはにらんだり、Aくんが中国人だと言ってばかにしたり、けったりするのを笑ってみていると話した。

Q:Kさんに、自分がなぜいじめられているのか原因はと聞いたことはあるのか?
A:聞いたことがある。原因はわからないと言った。学校でいやがられることをしたのではない?と聞いたが、わからないと言った。

Q:O先生からの連絡帳にKさんは「マイペースけと書いているが。
A:覚えていない。

Q:12月18日から、連絡帳が途中で切れてなくなっているが、なぜか?
A:なぜなのか、わからない。

Q:「Kさんはマイペースで、女子はみんな怒っていた」とあるが?
A:このことについて娘から聞いたことはない。

このあとも被告代理人の尋問内容は、Kさんの性格にいじめの原因を求めたり、親の厳しい養育態度に問題があるのではないか、とくに父親に問題があるのではないかという内容が続いた。
K母は、そのいかにも「いじめられる側に問題があったからいじめられたのでは」というような発言に、悔しさをにじませた。

そして、前回父親にしたのと同じ質問、写真を示して、Kさんにチャイナ服を親が着せたのではと聞いたが、K母の答えもK父と同じく、チャイナ服は買い与えていない、もっていないというものだった。
また、中国でPTSDと同じ内容の診断名をつけられ、帰国後、なぜ病院に行かなかったかと尋ねた。K母は、「病院に通うことが治療になるとは思えなかった。まず、環境を変えようと転居して、落ち着いてからカウンセリングに通わせた」と答えた。そして、今現在もPTSDの治療は続いているという。

私は、この両親の対応は正解だったと思う。どんなに治療を受けていても、いじめが続いていれば、効果はあがらない。死に追いつめられてしまう。Kさんの命を第一優先に、住み慣れた、勤め先にも便利な住宅を離れて、転居したのだ。娘の安全を確保してのち、粘り強く交渉を進めてきた。


実は、Kさん親子は、先日行われたジェントルハートプロジェクトのメッセージ展を訪ねてくれている。あいにく、その日は私は休んでいたが、小森美登里さんと話したという。
親子にとって、パネルの子どもたちは他人ごとではなかっただろう。一歩間違えれば、Kさんは、天国の子どもたちと同じ場所にいた。そのことをご両親は今も自覚をもって、全身全霊をかけて、娘を守ろうとしている。

裁判はつらい。原告がまるでわが子がいじめられたときと同じように、法廷で責められる。それも、いちばん弱いところを責められる。被告弁護士は、どこを責めるのがいちばん相手が傷つくかを研究しつくして、責めてくる。今の子どもたちのいじめの手口とまったく同じだ。
いじめられる側に問題があったから、いじめられても仕方がなかったのだと、様々な理由をつけてごり押ししてくる。自分たちの行為を正当化してくる。

次回7月5日・木(13時30分から)は、被告2人(AとBの保護者)の本人尋問。これですべての証拠しらべが終わる予定。



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