わたしの雑記帳

2007/3/5 川崎女児いじめPTSD事件の裁判、原告父親の証人尋問 3/27一部修正


2007年3月1日(木)13時30分から川崎支部1号法廷にて、川崎女児いじめPTSD事件の裁判が行われた(駒谷孝雄裁判長・池田弥生裁判官・古賀英武裁判官)。当初、原告父親の証人尋問は1月25日に予定されていたが、裁判記録の速記係が確保できずに延期になった。
なお、この事件は昨年12月24日にTBS報道特集「いじめと戦う親子」として取り上げられ、北海道から沖縄まで3万5千もの意見が寄せられるなど、大きな反響があったという。今回も55ある傍聴席はほぼ埋まっていた。

証言が始まる前に、K父が宣誓文を読み上げた。大学教授をしているだけあって、堂々と大きな声でしっかりと読み上げた。
まずは、原告代理人の森近薫弁護士から、主尋問。


Q:準備書面に訂正箇所はあるか?
A:誤字、脱字がいくつかある。内容について1箇所。「Uさんの息子さんから娘への暴力はありません」を「Uさんの息子さんからはAくんほどの暴力はありませんが、Uくんからも娘へ殴る・けるの暴行があった」と訂正する。間違った理由として、教育委員会の資料には、中心になった男の子3人のことは入っていたが、Uくんは入っていなかったから。4ヶ月前に資料を確認したところ、弁護士から指摘があり、気づいた。

Q:被告側はK父がこのいじめ事件を無理に人種差別、民族差別として大きくしたと主張しているが、日本に嫌悪感をもっているか?
A:日本が好きだからこそ、日本に来て大学で中国の文化を紹介する仕事をしている。妻も日本の女性であるし、20年以上の付き合いの友人もいる、職場や講座で5千人以上と知り合い、千人以上と親しくしている。日本のよさを吸収したいと思ってきた。日本が好きでなければ、日本人と結婚したり、日本国籍を取得したりしない。

Q:いじめの被害者であるKさんについて。
A:2月で早生まれということもあって、小学校3年生当時、クラスでいちばん背が小さかった。小学校1、2年時の性格は、誠実で、明るい、ウソを言わない。
小学校2年生までは、精神科に通ったことは全くなく、薬をもらったこともない。元気に暮らしていた。安心し、日本に感謝していた。

Q:いじめに気づいたきっかけについて。
A:4、5月頃異常に気づいた。1、2年の頃とは違ってきた。
とくに中国人と関連のあることに敏感になった。「中国人は犯罪者が多い?」「中国人は悪い?」と聞くようになった。
6月以降、体の異常を訴えるようになった。
9月14日の夜、母親が泣きながら、Kに対するいじめの実態を話した。娘からも直接、聞いた。

Q:いじめの主な内容は?
A:1.「中国人」と呼ばれ、「ハーフ」「お前はきたない」と言われる。
2.殴られている。
3.仲間はずれや「仮病」いじめ。

Bさんは4月生まれ。「仮病」いじめをする。Kが保健室に行こうとすると、指で指しながら「仮病」という。保健室のベッドで寝ているかどうかを確かめに来る。
また、「お前のことはみんながきらい」と言ったり、仲間はずれにする。無視する。
Aくんは暴力を振るう。髪の毛を引っ張ったり、足をけったり、頭を殴る。
「お前はハーフだからいけない」「中国人」「中国人は中国に帰れ」などと頻繁に言われたという。

Q:平成14年9月の川崎市教育委員会の調査について。
A:概ね、ここに書かれている内容に間違いはない。しかし、教委に言った内容の全てが書かれているわけではない。省略されている。
「うんこ」「ださい」「時代遅れ」などとも言われた、Bさんは、「うんこ」「うんK」と聞いて大笑いしていた、なども教委には話した。「くさい」といわれたり、わざと目をそらされたりもした。
9月後半には、Kは頭痛や腹痛、目の痛みを訴え、ほぼ毎日、保健室に行くようになった。Bさんはよく保健室まで見に来たが、そのことは書いていない。
Bさんは、Kの顔を指さしながらよく、「仮病」と言った。

Q:平成13年5月から市教委による本格的な調査が始まったが、被告側は、父親の圧力を受けての調査であって、信用できないとしているが。
A:私から市教委に指図する権利はない。「ああ書いてくれ」「こう書いてくれ」と言ったこともない。調査官は、「現場にいないお父さん、お母さんの話は聞きたくない」「現場にいた人の生の声を聞きたい」と言ってKから話を聞いた。
娘にとっては辛い話であり、娘の病気のこともあり、迷った。学校の対応に不満をもっていた。最初は小学校の担任と同じように無責任ではないかと思い込んでいた。
しかし、真実を究明することが難しくなるといわれて、中国出身の父親が悪いのか知りたかったので、調査に応じることにした。

Q:調査方法に口をはさんだか?
A:はさんでいない。どのように調査して、どうまとめるか、全くわからなかった。

Q:調査で不満に思っているところはあるか?
A:ある。女子のいじめの中心になっていたBさんについて、Kから聞いた内容が5箇所しか反映されていない。被害者の認識をなぜ、そのまま書かないのか。
また、8歳の娘について、「マイペース」などとなぜ使われたのかわからない。まるで、娘に落ち度があるみたいだ。一方で、Bさんの話として「学校(ほかの教諭)の認識と対応」欄には、「(Kさんは)いつもふざけているのでちゃんとしてほしい」などと書いている。


Q:教委が調査書を出すとき、「これを最終報告として出します。これでよいですか」という問い合わせはあったのか?
A:ない。「調査結果です。どうぞ、読んでください」と言われた。親は意見する立場にないと言われた。初めて意見を求められたのは、翌年。調査結果を受けての意見だった。

Q:いじめはAくん、Bさんのみによって行われたわけではない。他のものも加わっていた。裁判の被告を2人の児童に絞ったのはなぜか?
A:2人が中心格だとKから聞いた。また、毎日夢のなかでまで、「Bちゃんやめて!」「Aたんやめて、怖い!」とKが怯えている。AくんとBさんは、謝罪文や寄せ書きでも、「仮病」と言ったり、仲間はずれにしたと書いている。

Q:謝罪について。
A:Bさんは12月初め、甲7号証の内容を持ってきた。そのとき、私も現場にいた。
Bさんと他にも女子がいたが、話したのはBさんのみ。Bさんが寄せ書きの代表で真ん中に書いていた。「ごめんね。それから、仮病とかいろいろ言っちゃってごめんね」と4、5回くらい謝った。

Q:Aくんも2回謝りに来たときに、あなたはいたのか?
A:いた。母親に連れられてきた。しかし、謝罪ではなかった。「殴ったり、けったりしないから」と言っていたが、本人は謝りたくなかった。なぜ、自分ばかりが呼ばれるのかと言った。殴ることについてもクラスメイトの前で謝れないと言った。
Uが仲介して、お互いに謝らせた。
謝罪のあと、3学期になっても同じことが続いた。真の謝罪ではなかった。Kはクラスで無視された。先生のいないところで、まったく同じいじめが続いていた。
平成13年の冬休みに家族で中国に帰った。3学期になって、Aは「お前はますます中国人ぽくなった」と言われた。

Q:被害について。
A:私たちは住み慣れた川崎を離れて、横浜に引越ししなければならなくなった。Kはいろいろな症状が出て、PTSDと診断された。集中力に欠ける。テレビなどでも「中国人」という言葉に反応する。本当に治るかどうか、薬を飲まないと安心して眠れない。小3のいじめの最中、トイレで2回、自殺をしようとした。転校してから少しずつ、よくなった。今も毎日、薬を飲んでいる。
家族5人とも辛い目にあった。

横浜に引越ししたあと、被告の要請により娘のカルテが開示され、表紙に自宅の電話番号がのっているから、8月中旬から9月にかけて400回以上の無言電話がかかった。NTTに非通知電話の着信拒否の設定をしてもらうまで続いた。職場にも、無言電話や「国民性の悪い人を雇う職場はおかしい」などと中傷電話がかかってきた。

Q:誹謗・中傷について。
A:12月に個人面談があった。今回のことの聞き取りではなく、通常のものだった。Bさんの次の順番で、そのとき、初めてBさんに会った。
担任の女性教師Oは、母親にKについていろいろ言った。「家庭教育が厳しすぎてお姉さん扱いするから、友だちづきあいが悪い」「いじめられるのは家庭が原因」などと言った。
なぜ、そんなことを言うのか尋ねると、「Bさんから聞きました」と担任教師は言った。

Q:いじめをなくすための懇談会について。
A:3年生全員が対象だった。最初に校長など、4、5人の学校関係者があいさつをした。
5、6番目に母親が話した。校長は「暴力を含むいじめが存在している」と話した。担任のO教師は、メモを見て話した。「うんこ」と呼ばれ、「くさい」といわれる。机を離される。「仮病」といわれるなど。
K母もいじめの内容を詳しく話した。泣きながら訴えた。
A母は謝った。Uは何でも知っているふりをして、自分の子どもも暴力を振るっていたら謝りたいといった。「うんこ」と言ったことも謝った。
B母は、「これはいじめじゃない」と言った。自分のうちでKは娘と一緒に楽しく遊んでいる。仮病いじめも、Kは教室を出てうれしそうに保健室に行き、楽しく遊んでいる。BはKににらまれた。そういう性格だから、いじめられても仕方がない。Kがやられたら、誰か助けてくれるか。そういう性格だから、誰も助けてくれない。学校ではKは自分本位の行動や発言があり、だから女の子は離れて行く。家庭教育が悪い。自分の家で遊んでいても、ふだんはふざけていて、母親が迎えに来ると静かになるなどと反論した。

B母の発言後、楽しみ会みたいに、笑い声が多くなった。K母をB母と一緒にみんなが笑う。
「いじめられる側が悪い」と出席者のY先生もそう言った。
「Bさんはよく言ってくれた。がんばってくれた。私たちも気持ちはBさんと同じ」と言われて、K母はショックを受けた。

校長も言った。Bさんは、会議の趣旨から離れ、被害者を非難する会にもっていったと。私たちは加害者として認識させられた。

Q:Bさんは調査に応じてもよいと言ったというが?
A:誰からも聞いていない。Uさんから電話で「みんな調査に反対している」と言ってきた。B母が中心で、もう1人の母親も。喫茶店で会ったときにも、「B母中心にいろいろやっている。みんな調査に反対している」「子どもを傷つけるからみんな反対している」と聞いた。

Q:このいじめ事件では、めずらしく教育委員会、学校が責任を認めている。にもかかわらず、裁判をすると決意したのはなぜか?
A:納得ができなかった。がまんの限界を超えた。裁判しかなかった。将来、娘に「いじめを受けたとき、父親は何も言わなくて、転校・転居をし逃げた」と言われたら恥ずかしい。

Q:調査結果について、被告側はK父の圧力によるものだと主張しているが?
A:いじめ事件として、当事者と学校の認識が異なるのは当然だから、両方出してくれと要請を受けて、意見を出した。圧力ではない。


***********
ここまで、2時50分。10分休憩後、3時から再開。
ここから、被告代理人の斎藤弁護士から反対尋問。

Q:調査結果に書いてあるAからFについて、誰だかわかっているか?
A:分かっている。AがAくん、BがSくん、CがMくん、DがBさん、E、Fについては言いたくない。

Q:どんないじめを誰がしたか知っているか?
A:頭を殴ったのは、Aくん、Sくん。顔を殴ったのはAくん、Mくん。足を蹴ったのは、Aくん、Uくん。毎日、髪の毛をひっぱったのはAくん。葬式ごっこをしたのはAくん。「仮病」いじめをしたのはBさんを中心に複数の女子とAくん。

Q:頭を殴ったのはいつ、回数は?顔を殴ったのはいつ、回数は?Sくんはいつ、Aくんはいつ、Mくんはいつ、何回?
A:9月から12月を中心に。回数は数え切れない。

Q:Kさんは、Aくんが何回けったとか、具体的なことは言っていないのか?
A:言っていない。

Q:調査結果の「被害者の認識」には「Kさんは背が一番低かったが、間違って二番目に並んだところ、Bくんから顔を平手で殴られた」とある。「学校の認識」には「11月9日、授業の時間にSくんが殴り、Kさんはおお泣きした。Aくんが「Kは泣き虫だ」と言った」とある。
被害者の認識の1ページ目には「顔も殴られた」と書いてあるか?2ページ目には?、3ページ目には?書いてあるか、ないか?
A:書いていない。

Q:「被害者の認識」に「足を蹴られた」と書いてあるか?Aくんの欄には、「Kさんの授業態度が悪かったとき、イスをけったときがある」と書いてあるが、Kさんの授業態度が悪かったことは知っているか?
A:O先生や誰からも聞いていない。

Q:A母からも聞いていないか?
A:12月18日に聞いたのは、「足を蹴らないから」。

Q:「学校の認識と対応」で、「被害者はマイペースで、女子はみんな怒っていた」とあるが、当時、こういうことがあると知っていたか?
A:知らない。

Q:「毎日のように髪の毛をひっばられた」と主張しているが、いつ、どこで?
A:AくんはKの席の後ろで、Kが発言しようと手を上げると、髪の毛を引っ張った。

Q:O先生は注意しないと聞いたか?
A:聞いていない。
Q:なぜ、Kさんに聞かなかったのか?
A:その時は聞かなかった。

Q:葬式ごっことはどういうことか?いつ言ったのか?
A:「式」という漢字を習ったときに、Aくんが「Kの葬式ごっこをやりましょう」と言った。
6月下旬から夏休みに入る前まで頻繁に言われた。その頃、Kに「人間は死んだらどうなるか」と聞かれた。

Q:「仮病」いじめはいつあったのか?
A:9月中旬から保健室に行くことが多くなったので、9月から。

Q:「被害者の認識」には、10月から11月、休み時間は一輪車な乗るかひとり遊ぶことが多くなった。保健室に行くことも多くなったとあるが、もっと後ではないか?
O教師作成の「K父のご質問に謹んでお答えいたします」という文書には「仮病だと大きな声で言ったという記憶はない」とあるが?
A:面と向かって12月初め頃言われている。

Q:Bさんが保健室まで追跡してきてとあるが、Bさんは保険係で保健室に連れて行く役なのは知っているか?追跡したのではなく、保健室に連れて行ったのではないか?
A:しらない。

Q:「くさい」「うんこ」とAに言われたのはいつか?
A:2000年4月から。
Q:「被害者の認識」には、10月、11月、「くさいといわれたり」と書いてあるが?

Q:K父は「いじめを目撃した協力者に感謝している」と書いているが、協力者が誰だか知っているか?
A:名前は知らない。ただすべての目撃した調査協力者に感謝している。

Q:教委の調査に唯一協力した生徒はXと知っているか?
A:知っている。

Q:Xはいじめに加担しなかったと聞いているのか?
A:Xはいじめっこではない。いじめに関与していない。むしろいじめにあっている。

Q:寄せ書きのメンバーで、「仮病」って言ってごめんねと書いているのは知っているか?

Q:「情けない風評」とは?
A:「暴力の父」「母親はしつけのできない女」「300万円の賠償金を受けているとか、5千万円の賠償金を受けた」「下の子もいじめを受けた」など。

Q:いつ、誰から聞いたのか?
A:2001年10月から11月の調査妨害の最中。友人3人から聞いた。地元に住んでいるので、名前を言うことは断る。

Q:調査票に「3年生になって3人を中心とするいじめ集団が結成された」とあるのに、2人が中心としたのはどうしてか?
A:Kが2人の名前を寝言にまで言っている。Bさんは指をさして「仮病」というなど先頭に立った。Aくんは質、量とも、よく殴った。また、Bさん本人が、「KがいちばんきらいなのはAたん、Bちゃん」と書いていた。

Q:KさんはBさんと仲良く遊んでいた。誕生日会に呼ばれたときの写真がここにある。Bさんの家で一緒にとった写真だ。チャイナ服を着ているが、Kさんの父と母が買い与えたものではないのか。
A:知らない。このチャイナ服はうちにはない。チャイナドレスを買っていない。

Q:いじめについて、いつ、どこで、どのようなことを、何回、誰に聞いたのか?
A:9月14日に母親から聞いたのが最初。いじめは山ほどあった。「中国人はきたない」「中国に帰れ」と言われたこともあった。
Kからも聞いた。中国人と呼ばれる。ハーフだからいけないといわれる。よくAから暴力をふるわれる、Bさんから仲間はずれにされる。

Q:どのような聞き方をしたのか?
A:9月14日の前日から頭痛がすると言っていた。繰り返し聞いた。詳しいことを知りたいと思ったが、Kが泣き崩れるので、今、しゃべれなくてもいいと言った。落ち着いたのを見計らって、まだ何かあるか聞いた。Kは「お父さん、お母さん、心配かけてごめんね。Kちゃんがんばっていくから」と話してくれた。

Q:何回、聞いたのか?
A:川崎にいるとき3回。横浜で落ち着いてから調査のときに2回。計5回くらい。

Q:ふでの持ち方を「中国式か?」と聞くことは侮辱したことになるのか?
A:異質なものに対して「だめだ」といわれた。
Q:確認として聞いたかもしれない。
A:中国人ということ、中国式の持ち方がだめだと言った。
Q:そんなことはどこにも書いていない。
A:書いていなくてもそうだ。Aは、娘の提案にすぐ「それはやめようよ」といった。Kが手品を披露したときも「へんなの」とばかにされた。
Q:なぜ、ばかにされたと思うのか?
A:Aくんによって娘の言動がすべて否定されてしまう状況がつくられた。発言しようとすると髪をひっぱったり、やじをとばした。娘はAくんの前で発言できなくなった。
妻が××くんの母親から聞いた。××くんもAくんからひんぱんに殴られていた。

Q:O先生にあなたが書いた手紙には4番の1から10まで、すべてAくんとかかわりがあると書いてある。しかし、O先生の答えでは4点しか知らないと言っている。そのうちやじを飛ばしたことについては、Kさんに対してだけではないと書いてあり、それ以外は気づいていなかったと書いている。
A:Aくん、Sくんのいじめに、その後、Bさんが加わった。睨む。BさんはKに「お前のことはみんながきらい」などと言った。

Q:教委の調査で客観的事実が出てこなかったのではないか?そのときに、学校、Aさん、Bさん、Cくんらに善処してほしいといわなかったのか?
A:学校を信じて解決すると信じていた。甘かった。学校に指図するつもりはなかった。

Q:甘かったというのは、学校を信じたことか?児童の親に直接言おうとは考えなかった?
A:甘かったというのは、学校を信じたこと。直接言おうとは考えなかった。3学期になっても、Bさんからの仲間はずしなどのいじめはあらゆる場で行われた。
Q:いつ、どこで?
A:主に11月に入ってから。母親が保健室に娘を迎えにいくと、秘密の話をしていた。翌日、トイレで、Bさんが前日「みんなKちゃんを無視して」と言っていたと他の子が教えてくれた。

Q:12月24日のクリスマス会にBさんの家にKさんが呼ばれて行っているのを知っているか?
A:しらない。そのときには一家で北京にいた。
Q:では、12月21日にクリスマス会をした。
A:その日は成田だった。
Q:1月17日にKさんはBさんの家に遊びに行って写真をとっている。これはKさんではないか?
A:そうだ。Kが写っている。
Q:両親に買ってもらったチャイナドレスを着て、うれしそうに写真に写っている。
A:このチャイナドレスはうちにはない。私たちはKに買い与えていない。Kは、その後も給食の時間に「みんなあんたがきらい」と書いて丸めた紙を投げつけられたりした。
Q:それは誰がやったのか?
A:わからない。特定できない。


Q:12月16日の懇談会は内容も予め想定されていたのか?
A:「3年2組の学級懇談会の流れ」をもって学校側からやりたいと言ってきた。
Q:いじめた、いじめられた、いじめたのを見たということに限るというのは、言論統制にならないのか?
A:それは学校から渡されたもので、私がつくったものではないから知らない。
Q:いつ、誰から渡されたのか?
A:懇談会の前日、校長か、教頭か、とにかく管理職から渡された。
Q:渡されるとき、何か話しをしたか?
A:全くなかった。ただ紙を渡されただけ。
Q:校長は冒頭で「いじめがありました」と言ったというが、理由を話したか?
A:述べなかった。
Q:養護のO先生は、「Kちゃんはひとをいじめたりする子ではありません」という発言をしているが、その前にKさんが誰かをいじめているという話があったわけではないのか?
A:全くない。

Q:B母は想定されていた会議の目的とは全く違う流れに持っていってしまったとあるが、想定されていた会議の目的とは何か?
A:いじめをなくすために会議が開かれたというのが、学校との共通認識。いじめの重大さ、いじめは人権侵害であって許せないと管理職が言った。親を呼んで、いじめの実態の理解をはかり、被害者をどうやって救うかが目的だったはずなのに、B母の発言で、お楽しみ会になってしまった、笑うひとが多くなった、K母は反論ができなくなった。

Q:ほかに反論したひとはいるか?
A:いなかった。
Q:全くいなかったのか?保護者だけでなく教師もか?
A:その時は言わなかった。その後言った。

Q:12月18日にB母がプリントを届けた。事前連絡せずに車で乗り付けたとあるが、O先生に頼まれてプリントを届けたのは知っているか?
A:現場にはいなかったが、妻から聞いて知っている。

Q:横浜に引っ越した理由は何だったのか?
A:娘が自殺するのではと心配していた。Aくんも、Bさんも、親としての監督責任を一向に果たさないことに絶望し、引越しを決意した。

Q:なぜ、直接、言わなかったのか?
A:対立になって、3学期に入っても、いじめは繰り返されていた。どうしようもない。
Q:両親に話そうとは思わなかったのか?
A:信頼できる人ではない。ウソを言って、謝ってくれても、いじめを止めることをしなかった。2000年12月18日には、お菓子をもって謝りに来た。しかし、翌年の1月12日には、「お前、ますます中国人ぽくなった」と言った。Aくんから謝りがあって許した。もうKをいじめないでほしいと約束した。約束を破ったのはAくん。


********
ここまでで、4時30分。結局、反対尋問は終わりきらず、次回に持ち越されることになった。
次回、K父に残り30分の反対尋問と、原告側から5分の最終尋問が予定される。
続いてK母の主尋問が30分、反対尋問が45分行われる予定。
結局、次回も速記者の確保の問題で、5月10日の1時30から3時30分まで、人証調べが行われる。


********
証人尋問を聞いて、Kさんの父親が娘のいじめ問題にいかに一生懸命に取り組んできたかが浮き彫りになったと思った。娘に誰が何をしたのか、しっかりと頭に入っている。娘が誰のどのような行為にいちばん傷ついたのかもきちんと把握している。娘の命の危険を心配して、住み慣れた住居をあとにしたこと。共に深く心が傷ついたこと。娘さんへの深い愛情が伝わってきた。

そして反対尋問をすればするほど、いじめのひどさが暴露される。毎日、毎日、男女複数の同級生らからのいじめのターゲットにされ続けた小学校3年生当時のKさんの苦痛が想像できる。

何より、いじめ問題を明らかにし、いじめを止めるために開催された懇談会が、被害者親子をいじめる場になってしまったこと、謝罪後も変わらずいじめが繰り返されたことに問題の根の深さをみる。
子どもは大人の鑑だ。そこにはやはり大人たちの民族差別の感情があったのではないかと思える。
懇談会において、教師や保護者たち、大人たちが、いじめを悪いことだときちんと認識できなかったからこそ、子どものいじめは終わらなかったのだと思う。

何度も、何度も、しつこいくらい繰り返される「いつ、どこで、だれが」の質問。K父の回答はよどみない。真実だけを言っているということが、裁判官にも十分に印象づけられたと思う。
高圧的な態度の被告弁護士だったが、K父は動じることなく、おかしな質問には「質問の仕方がおかしい」と反論。こうした裁判には珍しく、反対尋問する弁護士のほうが、感情を露わにし、舞い上がっていた。
弁護士という職業がら、依頼人の味方をしなければならないのはわかるが、発言を聞いていると、まるでいじめっ子のようだと思って、内心、おかしくさえあった。
ただし、この場合、聴衆は、傍観者でもなければ、いじめを喜ぶ観衆でもなかった。いじめは人権侵害であり、許されない行為だと認識する大人たちが見守っている。被告弁護士の理屈にあわない質問には失笑さえもれた。せめて、裁判の場が、再び被害者をいじめる場にならないように、しっかりと見守っていきたいと思う。



 HOME   検 索   BACK   わたしの雑記帳・新 



 
Copyright (C) 2007 S.TAKEDA All rights reserved.