わたしの雑記帳

2005/3/11 小野朋宏くの裁判(2005/3/11)お母さんの証人尋問


2005年3月11日(金)、午前10時30分より、横浜地裁503号法廷で、本当は前回2004年12月24日に証言するはずだった、原告の小野朋宏くんの母親、文恵さんの証人尋問がされた。
担当は河邊義典裁判長と、前回から合議制になり加わった小林元二裁判官、太田雅之裁判官。

宣誓書を読み上げたあと、原告側代理人の原田敬三弁護士の主尋問から始まる。
Q:息子さんの健康状態について聞きます。心臓が悪いとかありませんでしたね?
A:ありません。
Q:身長と体重を教えてください。
A:172.5センチ、105.5キロでした。

Q:アンケートは2種類ありますね。学校がとったものと、小野さんが生徒にとられたものと。小野さんが独自にとられたアンケートは21枚あります。これは何名に対して送られたものですか?
A:37名に郵送して、21枚回収しました。
Q:生徒の証言は教師の証言と食い違うところが多いようですが、どちらの言っていることが正しいと思いますか?例えば、生徒は先生が朋宏くんの頬をたたいたり、肩をたたいたりしたと言っていますが、教師は否定しています。
A:生徒の言っていることが正しいと思います。
Q:生徒が情報を寄せてくれたのはいつ頃からですか?
A:葬儀の直後くらいからです。

Q:担任からの電話についてお聞きします。陳述書で、本人に誰かいるのか聞いたらいないということだったので、母親の携帯にかけたということでしたが?
A:その日は、高校卒業して浪人中の長男が自宅にいました。朝、兄と一緒に食事をしたから朋宏はわかっていたはずです。意識が朦朧としていたのではないかと思います。
Q:お母さんの陳述書では、「担任から、小野くんが体育の持久走で、具合が悪くなり、過呼吸の症状です。けいれんしています、と電話で告げられた」とありますが、担任は持久走のことと過呼吸のことは言った覚えがあるが、けいれんについては覚えがないと言っていますが、間違いはありませんか?
A:間違いありません。「けいれん」という言葉にびっくりしましたので、はっきり覚えています。

Q:担任が電話したのは1時頃となっていますが、お母さんが自宅についたのはいつ頃ですか?
A:電話をもらって2、3分後には自宅についていました。必死で自転車をこぎましたから。
Q:タクシーはすぐに来ましたか?
A:いえ、1時半頃に着きました。門の外の道路でしばらく待っていましたが、ちっとも来ないので、家の中に入ったり、外に出たりしていました。

Q:初めて見た時、朋宏くんの顔色はどうでしたか?
A:顔色がないというか、蝋(ろう)のように真っ白でした。なんで、こんな色をしているんだろう、とにかく病院に行かなくちゃと思いました。
Q:お母さんはどの当たりから朋宏くんを見ましたか?
A:朋宏は門に入ったところで、私は玄関を出て数歩。少し離れていても、顔色が真っ白なのはすぐわかった。
Q:その時の様子について聞かせてください。
A:朋宏は担任に肩を支えられて、ふらふら、ふらふらしていました。カバンを落としても自分で拾うことができませんでした。拾おうとして、尻餅をつくように倒れました。担任があわててカバンを拾い、担任と私も手伝って一緒に起こしました。
Q:先生はお母さんに丁寧に状況を伝えることをしましたか?
A:いいえ。
Q:あなたは聞きましたか?
A:聞きませんでした。朋宏の様子が気になって、状況を聞くこととかに思いが浮かびませんでした。

Q:救急車にはお母さんが一緒に乗って行ったのですかか?
A:はい。
Q:救急車の記録の事故概要では、学校内で倒れたあと、13時20分、ふらふらしてトイレで倒れてて、救急車を要請、口唇周囲に吐物が認められたとありますが、これはお母さんが伝えたことですか?
A:たぶんそうだと思いますが、よく覚えていないのです。
Q:吐物というのは保健室で食べたお弁当だと思うんですが、お弁当箱の中味は見ましたか?
A:はい。ご飯が2口分くらい、おかずは減っていないと思いました。わずかしか食べていないものを「食べたのでもう大丈夫だと思った」と言われたと思いました。

Q:小田原のタクシー会社に行って話しを聞いてきたのは、誰かから言われたのですか?
A:いいえ、そうではありません。夫婦で最後の様子を知りたいと思い、聞きに行きました。
Q:話を聞くことはできましたか?
A:運転手の方から直接、話をきくことはできませんでした。運転手の方が「かかわりたくない」と言われたこと、私たちが行く前に学校側がタクシー会社に行って話を聞いたそうですが、電話をしないでいきなり行って、勤務中の運転手さんを呼びだしたということで、立腹されていました。
Q:担任はタクシーの中で朋宏くんは楽しそうに話していたと証言していますが、学校側がタクシーの運転手に状況を聴きに行かなければならないような状況だったのですね。タクシーの中での様子はどうだったと言っていましたか?
A:タクシーの中に失禁のあとがあったこと、具合が悪そうだったということしか聞くことができませんでした。
それから、タクシーの中で、学校側の話では、教師が地図を見ながら誘導し、自宅の近くにになってから朋宏が右、左の指示をしたとありますが、息子が元気なら最初から説明したと思います。

Q:6月21日のことについて教えてください。誰が一緒に学校に行ったのですか?
A:1年KB組の父兄18名が一緒に行きました。生徒は学校にいたので、途中で加わった生徒さんが12、3人です。
Q:その時の内容はずいぶん厚い書類が出ていますが、これはテープを起こしたものですか?
A:そうです。私が起こしました。

Q:(書類を指し示して)この保健室の記録はどうやって手に入れたものですか?
A:開示請求して取りました。
Q:これを見てどう思いましたか?
A:5月7日の欄に体温の記載がありませんが、もし測っていたら記載があるはずです。ここには、ごく簡単な記載しかありません。死亡に至るという重大な容体で、これしか書かれていないということには満足しません。

Q:最後に、裁判官にこれだけはぜひ訴えたいということがありましたら。
A:生徒の言葉を信じてほしいと思います。目の前で級友が倒れたのを見た生徒たちの証言です。小野さんと話したいと言ってくれて、自ら話してくれました。彼らの証言に嘘があるとは思えません。生徒の言葉を信じてください。
それから、学校側は元気になったから帰したと言いますが、元気になっていなかったと思います。保健室でも元気であるはずがありません。コーヒーを飲みたいと言ったとありますが、あの子は一切、コーヒーを飲みません。弁当を食べたいと言ったのも本当かどうか。元気なら、もっとたくさん食べている子です。
もう少し早い段階で病院に運んでいたら助かっていたという医師の言葉もあります。天国の朋宏が、みんなが聞いて納得するような判決をお願いします。

Q:(朋宏くんの写真を示しながら)これは朋宏くんの写真です。どんなお子さんでしたか?
A:やさしい子でした。少し神経質なところがありましたけれど。人の嫌がることはけっしてしない、本当にやさしい子でした。

****************
ここから反対尋問

Q:息子さんが高校生になって、健康面での申し送りは何かしましたか?
A:していません。
Q:中学、高校で健康面での問題は?
A:ありませんでした。
Q:平熱は?脈拍は?
A:平熱は36.4〜36.5度くらいです。脈拍はわかりません。
Q:高校を欠席したり、早退したりしたことは?
A:ありません。
Q:連休中に体調をこわしたということですが、それまでは?
A:ありませんでした。
Q:その日に体育の授業があるということは事前に知っていましたか?年度始めに時間割や予定表が家庭に配られていると思いますが。
A:見ていませんでした。体育がその日にあることは知りませんでした。
Q:この日、朋宏くんはワイシャツを着て来なかった。学生服の中に体操着を着ていたのは知っていましたか?
A:さあ。でも、中学の時から体育があるときにはそうしていましたから、そうだったかもしれません。着替えが楽ですから、そうしたかもしれません。
Q:朝食は一緒に食べていますか?朋宏くんが学生服の下に体操服を着ていたら見えたのでは?
A:いつも学生服の上まで止めていますから、見えないと思います。
Q:体育の授業はどういう内容で、その日、何が予定されていたか知っていましたか?
A:知りませんでした。

Q:連休中の5月3日に風邪をひいたとありますが、熱は?
A:37.6度くらいだと思います。37度台だったと。
Q:朋宏くんはいつ頃から体調不良を訴えましたか?
A:夜7時から8時頃だったと思います。
Q:熱は測りましたか?他にどんな症状を訴えていましたか?
A:検温はしました。体調不良の他にはのどが痛いと言っていました。他に目立った症状はありませんでした。Q:休日診療の記録では、たん、せき、とありますが?
A:さあ、その時は訴えていませんでした。
Q:3日は朋宏くんは何をしていましたか?
A:家でテレビを見たりしていました。

Q:翌5月4日の土曜日、学校は休みでしたね。休日診療所に行っていますが、熱は測りましたか?
A:朝、測りました。38度まではありませんでした。
Q:診療所から取り寄せた記録では、38.6度とありますが。
A:朝測って、これから上がるだろうなとは思っていました。
Q:診療所にはどうして自転車で行ったのですか?歩いて行くように言わなかったのですか?
A:遠い距離ではなかったので。それに歩くより自転車のほうが楽だと思いますけれど。
Q:診断は急性上気道炎とありますが、そのことは聞いていますか?インフルエンザは疑いませんでしたか?
A:診断は風邪だと聞いていました。インフルエンザとは疑いませんでした。
Q:医師からの指示や健康管理についてお子さんは何と言っていましたか?
A:指示は何も聞いていません。風邪だったということで、薬をもらったと言っていました。いつも風邪をひいているときと同じでした。
Q:3日分の薬を処方されていますが、息子さんは飲んでいましたか?どういう薬か聞いていますか?
A:たぶん飲んでいたと思います。どういう薬かは聞いていません。
Q:市販の風邪薬は飲んでいましたか?名前は?
A:診療所に行く前には、寝る前に市販薬を飲んでいました。名前は覚えていません。

Q:5日はどうしていましたか?体温は測りましたか?
A:5日は部屋で遊んでいました。検温はしたと思います。2回くらい測ったと思います。37度台でした。

Q:6日に近くの農家に手伝いに行ったとありますが。体調から考えて、止めるべきではなかったのですか?
A:朝、熱を測って下がっていたので、そうは思いませんでした。また相手の方はよく知っている方で、休み休みできる状況にありました。本人が大丈夫というので出しました。
Q:アルバイトということで報酬を貰っていたのですか?
A:野菜をもらってくることがよくありました。たまには小遣いももらっていましたが、500円とか1000円です。
Q:この日に熱は測りましたか?
A:朝測って、昼、帰ってからも測った。3回測ったと思います。36.5度前後でした。

Q:救急隊の事故概要には、昨日の体温は38.4度とありますが?
A:そんなことは言っていません。第一、こんなになかった。(あとで原告弁護士からフォローあり。38.4度というのはおそらくその前の5月4日のことを言っていたのでしょうと。)

Q:5月7日のことについて聞きます。朝の健康状態はいつもと変わったことはありませんでしたか?
A:ありませんでした。朝は、朋宏はいつもご飯なんですが、その日も残さず食べましたし。
Q:連休中の食欲はどうでしたか?
A:だいたい食欲は変わりませんでした。
Q:連休中の体調不良は学校に報告しましたか?
A:特別ハードな授業があると聞いていなかったので、していません。
Q:6日には薬も飲んでいたわけですよね。体育や野外カリキュラムがあるかどうか確認しなかったのですか?
A:中学の授業のときも大丈夫でしたし、いつもの風邪と変わったことはなかったので、しませんでした。
Q:学校で連休中の健康管理をしっかりしなければいけないと先生から生徒にアドバイスがあったことは朋宏くんから聞きませんでしたか?
A:聞いていません。
Q:中学の時は皆勤賞を取っていますか?
A:とっていません。

Q:帰宅したときの状況についてもう一度話していただけますか?
A:朋宏は担任に抱えられて門扉から入ってきました。中間でカバンを落として、拾おうとして尻餅をついて、担任と一緒に私も手伝って起こしました。家の中にいた長男に朋宏を渡して、私は担任の先生にあいさつしました。
Q:カバンはどんなカバンですか?肩下げですか?朋宏くんが抱えていたのを落としたのですか?落としたのを誰が拾ったのですか?
A:カバンはスポーツバックです。その前の状況はよくわかりません。担任が拾ったと思います。
Q:どのように朋宏くんは倒れたのですか?地面に手をついたのですか?
A:尻餅をつくようにして倒れました。手は覚えていません。

Q:タクシー会社の運転手はどのように言っていましたか?
A:運転手の方は、具合が悪いように見えた、失禁があったと言っていたとのことでした。

Q:6月21日のことについて伺います。学校から呼ばれたのですか?
A:いいえ、私たちのほうから行きました。生徒の話を聞きたいとお願いしたところ、生徒に会わせる為には条件があると言われて、それが納得いかなかったので、他の父兄に話したところ、それなら直接行ったほうが早いと言われて、授業が終わる頃、みんなと一緒に行きました。


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原告代理人弁護士からいくつかの補足質問があり、その後、傍聴席からみて右側に座る太田裁判官からの質問。
Q:朋宏さんの体格はよかったということですが、ご長男さんの退官はどうですか?一度倒れてあと、ご長男に渡したという事でしたが、長男が一人で支えることはできたのですか?
A:長男は細いです。一人で支えるのは大変だったようです。玄関でひっくり返るようになったということです。トイレまではつかまるところがあるので、つかまりながらトイレに行ったのだと思います。
Q:担任のH先生との会話はありましたか?
A:お礼を述べて、他には特になかったと思います。
Q:お母さんは、朋宏さんとの会話は何か交わされましたか?
A:「どうしたの?」と声をかけましたが、何も答えませんでした。本人は一生懸命、歩こうとしていて、聞こえていたかどうかもわかりません。トイレで倒れるまで、話はしませんでした。


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尋問はここまで。約1時間半。
裁判長は、双方に今後の立証予定について聞き、医師の意見書等、双方の準備の都合上、次回は5月20日(金)午前10時から、横浜地裁504号法廷にてと決まった。

なお、今回、おそらくは前回予定していたお母さんの陳述内容を陳述書として提出。原告の支援者たちにも同様のものが配られた。ご本人の許可をいただいたので、陳述書(2)として掲載させていただいた




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