わたしの雑記帳

2003/9/3 川口の大野悟くんの裁判(2003/9/3)傍聴報告。


2003年9月3日(水)、遺族が、中学校を管理する川口市と加害生徒9人の保護者17人を相手どって起こしている民事裁判の口頭弁論が、浦和地裁で行われた。
ほかに何か大きな裁判が入っているのか、裁判所の入り口はいつになく賑わっていた。

午前10時開廷予定だが、同時刻に4つの審議が入っており、傍聴席が18席しかないこともあって、3番目なのでそれまで外で待つように言われた。
もう何度目だろうか。加害生徒の陳述書を出すように裁判長が毎回、期限まで指定してずっと言っているにもかかわらず、相変わらず生徒からの陳述書が出てこない。次回、次回でずっと引き延ばされたままだ。
今回ようやく、9人の内1人の加害生徒の母親の陳述書が出た。それを「チャンピオン的」なものだと被告弁護士は言う。しかし、大野さんに後で聞いてみると、もっとも加害行為の少なかった生徒の、しかも本人ではなく、親の陳述書だと言う。主犯格の少年、中心になっていた4人からのものではない。
しかも内容的に、校長に連れられて遺族宅に行ったのは、謝罪に行ったわけではない。自分たちは校長にだまされて、加害者に仕立てられてしまったというもの。行くのではなかったと後悔しているとの内容だと言う。

この事件では早い段階で、加害生徒たちから、遺族は聞き取りができている。その内容を遺族側の知人がメモをとっていた。生徒たちは自分たちのやったことを話し、謝罪をしたと聞いていた。
しかし、年月がたつにつれて、だんだん自分たちは何もしていないのに、なんで裁判に訴えられたり、こんな目に合わなければならないんだという論調に傾いてきたように感じる。
生徒たちは当時14歳未満ということで、児童相談所に通告されただけで終わっている。
川口署の調べでは34人が悟くんへのいじめに加担。うち9人を常習暴力と認定した。警察で一人ひとりから聞いた内容、児童相談所の調書は、民事裁判にあたって証拠として開示を請求したが却下されている。

神戸や長崎のような世間を大々的に賑わすような事件の場合、遺族向けではないにしても、ある程度の情報が出てくる。しかし、一般の事件では相変わらず、少年法に守られて、亡くなった自分の子どもが34人もの子どもたちに、そして常習暴力と認められた9人の子どもたちに、日々、どのようなことをされていたのか、遺族は知らされない。遺族ができたのは、たった1回の聞き取りのみで、それすら遺族から脅迫、強制されたのだと内容を否定されかかっている。

どうして今さら、こんなことが言えるのか。厳罰にするしない以前に、何があったのかすら遺族に、世間に明らかにされないなかで、何をどう納得しろというのだろう。どうやって子どもたちに反省を促し、再発防止に務めることができるのだろう。
無駄に引き延ばされる裁判。子どもたちはもう、自分たちのしでかしたことを忘れて、普通の高校生としての毎日を送っている。本来なら同じように学校生活を楽しんでいるはずの悟くんはこの世にいない。残されたのは遺族の何があったか知りたいという思い、命が還ってこないのならせめて心からの謝罪を受けたいという気持ち、そしてそれらを得られない悲しみと怒りと絶望だけだ。
加害者と被害者、あまりにバランスが悪すぎはしないか。

文書にすら何も出そうとしない。やっていないなら、やっていないと堂々と出せばいいものをそれさえしない。かといって、事実を打ち明けたり、反省を述べたりすることもない。事件も裁判も、自分たちには一切関係がないという態度に感じる。そこに反省など感じ取れるはずもない。
それではまるで、遺族の一人相撲だ。ならば同じ土俵にあがらせるためには、証人尋問しかないのではないか。
子どもたちを法廷に引きずりだすことをよしとしなかった遺族の心情を逆なでするような行為、裁判をもばかにするかのような行為にどう対処するのか、裁判所に問いたい。

次回、11月5日午前10時から、浦和地裁504号法廷にて。
果たして残り8人の陳述書が出てくるのかどうか。出ない場合、裁判長はまたそれを延々とただ待ち続けるつもりなのか。



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