わたしの雑記帳

2003/6/2 岡崎哲くんの裁判、加害少年と両親を訴えている裁判の控訴審(5/26)の報告


5月26日(月)と5月28日(水)と続けて、岡崎哲くんの裁判があった。
5月26日は東京高裁の817号法廷で、午前10時30分から(裁判所からは午前10時開廷との連絡を受けていたが、当日になって急遽、30分遅れで始まることを知らされた。裁判ではけっしてめずらしくないことだという)。
今回、しばらく和解協議、進行協議が入ったのちの、久しぶりの開廷だった。

約4回にわたる和解協議では、岡崎さんのほうで加害少年と直接会って話が聞きたいと要望を出したが、裁判所にも少年側にも受け入れられなかった。結果、岡崎さんは慰謝料が目的ではない、真実を知りたいだけだと和解を断った。

その後、控訴人・加害少年の弁護士からは、
1.一審判決(死因を心臓病による死亡ではなく暴行死と認め、岡崎さんの実質勝訴)で使われた三澤教授の鑑定書の写真(右下腹部の腹膜外出血の部分)は、哲くんのものではなく、別人のものであるという意見。
2.腹部への並々ならぬ圧力(=暴行)の証拠(一審ではこのショックで死亡したと認定)とされた右下腹部の腹膜外出血の部分は、位置を間違えており、右ソケイ部(右太ももの付け根)にカテーテルを挿入したときにできた出血である。
等と検察官側が少年審判のために再鑑定を依頼した石山c夫教授の意見書を出してきた。

それに対して、原告側は三澤教授に確認。写真も場所も間違いはないとの回答を得て、証拠資料を提出。

この日の法廷では、裁判長からすでに提出のあった数枚の写真だけでなく、フィルムにして5本あるはずだという写真すべての提出要請があった。
その写真をみたうえで、証人を呼ぶかどうか、今後の進行について決めるという。
次回期日(6月25日、午後4時から東京高裁817号法廷)を決めて、15分程度で閉廷。

今回、証人尋問ではないにもかかわらず、傍聴人が多かった。岡崎さんのネットワークの拡がりで新しいひとたちが随分たくさん見えていた(20人はいた?)。
せっかく来たのにと、法廷での協議時間の短さに驚きの声があがった。新しい傍聴人が増えるのは心強い反面、一から説明しなければならない面もある。もちろん私自身、最初は同じようなものだったのだろうけれど(今もかもしれないけれど)、わからないがゆえに遺族を傷つけるのではと思われるような発言もある。

そんななかで最後に、いつも傍聴に訪れているオウム真理教に殺された坂本弁護士一家の妻・都子(さとこ)さんの父親・大山さんが、発言した。
ある外国人の言葉の引用として、殺人者は刑務所で牧師と出会って宗教に目覚め、死んでのち天国に行く。しかし、被害者遺族は、加害者を恨み続け、死してのち地獄に落ちると。地獄に落ちるとわかっていても、遺族は闘い続けなければならないのですと言われた。

加害者の天国と被害者や遺族の地獄。この不条理を思う。まして、相手が少年だった場合、手厚い保護が加害者にのみ施される。そして被害者や遺族は、生きながらにして地獄に叩き落とされるのだ。どこからも救いの手はない。自ら這い上がるしかない。

時が心の傷を癒していくと言われる。しかし、何があったのか、真実が明らかにされないなかでは、どんなに時がたとうと、けっして癒されることなどないと思えてくる。裁判で少しでも真実が明らかにされた場合、あるいは相手の非が認められた場合、そのことで癒される部分はとても大きい。
しかし、真実が明らかにされない場合、遺族はどんどんボロボロにされていく。時がたつほど傷口が深くなるように感じる。
時間の経過とともに周囲は事件のことを忘れていく。「いつまで、そんなことを言っているんだ。忘れなさい!」と言われる。ひとの記憶も証拠も失われていく。時がたてばたつほど真実からは遠くなる一方なのだ。
なぜ、子どもが死んだのか、殺されなければならなかったのか、その身に何が起きたのか、わからないまま忘れることなどできるだろうか。それ以前に、生きていても、亡くなっていても、親が愛する子どものことを忘れることなどできるだろうか。

裁判のたびに裁判の不条理を思う。それしか、真実を知るための道が残されていないことの不条理を思う。
せめて、遺族が裁判をおこさなくとも真実を知ることができるよう、一日も早い法整備をと願う。
裁判のスピード化以上にそのことのほうが大事ではないか。そのことで、学校を訴えている民事裁判、少年を訴えている民事裁判のかなりの数は減るだろう。よほど、効率的だと思うが。

(5月28日分も後日UPする予定です)



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