わたしの雑記帳

2003/4/20 パレスチナでイラク戦争の間に何が起こったか?
JAPAK(日本−パレスチナ プロジェクト センター)の高橋さんの報告(2003/4/15)より


報告会の最後のほうで、パレスチナの現状についての報告があった。
その内容は、これまでほとんど知らなかっただけに、私にとって衝撃的だった。なんとかこのパレスチナの現状を多くの人びとに伝えたいといういう高橋さんの熱い思いが伝わってきた。少しでもその一助になればと思い、ここに簡単にテープを起こしたものを掲載する。ただし、録音が不鮮明なところが多く、私自身に知識がないためにそれを補うことができない。自信のない箇所(特に固有名詞等)はカットさせていただいた。そうでない部分も間違っている箇所があるかもしれないが、了承いただきたい。

みなさんはたぶんご存じだと思いますが、これが新聞などで報道されているパレスチナ自治区と言われているところです。グリーンの内側がそういうふうに言われているんですが、実際は、この白い部分と黄色い部分にはイスラエルの入植地ができています。中に点々と孤島のようにあるのが実際のパレスチナ自治区です。これが唯一、パレスチナ自治政府が行政と警察権を持つことが認められてる地域なんです。
これがすごく誤解されていまして、回りの入植地を包囲し、イスラエル軍の武器地もあります。
また、南の方にあるガザという地域ですが、新聞などではひとつの四角い固まりのように見られているのですが、実はこの中に、かなり広い地域でイスラエルの入植地がどんどんできています。
それから、イスラエル占領軍指令のミリタリー・オーダーというのがあるのですが、荒れた土地は没収できるという規定があります。それで彼らは、ブルドーザーで畑を破壊して、意識的に荒れた畑を作り出しています。
レイチェル・コリスさんが殺害されたのは、この地域です。一番南の地域なんですが、難民キャンプの家をイスラエル軍のブルドーザーがどんどん破壊しています。破壊してその地域を没収しようとしています。

内陸部にあるイスラエルとつなぐ2本の道があり、イスラエル人専用道と言われています。入植地と内陸をつなぐ道なんですが、これによって縦に動こうとするパレスチナ人が、常時道を封鎖されて自由に行き来できないという状況になっています。
このビーチキャンプと言われている難民キャンプでは、昨年のはじめの時期だと思うのですが、この地域の家が全て破壊されて、再びキャンプ生活を余儀なくされています。
実際、僕も何度か中に入ろうとトライしたんですが、道が1本しかありません。僕が行ったのは4月の終わりから5月にかけてだったんですが、1ヶ月くらい前から救急車も出入りできないという状態で封鎖されていました。

よく報道されている戦車が子どもを殺しているような場面というは、この中です。村と村の間を道路を切断しています。それは、いろいろな意味があるんですが、一番大きな意味は、パレスチナ側の農作物の出荷や入荷をできないようにしているんです。よくテロリスト対策なんて言っていますが、歩いてこれは通れます。ただし、トラックが通れないです。だから、自分たちの農作物が一切、通れない。ブルドーザーで土を彫り上げたり、山盛りにして通れないようにしています。

これはパレスチナのアリアーノという新聞なんですが、子どもたちが走っています。走っているというより逃げています。
イスラエル軍が昨年から今年にかけて、だいたい40台から多い時は100台以上の戦車を投入して、ゲリラ対策と言っているんですが、実際には朝学校に行く子どもたちに対して、銃撃を行っています。
まずは催涙弾を発砲したり、戦車の機関砲で子どもたちに威嚇射撃。その次は戦車砲も発砲しています。その中で、何人かの子どもたちが殺されているんですが、それで逃げまどっている場面です。
こういうのは日本ではほとんど報道されないんですが、1ヶ月以上現地にいた友人から聞きましたら、毎日、こういう状態だそうです。

これもほとんど日本では関心がもたれないんですが、対イラク戦が始まる前から始まっていたんですが、(写真の)イスラエル兵の後ろに収容所の壁みたいなものがあります。日本の新聞ではほんの小さなベタ記事で、パレスチナの町を囲むフェンスを作っていると流れているんですが、高さ8メートル以上のコンクリートの壁です。フェンスというイメージとは全く違って、はっきり言って刑務所の壁に近いというか、先に見ていただいたベージュ色のパレスチナの町をその中でさらにこの壁で封鎖しています。ワルシャワゲットとほとんど同じようなものを作っています。
これが平和的な政策であると彼らは宣伝しています。とんでもないことです。
しかも、塀が作られる土地というのは、パレスチナ人の畑です。畑を破壊して作っています。
しかも彼らは地図を意図的に変えています。自由に塀を作っていますので、たとえば井戸を外側に置くんですね。パレスチナ人の生活が一層困難になるようなフェンスづくりが続けられています。これは本当に、日本ではほとんど報道されないことだと思います。

実際に昨年末、日本からも市民連帯運動で現地に行った人たちもいるんですが、イスラエル軍や入植者から威嚇射撃を受けています。
このフェンスのことを報道されるのが、彼らにとっては非常に苦痛なのかもしれないのですが、これからもパレスチナに行った人たちは、このフェンスの写真に撮ったり、ビデオに撮ったりして、できるだけ多くの人に伝えるように呼びかけています。そのうち、さらに詳しい情報が入ってくると思います。

あまり数字で言うのはいやなんですが、昨年に比べて今年に入ってから殺害されているパレスチナ人の数がほぼ二倍以上に増えています。4歳の子ども、6歳の子ども、もちろん昨年から子どもが殺害されていますが、どう見ても意識的にやっているとしか思えない殺害が行われています。
最終的にどういうことかと言いますと、ひとつはフェンスのなかに人種隔離をしてしまう。パレスチナ人を追い込む。
そしてもうひとつは、フェンス内のパレスチナ人を、これは新聞なんかに非常に半端に報道をされていますが、ヨルダンのパレスチナ化という言葉を聞いたことがあると思うんですが、要する西岸にいるパレスチナ人をヨルダンに追放すると、それがイスラエルにとっては安全保障につながるという。
要するに国内にパレスチナ人がいなくなれば、安全になるという彼らの考え方の結果だと思います。追い出すために、恐怖の、まさにブッシュがイラクでやったような、民衆を殺害し、民衆が逃げ出すようなそういうことを軍がやっています。

しかもパレスチナ側には軍はありません。警察官しかいません。しかもパレスチナ警官も消化器の携帯しか許されていませんし、消化器でさえ持っていれば、イスラエル兵に射殺されます。しかもその消化器さえもうほとんどなくて、昨年の12月でしたか、パレスチナの警察署がイスラエル軍に襲撃されまして、そこで押収された武器というのが、パレスチナ側の新聞で写真で公開されました。そこには「ハンドメイド・ウエポン」と書いてあるのですが、手作りの銃とか、手作りのゴムみたいなものとか、ナイフとか、パレスチナ警察はそれしか持っていないような状況です。しかも、それもほとんど何の効果も持たないという状態です。
ちなみにそれを報じているエルサレムポストというイスラエルの新聞なんですが、ここの元社主はイスラエルとアメリカの二重国籍です。

パレスチナ問題を単独で捉えるのではなく、アメリカがやっている政策、イスラエルが中東でやっている政策、あるいはアメリカ、イスラエルがイラクに対してやっている政策というのは、一貫した一連のものではないかと思っています。
僕たちの仲間がまだ現地にいまして、パレスチナ側の新聞の写真を切り抜いて送ってきてくれています。これは日本の新聞では見ることができないものが大量にありますので、こういうものも貸し出しを行っています。
私たちは、昨年40人くらいの団体でパレスチナに行きました。そこでパレスチナ人から言われたことは、「どうしてほしいのではない」と。「とにかく自分が見たものをそのまま日本人に伝えてほしい」と、行く先々で言われました。

それは本当に自分でも実感したんですが、昨年の8月5日に、エルサレムの旧市街でイスラエルの警官、警官と言いましても完全に兵士と同じ銃武装です。その人たちが、そこにいたパレスチナ人、それから中国人もいたんですが、市民に向かって三方向から銃を乱射しました。3人が即死して10人が重軽傷で運ばれました。
僕もその場にいたからはっきり知っているんです。ところがその翌日の日本の新聞、毎日と日経の見出しを読みますと、パレスチナ人が銃乱射というふうになっていました。
そういうような記事というのは、見出しを付けたのは日本のデスクだと思いますが、その記事を書いた人はカイロ支局から書いていたりとか、イスラエル側のラジオとかテレビのニュースを元に書いているケースが多いんです。

こういう事実を何とかしたいとみんなで話ししました。向こうでできたパレスチナの友だちから、たいへん耳が痛いことを言われました。その友人は日本に来たことがある人なんですが、日本の市民団体はなんで仲が悪いんだと。パレスチナ、パレスチナと言いながらも、実は自分たちの団体の利益に沿わないと、すぐ一緒にやらなかったり、足をひっぱりあう。実は自分たちパレスチナ人も同じだと。だからいつまでたっても相手に勝てないんだと。
もっと違う、本当に一緒にやれるような方法はないかということで話し合いました。
実は個人でパレスチナに行かれる方は多いんです。そういう人たちがとった写真とか、ビデオフィルムを、どんどん日本で報告会を開いて、みんなで見てもらおうじゃないかと。
それから、こうした新聞の切り抜き。にかくまず、ニュースをどんどん流そうと、そのうえで何をするかは見たひとに判断してもらうようなことをやっていきたいということで、今年1月、JAPAC(ジャパック)をつくりました。

JAPACはニュースを流すだけでなく、「パレスチナ、パレスチナ」というフランスのドキュメンタリー映画の上映運動や、昨年のジェニンでの虐殺を扱ったパレスチナ人が撮った映画の上映をしました。この映画をつくったディレクターは、上映の1カ月くらい前に、イスラエル軍に殺害されています。今、新しいドキュメンタリーの翻訳と上映の準備もしています。
それ以外に来月には、大阪の医者が現地に行って、医療を応援したいという人がいます。それからパレスチナ人のほうから要請があったのは、針灸師を送ってほしいと。とにかく医薬品を送られても医療器材がない、それから運べない。救急車が銃撃されていますし、外出禁止令がしかれますと、そう簡単に移動ができない。なおかつ医者も少ない。一番いいのは針灸師ではないかと。それで5月に1人、行ってくれる人ができました。九州の針の診療所で、パレスチナ人を日本に呼んで、針の勉強と日本語の勉強をやってもらたいというところも出ています。

それから、パレスチナ側の収穫物の収穫を占領軍指令が禁じています。それで、これは僕もやったんですが、人間の盾の一部は、外国人が行って収穫をするということをやりました。威嚇射撃があったり、入植者に殴られたりしたひともいるそうですが。
JAPACではないんですが、日本のひとが向こうでのオリーブの植樹運動をやっています。これにも協力してきました。そしてできるならば、その木を破壊された場合に、その木をめぐって国際法廷で争えないかということも考えています。それによってイスラエルがやっている違法な土地を荒らすというやり方を国際社会に見せられないかと考えています。

僕らはどうしても、イラク人とか、パレスチナ人とか言ってしまうんですが、アラブはもともと同じ地域でした。イラクで人が死んでいることに対しては、ほんとうに彼らは痛みに感じていると。それは一連のものであるというような考え方にたっていると思います。ですから、ジャミーラさんが今回、レバノンに行かれるのもほんとうにいいと思います。フセインが倒れたことでイラク戦争が終わったわけでは全くないと思います。アメリカやイスラエルは中東全域に対して、今までの占領政策、とくにパレスチナを独立させないためにパレスチナ人の背骨を叩き折ろうとしています。パレスチナ人が自立できない状態に持っていこうと考えているんだろうと思います。
イラクに行かれる皆さんはぜひアンマン経由で、パレスチナのほうにも行かれて、見ていただきたいと思います。

**************
なお当日、高橋さんからいただい「状況」2003年3月号(状況出版発行、定価1500円)には、ISMジャパン(ISM=国際連帯運動)の野田亮介氏が書かれた「子供に銃撃するイスラエルの占領軍 破壊が続くナブルズで「人間の盾」」という題の生々しい報告が掲載されていた。催涙弾、銃撃の嵐のなかを、それでも学校に行こうとする子どもたち。イスラエル兵の家宅捜索で荒らされ、略奪される家。大切な家族がある日、突然、令状もなく連行される恐怖。あってはならないことが、現在も平然と続けられている。
「戦争は終わったわけではない」。この事実を私たちはきちんと受け止めなければならないと思う。この恐怖はやがて私たちのものになる。今の時代の地球はせまい。あっという間に戦火が地上を覆い尽くすだろう。見たくないSFのシナリオが今、実行されつつある。人類は滅びの道に向かっているのかもしれない。



HOME 検 索 BACK わたしの雑記帳・新