わたしの雑記帳

2003/2/23 児童養護施設「生長の家 神の国寮」の裁判(2003/2/20)傍聴報告。元寮生の証言。


「生長の家 神の国寮」の裁判、今回の証拠調べは元寮生のKさんの証人尋問。午後2時から始まる予定だったが、事情があって証人の到着が遅れ、約45分遅れの開廷となった。傍聴人はきちんと数えたわけではないが16、7名ほど。

冒頭で原告代理人弁護士に「どうして裁判で証言しようと思ったのですか?」と聞かれたKさんは、「寮で生活し今までも何人かけがをしている人があって、今後もあってほしくないから」と答えた。
かつて、児童養護施設職員の暴力を告発した元二葉学園の園生・Fさんも同じ理由で民事裁判を起こした。おそらくAさんも思いは同じだろう。

それにしても、Kさんは本当によく証言台に立ってくれたと思う。この裁判でKさんは被告ではないが、Aさんに暴力を振るったとして周囲から責められるかもしれない。社会の様々な差別や偏見にさらされて、児童養護施設出身者であることを隠して生活するひとは多い。ましてその施設がけっしていい思い出の場所でないとしたら、「思い出したくもない」日々であることは想像に難くない。過去を責められるかもしれない、いやな思いをさせられるかもしれない場所に、年齢も異なり、そう親しくもなかったAさんのために、自らの意思で出向いてくれたKさんの勇気を讃えたい。
以下、慣れない場所での緊張感でKさんの声が小さく、よく聞き取れなかった箇所もあるが、概要を記したい。

「神の国寮はどういうところでしたか?」と聞かれたKさんは「刑務所に近いところ」と答えた。後の補足質問で具体的な内容を問われて、全体的に暴力が絶えない、殴られたりする、半強制的に操作がなされ失敗すると罰が与えられた、自分たちの言いたいことが言えない、やりたいことが自由にやれない、などをあげた。
子どもを守る場所であるはずの児童養護施設が、罪に対する罰と矯正のために存在する施設のようだったという。親と一緒に暮らせない寂しさを差し引いたとしても、この言葉は寮での生活を何よりも雄弁に語っているだろう。重大な罪を冒した少年たちでさえ、半年から2、3年で施設から出られる。何の罪のない子どもたちが選択肢もなく、下は保育園から、上は中学、高校までの年齢に達するまで、この刑務所のような施設で暮らさなければならなかった。あるいは現在も暮らさざるを得ないことの責任を国はどう考えるのだろう。

事件があったのは、昭和62(1987)年7月8日。当時、Kさんは中学校3年生。原告のAさんは小学校4年生。KさんのほうがAさんより5歳年上になる。
夜7時頃、みんなと食堂にいたKさんはMに呼ばれて1階の職員室に入った。いきなり理由も何も聞かされず「何かやっていないか?」と聞かれ、「何もやっていない」と答えた。再度、「本当はやったんだろう」と聞かれて、「やっていない」と否定すると、MはKさんを座らせて胸ぐらを掴んで殴ったり、蹴ったりしたという。

その後、Kさんは一旦、食堂に戻されている。ここでも、前回のAさんの証言にもあったが、周囲の寮生たちは関わりを恐れて何があったのか尋ねるようなことはしていない。
暴力を振るう職員の顔色をうかがって、子どもたちが自由にものを言える雰囲気になかったことがわかる。

食堂に戻ったあと、もう一回呼ばれて、今度は2階の角部屋に行った。そこには、Aくんと職員のMがいた。Aくんがなぜそこにいるかはわからなかったが、その弱々しい様子から何かあったあとだとはわかった。自分にも危機感を覚えたという。
ここでMから再度、「やったんだろう」と言われ、「やっていません」と言うと、殴られたり蹴られたりした。

その後、MはKさんに「自分でないなら、お前は悪くないから、こいつが悪いから、なぐっていいよ」と言った。Kさんが躊躇していると、Mは2〜3回、「やっていいよ」と言ったという。Mに(逆らって)目をつけられたら大変だし、Mから(誤解したことに対して)謝りもなかったのでイラついて、殴ったり蹴ったりしたという。(補足質問の中で、それまでの経験から、従わなければ自分自身が殴られるか蹴られると思ったと答えている。)頭にきていたので力一杯殴ったり、蹴ったりしたという。2〜3分くらい、息が切れるくらい続けた。その間、見ていたMから「やめろ」と止める言葉はなかったという。Kさんが暴行をやめたのは、止められたからではなく、息が切れたから。Kさんがやめてから、Mは「もういいだろう」と言ったという。

Mの暴力についての質問では、殴られたことはよくあったという。また、野球の練習で至近距離でキャッチボールをさせて、ボールを落とすと蹴られたり、もっと至近から投げられたりした。ドッジボールでも至近距離から投げられて、恐くてとれなかった。突き指をしても病院に連れていってくれなかったという。また、寮生同士をけんかさせたり、ケツバットをするという話は他の寮生から聞いたことがあるという。5〜6年間、Mのいるなかで生活したが、関わりたくないと思ったという。

被告代理人からの反対尋問では、陳述書の内容はあっているか、いないか、今の記憶とは違っている部分はどこなのか、誰が書いたのかなどが矢継ぎ早に質問された。具体的に文章のどの部分を指して、どういう意図で言っているのかがわからず、証人にとまどいが見えた。結果的に、「あっていると思う」とKさんは答えた。

また、今の職業や中学を卒業した後の専門学校の話など当たり障りのない質問がいくつか出された。(あとで考えれば、結果的にKさんのこの部分に何ら後ろ指をさされるようなことが出てこなかったので素通りしたが、もしKさんが人生の様々な挫折を経験していたとしたら、あるいは攻撃の材料にされていたかもしれないと、疑心暗鬼かもしれないが思えた)
また、Aさんが裁判を起こしていることを知ったのはいつかとか、神の国寮の元寮生との現在のつきあい、当時のAさんとの親しさなどに話が及んだ。要するに、親しくしているAさんのためにあえて、Aさん側に有利な証言をしているという印象を与えたかったのではないかと思うが、Kさんの回答は、連絡をくれたのは弁護士で、元寮生との付き合いはひとりくらいであとはほとんどないこと、当時もAさんとは学年も違っており親しくはなかったことなどが話された。

反対尋問の中心的内容は、Kさんが中学3年間続けたというクラブ活動、サッカーのことだった。サッカーをしていて誤って別の寮生の腕を骨折させたことを聞いたり、キック力は強いのだろうと言ったり、利き足を聞いたりした。
また、ほかにも切羽詰まったAさんのウソの供述からMに呼び出しを受けた寮生が、同じように「やっていい」と言われて、1人は何もせず、1人は1回だけ殴ったことを引き合いに出したり、Aさんとの年の差(Kさんが5歳上)を言って、罪悪感はないのかと聞いた。Kさんは、「まずいんじゃないかという意識はあった。(Mが)止めてくれるものだと思っていた」と話した。さらに追い打ちをかけるように、その時の暴行でけがをしたとしたら責任を感じるかと聞かれて、Kさんは「いい気持ちではない」と答えた。
被告側の意図は見えている。要するに、けがの原因をすべて、元職員のMではなく、Kさんに押し付けようとしている。その証拠に被告代理弁護士は尋問の最後に、「この事件に限定したとき、原告(Aさん)が職員に暴行されている場面を見たわけではないんですね」と確認した。

印象的だったのは、事件後、Aくんがギブスをしている様子をKさんは見なかったと陳述書に書いているが、それほど広い食堂でもないのにおかしいではないかと、間取り図まで示して尋問してきたときのこと。Kさんは「楽しい食事をしたことがないので、周りを見回すことはない」と答えた。まさに刑務所のような生活のなかで、楽しいはずの食事の時間でさえ、友人たちと楽しく雑談したり、周囲の様子を気にかけたりしながら食事をするゆとりさえなかったことを証言している。

この裁判はあくまで、Aさんへの暴行にのみに焦点を絞っている。しかし、それを明らかにする過程で神の国寮での生活そのものが、子どもたちへの虐待であったことを、(あるいは現在も続いているかもしれないということを)告発することも同時に意図している。
そういう意味でも、今回のこの証言の果たした役割はとても大きいと思う。

今回、被告側の弁護士は3人。なぜか元職員Mの代理人弁護士は来ていなかった。すべて、施設側弁護士におまかせということなのか。また、被告側はMの証人申請をしていないという。他の職員の証人申請はしているにもかかわらず、肝心の被告本人の証人尋問を避けよう、避けようとしているふしがある。

そのMの消息だが、今は神の国寮にいない。どこへ行ったのか?偶然、元寮生が街でMをみかけたという情報が入った。ジャージ姿で、手に竹刀を持っていたという。身に染みついた恐怖感から、思わず物陰に隠れてしまったという。しかもそれは、ある児童養護施設の近くだった。

Mは、今もまだ別の施設で同じように子どもたちに暴力を振るい続けているのだろうか。前回のAさんの証言から察するに、Mに罪悪感は感じられない。逃げ場のない施設のなかで、今も毎日、子どもたちが殴られたり蹴られたりしているかもしれない。それを止める職員はいない。行政も長い間、放置したままだ。
本来、刑事事件で裁かれるべき人間が、誰も告発できるものがいないまま、結局はこのような形で、寮を出て何年もたってから民事裁判で争わなければならない。多くの子どもたちは、悔しさを抱えたまま、ただ泣き寝入りをするしかない。
税金を使って、この国の未来を担う子どもたちをこんな職員に任せて、行政は何もしない。家庭で傷ついた子どもたちが、再び絶望のどん底へと落とされる。心的外傷は大人になっても尾をひく。こんなことが一体いつまで続くのだろう。

今回は結局、尋問の開始が大幅に遅れたことで、尋問を終了することができなかった。次回(2003年4月10日・木、午前11時から12時、八王子地裁401号法廷)に持ち越されることになった。再びKさんが証人台に立つ。ぜひ傍聴支援を!



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