わたしの雑記帳

※証人採用のハガキを引き続き、お願いします(2003年3月21日)

2003/1/6 岩脇寛子さんの裁判、控訴審。

富山県奥田中学校の岩脇寛子さん(中1・13)がいじめ自殺したのが、1988年12月21日。両親が学校を管理していた富山市を相手に裁判を起こしたのは、8年後の1996年10月30日。そして2001年9月5日、一審の富山地裁で原告全面敗訴の判決(me010906参照)。同9月17日、原告控訴。

その後、裁判がどうなったのか気になっていた。その情報を最近になって遺族と連絡をとることができ、詳しい資料などを送ってもらって知ることができた。
控訴して約1年3カ月。裁判を開かないまま、進行協議と書類のやりとりが主任判事と弁護士だけで進められてきたとのこと。そしてその間、第一審で長くかかわってきた源判事が、控訴審で主任裁判官を務めるとあって、原告側は抗議。公正な裁判を求める多くの意見書やはがきが全国から寄せられ、5月に渡邉判事に交替するということもあった。

2002年12月9日に第6回目の進行協議があり、いよいよ次回、2003年2月5日午前10時半、金沢高裁における第一回口頭弁論で、原告が15分程度の意見陳述を行うことになった。
ここで、原告側が証人申請を行った後、合議して証人の採否が決まるという。しかし、その日もし、原告側が申請している証人が否決されれば、口頭弁論での審理は最後となり、あとは書類審査のみで結審になる可能性がある。

これは、どの裁判にも言えることだが、4月は裁判所の人事異動の時期となる(9月も多い?)ために、証拠調べをした裁判官に判決を書かせるため、審議を急がせるということがよくある。裁判の結審が1月から3月に集中する(裁判官が急にこの時期、裁判期日の指定を焦りだしたら要注意!裁判をさっさと終わらせる意図ありと思ったほうがいい。それが原告、被告どちらに有利に働くかはわからないものの、それまでに和解勧告が一回もない場合、原告側の訴えが却下される可能性が高いように、私のそれほど多くない傍聴経験からは思える)。
原告側が今回、一番心配していることがこれだ。裁判における効率や能率ばかりが声高に叫ばれるなか、十分な審議を尽くさずに判決を迎えてしまうこと。
岡崎さんの裁判me020931 me021008 参照)がそうだったように。
新たな証拠調べをしようとしないということは、一審の判決をそのまま踏襲する可能性が高くなる。原告の訴えが棄却される可能性が高くなる。そして、最高裁に持ち込むには、さらにハードルが高くなる。「法的な見地」が必要になるという。最高裁の門前払いの可能性はかなり高いと聞く。

辛い裁判を闘ってきた遺族の思いはどうなるのだろう。まして、いじめられて、死に追いつめられた寛子さんの「もう、誰もいじめないでね」という願いはどうなるのだろう。
いじめの相談を受けながら何も手を打たなかった教師に、そのことを寛子さんの死後にさえ遺族に伝えなかった学校に、生徒に書かせた作文を遺族に見せる前に焼却した学校に、何の落ち度もないと認められるとしたら、それでも、いじめをなくせる自信が大人たちにはあるのだろうか。追いつめられている子どもたちの心と命を守れる自信があるだろうか。

以下、岩脇いじめ裁判支援ネットワーク発行の「岩脇裁判に学ぶ 人権ネット通信4」から遺族の思いを一部転載させていただく。

 「娘を『いじめ』で亡くし、真実も未だ分からない中、14年の歳月が過ぎてしまいました。
いじめ問題に対する市教委や学校側の誠意のない対応と、教育という営みの中で、一番大切な取り組みを怠り、いじめの本質について到底容認できない、時代錯誤的な地裁判決に、私達は愕然としました。このような一方的な判決は納得できるものではなく、命の重さ、学校の安全配慮義務、再発防止の必要性、事故後の対応等、これまでの訴えをさらに追求していきたいと思います。
 教育者の姿勢や教師の持つ価値観が、いじめを発生させたり無くしたりすることが、学校という教育現場においては決定的です。子供の立場を無視、事故隠し、保身とメンツを重視する学校の閉鎖性管理体制を変えて、子供が楽しく、安心して学べる学校にして頂くために控訴して闘っています。
 どうか皆様のご支援の程、宜しくお願い申し上げます。      2003年 岩脇」

原告側は現在、カウンセラーの内田良子さん、元市教育長(「寛子さんは友達が少なかった」「多少体育が不得意ということは、動作ものろかったかもしれない」「当時としては(担任の先生は)一生懸命にやっていたということでいいんじゃないか」「(作文を遺族に見せたりしたら)そんなことをしたら教師として失格」などと発言)、当時の担任の3人を証人申請している。
その証人申請すら認められるかどうかわからないという土壇場にきて、裁判所への要望ハガキの提出活動を展開している。

もし賛同していただけるのなら、以下の文面を2003年1月15日までに、裁判所あてに送ってください。(担任と教育長の氏名は、サイト上ということもあって、TAKEDAの判断で勝手に削ってあります)

ハガキの裏 富山・奥田中いじめ裁判
控訴人申請の3証人の採用をもとめます

◎正しい判断にはいじめの深い理解が必要です。
 −内田良子さんの意見に耳を傾けるべきです
◎いじめの事実関係と学校の指導内容は未解明です。
 −元担任からもう一度詳しく聞くべきです
◎市教委は責任を果たしたといえるでしょうか。
 −元教育長に説明を求めるべきです

私のひと言[                   ]
  住 所
  氏 名
ハガキの表
〒920−8655
金沢市丸の内7番2号
名古屋高等裁判所金沢支部内

裁判長裁判官 川崎 和夫 様
    裁判官 榊原 信次 様
    裁判官 渡邉 和義 様   

この裁判を、一審の結果のまま終わらせては絶対にいけないと思う。
いじめがあったとき、教師は真剣に生徒の訴えに耳を傾け、最大限の努力をしなければいけない。まして、被害者が勇気をもって訴えているときには、その勇気と信頼に応えるだけのことをきちんとしてほしい。
自分の手におえないからといって放置したり、たいしたことはないと軽く考えたりしてはいけない。
いじめにあっている生徒にとって、学校の中で、唯一頼れるのは教師だけなのだから。そして、教師には生徒に対する絶対的な影響力と権限が与えられているのだから。子どもたちの命を心を全身全霊をかけて守ってほしい。

そしてもし、不幸にして子どもを救うことができなかったときには、何があったのかを包み隠さず、親族に報告をするべきだ。学校を信じて子どもを預けた親の信頼に応えるべきだ。親とともに子どもを救えなかった痛みを共有するなかから、二度と同じ過ちを繰り返さないために、自分たちは何をしたらいいか真剣に話し合うことが、被害にあった子どもへの唯一の償いであると考える。

自分たちのしでかした過ちを素直に「ごめんなさい」と言えない、言い訳ばかりして非をけっして認めようとしない大人たちが、子どもたちにいったい何を教えることができるだろう。
「見て見ぬふりをすることはいじめに加担しているのと同じことだ」と、子どもたちに諭す前に、大人たちが実践してほしい。

「寛子さんへのいじめを知りながら見て見ぬふりをした教師・学校が、寛子さんの信頼を裏切り追いつめて殺した。大人で分別のある分、そして真剣にやればいじめを止められるだけの権限をもっていた分、いじめた子どもたち以上に罪は重い。それをよしとする教育委員会もまた同罪である。さらにそれを隠蔽し、最愛の子どもを失って深く傷ついている遺族に不必要な苦しみを負わせたことは、罪の上に罪を重ねる行為である」
このような判決が下ることを強く望む。
失われた命は二度とは還ってこないが、せめて、その死を無駄にしないために。

裁判官にはもう一度、寛子さんの遺書を声に出して読み返してほしい。
「ねえ、この気持ちわかる?」「私は、この世が大きらい だったよ」
このメッセージにどう返事を返すつもりなのか。辛い、悲しい、悔しいこの気持ちを誰もわかってくれない、くれようとしないこの世の中が大嫌いだと言っているのではないのか。13歳の絶望を再び踏みつけにするのだろうか。


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