わたしの雑記帳

2001/10/28 ケニアでNGOを立ち上げた荒川勝巳さんの報告会(10/29 11/4一部訂正・追記)


昨日(10/27)、「サイディア・フラハを支える会」主催の報告会「ケニアのエイズの現状」に参加した。
ケニアの地域自立支援センター「サイディア・フラハ」の創設者で現地スタッフの荒川勝巳さんの話を聴くのは2回目。

荒川さんはすごい人だと思う。1985年にはじめてケニアに行って、翌年12月には単身ケニアの孤児院でボランティアとして4年間働き帰国。1992年には再びケニアへ、そして翌1993年にはナイロビ近くのキテンゲラで、ケニアの人たちと共同で、子どもと女性とともに生きるNGO「サイディア・フラハ」を設立した。
何の後ろだてもない若い男性が、「思い」だけで始めたNGO。日本で働いた金を活動に注ぎ込んで、夢を実現する。その姿に打たれ共感した人びとが「支える会」をつくったという。
資金があって活動を始めたのではなく、自腹の資金だけで始めた活動に、善意の資金がついてきた。
「サイディア・フラハ」とは、スワヒリ語で「幸福の手助け」という意味だという。

今回のテーマは「エイズ」。
私には、特別思い入れのあるテーマのひとつでもある。2年ほど前、メキシコのNGOで出会った、HIV感染した少年たちの姿が私の脳裏には焼き付いていて離れない。心のすみでずっと気になり続けていた。あんな子どもたちが世界中にどれほどいるのかと思うと、胸がつぶれた。
自分がHIV感染者であることを受け入れた少年、まだ受け入れきれずに暗い瞳をした少年。彼らにかけてあげられる言葉がなかった。ただ、抱きしめて頬にキスをした。次にこの施設を訪れることがあったとして、その時にはもう彼らはこの世にいないかもしれないと思うと、辛かった。何もできない自分というものを思い知らされた。

アフリカの事情はメキシコとは少し違った。ストリートチルドレンの問題がそうであるように、同じようにエイズの問題と言っても、国や地域によって様々であること、一括りにはできないことを知った。そして、おそらく、一見バラバラに見えるそれらは、深いところではきっと共通の問題でつながっているのだろうと思う。それはまだ、私には見えていないが。

ケニアは1963年独立。欧米の民主化運動がアフリカに飛び火して、それまでの一党制から複数政党制に移り変わるときに、社会が混乱した。民族闘争に飢饉が重なり、政治・社会・経済が不安定になった。
エイズの発祥地はケニアの隣国、アフリカのウガンダだと言われている。
内戦当時も、ケニア(ウガンダの間違い)でもすでにエイズで亡くなるひとはいたと思われる。しかし、混乱のなかで、人びとはエイズどころではなかった。その間にエイズはどんどん広がっていった。
そして、政権が安定してくると、問題が表出した。今や、国を揺るがす大問題となっている。


このページをご覧になった荒川さんから、私の上記記述について、「ウガンダとケニアのエイズ状況を混同しているところを見つけました」とご指摘をいただきました。以下、せっかく詳細を書いていただいたので、そのまま引用されていただきます。2001/11/4】
『ウガンダは1985年に内戦が終わりました。この内戦中もウガンダでエイズの問題はあったのでしょうが、内戦の混乱に紛れて騒がれることがありませんでした。騒がれるようになったのは、ウガンダの政権が安定してきた87・88年頃からです。
一方ケニアは92年のケニア初の複数政党制選挙前後の民族闘争による混乱中にエイズが急増しましたが、やはりこの混乱に紛れて騒がれることはありませんでした。騒がれるようになったのは、94.95年頃からです。』

衛生課の職員によると、川さんのNGO施設があるキテンゲラの町でのHIV感染率は、現在40%に達しているという。
町は幹線道路沿いにある。HIVはトラックの運転手が運んでくると言われる。彼らが歓楽地で遊ぶことで、エイズは都会から地方都市へと運ばれていく。
キンゲラは工場地帯であると同時に、草原地帯・屠殺場があり、肉が安いという。近隣の町からも食事に来る。Barができる。歓楽街ができる。
そして、人口の増加。人口の70%は田舎で農業や遊牧を営んでいる。人口過多となり、ナイロビやモンバサの町へ人びとは働きに出る。しかし、人口の増加に追いつくほどの仕事がない。
特にシングルマザーや若い女性は仕事がなく、道ばたで野菜や果物を売って生活している。売るものがなければ体を売る。買春をしたり、2号になったりする。エイズに感染しやすいという。
また、経済的にも、宗教的(カソリック)にも、コンドームなどの防御策は普及していない。

そして、ギリギリの生活をしている人びとは、病院に行ってエイズ検査をすることすらない。病院の数は少ない。遠くまで出かけていって、日本円で1500円ほどの金を払ってまで、検査をするメリットがない。
エイズに感染していると知られたら、人びとから嫌われる。差別される。まして、感染しても死亡するのは3〜10数年先。今日の飢えをしのぐことで精一杯の人びとに、先のことを考える余裕はない。
感染しているとわかっても薬を買うこともできない。体力をつけるために栄養をとる経済的な余裕もない。どのみち術はない。
従って、感染しているひとは多くいるだろうと推測されてはいるものの、実際にはその人がHIV感染によって死亡したかどうかはわからないという。ましてエイズは、末期的になければある程度典型的な症状が出るものの、エイズそのもので死ぬわけではなく、免疫性不全により、マラリアとか他の病気にかかって死ぬ。

かつては、「エイズで死亡した」ということは禁句であったという。しかし今は、あまりに蔓延しているために、身近になりすぎた。誰の身内にもいるということで、差別さえしていられない状況になっているという。
そんな中で、自ら「わたしはHIV感染している」と語る人びとも現れはじめたという。

荒川さんのNGOでも、エイズの問題が身近なものになりつつあるという。
しかし、できることには限りがある。サイディア・フラハの資金源は、日本の「支える会」の寄付や助成金のみ。最近になって、アメリカのエイズ対策を行っているNGO対象の助成金を得ることができたというが、資金に余裕はない。
最も、金のかからない方法として、予防に務めているという。エイズの知識を広めること。女性の自立。

最初は孤児など、子どもの支援から始めたNGO。次第に、子どもの支援だけをしていてもダメだと気付かされたという。母親を教育することが子どもを助けることに効果があると気付いた。そこで、ここでも多いシングルマザーの教育を特に始めたという。社会人教育セミナーのなかで、エイズの知識やマラリアやガン、結核、腸チフスなど他の病気の知識を広めた。保健婦さんの話や感染者の話。
とくに、実際に感染しているひとの話は身近で、説得力があるという。周囲から非難される、差別されることの辛さ。他の病気と同じように、敬意をもって扱ってほしいということ。病気の知識だけでなく、社会的な部分での改革の意味も大きいという。病気をオープンに語れることはとても大切だという。
そして、女性の自立をはかるための裁縫教室。ニット教室。男性に頼らなくても、体を売らなくても食べていけるように、手に職をつけさせる。

今後、荒川さんは、カウンセリングにも力を注ぎたいという。エイズに感染したひとのケアはもちろん、エイズの自覚をもった人びとの心配を緩和させたいという。
そして、職業訓練学校の設立。貧しい人々には無償で援助を提供する一方で、中流あるいはそれ以上の人たちからは授業料をとって、職業訓練をしていくという構想。
日本も不況のなかで寄付金を募ることが難しくなっているという。まして、実際にかかわっている日本人は荒川さん一人。彼が何らかの事情で関われなくなってしまったら、資金繰りの面で、運営がストップしかねない。運営資金をケニアの中でつくっていくことが、このNGOをこれからも続けていく原動力になるという。

いつまでも支援を続けるのではなく、最終的に地域の人たちの自立を考えている。
いろいろなNGO、ボランティア団体を見ていくなかで、支援のあり方を考えさせられることは多い。一方的にものを与えるだけの支援では、そこの人びとを依存的な人間にしてしまう。場合によっては、その国の産業をダメにしてしまうこともあるだろう。援助の手がなくなった途端に、元の状態に戻ってしまう、もしくは、より悪くしてしまう。
本当の援助とは、最終的に他者の手を借りずにすむように持っていくこと。自立支援であることだと思う。

そういう意味でも、荒川さんの、自己実現や自己満足のためだけではない、ほんとうにその国の人たちにとって何が必要かを考えて、常に現地の人たちと二人三脚で歩んできたやり方は素晴らしいと思う。
そこに日の丸の旗は翻らないだろう。現地の人たちは日本人のお陰などとは思わないだろう。自分たちで努力して築き上げた。ほんの少し、最初の一歩を支えてもらっただけ、そう思うかもしれない。感謝という見返りさえ求めない援助。国も民族も超えて、「この子どもたちのために何かをしてあげたい」その自分の気持ちだけを大切にここまで大きくしてきたNGO。

日本のNGOの多くが小規模であることを恥ずかしいことのように感じていた。海外の大企業にも負けない力のあるNGOだけが素晴らしい貢献をしているように感じていた。その私の考えがみごとにひっくり返された。NGOは規模ではないと。派手な援助ばかりが、本当に必要な援助とは限らない。たった一人でも、地道で目立たなくても、確かに人びとのなかに根付いていく援助のあり方もある。こんなひともいる、それだけで自分が日本人であることを誇りに思える。

荒川さんは、12月まで日本に帰国している。その間、ケニアの現状を伝えるための講演や資金調達の活動に走り回っている。詳しい内容を知りたい方や、少しでも寄付ができる方は、ぜひ「サイディア・フラハを支える会」のページ http://home7.highway.ne.jp/hiroki/ngo にアクセスしてみてほしい。


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