わたしの雑記帳

2001/9/5 岡崎哲くんの裁判傍聴報告


本日、東京地裁で、岡崎哲くんの第一次訴訟の法廷が開催された。
非公開の証人尋問(救急病院の婦長さん)や進行協議が続いて久しぶりの傍聴となった。

今回から裁判長が代わっていた。いくつかの裁判を傍聴してきて、思っていた以上に頻繁に裁判長が代わることを知った。吉と出るか、凶と出るか。いくら書類等で引き継ぎがなされるといっても、細かい印象、心証まで、どの程度伝わるものかと思う。

今回、証人採用されたのは、監察医歴30年、検死・解剖経験2万体という大ベテランの上野正彦医学博士。
この裁判で、最初に焦点となっているのが、哲くんの死因だ。警察は哲くんの死を暴行によるものではなく、生まれつきの心臓疾患による「ストレス性心筋症」と判定。しかも、遺族から証拠品として要請された血液と尿のついた下着と、中学校でとったどこにも異常のない心電図の存在を無視した。
(もっとも、検察側が採用した鑑定の石山医師は、「ブリーフは見てないが、見ても解剖結果に影響を与えるものではない。遺体の解剖所見が全て」とテレビのインタビューに答えていたというが)

上野医師の証言は、私のような素人にもわかりやすいものだった。
ズボンとパンツの写真と現物を見た結果、血液と尿が均等に布に染み込んでいることから血尿と判断。血尿が出た理由について、脳の機能が停止すると、瞳孔、肛門括約筋、膀胱括約筋が開く。膀胱に残尿があれば失禁するという。
そして、三沢鑑定でも言われている右下腹部にリンゴ大の腹膜外出血が、死因となった。腹部を強く殴られたか、蹴られたかしたことによる神経性ショックで脳の機能がマヒしたとした。

さらに、血尿や衣服への泥の付き方、顔の擦過傷や手のひらについた泥の写真から、前のめりに路上に倒れて顔に擦過傷がついたと推測される。ワイシャツの腹部分に泥がついていないのは、腹を殴るか蹴られるかして、両手で押さえたまま前のめりに倒れたから。そして、両手を使って上半身を立てようとして半ば立ち上がったところを、最後に腹に蹴りを入れられ、今度は仰向けに倒れる形で尻をついた。(この時にショックで脳機能が停止)左側が少し上がり、右下が路面に密着した形で血尿が出たと推測。
救急隊員が駆けつけたときには、哲くんの心臓は停止、瞳孔はすでに開いていたと報告されていたという。

また、大動脈の幅、副腎脂質(?)が狭いというのは、スポーツ心臓(過激なスポーツを少し長く続けていると心臓が肥大する。哲くんは高校からスポーツの勧誘が来るほど将来を嘱望されたサッカー少年だった。このスポーツ心臓のひとが大人になって急にスポーツをやめると心不全を起こすことがあるという)だった可能性が高いという。このスポーツ心臓は、鍛えられて心臓が非常に強い
ストレス心筋を起こすような弱い心臓か、この常人より強いスポーツ心臓なのかを判断するには、心電図や過去の生活、病歴をみるとよいという。(哲くんが健康体であることを裏付ける心電図は、他の提出書類から、わざわざはずされていた)

そして、被告側の、通常であれば救急処置をするために衣服を切り裂き、完全に取り去るはずのパンツをそのままにして処置を行い、パンツについた尿のうえにカテルーテ挿入時の出血がついたのでは、という主張(前回、この目撃証言が得られるという被告側の主張に基づき、婦長を証人尋問したが、結果、婦長は血が流れているのも見ていないし、尿にも気付かなかったことが判明)に対しても、カテルーテの挿入ではこれほどたくさんは出血しないこと、上から付着したのであれば、血液だけが濃くつくはずであるし、尿がついた時と時間差もあることなので区別がつくこと、このように均等には混ざらないこと、をあげて否定した。

心臓マッサージをするときに、救急隊員の膝が、下腹部を圧迫して血尿が出たのではないかという、反対尋問に対しても、腹部は柔らかく力を吸収する力があるために、右下腹部にできた腹膜外出血というのは、相当大きな力が集中的に加わらないと、こうはならないとして否定。

精彩を欠く反対尋問だったが、「少年法で、少年事件は非公開なのに、上野医師はなぜ、マスコミに2回も出たのか」の質問に対して、上野医師は、「(死因について)非常に間違えた判断をしていると思ったので、積極的に出た」と答えた。

哲くんの死因、鑑定については、もっと争われるかと原告側は予想していたが、被告側からも新たな証人申請は今のところなく、上野医師の説明を聞いただけで、判断が下される可能性が高くなった。
これを、上野医師の説を全面的に採用すると受け取ってよいのかどうかは、まだわからないにしても、ここで死因が病死ではなく、暴行による死であると特定できたことで、今後の裁判に及ぼす影響は非常に大きいと思われる。

今回の裁判を傍聴して、少し明るい兆しが見えたのではと支援者たちはいささか興奮気味になった。そんななか、少しここのところ疲れが出たという和江さんをみて、わが子の死の時の状況が明らかにされていくというのは、遺族が自ら望んだこととはいえ、黙って聞く身になれば、とても辛いものがあるのだろうと思う。何度も途中で裁判を投げ出したくなるときがあるという、遺族の厳しく、長い闘いがこれからもまだまだ続く。わたしのできる範囲で見守っていきたいと思う。それが、少しでも力になるのなら。

それから、今日、裁判の傍聴にノンフィクションライターの黒沼克史さんがいらしていた。一度、お会いできたら、と思っていただけに、少しお話もできてうれしかった。

次回の第一次訴訟の日程は、10月3日(水)1時10分から、霞ヶ関の東京地裁703号法廷にて。


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