わたしの雑記帳

この日、新緑のなか

ひときわ鮮やかに

山ツヅシが咲いていた

Photo by S.Takeda
2001/4/27 八王子の少年(15歳と1カ月)の2年目の命日に


八王子の少年の2年目の命日に、遺族の方と一緒に慰霊登山をした。
晴れて、そんなに寒くもなく、暑くもなく。新緑が目にまぶしい。あの日も今日のような陽気だったという。朝早く家を出て夕方まで、家族と何度も訪れた思いでの山、この道を少年はどんな思いで行きつ戻りつしたのだろう。

花束を持って上る私たちとすれ違う登山客が、「こんにちは」と明るく声をかけてくる。「こんにちは」と私たちは少し小さく返す。あの日も少年は、何人もの登山客とすれ違い、同じように声をかけられたのだろうか。誰もが、まさかすれ違った少年が死に場所を探しているとは思いもしなかったろう。彼は、「こんにちは」と返すことができたろうか。どんな思いで、行楽客を眺めたのだろう。新緑は彼の慰めにはならなかったのだろうか。
そんなことを考えながら、登った。

登山道から少し脇道に逸れたあたり。眼下には人家の屋根が見える。あと15分も下れば、駅についたのに、その道を自ら下ることができなかった。
一生涯、この山のなかに隠れ住むことができたらいいのにと、彼は思っただろうか。そして、それが現実には不可能だということを、暮れゆく山の寒さに思い知らされたかもしれない。

PTSD(Posttraumatic Stress Disorder)心的外傷後ストレス障害
心理学の勉強をしたわけでもないので浅薄な知識しかないが、暴力や金銭の強要から離れてなお、彼を苦しめたのは心の外傷ではなかったか。
少年は一度、衝動的に飛び降り自殺をしようとしたことがあるという。一度自殺未遂をすると、死への道筋ができ、二度目は恐怖を乗り越えてしまうという話を聞いたことがある。
心の傷の話をすると、遺族は、スクールカウンセラーを勧められて行かせてみたけれど何にもならなかったと肩を落とした。

少年はきっと、死ぬ気でいたわけではなかったろうと、私は思っている。
彼が家族に残した置き手紙は、むしろ前向きに自立を目差したものだった。もしも偶然、山菜採りのひとに遺体が発見されなかったら、両親はずっと少年は元気にどこかで、住み込みの仕事をしながら働いていると思い続けていただろう。
発見して欲しかったのか、欲しくなかったのか、少年の遺志はわからない。

少年は生前、両親に「中学時代、僕が自殺すると思ったでしょう?」「そんなバカなことはしないから安心して」と言っていた。自殺がバカなことだと、両親を悲しませるだけだと十分に知っていた。
それでも心の傷が、本人が忘れたいと願っても、忘れたと思っていても、ある日、突然、ぱっくりと大きく口をあけたのか、フラッシュバックが彼を襲ったのだろうか。
もしくは、躁鬱病は鬱から躁へと移行する時期が一番危ないと言うが、亡くなる一ヶ月前から無気力になり何もしなくなっていたという彼は、丁度その時だったのかもしれないと思う。

いずれにしても、彼の心の深い傷は、自然についたものではけっしてなく、自ら傷つけたものでもない。第三者によって、あるいは何人もの手によって、学校というシステムの中で、つけられた傷だ。
その責任をいったい、誰がとるのだろう。

そして今、彼の家族も深い傷を負っている。
今日、私たちは彼の姉を泣かせてしまった。この事件をできるだけ多くの人たちに知ってもらいたい、関心をもってもらいたいということを、支援する人たちで話し合って、遺族の方にももちろん事前に了解をとって、記録のためのカメラを持って行った。しかし、弟が亡くなった現場の写真を撮られることが、彼女には耐えられなかった。「撮らないでください!」と言って泣いた。

少年が亡くなって2年。遺族の心の傷は深い。母親はついに今年も現場に足を向けることができなかった。まだ一度も、訪れることができずにいるという。父親も一人ではさすがに辛いというので、みんなで誘い合わせて行くことになった。
一番の救いは、亡くなった少年の友人2人が来てくれたこと。少年と同じように不登校を続けていた子どもたちだ。
同級生が来てくれるのは、遺族にとってうれしいことに違いない。亡くなってもこうして忘れずにいてくれる。友だちでいてくれる。一方で、その成長ぶりを見れば、生きていれば息子もと思わずにはいられないだろう。

遺族にとって、私たちの何気ない言動のひとつひとつがナイフになる。あっ、今の言葉・・・と思う。同時にまた、気を遣われることにもきっと傷つくだろうなと思う。何をどう考えて、遺族と接したらいいのかわからなくなる時がある。まったく、私は何をやっているんだろうと思うことがある。
私たちに遺族の心の傷を癒してあげるなんてことはできない。それどころか、傷つけてさえいる。それでも、この関係をゆるやかに続けていきたいと願う。ここで、この関係を断ってしまったら、本当に傷つけただけで終わってしまうから。傍らでそっと見守り続けたいと思う。

人をなぜ殺してはいけないか。殺された本人はもちろん、苦しい、悲しい、悔しいと思うだろう。夢も未来も愛するひとも、大事にしていたものをすべて、一方的に根こそぎ奪われるのだから。そして、周囲の人たちもまた、苦しい、悔しい、悲しい、辛い思いをする。心が引き裂かれて、一生残る傷になる。加害者に対する恨みはもちろん、救えなかった自分を恨んでしまう。大切なひとを殺されたものは、一生涯、その傷を背負い続ける。5年、10年の刑期ごときでバランスがとれるものではけっしてない。

それにも増して、加害者たちが、その罪の重さに気付くこともなく、従って反省もなく、のうのうと生きているとしたら、怒りは、恨みはいったいどこにぶつけたらいいのだろうか。
もし、愛するひとを奪われたら、「私だったら、相手を殺す」「私だったら、生きてはいられない」遺族に向かってそう言うひとがいる。しかし、遺族は今、どんなに心の中ではそう思っていても、現実には「殺せない」「死ねない」常識的、良識的な自分を責めている。相手にはこんなにまでひどいことをされたのに、同じことをして返せない自分を責めてしまう。自分の心のやさしさまで、恨みに思ってしまう。


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