わたしの雑記帳

2000/11/30 子どもが子どもの親がわりをすることの負担


三宅島の子どもたちが、あきるの市の都立秋川高校で集団生活を始めて3ヶ月。子どもたちが限界にきているということが、ここたびたび報道されています。
なかには、今の子どもたちには欠けている集団生活を学ぶいいチャンスだと言うひともいるけれど。
三宅の子どもたちと、児童養護施設の子どもたちとに共通する課題が、ここにある気がします。

多くの児童養護施設では、縦割りで、年長の子どもたちに年下の子どもたちの世話をさせています。職員はそれを監督するのが仕事。少ない職員数で、大勢の子どもたちを上手に管理する方法です。
大人たちは確かに助かります。でも、子どもたちにとってはどうでしょう。「成長の糧となる」という範囲で収まればいいのですが。

子育ては、大人にとっても、たいへんな仕事です。わんぱく盛りの子どもたちには手を焼きます。まして、それが、自分の意志に反して親元から引き離されなければならない状況下で、生活環境がガラリと変わるなかで、子どもたちはより不安定になります。神戸の震災のあとも、子どもの夜泣きや夜尿、べたべたと甘えたがる、などあって、ケアが大変だったといいます。大小の差はあれ、子どもたちは不安な毎日を過ごしていることでしょう。

そういう状況におかれた小さな子どもたちが聞き分けがいいはずがありません。甘えたいのに甘えられない。ストレスはたまりにたまっているはずです。大きい子どもたちの言うことをきくはずがない。
そんな子どもたちを押しつけられた、お父さんやお母さんの代わりをしなさいと言い含められた子どもたちは・・・。自分だって辛い立場だというのに。大人が想像する以上に重い負担になっているのではないでしょうか。

教委は、カウンセラーの導入を盛んに言います。そう、最近は何かというと、カウンセラーの登場。
でも、カウンセリングって、そんなに万能なの?何もかも、問題解決できてしまうものなの?
「カウンセラーに相談」というのが、困難な問題にぶつかったときの逃げ口上の定番になっている気がして仕方ありません。

カウンセラーを増やすくらいなら、ボランティアなり、もっと人を増やして、小さい子どもの面倒を大きい子どもに押しつけるのをやめたほうがいい。大人だって、音を上げたくなる仕事を、教育的な理由をつけて、子どもたちに科すのはやめましょう。

考え方が極端かもしれないけれど、
1980年2月3日 徳島県で、テレビのチャンネル争いから弟(中1・13)が、父親の猟銃を持ち出し、姉(中2・14)を射殺
この事件は、姉が不在がちの母親代わりをしていて、日ごろから口うるさく言われていたのを恨んでいたと言われています。

また、
1982年 岡山の養護施設で、入所児のリンチにより少女(6歳)が死亡
1986年 大阪の養護施設・博愛社で、小1女児が上級生の男子6人からリンチを受け死亡。この事件をきっかけに職員の体罰も発覚
大きい子どもが小さい子どもを楽に従わせるには、暴力が一番、楽で簡単な方法なのです。ましてや、大人である職員たちが、その見本を子どもたちに示しているのですから。

1988年4月21日 1月から妹たち(5,3,2)とともに母親にマンションに置き去りされた少年(14)が、妹(2)がカップ麺を食べたことやそそうをしたことを怒り、友人とともにを押入から投げ落とし殺害。母親は子どもたちを置いて愛人と同棲していた。また、子どもたちの出生届けは出されていなかった。
この少年も、日ごろ、幼い妹たちの面倒をみなければならなかったことに、かなりストレスがたまっていたのではないでしょうか。大人ですら、育児ノイローゼでお腹を痛めて産んだ子どもを虐待したりするのですから。

ここにあげたのは、極端な例にしても、それだけ子どもたちに負担がかかっているということを言いたいのです。
大きい子たちのイライラ。そして、小さい子たちには、親の苦労がわからない以上に、自分より幾分大きい子どもたちのたいへんさは理解できないでしょう。感謝ではなくて、恨みが残りかねない。長い間築いてきた信頼関係、人間関係すら破壊しかねないのです。

安易に子どもたちに負担を押しつけないでください。子どもたちを追いつめないでください。
少子化対策を声高に叫ぶ前に、国は全力をあげて、今いる子どもたちを守ってください。お金で解決つくことなら、こんなところで惜しまないで。
昔もあった。戦争中も疎開児童はいたという人もいるでしょう。でも、その時に子どもたちがどんな思いをしたか。そこで、何があったのか、美しい思い出にすり替えるのではなく、現実をもっと見つめてください。
プラッサ12号に、田 光明さんが、「疎開児童の独りぼっちの死」という思い出を書いています)

三宅の子どもたちが、一日も早く親元で暮らせますように、児童養護施設のあり方がせめて普通の家庭並みになることを願って・・・。

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