第II部、敗戦五十年と民族道徳


第1章.橋本龍太郎発言の嘘をあばく

「大東亜戦争」は徹頭徹尾侵略戦争であった

 

1994年の「日本を代表する反動政治家どもの戦争=合理化発言」

5月 羽田内閣・永野茂門法相:「戦争目的そのものは」正当なものだった
               「南京大虐殺」=デッチ上げ論

8月 村山内閣・桜井新環境庁長官:日本の戦争でアジア諸地域は独立
                「むしろ民族の活性化につながった」
以上2人は辞任に追い込まれる。

10月 橋本龍太郎通産大臣:衆議院税制改革特別委員会での歴史=歪曲発言。

1.橋本龍太郎は何を語るか

津田の考え
「第2次大戦は日独伊のファシズム3国による洋の東西からする領土再分割− 『ヨーロッパ新秩序』、『東亜新秩序』の建設といわれた−の戦争に対して、 米英中ソなど反ファシズム諸国による民主主義擁護の戦いとして際だっていた。」
「朝鮮植民地化から・・・『大東亜戦争』の敗戦に至るまで・・・ 一つながりの帝国主義的侵略戦争であった・・・。」

橋本発言の特徴
一つながりの国家意志の発動を、個々の「要素」に解体し・・・ 個別的評価を言い立てる。
中国に対しては「侵略戦争といわれても仕方のない部分がある。」 朝鮮半島については「植民地主義といわれても仕方のない行動」があった。
「現在の我々からすれば」「今の歴史観からすれば」 第2次世界大戦に限定した場合は、 侵略戦争だったかどうかは「私には疑問だ」
戦争がやられた地域、東南アジアの人々には「迷惑をかけた」が、 その地域に対しても「侵略であったかどうか」微妙になると歴史を誣いる。

2.第二次大戦の見方

「天皇制帝国主義による米英蘭への宣戦は、 洋の東西で開始されていたファシズム対民主主義の戦いを、 文字どうり世界的な現実にまで発展させるという 極悪な犯罪的役割を果たしたのである。
世界史的には、全体としてのファシズム対民主主義のたたかいの 有機的な構成部分に組み込まれていた。橋本の思考に欠落しているのは、 まさにこうした第2次世界大戦の性格評価における世界史的観点なのである。」

3.一つながりの十五年戦争

天皇制帝国主義による、十五年戦争と通称される一つながりの戦争は、 相結び合う三つの段階に画される。
第一段階の「満州事変」、柳条湖事件の謀略をきっかけ、1931年9月18日
第二段階の中国全面戦争、盧溝橋事件という偶発事件をきっかけ、 37年7月7日
第三段階「大東亜戦争」、4回の御前会議・天皇の「聖断」、 開始 41年12月8日

明治以後の日本が選択した脱亜入欧=富国強兵路線
日清戦争(1895)−日露戦争(1905) −朝鮮半島の併合・植民地化(1910)

「つまり『大東亜戦争』は、 中国侵略の帰結として選択するべくして選択した 帝国主義的必然の問題であったといえる。」
「日中戦争と『大東亜戦争』を機械的に切り離して、 別々の評価をはりつけてみせる橋本の思考は、 こうした歴史的観点を全く欠落させた駄法螺といわざるをえない。」

4.侵略戦争としての「大東亜戦争」

「大東亜戦争」が侵略戦争であった実態の特徴的事実のいくつか
1941年12月15日 米領ウェーキ島――→「大鳥島」
  42年 2月17日 英領シンガポール――→「昭南島」
     中国系住民の大虐殺――各地で再現された南京大虐殺の、
     もう一つのコピー
1941年11月20日 大本営政府連絡会議 「南方占領地行政実施要領」
  「占領地に対してはさしあたり軍政を実施し治安の恢復、
   重要国防資源の急速獲得及び作戦軍の自活確保に資す」
        (原文はカタカナ使い)
1941年12月 1日 御前会議 大蔵大臣の説明要旨
  「尚南方作戦地域は・・・(中略)相当長期の間現地一般民衆の
   生活顧慮するの暇殆ど無し」
1943年 5月29日 大本営政府連絡会議「大東亜政略指導大綱」
  「『マライ』『スマトラ』『ジャワ』『ボルネオ』『セレベス』は
   帝国領土と決定し重要資源の供給地として極力これが開発並びに
   民心把握に努む」

橋本は「言葉の定義の問題として、必ずしも侵略であったかどうか、 なかなか微妙な問題になる」

5.ソ連の対日参戦をどう見るか

橋本は「敗戦の直前に旧満州地域に怒濤のごとく侵入を開始してきた ソ連軍の行動まで含めて、 日本が侵略戦争を戦ったと申し上げるつもりは断じてない」

津田の考え
「したがって、ソヴェト赤軍による「ソ満国境」の突破は、 中国人民の抗日民族解放戦争に結びつき、 それへの偉大な援助ともなりえたのである。 こうした全世界史的観点からするなら、ソ連の対日参戦は、 国際的に正義の反ファシズム闘争の一環と見られるだろう。」

「敗戦五十周年、私たちは、人民的立場から戦争の性格評価の問題と併せて、 戦争責任の問題をあらゆる個別的な局面・要素にわたってまで、 粘り強く追求して行かねばならぬと考える。」

 

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