こうして、無事に南京城一周ツアーを終了し、私の興味はある方向へと向かい出した。それは、市民生活の中に溶け込んだ城壁の存在である。中華門前の広場には、連日鳥を飼う人達が集い、鳥の鳴き声自慢や、鳥をパッと空中にほおり投げては続けざまに物を投げ、鳥にくわえさせて掌に戻らせるという、昔ながらの鳥自慢が繰り広げられている。飼い主の元へと吸い込まれるように飛来する姿が一興だ。他にも、一心に凧を揚げ続けるおじさんがいたり、車座に座り込んで何やら楽しげに話し込む人たちの姿がある。そこは観光客の目など気にせずに、只ひたすら自らの楽しみのためにだけに、集い、語り合う場所なのだろう。私はそんな中に1人よそ者であることを忘れて、ぼんやりとその光景を眺めていたりする事がとても楽しい。明故宮しかり、朝天宮しかり、そして最近オープンしたばかりの東華門、西華門しかりである。中国の良さは、そういった人々のくつろげる場所、憩いの場所が其処かしこに用意されている点だ。ひとたびそこに足を踏み入れれば、私自身も憩いの人、そこの主になれる。ここに集う時、人々のまなざしはやさしく、おおらかな気分に満ちている。日常の喧騒がうそのようだ。
南京には庶民の生活の中に、暮らしの中に城壁があり、城門がある。観光客だけの為だけには存在し得ない場所、くつろぎのスポット。個人的な営利の介入する余地のない空間、ひたすらその空間を楽しむために用意された場所。そんなユートピアのような世界が、確かにここには存在するのかもしれない。日常生活に一度戻れば、ここにいる人々の顔も、行いも変っていくに違いない。しかし、一度ここに足を踏み入れれば、ここにいる時だけは心が満ち足りた気分になれる。安らかな気持ちになれる。そんな場所を中国の人々は遺伝子の中に脈々と受け継いでいるに違いない。
国慶節の日に私は平遥を訪れ、徒歩で城壁上一周を試みた。この街は小ぶりで城壁に上れば簡単に全城壁が見渡せる。明清時代にタイムスリップしたかのような城内の風景は映画村を上から覗き込んでいるかのようで楽しいものだが、なんといっても印象深かったのは、それまでなかなか覗き見ることが出来なかった四合院の中の生活風景だった。
四方をぐるり取り囲むように建てられた家の真ん中には、文字通りの中庭があり、その中を3歳位の男の子が三輪車に乗り廻している。傍らには母親と思しき女性が洗濯物を干しながら何やら子供に語りかけている。母親が部屋の奥へと入ってしまうと、今度はおばあさんが庭先の椅子に腰掛けて、子供の遊ぶ姿を目を細めて眺めている。その光景に見とれている私に気づいた男の子は、うれしそうに全身を震わせて手を振り始めた。思わず私も両手を思いっきり振り返す。顔にはもちろん満面の笑顔を称えながら。
人間にとって必要なものは、そんな笑顔のやり取り、コミュニケーションが行き交う安らぎの場所だ。中国の人々はその空間の存在を忘れない限り、悠久の歴史を絶やすこともなければ、決して他文化に同化していくこともないであろう。この南京においても、その文化は脈々と受け継がれているようだ。
現在、南京市では西安、平遥に続く城壁の街を目指し、世界文化遺産の登録を申請中である。今後、南京の城壁は新たな観光スポットとして世界的にも脚光を浴びることになるであろう。
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